夜が明けきらぬ朝方、街の門近くで野営をしていたルナの耳に、大きな声が飛び込んできた。
「只今よりぃぃかいもぉぉん!」
それと同時に、門の上から城壁を駆け下りてくる兵士たちの気配がわかる。やがて、その中の一人――見慣れた姿の隊長が、長い足取りでテントへ近づいてきた。
「おはようルナ。城壁の上から見てたら、見覚えのあるテントだったから降りてきたよ」
隊長は少し呆れたような、でも優しそうな顔をして言う。ルナは眠気まなこをこすりながら起き上がり、ハクも首をもそもそと動かして起きだした。
「おはようございます、隊長さん……。夜中に戻ったら門が閉まっていて、キャラバンの方々にお世話になって野営してました」
テントの出口から顔を出して、ルナは苦笑交じりに挨拶をする。隊長は「まあそうだろうな」と頷きながら、ちらりとテント内に視線を向けた。周囲の警備兵も慌ただしく門の開閉作業を始めているようで、空気に朝の活気が混じり始めている。
「ここでテント泊ってことは、依頼の方は達成できたんだな?」
「はい、運よく群生地を見つけられたみたいで……。必要量はたぶん十分揃ったと思います」
ルナがそう答えると、隊長は思わず目を細め、満足そうに口元をほころばせる。もともと子ども一人が深夜に外へ出ることには反対だったろうに、こうしてちゃんと成果を得て戻ってきたことを嬉しく思ってくれているのだろう。
「よかったじゃないか。まあ、無事戻れてなによりだ。――ところでギルドの依頼で外に出てたんだから、優先して中に入れてやるよ。みんなが門を開ける前に、おまえは一足先に通っていい。準備が終わったら来いよ」
そう言って、隊長は軽く手を振ってくる。ルナは「ありがとうございます!」と勢いよく頭を下げ、テントを簡単に畳みにかかる。ハクも「早く帰ろう」と言うように尻尾を揺らしながら、リュック周りの荷物を片付けるルナを見守る。夜から朝までの野営で体はやや疲れているものの、いち早くギルドに報告して月花草を届けたい気持ちでいっぱいだった。
テントを撤収し、荷物をまとめ終えると、ルナは門へ向かう隊長のあとを追う。まだ開門作業の真っ最中だが、隊長の一声で門番が「おう、通れ通れ」と笑顔で道を空けてくれる。石造りの門がゆっくりと開かれていく様子は、いつ見ても威圧感があるが、こうして優先して入れてもらえるのはありがたい限りだ。
「急いでギルドに行って報告しよう。ハク、もう少しだけ頑張ってね」
「うん。ボクも早く寝たい」
念話でそう返すハクの耳は、微妙に下がっていて疲れが見える。でも、あの夜間採集の大成功と、白い花が浮かぶ幻想的な光景を思えば、この疲労も悪いものではないと思えてしまう。ギルドへ向かう道すがら、朝の冷たい風がルナの頬をさらい、何か一つの大きな仕事をやり遂げた喜びを運んでくるようだった。
朝の冷気がまだ残る街の大通りを、ルナとハクは急ぎ足で進む。いつもなら行き交う人々で賑わっているこの通りだが、まだ早朝とあって人影はまばらだ。屋台街もひっそりと静まり返っており、夜のうちに上がっていた煙もすっかり消えている。
「この時間なら、ギルドは……まあ大丈夫だよね。二十四時間対応だって言うし」
冒険者ギルドは、急な依頼や深夜の討伐依頼などに対応する必要があるため、昼夜問わず受付を置いている。そのため早朝であっても、ルナはそのまま報告に向かうつもりだった。
門の内側から街の中心部へ向かう道を曲がると、ギルドの石造りの建物が視界に入る。大きな看板に描かれた剣と盾の意匠は、まだ薄暗い空気の中でもはっきりとその存在感を示していた。
「ああ……急いで報告しよう。ハク、もう少しの辛抱だよ」
「うん……もうひとがんばり……」
リュックの口から顔を覗かせるハクは、夜を徹して歩いた疲れもあってか、すっかり眠たげな様子だ。ルナも足元は重いが、背負ったリュックには月花草が詰まっている。これを届けて、石化治療の助けにならなければいけない。
◆◆◆
ギルドの扉を開けると、予想通り職員たちが慌ただしく動いていた。依頼の整理や到着した冒険者の受付業務など、夜通し対応するギルドの一面が垣間見える。ルナはほっと息をつき、カウンターへと向かった。
