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第二章「ひとり立ち」

 ボロテントの薄い布越しに朝の光が差し込み、少女はまどろみの中でそっと瞼を開いた。夜の冷え込みがまだ体に残っているのか、指先はわずかにかじかんでいる。隣に丸くなって眠っていた白い子狼も、ちょうど目覚めたらしく、小さく鼻を鳴らして前脚をのばした。テントの中にこもる息は、少しだけ暖かさを宿している。


 少女は、昨夜の焚火の残り火がまだわずかに燻っているのを確認すると、慌ててテントを出て、川の水で使った鍋をすすぎ始めた。寝ぼけ眼の子狼はテントの端から顔だけ出し、あくびをしながら少女の様子をうかがう。川のせせらぎがかすかなBGMのように聞こえるなか、昨日までに拾い集めた魔石の小さな欠片たちが、少女のボロい鞄の中でちんまりと揺れた。


「思ったより集まったよね。これだけあれば、ちゃんとした干し肉が買えるかも」


 ひとりごとのように呟く少女は、キャンプの整理をしつつ、次の行き先を考える。昨日、道すがら出会った冒険者が教えてくれたとおり、この川沿いを下れば、あと一日ほどで街に辿り着くという。街まで持ってくれればいいが……と、少女は子狼の包帯巻きの脚をちらりと見る。傷はだいぶ良くなったものの、無理に歩かせてしまえば悪化してしまうかもしれない。もっとも、今は冒険者や人目がある場所でこの狼が目立つのも、やはり怖い。今回の街でしばらく休める宿を探したいところだが、果たしてそんな余裕があるのか。


「まずは食べ物、あと薬草とか……できれば宿にも泊まりたいけど、贅沢かな」


 荷物をまとめ終えた少女は子狼を呼び、そっと撫でながら「無理しないでね」と優しく声をかける。白い子狼は尻尾を小さく振って応えるように軽く鳴いた。


 少女は持参の袋を肩にかけ、子狼には少し安心できるようなゆとりを与えながら歩き出す。川辺には昨夜の焚火のあとが薄い煙を上げていたが、その様子ももう風に流されてしまいそうだ。立ち昇る朝靄の向こうで、陽光が湖面――というには少し流れの早い川面か――を照らして、きらきらと反射している。その美しさに、少女は思わず足を止める。


「朝ごはん、何か食べようか……。といっても、昨日の残りの硬いパンぐらいしかないけど」


 子狼はパンの切れ端を器用に咥えて噛みちぎる。香りと食感を楽しむというより、空腹をしのぐために必死で食べているようだ。少女も同じく、硬いパンを口に運び、川の水で流し込む。飾り気のない朝食。それでも、この世界に一人きりではなく、こうして子狼が隣にいてくれるだけで、寂しさが和らぐ。


「街に行けば、ほんの少しだけど魔石を換金して……干し肉を買おう。あの塩気のある味、久しぶりに食べたいし。あなたにも少しだけ分けてあげられるかも。きっと、気に入るよ」


 昔、旅の途中で出会った傭兵に分けてもらった干し肉の旨みは、いまだに少女の舌に記憶されている。柔らかくはないけれど、噛むほどに肉の味が染み出すあの食感が忘れられないのだ。白狼の子もきっと喜ぶだろう。そう考えると、なんとなく足取りが軽くなる。


 川沿いの道は平坦なところが多く、森の暗い小道を抜けるよりもよほど気が楽だ。遠くからは鳥の鳴き声や、虫たちの微かな音が風に乗って聞こえてくる。街道と呼べるほど立派な道ではないが、ところどころに馬車の車輪跡や、人の通った痕が見受けられるから、街までつながっているのは確かだろう。


「昼ごろには休憩しよう。それまでがんばって歩いてね」


 そう言って少女が子狼に微笑みかけると、子狼はまた短く鳴いて応える。普段はおとなしいのに、時折、まるで言葉を理解しているかのように反応してくれるのが不思議だ。少女は子狼にとって安全な速度を意識しながら、ゆっくりと歩調を合わせる。


 ボロテントは解体して紐で背負い、荷物はずしりと重い。けれど、今日一日歩ききれば街に着く。魔石は数は多いけれど小粒ばかりだが、それでもこの世界では立派な財産だ。それらを売ったお金で、干し肉を買い、温かいごはんを口にできるなら、大いに救われる。いや、もし運が良ければ少しは蓄えができるかもしれない。そうなれば、また次の旅路も安心して続けられるだろう。


「……よし。がんばろう」


 少女は自分に言い聞かせるように小さく呟く。その姿はか細いながらも、胸の奥には確かな意志が宿っていた。白い子狼と共に、川沿いの道を足早に下っていく。その先に待ち受けるのは、初めて訪れる街。小さく胸が高鳴るのを感じながら、少女は朝の空気を肺いっぱいに吸い込み、もう一度だけ川面を振り返った。静かに流れる小川のせせらぎは、まるで背中を押すように耳に心地よい。


