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【石拾いの少女】
【石拾いの少女】
MKT
異世界ファンタジー冒険・バトル
2025年04月22日
公開日
9.1万字
連載中
貧しき家に生まれたルナ。 7歳になる頃口減しの為両親に奴隷商に売られることを知る。 着の身着のまま家を飛び出し、当てのない旅に出る。 人に怯え、魔物に怯え、食べる物もままならないまま森を彷徨う。 そんな年端も行かない少女ルナを助ける者。 こんな子供でさえも騙そうとする大人。 そんな旅の中、一つの石と出会う。 魔石だ。 この世界には魔法は存在しないが、魔道具が発達している。 魔石は生活必需品。 これを集めればなんとかなるかも。 石拾いの少女ルナの旅が始まる。

第一章「転生と貧しき家」

 目を開けると、そこは薄暗い部屋だった。かつての記憶――自分がどこでどんな生活を送っていたのか、曖昧で霞んでいる。はっきりと「死」という出来事を経たという感覚だけが、胸の奥底に残る。だが、ここはどうやら違う世界らしいと、ぼんやりと気づいた。


 生まれたばかりの赤子の身体で、肌寒い空気を感じる。それでも泣く元気はあり、産声を上げると、母親だろう女性が慣れない手つきで抱き上げてくれた。貧相な粗布の服、がさがさした髪、頬はこけている。何より、部屋の惨状が目に入る。壁はひび割れ、薄汚れた藁が敷かれただけの床。食器らしきものは素焼きの壺がひとつあるだけ。それはまるで、ここが底辺の暮らしであると物語っていた。


 両親はどちらも疲れ果てた顔をしている。生まれたばかりの私に、やっとの思いで笑みを向けるが、その頬は痛ましいほどこけていた。ほかに兄弟が三人いるらしく、上の子たちは幼いなりに何か仕事をしているのだろう。母がこぼす言葉を聞いていると「今日のパンが買えない」「魔石も買えないのに魔道具なんか要らない」など、生活にすら事欠く様子がうかがえた。


 こうして私は、極貧の家に転生してしまった。かつての世界とは比べ物にならないほどの厳しい暮らしだろう。だがまだ赤子の身でできることは何もない。ただ必死に生きる。与えられるだけのミルクに感謝して、しがみついて――それが今の私にできる唯一の行為だった。


 ◆◆◆


 歳月が過ぎ、気づけば私は七歳になっていた。両親と三人の兄姉は、私を邪魔者扱いするようになっていた。というのも、食べるだけの口が一人分増えている状況で、家にはそれを満たす余裕がない。物心ついたころから、両親の冷たい視線を感じながら過ごしてきた。


 この世界には魔法はない。しかし、魔石と呼ばれる不思議な石が存在し、それを組み込んだ道具――魔道具が広く使われている。灯りをともすもの、飲み水を浄化するもの、ある程度の暖をとるものなど、さまざまな用途に応じて魔石が加工され、暮らしに役立てられているという。とはいえ、どれもそれなりの価格がつくため、私の家のような貧乏人には縁遠い代物だった。


 そんなある日、母がひどく沈んだ声で父にこう言った。


「もうこれ以上は……。食べさせられないなら、奴隷商に売るしかないんじゃないかねえ」


 その言葉を、小さな家の隅に蹲る私の耳が捉えた。奴隷……。私は過去の記憶が断片的にあるだけとはいえ、奴隷の意味を理解していた。それは絶対に嫌だ。仮に奴隷に売られれば、一生悲惨な扱いを受けるかもしれないし、戦場に送られることもあるかもしれない。どんな目に遭うか分からないが、とにかく良い未来が訪れるとは思えなかった。


 私はその夜、ほとんど荷物も持たずに家を出ることを決意した。暖かい布切れと、わずかな乾いたパンを小袋に詰め、夜陰に紛れて家を出る。裏口の扉に軋む音が響いたが、家族は動かなかった。あるいは、聞こえていても気に留めていないのかもしれない。


 こうして、七歳の少女の逃亡生活が始まった。 


 ◆◆◆


 当てもなく歩き続け、腹が減ったら野草を口にし、川の水で喉を潤す。家の貧しさに慣れていたとはいえ、一人で生き抜くには厳しい環境だ。夜は適当な藪の中で身体を丸めて眠る。寒ければ持ち出した布を身体に巻きつけるが、それだけでは十分な暖は取れない。


 数日を過ごして、すぐに限界が来た。もはや足取りは重く、ひとたび倒れたら立ち上がることは難しそうだった。それでも必死に進んだのは、本能的にここで止まれば確実に死が訪れると感じたからだ。


 そんな折、山間の小道脇で奇妙な石を見つけた。光沢のある黒い石で、まじまじと見つめると、うっすら虹色のきらめきが走る。これは……もしかして、魔石? 本で読んだわずかな知識によると、魔物から採取するか、稀に自然界の特定の場所で生成されるらしい。この石の価値は高い。いや、小さな欠片でも換金できると書かれていた。


