3年前――
その時、長谷川まなみは戦場にいた。
長野県長野市の北東に位置する戸隠神社の最奥部。
九頭龍社を背にした状態で、北に向けて5人規模の小隊が横一線に6つ。
それぞれが60メートル間隔で距離を置き、各部隊が構築している防衛線の後方には後詰の4人小隊が1つという布陣である。
その陣形の前列、右から3番目に配置された部隊において、まなみは部下とともに目の前の森林に向けて立っている。
つい先日この地域を襲ったという強めの寒波が膝下まで積もる雪をもたらし、皮膚を攻撃されているかと錯覚するほどの冷気も、支給された山岳戦用の白い衣服を通して伝わってきていた。
(待ってるこっちも辛いわよ。敵はまだかしら……?)
寒さを誤魔化すため、足元の雪を固めつつの足踏み。
ふと背後を見ると薙刀や日本刀、サバイバルナイフといった多種多様な武器を手に持つ4人の部下が、それぞれ緊張した面持ちで北の山々を見つめていた。
(ふっふっふ。みんな緊張してるわね。まぁ、今日の敵は緊張するほどのものでもなさそうだけど……)
ここでまなみはその意識を部下から外し、2時間前に行われた作戦会議の記憶に向ける。
(異生敵性生物……『三つ目入道』か)
伝承によると3メートル近い巨躯と額に刻まれた3つめの鋭い瞳が特徴の生物であり、この任務を担当する指揮官の分析ではパワー重視の戦闘スタイルとのことである。
(スピードで翻弄するしかないわね。でも私、素早く動けないのよねぇ。
それにしても福井さんが説明省いてたけど、『実はタヌキが化けていた』っていう言い伝えはなんなのかしらね。追い詰めた時に、敵が可愛いタヌキさんの姿に戻っちゃったりしたら、とどめ刺せなくなっちゃうわ。それって結構な大問題よねぇ……)
頭の中で可愛らしいタヌキの姿を浮かべ、まなみは口元を緩める。
その時、ふと背後から部下の声が聞こえてきた。
「空が明るくなってきましたね」
その声に対し、まなみは両手に持った日本刀を前に構えたまま空を見上げる。
遅めの日の出までもう少しの時間があるが、険しい山の連なる東の空がかすかに白みを帯び、葉の落ちた木々の隙間を通って周囲にわずかな光をもたらしていた。
「そうね。これなら敵の動きを視覚的に捉えやすくなるわ。まっ、敵も同じ条件だけどね。
それより戦闘中は足元に気をつけて。雪が結構積もってるから、いつもより重心下げないと滑って転んじゃうわよ。
まっ、これも敵と同じ条件だけど」
部下の言葉に答えながら、まなみはその言葉の最後にわずかな笑みをもらす。
この部隊で1番の手練れとなるまなみを最前列に、その背後を4人の部下が固めるフォーメーション。そんな立ち位置の関係上まなみの笑みは他の人物から見えない。
しかし表情を緩めることで口から流れる言葉にも柔らかみを持たせ、部下の緊張を少しでも解きほぐせたらという、まなみなりのちょっとした気配りであった。
そんなまなみの思惑は上手くいき、背後に立つ部下たちの方から小さな笑い声が聞こえてきた。さらには雰囲気にうながされる様に他の部下がいくらかリラックスした雰囲気で会話に加わってきた。
「滑って転んで、そのせいで戦死……とか、さすがに死んでも死にきれませんってば!」
ここでさらなる笑い声。それらの声から部下の緊張具合が更に改善されたことを確認したまなみは、口調を少しだけ落ち着いたものへと変化させつつ言葉を続ける。
「でも、それよりみんな頭の中に軽く入れておいて欲しいことがあるわ。確定情報ではないから、あくまで可能性の話だけど……」
「ん? 珍しいですね。まなみさんがこんな直前になって、そんなこと言い出すの」
「んで、なんですか?」
部下たちが驚いた様子で反応する。その気配を背中で感じながら、まなみは右手の刀を右肩に乗せつつ答える。
「えぇ。今回の敵。異敵生物『三つ目入道』……言い伝えによると、目が3つあるってことよね?