 さあ、行こう――干し肉と、ちょっとした幸運を目指して。

少女と子狼の姿は、光が満ちていく川沿いの道の向こうへ、ゆっくりと、しかし確かな足取りで消えていくのだった。


  入場の審査を受けるために人々が列をなす街の門。私――ルナ――は、その列の最後尾へと並んだ。

 荷馬車を引いた商人たち、武具を身に着けた冒険者たち、旅の途中と思われる吟遊詩人風の人々――とにかくさまざまな人がいる。

 しかし大人ばかりの中で、ぽつんと背の低い子どもの私が並んでいると、やはり目立つのかもしれない。前に進み、門番のところへたどり着くと、そこにいた隊長らしき壮年の男が、どこか渋い声で問いかけてきた。


「おい、ぼうず、お前一人なのか? どっからきた? なまえは? 幾つだ?」


 矢継ぎ早に質問され、私は一瞬固まってしまう。慌てて口を開きかけたところで、横にいた部下らしい若い兵士がたしなめるように口を挟んだ。


「ちょっとちょっと、隊長。そんなにいきなり訊いたら、この子も困っちゃうじゃないですか。少しゆっくり聞いてあげないと」


 申し訳ないような気持ちで目を伏せ、私は顔を上げて隊長を見た。心配そうな表情の隊長と、少し笑みを浮かべている部下。ふたりの視線を感じながら、私は少し震える声で答える。


「ルナ……7歳です。あの……わけあって、家から口減らしで……」


 そこまで言うと、隊長は一瞬切なそうな顔をした後、「そっかそっか、大変だったなぁ」と言って、やや屈んで私の背中をそっと抱き寄せてくれた。意外なほど温かいぬくもりに、私は胸がじんと熱くなる。


「もう心配いらんぞ。ここで苦労しなくてもいいように、ちゃんと書類とか身分証をつくっておけば、次からスムーズに入れるからな。冒険者登録をすると、どの街でも通用する身分証がもらえる。少なくとも“浮浪者扱い”されることはなくなるはずだ。これから案内してやるよ」


「ありがとうございます……隊長さん」


 素直にお礼を言うと、隊長は大きく頷いた。ほかの入場者もいるから、あまり時間をかけていられない。それでも、こうして優しく声をかけられるだけで、私は心が少し軽くなるような思いだった。

 そこでふと、私にはもう一つやりたいことがあるのを思い出す。隊長が街の案内をしてくれると聞いて、少し勇気を出してきりだした。


「あの……よければ、これを売りたいんです。お店を紹介してもらえませんか?」


 そう言って、小さな布袋を取り出し、口を少しだけ開いて中身を見せた。色とりどりの魔石のかけらがいくつか覗くと、隊長の目つきがほんのわずか引き締まる。


「魔石か……けっこうな数を集めたな。よくこんな小さい身体でここまで……。危ない目には遭わなかったか?」


 隊長が感心半分、心配半分といった口調で言うと、私は苦笑い交じりに首を横に振る。でも、実際は危険だらけだったし、こうやって街まで辿り着いたのは運が良かっただけかもしれない。ふっとそんな思いが頭をよぎる。

 隊長は私の様子を見て、納得したように息をつくと、にっこり笑って言った。


「よし。なら、信用ある店を紹介しよう。魔石の相場をちゃんと見てくれる商人だ。あんまりあこぎな連中に持っていくと、子どもだからって足元見られたりするからな」


「はい、お願いします」


 私は深く頭を下げた。目の前にいるのは、生まれて初めて出会う“優しい大人”の一人かもしれない。警備兵の制服をまとった隊長の姿は、私の中で――あまり良い思い出のない“大人”という存在へのイメージを、少しずつ変えてくれそうだった。


「それじゃあ隊長、こっちは自分に任せてください。列の方は他の兵士が見ますんで」


 部下がそう言うと、隊長は軽く頷き、私を促すように門の内側へと進む。門をくぐると、急に街のざわめきと活気が耳に飛び込んできた。行商人や旅人が行き交い、酒場の看板が視界に入る。石造りの建物が立ち並び、遠くには市場らしきテントが連なるのが見える。私はその光景に少し圧倒されながらも、すこしわくわくする気持ちを抱いた。


「まずは冒険者ギルドで登録して、身分証を作っちまおう。そのあとは魔石買取の店だな。ギルドに行きゃ地図もあるし、もしかすると紹介してもらえるかもしれん」


「わ、わかりました。ありがとうございます」


 自然と口をついて出る感謝の言葉。こうして私は、警備隊長の好意に甘えつつ、新しい街へ足を踏み入れる。

 立ち並ぶ石畳の道を踏みしめ、強い日差しのなか、私はぎゅっと小さな布袋を抱える。これには私が拾い集めてきた生きるための糧――魔石が入っている。どうか、良い値で買い取ってもらえますように。そんな小さな祈りを胸に、私と隊長はにぎやかな大通りへ向かって歩き始めるのだった。


