異世界転生。それは、現代日本で死亡した人間が、何故か異世界に生きている人間に憑依してしまったり、異世界で生まれ落ちる現象の事を示す言葉である。
異世界転生は主にゲームや小説の世界の設定であると、一部のファンたちは当たり前のように認識していた。
が、ある日を境に「もしかしたらそれは現実に起きていた話であったのかもしれない」と、皆が思うような事件が起き始めたのだ。
妄想、願望、夢想。そういったものであったはずの異世界転生が認知され始めた原因。
それは、現代日本の人間が異世界に転生した事により「元の身体から追い出されてしまった異世界人が現代日本に転生してくる」という事案が多数確認されるようになったことだった。
それが確認され始めたのは、何の変哲もないただの日常の中。
産まれたばかりの赤ん坊が、まるで「人生二周目です」とでも言いたげなくらいに天才的な頭脳を発揮したり。
トラックに激突されて死亡したはずの人間が奇跡的に意識を取り戻したかと思ったらまったく別の人格になっていたり。
何故かボールを追い掛けて道路に出てしまう子供が続出したかと思えばその子供を助けて事故に遭い死亡する物の数が増えた……が、その者もやはりまったく別人格で息を吹き返し病院関係者を驚かせたり。
ソーシャルゲームをプレイしながらの歩きスマホが問題になり始めた頃に、スマホゲーのプレイヤーだけが車に轢かれる事故がやけに多いとニュースで話題になったり。
――そしてそういった事案で意識を取り戻した人間の誰もが、超能力としか思えない特異な能力を発現し、時には周囲の建物や部屋を破壊する事件が何件も報告され始めたのだ。
それは明らかに異常な件数で、しかしどれもこれも不可思議な共通点がある事件ばかりで。
やがて「異世界転生モノを好んで嗜んでいる有識者」によって、彼らは異世界転生によって元の世界から追い出された【逆転生者】である可能性が示唆され始めた。
何しろ、突然人格が変わってしまった誰もが同じように不可思議な超能力を持ち、同じような世界からやってきたと口を揃えるのだ。
しかもそういった人間に共通性と言えば同じゲームをしていたとか、同じ小説を読んでいただとか、飛び出した子供を助けただとか、その程度のものしかない。
こうなっては、そういった【逆転生者】を一度記録し、管理し、保護しなければならない。
法整備は中々進む事はなかったが、やがて民間団体が手を上げて彼らの管理を開始した。
その民間団体を、人はそのうち経緯と畏怖を込めて【転生庁】を呼ぶようになり、そして今日もまたやってくる逆転生者たちを相手にスタッフはニコニコと奔走するのだ。
「って事なんですよ~。だから、ヨハンさんもこの〝転生庁〟で戸籍登録をしていただかないといけないんですよね~」
「だから、その戸籍ってなんなんだよ?」
「戸籍というのはですね、貴方の名前や簡単なステータスをこの〝転生庁〟に登録していただき、いつでも呼び出せるようにする……まぁ、ギルド登録みたいなものですかね」
「あぁ、ギルドね。それってオレになんかメリットあんの?」
「勿論! 逆転生者の方に戸籍登録をしていただきますと、逆転生者用の仕事の斡旋を行ったり、新しい住居のご案内や仕事が決まるまでの家賃補助。この世界の法律や常識を学ぶための特別講習のご案内なんかをさせて頂いております!」
「へ~、便利じゃん。じゃあ登録するわ」
「ありがとうございます! ではまずは魔力計測から行いましょうっ!」
にこにこと、人当たり良く、分かりやすい解説を心掛ける。
スタッフ用の張り紙に従って逆転生者への案内を行っている
学生時代の運動でちょっとだけ色の抜けた黒髪に黒い目という姿は逆転生者たちには奇異の目で見られる事こそあったけれど、この現代日本ではごく普通の出で立ちだ。
そもそも彼の経歴もまた平凡。
区立の小中学校を卒業し高専にて大好きな機械いじりを学んで、さて卒業してからはどうしようかな~、などと悩んでいた程度の、まさに凡人。