 私は落ちていた石を手にとって目を凝らした。大きさは小指の先ほどだったが、確かに不思議な力がこもっているように感じる。もしこれを店に持っていけば、少しのお金になるのでは? 期待が胸に膨らむと同時に、まだ自分が子どもであることを思い出す。このまま直接街に持ち込んで売りさばけるのだろうか? いや、そもそもどうやって街の人に信用してもらうのか。


 それでも生き残るためには、お金が必要だ。私は周囲をよく見渡し、似たような石が他に落ちていないかを探した。すると、やはり小さい欠片がいくつか散らばっている。どうやら魔石が自然発生している場所に出くわしたらしい。


「これは……助かった……」


 浮かれそうになる気持ちを抑えつつ、小さな布袋に魔石を全部入れて抱え込む。そして、恐る恐る歩みを進めた。魔物が出るような奥地には深入りしない。あくまで小道の脇だけを探りながら、貴重な石を手にしては自分の身に抱きしめる。こうして少しずつ「拾い集める」ことを始めたのだ。


 山道を抜け、森へと入る。どこへ向かっているのか自分でも分からない。ただ少しでも人里に近づき、魔石を売って糧を得たいという切実な思いだけがある。


 夜の森は恐ろしい。月の光も木々の密集で遮られ、目を凝らしても足元すらよく見えない。しかし動かねば生きていけない。枝をかき分け、倒木を乗り越え、ときには小川に足を滑らせながら、少しでも暖かい場所を探す。だが、森の奥に進めば進むほど、辺りから妙な気配を感じるようになった。


 ガサガサ……草を踏み分ける音が聞こえる。小動物かもしれないが、この世界には牙をむく魔物が出現することもあると聞く。魔石を拾い歩くなど無謀なのだろうか。しかし、もはや後戻りはできない。じりじりと後ずさりしながら、あたりを慎重に見回す。 


「……!? あ……」


 そっと顔を上げた先、黒い影のような動物――いや、獣のようなものが私をじっと見ている。森の冷気と相まって背筋が凍りつく。息をのんだ瞬間、相手は「カサッ」と草を踏んで後退した。まるで私を警戒するように。こっちも襲われるのではと身構えたが、その影は戦意を持っていないらしく、静かに森の闇へ消えていった。


 私はその場にへたり込む。胸がどくどくと波打って苦しい。戦う力などない私は、もし襲われたらそれで終わりだ。運が良かったのだろう。震える膝を支えながら、この夜のうちに森を抜けようと必死に歩く。


 やがて森のはずれに着き、開けた場所を見つけた。そこには、大きな木の根元に人が寝泊まりした跡らしきものがある。囲いのように石が並べられ、かつては焚き火をした形跡があった。幸運だ。ここなら燃え残りを集めて火を起こせるかもしれない。


 私は小枝を集め、乾いた葉を集め、なんとか火を起こそうと試みる。だが、大人でもないし道具もない。昔、本で読んだ記憶を頼りに木の枝をこすり合わせても、思うように火はついてくれない。長時間の奮闘の末、失敗を認めて疲れ果てるしかなかった。


 仕方なく持参の布を身体に巻いて横になる。夜風が冷たい。目を閉じてもなかなか眠れなかったが、空腹と疲労が限界を越え、いつの間にか私は深い眠りに落ちていた。


 目が覚めたのは人の声だった。うとうとしていると、「こんなところに子どもがいるぞ」という男の声が聞こえる。びくりと身を起こすと、二人組の男が私を覗き込んでいた。


「おい、大丈夫か? こんな森の外れで何してるんだ?」

「家出か? まさか迷子じゃないだろうな」


 彼らは旅人なのか、背中に大きな荷物を背負い、腰にナイフや小さな剣を携えていた。警戒心が走る。もし奴隷商へ売り飛ばそうと考えているなら、私はどうやって逃げればいいのだろう。しかし、彼らはそんな素振りを見せない。それどころか、水筒から水を分けてくれたり、小さな干し肉を差し出してくれたりした。


 喉が渇き、腹が減っていた私は、つい手を伸ばし、受け取ってしまう。するとほんの少し顔がほころんで、「ようやく人心地がついたな」と安心したような口調で言ってくれた。


 彼らは傭兵崩れのようだった。旅をしながら小さな護衛依頼を受け、少しずつお金を稼いでいるらしい。「傭兵」という肩書きに少し怯えはしたが、話してみるととても気のいい人たちだ。 


 夕方になると、彼らは私が昨夜眠った場所で野営をはじめた。まるで手慣れた様子で手早く薪を集め、火を起こす。彼らが焼いている干し肉の香りが鼻をくすぐり、私はつい唾を飲み込む。


 その様子を見た片方の男が、火で炙った干し肉をちぎりながら私に言った。


「腹、減ってるだろ? よければ食べな」


 私は無言で頷き、差し出された干し肉を受け取る。口に含むと噛めば噛むほど味が出てきて、美味しさに涙が出そうになる。するともう一人の男は、


「何かお礼はできるか? と訊くのも野暮だけどな。悪いが、俺たちも食べ物のやりくりには困ってる。何か、俺たちのためにできることがあれば助かるんだが……。火の番とか、洗い物とか、そういう簡単なことでいい」