 街の門を抜けてしばらく歩くと、大通りの人の波がさらに厚くなり始めた。商店や屋台が並び、色とりどりの商品が通りを飾っている。その中を、警備隊長に先導されながら、私はギルドへと向かっていた。


「ギルドはもうすぐだ。この先を左に曲がれば見えるはず……」


 隊長が声をかけ、私は微かに足を速める。すると、突然私のリュックに入れていた白い子狼が、もぞりともがき始めた。気づいた隊長が、怪訝そうにこちらを振り返る。


「なあ、ルナ。おまえの背中……何か動いてるようだが、もしかして生き物でも隠してるのか?」


 私は「しまった」という気持ちでどきりとした。隠しているというほど悪いことをしているわけではないが、狼を連れていると聞けば嫌がる人も少なくない。だが、この隊長になら正直に話しても大丈夫だろうと、私は意を決して素直に告げた。


「小さい……狼なんです。ケガしていたところを拾ったんです……」


 そう言ってリュックの口を少し開くと、白い子狼がちょこんと顔を出した。こっちの様子をうかがうように、首を傾げている。隊長はしばらく目を見開いていたが、次の瞬間、満面の笑みを浮かべて子狼の頭をわしゃわしゃ撫でまわし始めた。


「おお、こりゃまた可愛い子だな! しかも真っ白な毛並みじゃないか。怪我はもう平気か?」


 隊長は子狼の細やかな傷跡にちらりと視線を落としながら、優しく問いかける。子狼は少し戸惑うような表情を見せ、くしゅんと鼻を鳴らす。そんな様子が可愛らしく、隊長の撫で方がますます力強くなる。


「わしゃわしゃわしゃわしゃ……いやぁ、こういうの見ると、俺も若い頃を思い出すなあ」


 思いがけず大人に可愛がられた子狼は、きょとんとしていたが、やがて少し気持ち良さそうに瞼を落としかける。私はその様子をほっとした気持ちで見守った。隊長は意外にも、狼を飼うことに否定的どころか、微笑ましい目を向けてくれているのだ。


「なぁルナ、従魔登録はもうしているのか? 飼い主としての義務ってやつだ。街によっては、こういう狼を連れて入るのに許可が必要だったりする。知らないでいると面倒なことになるからな」


「いえ、まだ登録してないんです。そんな制度があるなんて……」


 私は頭を下げながら、安堵の半面、少し焦りを覚える。たしかに、この世界では冒険者や飼い主が動物や魔物を連れる場合、何らかの手続きを踏むと聞いたことがあった。けれど、今まで余裕がなくてそこまで考えが回らなかったのだ。


「ならギルドで冒険者登録するときに、従魔登録もしちまおう。たぶん別の窓口になるが、近いから案内してやる。安心しろ、そんなに難しい手続きじゃない」


「ありがとうございます、隊長さん。本当に助かります」


 深くお礼を言う私に、隊長は「たいしたことないさ」と手をひらひらさせる。

 子狼を頭ごと抱きかかえていた隊長が、そのふかふかの毛並みから名残惜しそうに手を離すと、通りの先を指さしてみせた。


「ほら、見えてきた。あそこが冒険者ギルドだよ。少し賑やかだけど、怖がらずに入るといい。ルナとこの子狼にとって、きっと新しいスタートになるはずだ」


 石造りの堂々とした建物が視界に入る。表に掲げられた看板には剣と盾の意匠が描かれている。扉の奥からは賑わいらしき声がこぼれ聞こえた。

 子狼をそっとリュックに戻し、私はもう一度荷物を確認して背筋を伸ばした。ここで身分証を作って、魔石を売り、子狼の登録もしっかり済ませる。それができれば、これから先の旅はきっと少しだけ楽になるはず。心の中でそう期待を抱きながら、隊長のあとを追うようにギルドの扉へ向かうのだった。


  ぎしり……と重厚な扉を開けると、冒険者ギルドの広間には、筋骨隆々の男たちが所狭しと集まっていた。みな手には剣や斧、槍を携え、鋭い眼光でこちらを見下ろしてくる。背の低い私にとっては、その体格差が圧倒的で、思わず怖気づきそうになってしまう。


 それでも隊長の背中を頼りに、一歩ずつ奥へと進んでいく。周囲の視線が突き刺さるなか、さらに一際大きな男がカウンター横で腕を組んで待ち構えていた。無骨な顔立ちに絡まるような傷跡があり、まるで歴戦の勇士そのものだが、隊長が軽く会釈をすると、その大男はゆっくりと頷き、厳かな声で話し始める。


「ルナ、7歳だな。……なるほど、隊長の紹介なら俺が直々に対応しよう。冒険者ギルドのマスターを務めている。」


 肩まで伸びる髪をざっと撫でながら、大男――ギルドマスターは私に視線を落とす。全身が萎縮しそうになるけれど、少しでも受け答えをしっかりしなくてはと意を決して顔を上げた。


