昔のはなし……
世は平安。
百鬼夜行、異形の者ども都を貪り、生き血をすする。
平和の世ゆえ、抗う術なし。
かろうじて得た人の世は、数万の人の命とひきかえに。
そう、昔のはなし。
千年ぐらい前の……ただの昔ばなし……
「めんどくさいわねぇ」
清高に聞こえるよう、花南はわざと大きく呟いた。
場所は東京のど真ん中。霞ヶ関のとある建物の玄関ホールを出たところである。
「そういうなよ。梅雨明けしたんだからしょうがねぇだろ」
清高がたしなめるように答えるが、しかし花南は不機嫌そうな表情を崩さない。恨めしそうな視線で空を睨み始める。
(天に喧嘩でも売る気か?)
大の大人が空中に向かって真剣に睨む光景がなかなか面白いと思った清高であったが、ゆっくりとしている場合でもないので花南の肩を軽くたたき、門に向かって歩き始めた。
「ほら? さっさと行くぞ?」
清高の言葉に促され、花南も歩き出す。
しかし、東京駅まで歩く途中――いや、正確には建物を出てから1分と経たずに、花南が再び機嫌悪そうな声色で言った。
「清高さん? やっぱ暑い……タクシーにしない?」
季節は夏の始まり。午前中にもかかわらず気温はぐんぐんと上昇し、あまりの暑さのため、どうやら花南はまいってしまったようである。
今現在清高もそんな状況を体験中であり、いくらか同情の気持ちも感じていたが、清高はたしなめるように答えた。
「花南、お前もちゃんと訓練を受けたんだろ? この程度の暑さでへばんなよ。
というかな、お前入隊してまだ3か月ちょっとだろ?
ペーペーの新人ちゃんの分際で、タメ口は辞めろって。こう、なんつーかな……年上をな……敬うってゆーかな? そーゆー気持ちぐらい……」
「別にいーじゃん。厳密にいうと立場は私の方が上でしょ。そう考えると清高さんの方こそ私に敬語使わなきゃいけなくなるんだよ。
世の中、縦社会は続いてるし……私だってそれ許してんだから。清高さんも気にしない気にしない!」
花南がすかさず反論する。しかしながら、言葉の内容のわりに花南自身は悪意を感じさせない笑顔を浮かべていた。
「そりゃ、そーだがよ……」
結局、清高は適当に話の流れを濁し、周りの町並みに視線を移しながら考える。
(一瞬だけ……そう、一瞬だけ花南の目つきが鋭くなったような……ライオンに狙われたあの感じ……何故だ? こいつは何かを隠し持ってる……?)
しかしその原因は分からない。無言で考え込む清高に向かって、花南が言葉を続けた。
「それに、ほらっ。清高さんはなんかおとーさんみたいじゃない? 歳もそんぐらいだし」
(それもまんざら悪くないな)
清高は一瞬だけ湧き上がった本能的な警戒を緩めることにした。
花南自身根は正直でいい子だ。
そう思うと同時に、向かい合った花南の向こう側から近づいてくるタクシーを止めるため、清高は手を挙げる。
すぐにタクシーが止まり、2人はタクシーに乗り込む。乗り込む時に清高が少しうれしそうに言った。
「まぁ、タクシー代は俺が払ってやるよ」
花南が小さな勝利を手に入れた瞬間であった。
杉沢花南はこの春防衛大学を卒業し、防衛省のとある組織に配属されたばかりである。
花南が自衛隊員になった理由は、自分の心の奥底に眠る隠れた闘争本能を全力で生かすため。
千葉で自営業の酒屋を営んでいる花南の両親は当初、花南のこの進路に反対していたが、世界で復興支援に参加する自衛隊の活動を切々と訴える花南に丸め込まれる形で入学を許してしまう。
そして花南は防衛大学に入学した。
その組織の中で、花南は生活のほとんどを男性に囲まれる状況の中で送った。
自称『上の中』と主張するその外見はさておき、束縛された集団生活を余儀なくされる他の男子生徒の注目の的になったのはいうまでもない。
しかし、花南が入学してわずか4ヶ月もたたないうちに、数人の男子生徒が花南に言い寄っただけで理不尽な暴力を返されたという噂がはびこり始める。
結果、他の生徒や教官はもちろんのこと、果ては学長までが一目置く存在に上り詰めることとなった。
なお、この件に関し被害者はなぜか一様に口を閉ざしており、真相は闇の中である。
なにはともあれ花南は上級士官育成の戦略・戦術プログラムを専攻し、卒業前の秋に3級戦略士の試験に合格して大学を卒業。試験に合格したことで、一応キャリア組の看板を引っ提げてこの組織に配属された。
そして清高春善。
清高は花南がこの春所属した組織に20年近く配属しているベテランであり、20代半ばで一般企業から転職した後、長い年月を軍事通信エンジニアとして過ごしてきた。
基本的な仕事内容は、戦場における通信の確保。戦闘員というよりは技術職に分類される職業であり、戦闘中において戦略士が確実でリアルタイムな指示を出せるよう、無線やその他の通信機器を制御するのが主な役目である。
具体的には、周波数や音量の調整のほか、音声出力ポートの選択やグループ化といったパソコン操作がほとんどであるが、戦略士から伝えられた作戦を元に、戦闘区域の地形や市街地状況に最適な機器を事前選別することなども含まれる。