「おはようございます。緊急採集依頼の報告に来ました」
ルナがそう告げると、まだ眠気を帯びた表情の職員が書類を手に確認し始める。ところが、職員が依頼内容を目にし、ルナのステータスを照合したあたりで突然目を見開いた。
「ちょ、ちょっと待ってね……えっ、FランクのルナさんがDランクの依頼を……? どういうこと?」
話が早いらしく、奥からもう一人職員がやって来て書類を覗き込む。二人でひそひそと何やら話し合った後、ギルドの奥へ声をかけた。
「ギルドマスター! こちらに来てください!」
突然の呼びかけに、ルナは驚いてきょろきょろする。ハクも気配を感じ取ってリュックの中で少し身体をこわばらせる。ややして、大柄なギルドマスター――以前も顔を合わせた、長髪で傷のある大男――が足早にやって来た。
「どうした? こんな朝っぱらから……。――おお、ルナ。なんだ、報告か?」
そう言って、手にした書類をひらりと受け取るギルドマスター。目を通すうちに、彼の眉間に刻まれたシワがぐっと深くなる。
「……Fランクで……Dランクの依頼を受けて、しかも成功させた、だと? 誰がこの依頼を回したんだ?」
どうやら今回の緊急採集依頼はDランクで、通常ならFランクの冒険者が受注できるものではなかったらしい。本来は「一つ上のEランクまでしか受けられない」という規則がある。ギルド内で書類ミスか確認ミスでもあったようだ。緊急依頼でドタバタしていたために、職員がルナに誤って伝えてしまったのかもしれない。
「す、すみませんマスター……緊急依頼で混乱していて、正しく確認できていませんでした……」
「いや、まあ、無事に採集してくれたのはありがたいが……」
ギルドマスターは少し呆れた表情でルナを見下ろす。ルナは突然のことで話についていけないまま、手に持っていた月花草の包みを差し出す。
「ええと、これが月花草です。さっき届けたくて……」
包みを開けば、中には夜間の行動で集めてきた月花草がびっしり。ギルドマスターはその量と質に舌を巻く。隣にいた職員たちも「ひええ……」と感嘆している。こんなに大量の月花草を、一晩で、しかもFランクの少女が集めたなど、信じがたい光景だろう。
「……まいったな。おまえ、まだ冒険者になって数ヶ月だろ? こんなことは本来あり得ないんだが……。緊急依頼をDランク相当で達成したわけだ。うーん……」
彼は顎に手をやって少し考え込み、それからルナをまっすぐに見据えた。
「よし、分かった。特例でおまえのランクをEに上げる。もともとFランクじゃ受けられない依頼をミスで通してしまった以上、こっちにも責任があるからな。おまえはこれで堂々とEランク以上の仕事を受けられるというわけだ」
突然のランクアップ宣言に、ルナは思わずぽかんとしてしまう。そんな簡単にランクが上がるものなのか――しかし、ギルドのミスで通常なら不可能な仕事をした挙句、大成功をおさめたのだから、ギルドとしても相応の措置を取るしかないのだろう。
「えっ……いいんですか? ありがとうございます……!」
事態を飲み込めないまま、ルナは深く頭を下げる。ギルドマスターも「本当は試験とか審査とかあるんだがな」と渋そうな顔で呟きつつ、職員に向かって「ランク証明の書き換えと報酬処理、早急にな!」と指示を飛ばす。
こうして、わずか数ヶ月前に冒険者になったばかりの少女ルナは、思わぬかたちでEランクへと昇格することになった。最下位のFランクから一つ上とはいえ、通常ならまだまだ遠い道のりだったはず。周囲の冒険者も「なんだ?」とざわつき始める。
ハクもその空気を感じ取って、リュックの中でしっぽを振りながら「よかったね」と言わんばかりに念話を送ってきた。ルナは恥ずかしさと嬉しさ、それに少しの戸惑いを胸に抱きながら、ギルドマスターの部屋へと通される。月花草の納品と報酬のやり取りを終えたあと、改めて「特例ランクアップ」の正式な報告書にサインを求められるのだった。
(まさかこんな展開になるなんて……でも、これでまた少し強くなれた気がする……!)