「……はい、ルナです。7歳……です」


「得意なことはあるか? 戦闘とかは厳しそうだが、採集とか調理とか、何かしらできることがあれば依頼を受けやすい。」


 声の低さにドキリとしながら、私はかろうじて答えを紡ぐ。

「薬草……は少しわかります。母が昔、痛み止めを作っていて、それを手伝ったことがあって。なので採集なら……」


 するとギルドマスターは満足そうに頷いた。

「それなら十分だ。各地の冒険者ギルドでは常に薬草の採集依頼が出ているからな。仕事に困りにくいはずだ。もっとも、“登録証”を維持するなら月に一度ぐらいは必ず何かしらの依頼を受けろ。受けなければ……」


「登録証失効……ですよね?」

 私はギルドマスターの言葉を引き取るように応えた。先ほど教えてもらったばかりのルールだが、何度聞いても少し緊張する。


「そうだ。これを忘れずに続けるんだぞ。冒険者の看板だけ掲げて何もしない奴を減らすための決まりだ。簡単な依頼でもいいから受けていけ」


「はい、わかりました。忘れないように気を付けます。」


 そう返事をしたところで、ギルドマスターが視線を子狼の入ったリュックへ移した。

「それと……“従魔登録”だな。隊長から聞いている。見せてみろ。」


 私は小さく息を整えて、そっとリュックの口を開く。白い子狼が顔を出し、きょろきょろとあたりを見回す。その目がギルドマスターと交わると、一瞬身構えそうになったが、私が後ろから優しく頭を撫でると少し落ち着いた。


「こいつは珍しい毛並みだな。上位テイマーがうちのギルドに常駐しているから、後で鑑定してもらえ。登録には多少の費用がかかるが、いざという時、“正式に飼育許可された従魔”だと証明できる。街への出入りや、宿を探すときにも役立つだろう」


 そう言ってギルドマスターは、近くを通りかかった職員に声をかける。

「おい、テイマーのマリアは今どこだ? 呼んでこい。従魔登録だ。」


 職員は即座に頷いて奥へ駆けていく。その間、私は緊張で手汗をかきながら、子狼の背中をそっと撫でていた。どんな診断をされるのか分からないが、この子狼が危険視されなければいいけれど……。


「まぁ心配するな。上位テイマーなら大抵の従魔を扱ってきた。牙があるからといって、すぐに排除対象になるわけじゃない。ちゃんと世話をして、それなりの責任を負う覚悟があるなら問題ないはずだ」


 私の不安を察したのか、ギルドマスターはそう言って、どこか頼もしい笑みを見せてくれる。

 隊長も後ろで「大丈夫だ」と頷いてくれた。すでに私には逃げ道なんてない。けれど、それは決して悪い意味ではなく、“新しい一歩を踏み出す道”に立ったのだと、心の奥底で感じていた。


 ――こうして私は、初めての冒険者登録と、子狼の従魔登録を同時に進めるべく、ギルドの奥の部屋へと招かれていくことになるのだった。


  ギルドの奥にある、従魔登録専用の小部屋。そこには簡素な机と椅子が置かれ、壁際には古びた本棚が並んでいる。上位テイマーのマリアという女性が、机の上に並べた幾つもの小瓶や鉱石の結晶らしきものを使い、白い子狼を丹念に視ていた。


 マリアはなかなかの年季を感じさせる無骨な革鎧を身に着け、腰には短剣のような道具を下げている。一見して戦闘職にも思えるが、ギルド職員の腕章をつけているので、内部のスタッフの一員なのだろう。彼女は専門家ならではの真剣な表情で、石や液体を使った“鑑定”の手順を進めていく。


「ちょっとだけ刺すよ。痛くしないからな」


 子狼の前脚に小さな針を当て、ほんの少し血を採取すると、それを試薬のような液に垂らす。すると液体はじわじわと色を変え始めた――淡い金色から銀色へ、そして一瞬だけ青白く光る。その光景を見て、マリアは「うっ……」と呻きつつ、目を見張る。


「……これは……何か聞いたことがある反応だけど、まさかね……」


 彼女は慌てて分厚い書物を引っ張りだし、パラパラとページをめくる。その背後でギルドマスターと隊長、そして私が心配そうに見守るなか、ついにマリアはあるページで手を止め、目を皿のようにして確認し始めた。そして、はやる息を整えたあと、渋い顔で振り返る。


「ちょっ! マスター! まずいっすよ、これ!」


 その声は明らかに動揺を孕んでいる。ギルドマスターは怪訝そうに眉をひそめながら、静かな声で問い返す。


「なんだ、スキルでも持っていたか? それとも何か呪いか?」


「違いますよ! こいつフェンリルっす! 血統は間違いない!」


 フェンリル……。その言葉が放たれた瞬間、部屋の空気がピリッと張り詰めた。ギルドマスターも隊長も、一瞬にして真剣な表情に変わる。私にはその“フェンリル”という名がどれほどの意味を持つのか、詳しくはわからない。ただ、やたら強大な伝説の魔獣だという噂は、幼い頃に耳にしたことがあった。