戦闘中は指揮下の隊員に指示を出す戦略士の隣に待機するため、清高程のベテランともなると戦略や戦術にも精通し、逆に戦略士から助言を求められることもあった。
190cmを超える体格と厳格そうな風貌により、40代前半である清高からは落ち着いた雰囲気に加え、年齢に不釣り合いな威厳すら放出されていた。
そんな2人が梅雨明けの東京をタクシーの中から見つめ、花南たちはしばらくして東京駅に着いた。
すぐさま電車に乗り込み、清高は冷房の効いた車内でわずかな笑顔を浮かべる。
しかし、花南は電車に揺られながら、真剣な表情で朝のミーティングを思い出していた。
今、清高と出かけている理由。
1人の青年に会い、彼を組織に勧誘すること。
同意を得られくても、強制的に配属させる。
それが法律で許される。
初めてこの話を聞いた時の半信半疑な気持ちは未だに消えず、この任務が4回目となる今となっても慣れることはない。
少し緊張している自分に気づき、気分を紛らわせるため清高に話しかけた。
「清高さん、せんべい食べる?」
「おう、食う食う。でもよ? 今から会う人物ってのはそんなに必要な人間なのか? どう思う?」
清高も同じことを考えていたらしい。
そんな思惑を察知して少し安心しつつ、花南はかばんの中に潜めておいたせんべいを取り出しながら、低い声で答えた。
「わかんない。けど……霊能士ってわけじゃないんだよね。だって……」
「おいっ! 花南、極秘情報だぞ。そういうことは気安く口に出すな」
「あっ、ごめんなさい……でも……大丈夫っしょ? この電車ガラガラだし」
そして舌を出し、おどけた表情を見せながら手に持ったせんべいを口に運ぶ。最近、そのようなことする若者はほとんど見ないが、花南はレトロなアクションも好んで行う。
なにより、清高にとっては威力抜群であった。
「まぁ……サイばあさんの言ったことだし、間違いはねぇと思うんだが……」
清高が天井を見上げながら小さくつぶやき、2人同時に各々の考えをめぐらせることにした。
その後、3度の乗り継ぎを終え、2人を乗せた電車は小さな駅に到着した。
ドアが開き花南と清高が電車を降りる。改札機を抜けた後、花南は鞄からスマートフォンを取り出した。
「えーとぉ、今出たのが東口だから……埼玉科学大学は……こっちかな。うん、そう。清高さん、こっちだよ」
「おう。しかしあっちぃな。アイス買わないか?」
時間は午後1時を回ったあたり。午前中に東京を出発した頃よりさらに暑くなっているため、今度は清高もギブアップのようである。
しかし、花南自身はここまで来た自分たちの目的をさっさと片づけてしまいたい気持ちもあったので、清高の提案をあきれた表情も交えながら断った。
「自分だってまいってんじゃん……それにさ、いい歳してアイスって……もう大学も近いし、さっさと話つけちゃおうよ」
またまた鋭い視線を清高に定め、それを感じ取った清高はあわてて意見を変えた。
「そ……そうだな。さっさと済ませるか。どうせ、一般人のガキ1匹拉致るだけだしな」
「えっ? 今日、拉致するの? ほんと…?
いやいやいやいや……つーかまだ拉致しなきゃいけないって決まってないよ。
それに私たち2人だけだし。電車で来たし。
無理じゃん? つーか清高さん……意気込みすぎだよ……」
「そうだったそうだった……じっくり説得するんだったな……さてさて、かわいいかわいい花南様はいったい何日でその男を堕とすことができるだろうな……? 賭けるか?」
「清高さん、それセクハラ……」
いくらか緊張している花南の心境を察した清高の好意ではあったが、2人はこんなくだらない話を進めながら大学に到着する。
しかし、花南が大学の敷地に入ろうとした瞬間に清高のスマートフォンが鳴り、清高は立ち止まった。
「ん?」
何でもない雰囲気で携帯電話を取り出すが、たった今届いたメールを見ながら、清高の目が変わっていく。
そして最後に深く息を吐き、前を歩いていた花南に話しかけた。
「花南……局からのメールだ。大変なことになったぞ。お前もメール読め」
「えっ? 私まだ届いてな……あっ、今来てる」
清高の真剣な表情に気づいた花南は慌ててかばんの中をあさり始める。言葉の最後にバイブ中のスマートフォンに触れることができたため、すぐさまスマートフォンを取り出した。
メール受信中の画面を見つめながら、花南が小さくつぶやいた。
「珍しいね。局のメールが届くのって全職員ほぼ一緒でしょ? 回線込んでんのかな?」
ちなみに2人が使用しているスマートフォンは特別な改造が施してある防衛省御用達の特別な情報端末である。
もちろんこれらは普通の電話としても使用できるが、彼らの所属する組織とのメールや電話には特別の暗号化プロトコルが用いられ、3重の暗号かぎを使用している。その3個の暗号を一定時間連続して解かないと通信データは破棄される仕組みとなっていた。