小さく息を整えながら、ルナは胸の高鳴りを感じていた。こうして月花草採集という大仕事の幕引きは、誰も想像しなかったかたちで、彼女に新たな一歩をもたらしてくれたのだ。
月花草を納品したうえに、思わぬかたちでEランクに昇格してしまったルナ。あれよあれよという間に、ギルド側でも「こんな事件は初めてだ」と話題になり、最終的に示された報酬額は金貨三枚と銀貨二枚という大金だった。これまでの採集依頼や魔石売却の稼ぎと比べても、まさに桁違い。
「こんなにもらっていいんですか……?」
ルナが思わず呟くと、ギルドマスターは苦い笑みを浮かべながらも力強く頷いた。
「もともとDランク依頼が誤って流れたのと、希少な月花草を一晩でこんなにも集めてきたのと、いろいろ重なった結果だな。おまえが危険を冒した分もあるし、妥当だろうよ」
そう言いながら、最後には「昔使ってた古いやつだが」と言って、私物らしき革製のバッグをルナに差し出してきた。最初はただの古びた鞄かと思ったが、見覚えのない魔法陣の刺繍が施されているのに気づく。
「『マジックバック』ってやつさ。荷物をたっぷり入れても、重量を感じにくくなる魔道具だ。もう俺は新しいの使ってるし、これを機におまえにやるよ」
ルナは一瞬言葉を失う。マジックバックは高級品だという認識があった。商人や冒険者にとって、持ち運べる物の量と重さは死活問題。それを解決できるバッグは非常に高価かつ貴重で、そうそう手に入るものではない。そんな品をあっさりと譲ってもらえて、ルナは嬉しいやら恐縮するやら、感謝の言葉を何度も繰り返した。
「本当にいいんですか……? ありがとうございます! 大事に使います!」
ギルドマスターは「無茶はするなよ」と頭をかきながら、どこか照れ臭そうに視線をそらす。その奥で、ハクがリュックの隙間から顔を出し、マジックバックに興味津々の様子を見せていた。
◆◆◆
こうしてルナは、金貨三枚と銀貨二枚という破格の報酬と、マジックバックという思わぬ贈り物まで手に入れた。ギルドを出ると、さっそくそのバッグを試してみようと、リュックの中から少しずつ荷物を移し替えては重さを確かめる。
「……おお……軽い。ぜんぜん重さを感じない」
魔道具の力が働いているのか、持ったときの負担がほとんどない。荷物が増えれば増えるほど実感しやすいだろうが、今の時点でも十分にありがたさを感じた。これは今後の旅や採集に格段に役立つに違いない。
「ハク、これなら重い薬草も魔石もいっぱい持てるよ。これから先、もっと便利になるね!」
「うん! ルナ、すごいねー」
念話で喜ぶハクを見て、ルナは思わず顔をほころばせる。今回の冒険――夜間に月花草を探し回った大挑戦――は、想定以上のリスクもあったが、結果として大きな成果をもたらしてくれた。もちろん運が良かった部分も大きいとはいえ、無事に戻れたことに改めて感謝せずにはいられない。
報酬も手にしたし、マジックバックという高級品も手に入った。街の宿もいいが、どうせなら次の野営に備えて少し丈夫で広めのテントを購入しておきたい……。そんな考えが頭の中を駆け巡る。これまで使っていたボロテントに比べれば、今の財布事情なら手の届く範囲のはずだ。
「……うん、少しだけ贅沢しようかな。次に野営することになったら、ハクと並んでちゃんと寝られるようなテントを買おう」
そう心に決めて、ルナは再びギルドの近くにある商店街へと足を向ける。マジックバックがあれば、大きなテントだって持ち運びが楽になる。思わずウキウキしながら、懐かしい夜の森の光景を思い出す。あの時の青い閃きと花の輝きが、今も鮮明に脳裏に残っていた。
(次の依頼はどんなものだろう。Eランクになったから、少しだけ選べる幅も増えるかもしれない)
期待と安堵、そしてこれからの冒険への意欲が、胸の中で混ざり合う。ハクがチラリと後ろを振り返りながら「早く行こうよ」と念話で催促する。ルナは「わかった、行こう」と笑い返し、マジックバックを肩にかけて、もう一度歩き始めるのだった。
ギルドを出たルナは、朝早い街の様子を見回す。まだ日の光もうっすらとした時間帯とあって、人の姿はまばらだ。リリス貿易のある職人通りも、屋台街も、まだ店の開店準備すら始まっていないようで、シャッターや看板は閉じたまま。
「うーん、さすがにまだ早いか……。お金は手に入ったけど、今から買い物してもお店が開いてないなら仕方ないよね」
ルナはマジックバックの革紐を肩にかけ直し、背中で眠たそうにしているハクを気遣う。夜を徹しての採集と帰路の野営だったこともあり、どちらも疲れは相当なものだ。金貨三枚、銀貨二枚を手にした喜びはあるが、それもひとまず体力を回復してからゆっくり享受しようと思った。
「宿に戻って、女将さんの朝のスープを飲んで……少し眠ろうか。ハクも眠いよね?」
「うん……眠い……」