「本当にフェンリルなのか? 見たところ、ただの仔狼じゃないか」


 ギルドマスターが信じ難そうに子狼の様子を見やると、マリアは再び書物を指し示した。そこにはフェンリルの記述があったらしく、古い文字やイラストがぎっしり並んでいる。


「毛並みと瞳の色、それから魔力の反応。全部がフェンリルの特徴に当てはまってるんですよ。今は子どもだから大人しいですけど、成長すれば恐ろしい力を持つ可能性が高い」


 マスターは唸るように低く言った。

「フェンリルか……。まさかこんなところにいるとはな」


 隊長も目を見開き、深刻そうに私の方をちらりと見る。

「ルナ、こいつ……本当に普通の狼だと思ってたのか?」


「は、はい……。怪我していたところを拾って……。確かにちょっと毛並みが綺麗だとは思っていたんですけど……」


 私が正直に答えると、マスターは深く息を吐き、わずかに笑みとも苦笑とも取れない表情をつくった。

「まあ、拾った者に罪はない。しかしフェンリルとなると話が変わってくる。下手をすれば、軍や王侯貴族が“危険存在”として排除しようとするかもしれないし、逆に“手に入れたい”という輩が出てくるかもしれん」


「……そ、そんな!」


 私の胸が強く騒ぎだす。まさか、そんな大きなことになるなんて想像もしていなかった。見た目はただの子狼。私を守ろうとしてくれた、優しくて小さな命。だけど、成長すれば恐ろしく強大になる――? 


「マスター、こいつどうします? 登録っていうか、そもそも飼っていいものか……」


 マリアが戸惑いながら問うと、ギルドマスターは腕組みをしたまま、しばし沈黙する。そして厳かな口調で言った。


「ギルドとしては、一応“従魔登録”は受け付ける。扱い自体は難しいが、ルナ本人に強い悪意や下心はなさそうだしな。ただし、ルールをしっかり守らせる。フェンリルの存在を他人にむやみに喋らない。むやみに戦闘をさせない。もし何か重大な事故を起こすようなら、ギルドとしても対処せざるを得ない。それでもいいか?」


 私の胸はぎゅっと締め付けられるように痛む。けれど、子狼――フェンリルの子を守りたいなら、こうするしかないのかもしれない。誰にも奪われたくないし、危険だとされて討伐されるのも絶対に嫌だ。ならば私がきちんと責任を取って、育てていくしかない。


「……はい。わかりました。私、必ずこの子を大切に育てます。絶対に悪いことはさせません。だから……登録、お願いします」


 自分で言いながら、声が震えるのを感じる。マスターとマリアがちらりと視線を交わしたあと、ギルドマスターは穏やかに微笑んでくれた。


「いい返事だ。じゃあ正式に、フェンリルを含めた冒険者登録といこう。マリア、用紙を用意してくれ。あと、ルナに危険が及ばないように注意事項をまとめてやってくれ」


「了解です、マスター」


 マリアは慌ただしく書類を準備し始める。部屋の片隅からは古い封蝋と印章の道具を取り出し、モコモコした筆で書き込んでいる様子だ。そんな光景を見つめながら、私はそっと子狼を抱きしめた。子狼は私の腕に鼻をすり寄せ、くんくんと甘えるように呼吸する。その無邪気な姿は、これが“伝説の魔獣”の一種であるなど想像もつかないほど愛らしかった。


(私の方がちゃんと守らなきゃ……)


 そう静かに誓いを立てた私に、隊長が近づき、ぽんと肩に手を置く。


「よく決心したな。……フェンリルだからといって、必ずしも危険というわけじゃない。おまえとこの子が互いを信頼していれば、きっとどこかに道は開けるだろう。大丈夫だ」


「隊長さん……ありがとうございます」


 いろいろ戸惑いや不安はあるけれど、優しい人たちがそばにいてくれる。それだけでも随分と心強い。

 やがて書類を整えたマリアが、「はい、これに署名して」と羽ペンを差し出してくる。ギルドマスターがじっと私を見守る中、私は緊張で指先を震わせながらも、しっかりと自分の名前を書いた。


 こうして、伝説の魔獣・フェンリルを連れた12歳の少女ルナの“冒険者登録”が、思いもよらぬ展開とともに幕を開けるのだった。


 ギルドの登録用紙には、従魔の名を記入するための空欄が存在していた。マリアから差し出されたその書類を見ながら、私は少しだけ迷う。そもそも、ずっと「子狼」としか呼んでいなかったから、名前なんて考えていなかったのだ。