さらには、災害時など一般回線が混戦状態におちいった場合は通信データの優先度があげられ、一般人に比べて優先的に回線が確保されるものであった。
「今は優先じゃねぇから。それよりさっさと読め」
もちろん組織の情報通信を担当する清高はそこら辺に精通しており、花南の間違った認識を軽くたしなめる。
その頃には花南のスマートフォンの画面が受信済み表記に変わり、花南は到着したばかりのメールを開いた。
しかし、その内容を読み進めた花南の顔も徐々に青ざめることとなる。
『
TO 霊能局関係者各位
CC 内閣府関係者各位
FM 霊能局 局長 平岡
いつもお世話になっております。平岡です。
この度、今朝のサイA級霊能士の早朝定期報告より、大詔時代の到来が当初の予定であった10年後から2ヶ月後に短縮されました。
よって越嶋総理大臣と話し合った結果、本日17時よりサイコハザードの危険レベルを4に移行します。
その後総理が19時から会見を開き、大詔時代の到来と国家霊能局の存在を公表します。それにともない一般人へのテロ危険度のレベルも3へ上げられます。
現役のA級からC級の霊能士の皆様は中~長期的な出動要請に備えてください。
育成プログラム受講中のD級霊能士の皆様は、半年後の出動可能レベル到達を目安に、カリキュラムを早急に消化してください。
戦略士、およびその他の補助職種の皆様は、各々のバックアップの準備と装備の点検実施をお願いします。
なお、今夜19時の総理大臣の会見後、Cレベル以下の機密情報は一般公開となりますので、その内容に関しての確認もお願いします。
その他、上位役職からの指示に従い、迅速な行動をお願い致します。
以上、よろしくお願い致します。
』
平岡と名乗る人物から組織の全員宛てに送られたであろうこのメールは、丁寧な文脈とはうらはらにおよそ一般人には理解しがたい内容であった。
同時にこの事態に対する局長の覚悟も込められているような印象を花南は感じた。
「うそでしょ? そんなに早く……」
頭が混乱したまま花南がつぶやく。
しかし、花南よりも少し早くメールを読んでいた清高はいくらか落ち着きを取り戻しており、何かを『早い』とつぶやいた花南の気持ちを理解しているように答えた。
「まぁ、千年とかそういうスパンでの言い伝えだからな。10年やそこらの誤差がでてもしょうがないんだろうな。
どうする? どうせ、今日の晩には全部わかるんだし。無理やり連れていくか? 何て名前だっけ? そいつ……」
「う、うん。えーとね……」
清高の言葉に促されるように花南が鞄からメモ帳を取り出した。しばらくページをぱらぱらとめくった後、花南がなぐり書きしたメモを読みながら口を開く。
「あっ! あった。えーとね……『しん』。そう、しんって名前の子。外見は清高さんのスマフォにも送ってあるよね?」
「あ、あぁ……一応あるが、ありゃ駄目だな。水晶玉に映った映像を撮ったやつだから、画質が悪くてわかりにくい。
あん時水晶に写った顔覚えてるか? 俺、後ろの方にいたからしっかり見れなかったんだ」
「うん、一応。自信ないけどね? 最悪でっかい声で呼べばいいんじゃん! いこっ? 図書館にいるはずだって」
花南が少し落ち着きを取り戻し、2人は再び歩き始める。
歩きながら、花南はこれから会う『しん』という青年にするであろうおよそ信じがたい話を、どのように順序立てて説明するかを考えていた。
「んで、どうする? やっぱ、無理やり拉致るか?」
しかし、その途中に清高から話しかけられ、花南は思考を中断して清高に答える。
「でもさ。私たちの話……信じるならいいんだけどさ。信じなかったら19時からの会見ってのを見てもらえば、話早いんじゃないかなぁ?
今は説明だけして……後でもっかいアプローチしよ? この大学にいることだけ確認できれば、学生名簿とかから彼の住所とかわかるしね」
「確かにそうだな……選ばれたもんはどのみち強制的に入隊だけどな……できれば自分の判断で……上手く説得出来ればいいが……」
清高が視線を前に向けたままつぶやく。その言葉の最後に付け加えた台詞がいくらか悲壮感を漂わせていたが、その言葉を聞いた花南がここぞとばかりに口を開いた。
「でさ……私、人に説明とかするの苦手だから……清高さん? 清高さんがやって?」
「絶対嫌だ! つーかお前の仕事だろ!? やれよ! 何事も経験だ、経験!」
清隆の断りを受け、花南がしかめっ面をした。
(くそっ……わかったわよっ!!)
そんなどうでもない会話が終わり、花南は空を眺める。
あいかわらず青い空と白い雲がこれから来る混乱の時代を全く感じさせない穏やかさで流れていた。
いや、もしかすると空だけはずっと変わらないのかもしれない。
そんなことを思いながら花南は大きく息を吐く。
2人の目の前には、埼玉科学大学付属図書館と書かれたレトロな建物が建っていた。