ハクの念話がいっそう頼りないトーンを帯びて返ってくる。魔力を放出した影響もあってか、いつもより疲労が大きいのだろう。無理は禁物だ。幸い、宿には二度と離れたくないほどのあったかい布団と、優しい女将さんのスープが待っている。
少し遠回りになるものの、混雑しはじめる前にと早足で宿へ向かう。石畳を踏む音はけだるく響き、ルナのまぶたも重くなってきた。手にはマジックバック、思いがけない大金という重責ならぬ“重財”を抱えながらも、いまはとにかく眠気が優勢だ。
「ただいま戻りました……」
宿に入ると女将さんがカウンターで帳簿をつけている最中で、「あら、ルナちゃん? こんな朝早くに、ずいぶん疲れた顔してるわねぇ」と声をかける。ルナはうなずき、事情をざっくり説明しつつ、最後に「少し眠らせてもらいます」とだけ告げた。
「それじゃあスープでも飲んで温まりな。大丈夫、ゆっくり寝てていいから。体を壊したら元も子もないわよ」
女将さんがいつもの笑顔で差し出してくれる朝のスープは、野菜と干し肉の素朴な味わい。ルナはいつにも増して優しい香りを感じながら、ゆっくりと口に含む。ハクも横から鼻をくんくんさせていたが、よほど眠いのかほとんど反応がない。かわりにルナがパンを少しちぎってハクにあげると、ちびちびと噛みながらうとうとし始めた。
「ふふ……ハク、寝ちゃいそうだね」
「ん……むにゃむにゃ……」
スープを飲み干し、身体がじんわりと温まると、ルナも急にまぶたが重くなる。硬貨のじゃらりとした音を気にしつつ、マジックバックをしっかり抱え込むようにして部屋へ向かい、布団に横になる。
「ほんの少しだけ……寝て、落ち着いたらお店が開いてる時間に買い物行こう……」
そうつぶやくなり、ルナはハクを抱えたまま布団にもぐり込んだ。夜通しの緊張感と報告を終えての安心感が重なり、まるで糸がほどけるように意識が遠のく。女将さんのスープの温もりが、お腹の奥から全身を包み込んでいく。
こうして、一人と一匹は深い眠りに落ちた。外はまだ朝の喧騒が本格化する前。屋台が煙を上げ始めるのはもう少し先の時間のこと。いまは何も考えず、ただ身体を休める。それこそが、ルナたちにとって最高の報酬だった。
◆◆◆
陽が高く昇り、宿の窓から差し込むあたたかな光がルナの瞼を照らす。夜明け前の疲労をすっかり溶かすようなポカポカ陽気に、ルナはゆっくりと目を開けた。部屋の中でまどろむ時間も心地よいが、せっかく目が覚めたからには、まずは動き出そうと腰を上げる。
「ふぁ……よく寝た。ハクも起きようか」
声をかけると、ベッドの端に丸くなっていた白い子狼――ハクが耳をピンと立て、のそりと起き上がる。まだ少し眠そうにまぶたを瞬かせているが、昨夜の疲れはもう大丈夫そうだ。
ルナは簡単に身支度を整え、宿の裏庭へ回る。そこには手押しポンプが設置されており、朝の洗面にはもってこいだ。レバーを何度か押し下げると、ひんやりとした水が勢いよく勢いよく出てくる。それを両手ですくい、顔をばしゃばしゃと洗う。
「はぁ……気持ちいい。すっかり目が覚めた!」
冷たい水が心地よく、身体の奥に残っていただるさも洗い流されるようだ。ハクも隣で顔を軽くゆすいで、鼻をふんふんさせている。宿に泊まるようになってからこの裏庭のポンプには何度もお世話になっているが、何度使ってもありがたいものだ。
顔を拭き終わったルナは、青空を見上げ、宿の屋根の向こうに日差しが眩しく照りつけるのを感じる。朝食というには遅めの時間帯だが、お腹が空いてきたのも事実だ。ハクの方を見ると、ちょうど「ペコペコだよ」という風に尻尾を揺らしている。
「よし、ハク。お肉食べに行こうか!」
「おにく、おにく!」
念話とは思えないほど嬉しそうな声が頭に響き、ルナは思わず笑みを漏らす。いつも一緒の相棒が喜んでくれるだけで、なんだか自分まで元気が出る気がする。金貨やマジックバックを手に入れて、これまでより少し余裕ができた今なら、ちょっとだけ贅沢してもいいかもしれない。
「じゃあ、屋台街に行こう。そろそろお店も開いてるはずだし。おいしい焼き肉か何か、食べられるといいね」
ルナは宿の中に戻り、女将さんに「また来ます」と一声かけてから、ハクとともに外へ出る。晴れ渡る空と穏やかな風が、昼近くになった街を包み込んでいる。屋台街へ通じる通りには、食欲をそそる香りがもう漂い始めているに違いない。
「おにく、おにく!」と鼻をふんふん鳴らすハクをなだめながら、ルナは軽く足取りを弾ませた。こうして一人と一匹は、しばしのんびりとした時間を楽しむため、いつもの屋台街へ繰り出すのだった。
宿の裏庭で目をさましてから、ルナとハクは久しぶりにのんびりした午前を過ごす。夜間の採集や依頼で緊張していた日々とは打って変わり、今日はちょっとだけ贅沢を楽しんでもいいかもしれない――そんな気分になっていた。
「さあ、行こう。今日はお祝いも兼ねて、街で美味しいって評判の『ガーガーダック』の丸焼きを食べてみようか、ね、ハク」