「あの……名前を書く欄があるみたいです」


私が尋ねると、マリアは軽く頷いて説明を加えた。

「飼い主として正式に名前を付けることで、従魔の識別をはっきりさせるのさ。あと、念話や固有能力を引き出しやすくなるケースもあるっていうしね」


 そう言われても、伝説の魔獣フェンリルだと知ったばかりで正直プレッシャーも大きい。だけど、目の前で私に身を寄せるこの子を見ていると、不思議と親しみと愛しさが湧いてくる。何かしっくりくる名前はないだろうか……。少し考え込んだあと、私はおぼろげに浮かんだ言葉を口にしてみた。


「名前かぁ……。真っ白な毛並みに、どこか神秘的な印象……。うん、決めた。ハク! 君はハクだ!」


 すると、子狼が――ハクが、その声に応えるように小さく瞬きをしながら私を見上げる。

そのとき、不意に頭の奥に声が響いた。


「僕はハク、よろしくね」


「……え?」


 思わずあたりを見回したけれど、隊長もマリアも「どうした?」と不思議そうな顔をしている。どうやら私以外には聞こえていないらしい。確かに今、頭の中に“ハク”の声が直接響いたような――。


(もしかして、さっき言ってた“念話”とかいうやつ?)


 心臓がどきどきと高鳴る。一方でハク――子狼は、首を傾げるような仕草を見せながら、ふわふわとした尻尾を振っているだけだ。どうやら、名前を付けたことをきっかけに私との間で何らかの絆ができ、念話が通じるようになったのかもしれない。


「……よ、よろしくね! ハク!」


 私は少し声を上ずらせてそう呟く。すると頭の中に、ハクの幼い少年のような声が響いてきた。


「よろしく! ルナ」


(や、やっぱり……聞こえる。)


 嬉しいような、驚くような、不思議な感覚に包まれながら、私は書類の「従魔の名前」の欄に「ハク」と記入する。ペン先がわずかに震えるのは、さっきまでの緊張とはまた違った、嬉しさや期待感の入り混じった興奮からだ。


 書き終えると、マリアが確認して「はい、正式に登録完了」と手続きを進めてくれる。ギルドマスターも、隊長も、私たちを応援するように静かに見守っていた。フェンリルだとわかってからの一連の騒ぎで、何やら険しいやりとりもあったけれど、こうして私はハクという名前を付け、正式に“従魔登録”を済ませることができた。


 ハクは私の足元にぴたりと寄り添い、小さく尻尾を振る。

――もう大丈夫だよ、とでも言うように。


 私もその頭をそっと撫でながら、心の中で強く誓う。

(ハク、私があなたを守る。あなたも一緒に生きていこうね)


誰にも聞こえない二人だけの対話が、静かに始まった瞬間だった。


 ギルドの登録手数料について尋ねると、ギルドマスターは大きな腕を組んだまま笑みを浮かべて、「大丈夫だ、魔石を持ってるんだってな。換金してからでいいぞ」と言ってくれた。思わぬ好意に心が温まる。


「ありがとうございます……」


ペコリと頭を下げる私を、隊長が横目で見ながら「ほら、さっさと行くぞ」と促す。するとマスターも「終わったら戻って来いよ。まだ身分証の発行処理も残ってるからな」と声をかけてくれた。私は「はい、わかりました」と背筋を伸ばし、足早にギルドを後にする。


外は相変わらず、街の喧噪で活気にあふれていた。大通りのあちこちから「いらっしゃい!」「新鮮だよ!」という呼び込みの声が聞こえる。旅人や商人、冒険者たちが入り乱れ、貨物や荷馬車の音が絶えない。そんな中、隊長は慣れた様子で通りを抜けていく。


「こっちだ。魔石専門の商人が集まる通りがある。俺たち警備隊の買取先としても付き合いの深い店があるから、そこに行くぞ」


隊長はそう言って、賑わいから少し外れた横道へ私を導いた。通りの中央ではなく脇道を少し入った先。そこは人通りこそ多くないものの、看板には小さく「魔石工房」や「魔道具修理」という文字がちらほら。明らかに魔石関連の職人や商人が点在する区域らしい。石畳がやや古びてはいるが、職人街特有の落ち着いた雰囲気がある。


「この辺りだ。ほら、あそこに“リリス貿易”っていう看板があるだろう? そこの店主は長年、正規ルートで魔石を扱ってる。ぼったくりもしないでちゃんと査定してくれるはずだ」


隊長に促され、店先へ近づく。看板は多少色あせてはいるが、文字はしっかり読める。扉を開くと、中からカランカランと小さな鈴の音が響いた。入口周辺には様々な魔道具の部品や、動力部に小さい魔石が組み込まれた器具が並んでいる。古めかしい木のカウンターの奥にいるのは、少し年配の女性。彼女は丸メガネの奥で目を細め、私たちを迎えた。