おそらくおでこの真ん中に。こう、少し大きい瞳がドンって感じで。
生物としてそういうふうに進化するメリットは何なのかって思ってね。あと我々人間を相手にそのメリットを活かそうとする場合、敵はどういうふうに作戦を立てるかなって。
もう夜明けの時間帯になって空が明るくなってきたし、それも含めてよく考えてみてちょうだい。目が3つあって、それが暗闇の戦闘に有利に働くなら、敵はもっと早くに動いていたはずでしょ?
でも敵は夜明けと同時にこちらに接触するようなタイミングで動いている。
おかしいと思わない?」
「そういえば……目が3つ。生物学的なメリットを普通に考えたら、我々に比べて上下の距離感把握しやすいとか、視力そのものがいいとか……? またはまなみさんの言うよう夜戦向きとか、メリットは色々ありそうです。
でも、どれも『目がよくなる』っていう程度の効果に収まりますね。
我々と戦う場合、その効果は暗闇でこそ多少の影響をもたらすでしょうけど、戦場が明るくなればなるほどせっかくの利点が活かされなくなっていくような気がします」
「または、上の方向に視界が広いとか?
でも、私たち戦闘術士は霊粒子の感覚で反応するから、視界の広さなんて実戦じゃ大して重要じゃないですよねぇ。まなみさんとか目ぇつぶっても私たちの攻撃避けちゃうし……。
うーん。なぜでしょう?」
「じゃあ、動体視力を高めるためかも? これならどうですか?
おでこの目は動体視力が異常に高くて、相手の速い動きをしっかりと捉える事ができるとか。それだったら昼間でも3つの瞳を持つメリットが大きくなります。
なので、敵も明るい時間に動き出しそうです」
「実はただの飾りだったりして。ボディペインティングみたいな。
ほら、昔って戦闘ん時に体に模様描く文化とかあったっぽいし」
まなみの問いかけに対し4人の部下が綺麗に意見を並べ、その後一同は少しの沈黙に陥る。
おおかたの意見が出たところでまなみも自身の考えを披露しようとするが、その時、それぞれのメンバーの耳につけてられていた無線通信用のイヤフォンから、30代後半の女性のものと思われる声が聞こえてきた。
「占術班より敵戦力の詳細を報告。
北防衛線の正面、敵総数12。うちB級1体、C級3体、他D級。残り2分程度で接触予定。
続けて北西から来る敵部隊、総数8。B級1体、C級2体、他D級。残り4分程度で接触予定。以上」
その報告に対し、回線が切り替わったことを示す一瞬のノイズが入る。
その後、今度は40代半ばの男性の声が聞こえてきた。
「こちら福井。現状戦力で応戦する。北、北西の部隊間の戦力配置変更無し。
だが北の防衛線の角度だけ少し調整する。
第1小隊が前方に40メートル。第2小隊が同様に20メートル。
第3、第4は動くな。
あと第5は右側に崖があるだろ? その上に登る形で右前方に30メートル動け。
第6は前方に40ぐらい。山の尾根があるだろ? その上にあがれ。
横一線だったのを鶴翼ぽくするからな。それで、途中から両翼折りたたむ形で敵囲むぞ。
敵が近付いているから、移動距離は正確じゃなくていい。人数少ないから陣形なんてあんまり意味ねぇから。あくまで気持ちだ、気持ち。
あぁ、あと恐らくその包囲網から漏れる敵もいるだろうから、その時はこちらから随時追手を指示する。無線をよく聞いとけ。
第3小隊? 聞いていた通り、お前らんとこが陣の底だ。長谷川中心に敵をしっかり受け止めろ。
あと、お前ら雑談し過ぎだ。全部こっちに聞こえてるから。気になることがあるならこっちに報告しろ」
その声に対し、まなみは首元に巻かれた小型無線機のマイクに対して声を発する。
「こちら長谷川です。すみません。ふと気になったもので」
「まぁいい。んで、何が気になったんだ? 敵が迫ってる。早くしろ」
「いえ、確定ではないのでなんとも言えないのですが……うーん。どうしましょ!」
「あぁ? 『どうしましょ!』じゃねぇよ、バカ。今回はこっちの基地にサイさんも来ていらっしゃるんだ。ふざけてんだったら、もう黙れ。目の前の敵に集中しろ。でないと査定に響かすぞっ!」
福井のいらついた声が無線に響き、すぐに占術班からの無線も入る。
「北防衛線、敵との距離800メートル。接触まで残り90秒。健闘を祈りますっ!」
同時にまなみの背後にいた部下から、霊気とも妖気ともとれる、およそこの世の人が放つものとは思えないほどおぞましい気配が放たれた。