「ガーガーおにく、ガーガーおにく!」
念話ながら、明らかにテンションの高い声を響かせるハク。すっかり成長した白い子狼は、もふもふの尻尾を思い切り振っている。ルナはその姿を微笑ましく見やりながら、これまでの苦労や緊張が一気にほどけていく思いだった。
街の大通りを歩いていくと、所々に屋台や店先で焼き物や煮込み料理を扱う姿が見えてくる。昼近くになると、多くの店が活気にあふれ、漂ってくる美味しそうな匂いに自然とお腹も鳴りそうだ。ちょうどよいころ合いだろう。目当ては評判の「ガーガーダック」の丸焼き。聞くところによれば、外はぱりぱりに焼き上げ、中は肉汁がジューシーだとか。
ルナはカゴをぶら下げた行商らしきおばさんに道を尋ねながら、評判の店があるという場所へと足を進める。古びた木製の看板に大きく鳥の絵が描かれた店先に、すでに行列こそないものの、満遍なくお客さんが集まっているようだ。
店先の炭火コンロには、きつね色に焼かれたガーガーダックがまさに串刺しにされて回転している。脂の染み出す音とともに、食欲をそそる香りが空気に溶け込む。ハクも思わず鼻先をクンクンさせ、尻尾をパタパタさせながら店の方を見つめている。
「こんにちは。ガーガーダックの丸焼きって、いまからでもいただけますか?」
ルナが店主らしき男に声をかけると、彼は顔をほころばせてうなずいた。
「もちろんだとも! ちょうど今、いい塩梅に焼き上がったところでな。お嬢ちゃんたち、丸ごとかい? それとも半分にするかい?」
「えっ……。ええと、丸ごと1羽を……お願いします!」
思い切って注文を告げると、男は「おお、太っ腹だな!」と上機嫌に肉の塊をすとんと台に下ろし、手際よく大きなナイフで数か所を切り分けていく。だが、あくまでも骨付きの形はそのままで、丸焼きの豪快さを損なわないように仕上げてくれる。ルナの背中から顔を出すハクは、ヨダレこそ垂らさないが、その金色の瞳はガーガーダックに釘付けだ。
「はい、お待ちどう! 熱いから気をつけてね。ソースをかけるなら、こっちに甘辛いのと、隣に塩味のタレがある」
ルナは「ありがとうございます!」と言いながら、骨付きの塊をしっかり受け取る。店主の好意で紙包みと皿代わりの木のボードも付けてもらった。店先に設けられた簡易テーブルで、さっそくハクにも肉をちぎって分け与える。
「ハク、焼きたてだよ。熱いからゆっくり食べてね」
「わーい、ガーガーおにく!」
ハクはまるで少年のように嬉しそうな声で念話を送りながら、骨のついた部分にかぶりつく。肉汁がじゅわっとあふれ、こんがりした皮の食感が合わさって、この上ない美味しさが伝わってくるらしい。ルナもひとかじりしてみると、外はぱりっと、中はジューシーで柔らかく、独特のダックの風味が鼻に抜ける。
「これ……すごい……。香草がきいてて、全然臭みもないし、本当に美味しいね」
ちょうどよい塩加減の皮を噛むたびに、幸せがこみ上げてくるようだ。ハクも夢中で肉を噛みしめながら、尻尾を左右に振りまくっている。周囲の人々が「あれ、こんなところに子狼が?」と興味津々に見るが、ルナはちゃんと従魔登録の首輪をハクに着けているし、目くじらを立てる人はいなさそうだ。
通りを通りかかる冒険者らしき男が「いい匂いだなあ」と笑いかけてきたり、店主が「美味そうに食べるなあ」とほほ笑んだりする中で、ルナとハクはガーガーダックの丸焼きをじっくり堪能する。弾力ある肉を噛むときこえるさくさくとした皮の音も心地よく、胃袋だけでなく気持ちまでも満たされるようだ。
「ふう……さすがに丸ごと1羽はボリュームあるけど、ハクが手伝ってくれるから、何とかなりそう」
時折、熱を持った肉を紙包みに移し替えながら、ルナは少しずつ自分の胃袋に収めていく。ハクの食欲には驚かされるが、さすがに成長期だけあってペロリと平らげそうだ。おかげで「無駄にしちゃうかな?」という不安はまったくなかった。
「これだけおいしいと、いつか自分でも料理してみたくなるな。……でも、丸焼きはさすがに難しいかな」
あっという間に骨だけが目立つようになったガーガーダックを見ながら、ルナはそんなことを考える。前世の知識や、料理への興味もあいまって、この世界でもキッチンが充実しているなら挑戦したいと思うのだ。
ともあれ、今回のガーガーダック丸焼きは、ちょっとした冒険の打ち上げとランクアップのお祝いにふさわしい豪華さだった。ルナは満腹の胸をさすりつつ、ハクの尻尾をそっと撫でる。先日の夜間採集の苦労が、遠い昔のことのように思えるほど、いまは穏やかで幸せな時間だ。
「おいしいね、ハク。ありがとう、一緒に食べてくれて」
「ルナ、ボクもありがとう。すごくおいしい……!」
大きな収穫と、ごちそう。たまにはこんな贅沢だっていいじゃないか――そう思いながら、ルナは笑顔でお礼の言葉を伝え、ハクとともにごちそうさまをした。こうして一人と一匹のささやかな“祝勝会”は、パリパリの皮とジューシーな肉の香りに包まれて幕を閉じるのだった。