「いらっしゃい。あら、隊長さん、今日は何のご用かしら?」


「おう、リリス。こいつが魔石を売りたいらしいんだ。信用できる店を紹介しろってギルドの方で話になってな。頼めるか?」


隊長が私の肩を軽く叩きながら説明すると、リリスと呼ばれた女性は私へ穏やかな微笑みを向け、テーブルの上を片付け始めた。


「もちろん大丈夫よ。じゃあ、品物を見せてもらえる?」


「はい……これなんですが……」


私はリュックから取り出した小袋を差し出す。中には旅の途中で拾い集めた小粒の魔石がいくつも入っている。女性の指先が慎重に小袋を受け取り、一つ一つを小皿に出して光に照らす。ときどきレンズのような道具を使って、魔石の色や輝き、欠け具合を確認しているようだ。真剣な顔付きで、うん、うんと首をかしげながら見極める姿は、まさに職人そのもの。


「ふむ……大小入り混じっているわね。大粒はないけれど、天然の発生石のなかでも、そこそこ良質な部類じゃないかしら。魔力反応が安定しているわ。使い勝手がいいと思う」


リリスはすっと顔を上げ、私と目を合わせる。


「これだけあるなら、そこそこの値がつくわよ。隊長の紹介だし、相場ギリギリだけど……このくらいどう?」


そう言って示された金額は、思っていたよりも悪くなかった。むしろ、以前まで自力で売りに出していた時よりも、ずいぶんといい値段を提示してもらっている。思わず私は息を呑む。


「こんなに……いいんですか?」


リリスは再び優しげな笑顔を浮かべ、「隊長の顔も立てたいしね。うちも良質な魔石を仕入れて、評判が上がるなら嬉しいことよ」とウインクしてみせる。おかげで心配していたような“足元を見られる”ことはないようで、本当に助かった。


「ありがとうございます。じゃあ……売ります!」


私がきっぱり答えると、リリスは手際よく小袋に再び魔石を戻し、別の計量台にまとめて慎重に重さを測り、最終的な価格を決定する。棚から取り出した革袋に、銀貨や銅貨を混じえた形で支払いをしてくれた。数えてみると、私がこれまで手にしたことのない程度のまとまった金額となる。登録手数料どころか、今後の旅の資金にもなるだろう。


「はい、これで全額。あと、まとめて売ってくれた礼に、ちょっとしたおまけだけど――」


そう言ってリリスが私の手に握らせてくれたのは、小さな魔道具の部品。照明用の魔石片が埋め込まれていて、夜道を歩く時、弱い光を放つらしい。私が目を丸くすると、リリスは「子どもの一人旅じゃ危ないからね、せめてものお守りよ」と微笑む。私はありがたさと感動で胸がいっぱいになり、何度もお礼を言った。


「いやぁ、よかったな。これでギルドの登録料も払えるし、しばらく食いつなげるだろう」


隊長が後ろで腕を組みながら満足げに頷く。私もホッと胸を撫で下ろした。これで当面は、ハクの治療費や自分の食事、宿代もなんとかなるかもしれない。


「ありがとうございました、本当に……!」


深く頭を下げる私に、リリスは「またいい石が手に入ったら持っておいで」と笑顔で答える。そして店を出る間際、隊長が「あ、俺もお礼言っとくわ」と小声で礼を述べて、私たちは工房の外へ足を運んだ。ややくたびれた木のドアが音を立てて閉まると、先ほどまでの匂いがふっと遠ざかる。


「さ、ギルドに戻るぞ。手数料払って身分証を受け取ったら、ようやく冒険者として正式デビューだ。おまえの狼……いや、ハクもな」


 柔らかい日差しの下、隊長の言葉に思わず顔を綻ばせる。ハク――背負いリュックの中にちょこんと潜んでいる子狼の姿を思い浮かべながら、私は握りしめた革袋の重みを感じる。これは私が生き延びるための大切な資金であり、ハクとの旅を支える鍵になるだろう。


(よし、これで何とかスタートできる……!)


 ふと心の中でつぶやくと、「ありがとう、ルナ。いい買い物ができてよかったね」というハクの念話が頭に響いてきた。私は小さく苦笑しながら、「そうだね。これからがんばらないとね」と答え、また一歩を踏み出す。足元はほんの少しだけ軽やかだ。隊長の背中を追うように、私はギルドへの帰路を急いだ。


 ギルドに戻り、まずは登録手数料を支払うことになった。隊長が傍らから「硬貨の価値は分かるか?」と尋ねる。私は思わず首をかしげてしまう。


「ええと……銅貨しか知らなくて……」


「ふむ。銅貨、銀貨、金貨、白銀貨、白金貨と種類があって、それぞれが十倍ずつの価値を持つ。つまり銅貨十枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚。金貨十枚で白銀貨一枚、そして白銀貨が十枚で白金貨一枚、という具合だ」


「なるほど……」


 私は手の中の硬貨の重みを確かめながら、頭の中で何とか変換してみる。

(銅貨が「100円」だとしたら、銀貨は「1000円」、金貨は「1万円」みたいなイメージ……)