(相変わらずいい『霊粒子』流してるわね、みんな。これなら私がここにいなくても大丈夫かも)
そしてまなみも体中の細胞に意識を巡らせ、背後の人間たちと同質の気配を放ち始める。しかしながらまなみの放出した気配は殺気・迫力ともに味方のそれを大きく上回るものであった。
「ぐっ!」
結果、気押されたメンバーの低い声が背後から聞こえてきたが、これはある意味褒め言葉のようなものなので、まなみ自身心の中でこっそり喜ぶだけにしておく。
(さて、そろそろ戦闘開始かしらね。でも……)
今まで以上に重心を深く構え、もうすぐ姿を現すであろう敵に備える。しかし、見た目はそのように振舞いつつ、まなみはここで先ほどの福井の言葉をふと思い出した。
(あっ、サイさんなら……もしかしたら……)
「そういえばサイさんも来られてたんでしたっけ。サイさん? 無線出れます?」
構えをそのままに無線に話しかけると、即座に年老いた女性の声が返ってきた。
「おう、聞こえておるぞい。わしも占術結果に少し違和感あったところじゃ。
これが何を示しておるのかまだ謎じゃが、それよりなにより少し眩しいのう。
年寄りの目にこの朝日は堪えるけぇ、やつらはもっと眩しかろうに」
サイの言葉を聞き、まなみは不敵な笑みを浮かべる。
(さすが。やっぱりサイさんもうっすら気づいている)
そしてそんなまなみの笑みに連動するように、無線からサイの笑い声が聞こえてきた。
「かっかっか。でもじゃな。わしには無理じゃ。今、占術してるとこじゃけんのう。
両手も霊粒子操作の意識も水晶に向けとるけぇ、そっちに気を回す余裕は無いわい。
調査はまなみに任せるけぇ。福井? まなみを少し泳がせるのじゃ。
あと、清高ぁ? 聞こえるけぇ? 指示と相談が入り乱れるから、それを調整してくれ」
さらには、福井より少し若めの男性の声も。
「あいよ。長谷川の無線を福井さんと限定カップリングしとく。双方向通信で長谷川の無線は福井さんの声だけ聞こえるようにしとくからな。
他の隊員に用事があったら、チャンネルを2に変えろ。お次、福井さん?」
「おう。長谷川は先行しろ。もう動き出していいぞ。長谷川の抜けた第3小隊には加藤加入。あと加藤の第4小隊には小山が加入。
清高? 部隊内の通信チャンネルのグループ設定を変更しろ」
その他、無線を通して各種指示が入り乱れ、空気が一気にあわただしくなる。
「じゃそろそろだな。長谷川は戦闘開始! その他各員、迎撃態勢に入れ!」
最後に福井の迫力ある声が無線から聞こえ、それに応える味方の叫びが無線の向こう側と背後の部下たちから響き始める。しかし、まなみはそのやり取りが聞こえてくる前に、敵に向かって走り出した。
(さてさて、味方が接触する前に調査を始めないとね)
雪の敷き詰められた山林の地面を注意深く踏み締めつつ――しかしながらたった1歩で5メートル近く跳躍し、まなみは木々の間を華麗に抜ける。透き通った水の流れる幅10メートルほどの河川を強めの脚力で飛び越えると、次の瞬間、目の前の小高い丘の向こう側から黒い影が飛び出してきた。
(来たっ!)
自分の視界が遮られたことで一瞬太陽に雲がかかったかと思い、また、少し後には敵の罠に視覚を奪われたかと勘違いしたが、暗さに目が慣れるにつれ、暗闇の原因が敵の巨体によって作り出された影であると気づく。
(で、でかいわね)
事前にもたらされた情報によると、敵は3メートル近い強靭な体格をしているとのこと。
その情報に従うように、目の前の『三つ目入道』は筋骨隆々の胴体、そしてまなみの腰回りほどもあろうかという太さの両腕。さらにはそれ以上の太さの筋肉が鎧のように覆っている両脚を持っている。
それはまなみ自身が抱いていた予想をはるかに超える迫力を感じさせていた。
(武器は……斧? 明らかにパワータイプの戦闘術士ね。
でもそれだけじゃない。ジャンプ力も結構ある。というか私、結構高く飛んだはずなのにそれよりも高く飛ぶって……俊敏性も結構高そうね)
その時、まなみの存在に気づいた敵が驚いたような声を短く発した。
(あっ、向こうも気づいた)
大型の肉食獣のような重低音が響き、しかしながらここでまなみは不敵な笑みを浮かべる。
(じゃあ、分析は中断。迎撃態勢をとられる前に先頭のやつだけでも殺っておきましょ! さてさて、この子はB級かしら? C級かしら?)