ガーガーダックの丸焼きを満喫し、ルナとハクは共に満腹のまま店を後にする。
店先を出た途端、ハクが「ワフ(おなかいっぱい……)」といったふうに口をもぐもぐさせながら、リュックや首輪を気にする仕草を見せる。
ルナは思わず笑ってしまったが、すぐに気を取り直して声をかける。
「それじゃあ、リリスさんのところに行こう。今使ってるテント、ツギハギだらけで隙間風が入ってきちゃうし……ハクがもっと大きくなっても入れるように、少し広めのを探さないとね」
「ワフ……(はらいっぱい)」
念話こそないものの、ハクの鳴き声からは「大満足」という気配が伝わってくる。丸焼きの余韻を引きずりながらも、ルナは気を取り直し、少しずつ動き出す。あれだけたくさん食べても、まだまだ街歩きぐらいは平気だ。
ゆっくりと石畳を歩きながら、ルナは手に入れたマジックバックの存在を改めて思い出す。荷物の重さをほとんど感じずに済む魔道具は、野営や移動をする冒険者にとって何より心強い。今回こそ、ハクと一緒に快適に眠れる新しいテントを選びたいところだ。
「……でも、広いテントって意外と重かったりするんだよね。昔、傭兵のおじさんに借りたら、すごく荷がかさばって苦労した記憶があるけど……今の私ならマジックバックのおかげで大丈夫……!」
ルナは自然と笑みをこぼす。ハクが大きくなるたびに必要な空間も増えるし、隙間風が入らず寒い思いをしないテントなら、旅先や野営のときにかなり快適になるはずだ。彼女にとって、こんなに余裕をもって装備を整えられる機会はそう多くない。
そんなふうに考え事をしていると、いつの間にかリリス貿易のある職人通りに差し掛かっていた。外観は相変わらず小汚れた看板ではあるが、ルナにとっては思い入れ深い店だ。ドアを開ければ、カランコロンという音とともに、丸メガネをかけたリリスの声が聞こえてきそうだ。
「こんにちは、リリスさーん。テントが欲しいんですけど、置いてありますか?」
ドアを開き、ひやっとした店内に足を踏み入れる。明るいうちに訪れるのは久しぶりで、商品の並びなどもじっくり見回すことができる。床には魔石や金属パーツの箱が積まれ、奥には魔道具らしきアイテムが所狭しと並んでいる。テントや寝袋などの野営用具も扱っているはずだ。
「おや、ルナちゃん。よう来たね。今度はどんな買い物かな?」
奥から現れたリリスは、いつものようにやわらかな笑みを浮かべる。ハクの姿を見て、「また大きくなったかい?」と撫でながら、さっそく話を聞いてくれる。
「はい、今までのツギハギテントじゃ狭くて……隙間風も入るし、ハクが大きくなっても快適に眠れるテントが欲しいんです」
「なるほどねぇ。テントなら種類が色々あるけど、軽量重視か、耐久性重視か、組み立てやすさ重視か……どれを優先したいかな?」
そこが問題だ。冒険者の装備にはそれぞれ利点と欠点がある。もっとも今回はマジックバックがあるから、多少重くても持ち運びには困らない。となると、耐久性と広さ重視でもいいかもしれない。手ごろな値段で買えるかどうかも大事だが、今回の報酬は潤沢だ。
「うーん、今はお金にも少し余裕があるので、耐久性と広さを優先したいです。ハクと私の荷物も、マジックバックがあるんで、多少かさばるものでも大丈夫……」
「なるほど、じゃあ……これかな。ちょっと待ってね」
リリスが店の奥へひょこひょこと歩いていき、棚から分厚い布や骨組みを取り出して並べて見せる。すると、頑丈そうな布地に防水加工が施されているのがわかる。確かにこれなら雨風もしのげそうだし、骨組みもしっかりしていそうだ。
「これは、冒険者向けに作られた大人ふたりが寝転んでも余裕の広さだね。コストはちょっと高めだけど、長く使えると思うよ」
「おお……けっこう大きいですね。でも、これならハクと一緒に快適に寝られそう……」
ルナは生地の質感を確かめたり、骨組みの重量を手に取って感じてみたりする。マジックバックがあるとはいえ、いざというときは自力で運ぶ必要もあるかもしれない。耐久性があるのは嬉しいが、組み立ての手間や、万一のトラブルも頭をよぎる。
「他にももう少し安いのもあるけど……。せっかくだし、今回は奮発しようかな」
ルナは数度うなずき、ハクにちらりと目をやる。ハクは「ボク、広いところで寝たい」みたいにしっぽを振っているように見え、思わず笑ってしまう。
「よし、じゃあこれにします。おすすめの方を……!」
「まいどあり! ルナちゃん、最近は稼いでるみたいだし、大丈夫だよね?」
リリスが冗談めかして笑いかける。もちろん簡単には出せない値段だが、金貨を手に入れたルナなら支払い可能な範囲だ。これまで散々苦労してきた分、こうして装備を整えられるのは何より嬉しい。値札を見てちょっと緊張しつつも、ルナは報酬の一部を取り出して支払いを済ませた。