 魔石をまとめて売ったことで得たお金は、金貨や銀貨が複数枚。改めて数えてみると――金貨が七枚、銀貨が八枚、銅貨が三枚。合計するとかなりの金額になりそうだ。私はあまりの大金に思わず声を上ずらせる。


「す、すごい……! こんなにたくさん……」


 金貨など一生見ることもないと思っていたのに、今や手のひらの上にいくつも乗っている。手続きに必要な登録手数料を銀貨一枚分ほど支払っても、まだ大金が残る計算だ。途方もない安堵感と同時に、どう扱えばいいか分からない不安がこみ上げてくる。


「わわわわ、どうしよう……こんなに持っているの、なんだか怖い……」


 私がまごまごと腰に付けた小さな巾着袋を開き、硬貨を見つめていると、隊長が苦笑いして肩を叩いた。


「落ち着け、ぼうず。そんな大金をいつも持ち歩いていたら狙われかねない。ギルドで預かってもらうこともできるぞ。どこのギルドに行っても下ろせる仕組みになってる」


「えっ、預けられるんですか? でも、どうやって……」


 私はその仕組みが想像できずに首を傾げる。すると、ギルドマスターが横合いから割って入った。


「冒険者登録証には魔導による“秘密”が付与されているんだ。要するに、登録証があれば世界中のどこのギルドでも本人確認ができる。その上で貯金のような形で金銭を預け、必要なときに各地のギルドで引き出せるシステムなんだよ」


「そ、そんなことまで……すごい!」


 正直、こんな大金を持ち歩くのはあまりにも心許ない。今までも盗賊に狙われたり、下手をすれば奴隷商に売り飛ばされる危険だってあったのだ。今後も安全とは限らない。だったら預けたほうが安心できそうだと、私はすぐに納得した。


「預ける場合は、幾らか保管手数料を取られるが、命と財産を天秤にかけりゃ安いもんだろう。むろん、手数料を惜しむなら自分で持ってても構わないが、オススメはしないぜ」


 ギルドマスターがそう言って、書類を広げながら私に向けてペンを差し出す。


「とりあえず登録手数料を差し引いたぶんの金額、どうするか決めな。全部預けてもいいし、少しだけ手元に残してもいい。宿代とか食事代も必要だろうしな」


「そう……ですね」


 私は自分の手元の金貨や銀貨をざっと見直す。まずはこの先の宿代や食料、ハクの必要な薬などを考えて、一定の額は手元に残しておきたい。それでも、あまりにも多額すぎる金貨はどう扱っても不安だ。結局、私は金貨六枚を預け、残り一枚の金貨と数枚の銀貨・銅貨を手元に残すことにした。もし何かの買い物をするときは、銀貨と銅貨で十分だし、金貨一枚あれば何か大きな出費があっても対処できるはず。


「よし、じゃあ大まかに勘定して……ほい、ギルドの貯蓄口座に入れておくぞ。先ほど発行した冒険者登録証に、ちゃんと残高が連動するようにしてある。残高や手続きの詳細はいつでもギルドで確認できるからな」


 ギルドマスターの手が軽やかに動いて書類に記入し、仕上げに刻印された印章が押し込まれる。すると、それに呼応するかのように、私の冒険者登録証――薄い金属製のプレートのようなもの――が僅かに輝いたように見えた。魔力の反応か何かなのだろうか。


「はい、これで手続き完了だ」


 書類と登録証を受け取り、私は思わず深い安堵の息をつく。貧しさだけでなく常に飢餓感と不安に苛まれてきたこれまでを振り返ると、こんなにも“安心”を得られる瞬間があるなんて夢のようだ。


「ありがとうございます。本当に色々と……」


 ぺこりと頭を下げる私の横で、ハク(リュックの中にこっそり入っている)が「よかったね、ルナ」と念話を飛ばしてくる。私はハクに向けて微笑みかけ、「うん、これで安心して宿に泊まれるよ」とこっそり心で返事をする。そんなやり取りを見えないところでしているとは知らず、隊長は「よし、これで一段落だな」と大きく頷いた。


「これからどうする? 冒険者の依頼を少し見ていくか? それとも宿探しか?」


「少しだけ依頼を見て、今日は宿を取ろうと思います。ハクのためにも無理はしたくなくて……」


「おう、そうしろ。大金持ちになったからって気を緩めるなよ」


「はいっ」


 こうして私は、ようやく正式な冒険者としてスタートを切るに至った。身分証を手にした安心感と、預けたお金があるという心強さ。何より、ハクと私がこれからも一緒に旅を続けられることに、胸が躍るような期待が湧き上がってくる。


(さて、まずは宿探しと、採集依頼のチェック……。これからが本番なんだよね)


 私は少しだけ身の回りを整え、隊長と一緒にギルドの依頼掲示板へ足を向けた。まだ心臓はどきどきしているけれど、それはきっと、不安よりも未来への希望によるものだろう。ハクもまるでそれを感じ取っているかのように、リュックの中で小さく鼻を鳴らしていた。

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