そして初太刀となる一撃を放つ。
「せいっ!」
とりあえずは右手に持った日本刀を鋭く突く単純な攻撃。
ところが、その攻撃は2番手を走っていた敵個体の持つ西洋式の大きな剣によって横にはじかれてしまう。
周囲に甲高い金属音とわずかな衝撃波が広がり、ついでにまなみの体も後方へ大きく弾き飛ばされた。
およそ3秒、距離にして60メートルの距離を空中を飛ぶように後退し、さらには地面に積もっていた雪の上を5メートルほど滑った後、まなみはぶつかりそうになった背後の大木に蹴りを入れることで体の動きをなんとか止める。
と同時にまなみは視線を敵に戻し、悔しそうな表情を浮かべた。
(ちっ、割って入ってきた個体の今の動き……私の攻撃を防御しながら、私の次の動きにもしっかりと意識を向けてきた。
かなりの手練れ……ということはあの2番目に走ってきたやつがB級かしら?)
目を凝らすと丘の向こう側から敵が順次姿を現し、こちらに向けて迎撃の構えを取っているのが分かる。
加えて空間を漂う敵の霊粒子が密度を増し、殺気として感じ取れるほどの攻撃性となって周囲を包み混んでいた。
しかし敵が即座に距離を詰めようとしてこないため、まなみは少しの時間だけ自分の体に意識を向ける。四肢をぷらぷらとさせながら負傷のないことを確認し、その後大きく息を吐いて武器を構え直す。
(情報通り、敵の攻撃はかなり重い。気をつけないと一撃でやられるレベル。あと、額の目がやたらと怖いわ。
でも今のところ、特にこれといった違和感はなさそう……やっぱりもうちょっと手合わせしないと三つ目の秘密はわかんないわね。
それで……敵の服装は中世ヨーロッパ風の甲冑。科学力もそれぐらいだとすると、文明開化はまだのようね。離れた味方と情報伝達できる通信機械の類は持ってなさそう。
でもフォーメーションの打ち合わせっぽい会話をしてたし、今それっぽい配置になったし。
ある程度高度な戦術フォーメーションを組んできそうだわ。
武器は、斧が4体。サーベルタイプの刀が2体。薙刀っぽいのが3体。あと……あれ、何かしらね……? トンファーみたいなのを持ってるのが……3体?
それと、B級はさっき私に攻撃仕掛けてきたやつ。緑の布をたすき掛けしているあの個体。周りに指示を出しているから、あれがB級ってことで決まりね)
その時まなみの背後で、先ほど蹴りを入れた大木が静かに倒れ始める。倒れた木の衝撃で周囲に雪が舞って視界を遮り、敵を見失うのを嫌ったまなみは少し前に出た。
(敵の方から動く気配はなさそう。こっちの出方を見てるのかしら? あ、でも周りにサイさんの占術が広がってるから、やたらと警戒しているのはそのせいかしらね? ふふっ! 私の霊粒子じゃないのに!
でも、そのせいで敵の部隊全員がここに留まっちゃったわ。敵の目的は中社にある霊脈拠点の破壊だったはずだから、こんなとこでゆっくりしてる場合じゃないでしょうに)
一歩、また一歩と足を進めつつ、しかしながら敵が動き出さないのをいいことに、まなみは敵の分析を進める。
敵はまなみの奇襲を防いだ後、こちらに向けて陣形を整えていた。
最前列に3体。その背後にはB級と思われる敵個体を挟む形で2体が待ち構えている
(そう言えば、占術班がC級3体だって言ってたわね。じゃあ、最前列の3体がC級かしら? みんな薄い緑色の布を腕に巻いているし……ふふふ! わっかりやすッ!)
足を進めるごとに肌に突き刺さる敵の霊粒子の密度が濃くなり、自身に向ける殺気と混ざることでかつてないほどの恐怖が心を満たす。
しかしながら、まなみはその感情を踏み台にしてさらなる興奮状態へと達した。
(このゾクゾク感、やっぱたまんないわね!)
「よし! 今度は本気で行くわよ!」