しかし何の因果かこの【転生庁】に就職が決まったのは、彼が偶然目の前で子供を守った人が死亡するという事故を目撃してしまったせい、だった。
勿論目撃したくて目撃したわけではない。
修久はグロ、ホラー、スプラッターが物凄く苦手なタイプの人間だ。
血を見て失神する、なんてことこそないけれど生肉がぐちゃっと言う音はちょっと苦手、というタイプ。
そんな修久が交通事故現場を目撃なんかしたものだから、彼は当然失神した。
それこそ、事故にあった当人よりもアッサリと意識を失って、救急車が到着した時にはどちらが事故に遭った被害者か一瞬疑われたくらいだ。
しかし普通に目を覚ました修久と違い、事故を目撃してしまったその人はいわゆる【逆転生】をしてしまった、らしい。
それが分かったのは、彼のご家族だろう人々がショックを受け、泣きわめき、彼を拒絶して縁切り宣言をして去っていってしまったからだ。
逆転生なんてニュースの中で見るだけで夢のまた夢と思っていた修久は、そこで始めて逆転生者の存在を知り、逆転性をした後の処遇を知ったのだ。
あまり小説を読まなかった修久だが、ゲームは沢山プレイしてきた。
その世界の中では、例え人格が変わっていたとしても外見が家族のものであれば受け入れる、という人は沢山居たはずだ。
それなのに、現実はこんなものかと、ショックを受けたのを今でも覚えている。
逆転生者ともなれば、この世界の常識も知らないし家族から縁を切られればその瞬間に露頭に迷ってしまう存在だ。
突然この世界に吸い込まれてきたかと思えば、突然罵倒されて拒絶されるだなんてあまりにも気の毒で。
修久は、ほとんど何も考えずにその人に声をかけていた。
「よろしければ、ウチに来ませんか」
と。
それが、修久と逆転生者・イヴァルテュスの初めての出会いと会話、だった。
✕ ✕ ✕ ✕
「おっそいですわよ! ナオヒサ!」
「ごめんごめん。ただいま」
イヴァルテュス、通称ルティは、元々は久藤朝陽という名前のめちゃくちゃイケメンであった。
なんでもハーフであるらしく、金髪に青い目をしていて完全に「王子様」なビジュアルなのである。
そのせいで病院で彼に会った時の可哀想さはとんでもなくて、修久が声をかけた時にぽろりと零した涙の威力もまた凄まじかった。
美形って何でも凄い威力を持っているんだなぁ、なんてその時は思った修久だったが、彼の凄まじさはそれだけではなかったのだ。
「まったく、わたくしを待たせるとはいい度胸をしていますわ! このイヴァルテュス・レ・アストレイア公爵令嬢が褒めて差し上げますわ!」
「どっちなんだよ」
そう――彼の中身は、元の世界では公爵令嬢と呼ばれる地位のお嬢様だったのだ。
なんでそうなった!? と最初は困惑した修久だったが、逆転生というものは「そういうもの」と言われれば納得するしかない。
コチラの世界で死亡した50代のおじさんがお嬢様に異世界転生する、なんていう事もよくあるというのだから、逆もまた然りなのだろう。
ルティの場合は身体がイケメンだから一瞬違和感がないのが、何となく困る所ではあるが。
「今日はろーるきゃべつ、とやらを作ってみましたの」
「凄い! ルティ、どんどん料理の腕上げてるじゃないか」
「近所のおば様たちもわたくしの魅力にメロメロなのですわ」
ドヤ顔で胸を張るルティだが、この家に来たばかりの時は夜になれば父の名を呼びながら泣いているような、繊細な少女だった。
東京の下町と呼ばれるこの地域での生活は、修久にとってはちょっと面倒だと思う事もあったけれど、彼女の精神には良い方に作用してくれていたらしい。
今日も元気に家事に勤しんでくれる公爵令嬢(30歳イケメン)にほっこりしつつ、修久はきちんと手を洗ってうがいをしてから、食事の並んだ食卓についた。
と、その瞬間――
ドッ、
凄まじい衝撃が、家自体を襲う。
窓ガラスが割れ、食卓がひっくり返り、折角作ってくれたロールキャベツが宙を舞う。
これは……
「魔力暴走ですわっ!」
直感に優れたルティの目が、魔力を帯びて光った。