「ありがとう。はい、たしかに受け取りました。あと、おまけじゃないけど、組み立て方の説明書も付いてるから、わからないときはまた来てちょうだい」
リリスは飄々とした口調ながらも、いつも以上に丁寧に対応してくれる。ルナは深くお礼を言い、骨組みや布をマジックバックに収めてみる。意外なほど楽に収まる上に、重さもほとんど感じない。さっそくマジックバックの力が発揮されていて、思わず感動のため息がもれる。
「これなら夜間の野営もずいぶん楽になりそう……ハク、次の野営が楽しみだね」
「ワフ……(ひろいテント、やったね)」
ハクは尻尾をゆらゆらさせながら首をかしげる。どうやら新しいテントに期待を寄せているらしい。ルナはその姿を見て、心の底から微笑ましさを感じる。次の冒険のとき、このテントでゆっくり休めると思うと、旅の疲れ方もずいぶん違うだろう。
「これで準備はバッチリ……リリスさん、いつもありがとうございます。また何かあったら来ますね」
「いつでもおいで。何か変わった魔石や素材が入ったら、また見せてちょうだいね」
こうして、ルナは新たな装備を手に入れ、大きく踏み出した気分でリリス貿易を後にする。ハクも上機嫌に足を揃え、街の通りを並んで歩いていく。これまでのツギハギテント暮らしとはおさらば――もっと快適で安全な野営ができるだろう。
そう思うと、自然と胸にわくわくが広がる。
――まだまだ“石拾いの転生少女”としての冒険は続くけれど、いまはこの穏やかでちょっとした贅沢が、何より嬉しかった。
新調したテントをマジックバックに収めてリリス貿易を後にすると、ルナは街の大通りを歩きながら「今日はこのままのんびりしようかな」と考えをめぐらせた。夜通し動き回ったり、テントの買い替えでいろいろ気力を使ったし、先日までの騒動を思うと少しぐらい休息の時間が欲しいところだ。
もっとも、ずっと宿でゴロゴロするのもなんだか落ち着かない。そこで、いっそギルドに行って依頼掲示板でも眺めながら、軽めの仕事があれば受けてみようか――そんな考えに至ったのだ。
ハクと並んで石畳を進んでいると、門番の警備兵がこちらに手を振ったり、屋台街のおじさんが「よう、ルナちゃん、今日は何食べるんだい?」と笑いかけたりと、行く先々で声をかけられる。かつては逃亡生活が長かったこともあり、人目を避けがちだったルナだが、この街ではもう随分と顔見知りが増えた。ちょっと気恥ずかしいが、これほど温かく受け入れられる場所があるのはありがたい。
(……本当に居心地のいい街になったなぁ)
そんなことを思いながら、通い慣れた冒険者ギルドへ到着する。扉を押して中に入ると、いつものように広いロビーには冒険者たちの談笑や依頼の相談が飛び交っている。いくつかの職員が忙しなくカウンターを行き来しているのも、いつも通りの光景だ。
ルナはまず掲示板へ足を運び、ざっと貼り出された依頼を見ていく。薬草や小動物の討伐、荷物運搬など、おなじみの依頼が並ぶ中で、ひとつだけ文面がやけにあっさりした依頼に目が止まる。
「ある場所へ行って“ある物”を受け取り、この街まで戻ってきて欲しい――詳細は後ほど」
説明文には大まかな報酬だけが書かれており、具体的な目的地や品物の内容については何も明かされていない。だが、依頼の受託条件には「Eランク以上」「長距離移動可」などが記載されている。ルナの目下のランクはE。要件はギリギリクリアしているようだ。
(なんだろう、これ……。ちょっと怪しいけど、気になる依頼だな)
あまりに情報が少なすぎて敬遠されているのか、他に受け手がついている様子はない。ルナは思わずハクにちらりと視線を送り、「どう思う?」という感じで念話を飛ばす。すると、ハクも興味深そうに鼻をくんくんさせながら「面白そう」という気配を返してくる。
「さて、どうしようか……詳しい話はカウンターで聞けるのかな」
ルナはそうつぶやき、依頼書を手にカウンターへ向かう。冒険者ギルドの掲示板には、ときおりこうした“よく分からないけど大事そうな仕事”が並ぶことがある。大抵はセキュリティ上の理由で詳細を伏せている場合が多いらしいが、ともかく話を聞いてみる価値はありそうだ。
(もし本当に受けるとなれば、久しぶりに長旅になるのかな。新しいテントもあるし、荷物はマジックバックに詰め込めば準備万端……)
そんな胸の高まりを感じながら、ルナはゆっくりとカウンターの列に並ぶ。ハクの尻尾が軽く揺れているのを見て、「楽しみなの?」とこっそり念話を送ると、ハクは小さく「うん」と応えた。次にどんな冒険が待ち受けているのか――一人と一匹の新たな一歩が、また動き出そうとしている。
ギルドのロビーで依頼を受ける意思を伝えると、カウンターの職員が「少々お待ちください」と落ち着かない様子でどこかへ駆けていった。何事だろうと思う間もなく、職員に促されるままルナはギルドの奥の個室へと通される。部屋の扉を開けると、そこにいたのはギルドマスターと、貴族風の男性――どうやら「オーベル商会」の会長らしい――の二人だけだった。
「来たか、ルナ。座ってくれ」
ギルドマスターが低い声でそう促し、ルナは背中のハクにも注意を投げながら、ぎこちなく椅子に腰を下ろす。こんな小さな会議室のような部屋に、ギルドマスターがわざわざ待ち構えているなど尋常ではない。背筋が自然と伸びてしまう。
「ルナさん、初めまして。私はオーベル商会の会長、オーベルと申します。今回の依頼を出したのは私どもです」
上品な身なりをした男は、静かだがどこか凛とした声で自己紹介をする。一方でハクはリュックからひょこり顔を出し、緊迫した空気に当てられたのか少し落ち着かない素振りを見せる。
「実は……今回、あなたに頼みたい仕事はかなり秘匿性が高い。何があっても情報を洩らさないでほしい。話しておいてなんだが、今からでも断ることはできるぞ」
ギルドマスターが真剣な面持ちで言い、ルナは一瞬息を呑む。とはいえ、ここまで来て断るのも釈然としない。恐る恐る「詳しく聞かせてください」と答えると、オーベル商会の会長が先を続けた。
「我々オーベル商会は独自のネットワークを使い、とても希少価値の高い“ある魔石”を入手しました。これを秘密裏にこの街へ運び込みたいのです。ですが、大きなキャラバンを仕立てたり、護衛をべったりつけたりすれば、かえって周囲に勘づかれ、狙われる危険が高くなる。そこで単独の冒険者に依頼しようと考えました」
会長の視線がルナの方へ向けられる。その目には鋭いものが宿っていた。
「今回の依頼、つまりあなたにやってほしいのは、その魔石を指定された場所で受け取り、この街まで確実に持ち帰ること。それだけです。しかし、途中で魔石の存在を悟られてはいけない。時間がかかっても構わないので、人目を避けて、どんな手段でもいいから安全に運んでほしい」
希少な魔石、秘密裏の輸送――まるでスパイや密輸人がやるような仕事だ。確かにリスクも高いし、大々的に護衛をつければ目立つのは間違いない。とはいえ、まさか自分がそんな極秘の依頼を受けることになるとは、ルナは想像だにしていなかった。
「どうして私に……? 私なんかまだEランクになったばかりなのに……」
疑問を口にすると、ギルドマスターが腕を組んでうなずく。
「ランクの問題じゃない。おまえはコカトリス騒ぎの夜に月花草を集め、黙々と地道な採集依頼をこなし、かつ他人への恩義を返そうと必死に頑張っている。そういった性格の“誠実さ”と“地道さ”を、俺も商会の会長も見込んだんだ」
「そういうことです。実際、冒険者ランクが高い者ほど目立ちやすく、同行者や別の仲間を連れがちですからね」
オーベル会長はそう言ってにこりと笑うが、その声の奥にはどこか厳しい緊張感が潜んでいた。確かに、高ランクの冒険者の集団や護衛隊が移動すれば必ず目立つし、力づくで襲撃する輩も出てくるかもしれない。だからこそ“小柄な少女”という目立たぬ存在に運ばせようというわけか――。
「もちろん危険はあるが、報酬はそれに見合うだけ払うつもりだ。それに、ギルド側としてもおまえに任せると決めた以上、何かあったらできるかぎり支援はする」
ギルドマスターがそう補足し、会長もうなずく。
「依頼内容は単純そうに見えて、想像以上に難しいかもしれません。誰に知られることなく魔石を受け取って持ち帰る。もし気づかれたらどう動くか。行き先はもちろん後ほど詳しく説明しますが、この部屋から一歩出たら口外無用でお願いします。どうしますか、ルナさん?」
ルナは思わず唇をかみしめる。リスクの大きい依頼だが、それだけやりがいもあるし、何より自分を信頼しての指名だというのが嬉しかった。ハクがリュックの中で「どうする?」というように首を傾げている。彼女の肩越しに、ギルドマスターとオーベル会長の真摯な眼差しが注がれている。
(まだ詳しいことはわからないけど……私は、こうして人の役に立てるならやってみたい。それが例え大変な仕事でも)
胸の奥でじんと熱くなる何かを感じながら、ルナは深呼吸をして答えた。
「わかりました。私にできることなら、精一杯やらせていただきます。誰にも悟られず、魔石を持ち帰るんですね。必ず成功させます」
それを聞いたギルドマスターとオーベル会長は、互いに視線を交わし、小さく頷いた。部屋の空気が一瞬にして引き締まり、これから始まる極秘ミッションの重大さをあらためて感じさせる。
「……よし、では詳細な話をさせてもらおうか。まずは受け渡し場所と、そこまでのルートについて――」
こうしてルナは、思わぬかたちで秘密の魔石輸送という大仕事に手を染めることになる。ハクとともに新しいテントとマジックバックを携え、人目を忍ぶ旅へ出かける日が近いかもしれない。胸に宿る不安と、使命感が入り混じったまま、ルナはギルドマスターの言葉に耳を傾けるのだった。