 そう言われて私は少し戸惑った。体力はないが、せめてできることをしなければただの居候になってしまう。すると、私の心に一つのアイデアが浮かぶ。かつて母がつくっていた貧乏料理――それでもたまに美味しいと感じていたものがあった。私にもそれぐらいなら作れるかもしれない。


「……あの……少しの材料があれば、料理、作ります。上手じゃないかも、しれないけど……」


 すると男たちは目を見合わせて笑った。


「おお、料理をしてくれるなら大助かりだ! 今あるのは干し肉と硬いパンぐらいだけど、できるか?」


「はい、がんばります」


 こうして私は、旅人たちへのお礼として簡単なスープを作ることになった。少しの水、干し肉の出汁、森で拾った野草を入れて煮込む。母が家で作っていた食事は貧弱だったが、その中で覚えた工夫もあった。野草は苦味を取るため湯通しして、細かく刻んで入れる。ちょうど良い塩気は旅人が携帯していた塩と干し肉の旨味でなんとか足りる。


「うん、悪くない。むしろ旨い方だ!」


 二人の旅人は満足げにスープを啜った。その表情に、私も胸が温かくなる。誰かの役に立つことがこんなに嬉しいとは知らなかった。


 彼らの旅路はここで終わりではなく、翌朝には町へ向けて再び出発すると言う。私はどうしようかと迷った。どこかの町で魔石を売りたいという思いはあるが、彼らに付いていくのは危険かもしれない。けれど、一人で森を抜けるよりははるかに安全だろう。


 結果、私は思い切って彼らと共に行くことを願い出た。恐る恐る申し出ると、意外にもあっさりと受け入れてくれる。


「もちろん構わないさ。子ども一人増えたところで、守り切れないほどじゃないしな。それに料理してくれるなら助かるよ。あんた、魔法も使えなさそうだし――この世界に魔法はないが、何か不思議な力を隠してるって風でもなさそうだしな。逃げ足ぐらいしかないなら、か弱いだろう」


「で、でも、もし魔物が出たら……」


「そこは俺たちに任せろ。一応、こう見えても多少の腕はあるんだ」


 こうして私は思わぬ形で、旅人たちと一緒に旅をすることになった。


 ◆◆◆


 森を出ると、そこから半日ほど歩いたところに、小さな街があった。石造りの壁に囲まれ、門番がいるほどの作りだが、大都市というほどではない。門の前には行商人や旅人が列を作っている。


 私たちが門をくぐると、そこにはいくつかの店が並び、行き交う人々の活気が見られた。家の周りでは決して感じられなかった賑わいに、胸が高鳴る。しかし、同時に不安もある。自分のような小さな子どもが、こんな街でうまく立ち回れるのだろうか?


 旅人のうちの一人が、私の耳元で囁いた。


「魔石が欲しい連中は多い。この辺りには小さな商人もいるし、換金してくれる店もあるだろう。だが、子どもだからと足元を見られたり、変な人間に騙されたりしないようにな」


「……はい」


 私は素直に頷いた。ポケットの中には、小さな魔石がいくつか。きちんと値段で買い取ってくれる人を探すには、まず情報を集めたい。旅人たちは用事を済ませたらすぐに別の街へ向かうとのことだった。あまり長居はしないらしい。


「じゃあな。生きろよ、ちび」


「料理、ありがとうな」


 最後に彼らから固いパンと少しの水を分けてもらい、私は門前で別れを告げた。ほんの短い間だったが、初めて出会った優しい人たちだった。もし何かの縁があれば、またどこかで会うこともあるだろう。


 そうして私は街の中を一人で歩きはじめる。どこか買取をしてくれる店はないだろうか、魔石を扱う商人はどこにいるのだろう。人通りの多い通りを行き来しながら、様子をうかがう。だが、貧相な服装をしている上に幼い私を、誰も気にかけてはくれない。逆に目が合うと嫌悪や警戒を滲ませてくる人も少なくなかった。


 しばらく路地裏を歩いた先、古びた看板に「魔石買取」と書かれた店を見つけた。外見は小汚く、扉はギシギシ音を立てそうだ。私は勇気を出して扉を開けると、中から酒臭い男が顔を出した。


「なんだ、ガキか」


 じろりと睨むような視線。私は萎縮しながらも、小さな袋から魔石を取り出して見せる。


「こ、これ……売りたい、んです」


 男は半信半疑といった様子で魔石を手にとり、ルーペのような道具で覗き込む。すると、「ふん……」と息をついて、カウンターにパンと同じぐらいの硬貨を何枚か並べた。


「このぐらいが精一杯だ。大したサイズじゃないしな」


 合計で銀貨一枚分ほどの価値はあるだろうか。正直、思ったよりもずっと安い。それでも私にはありがたい金額だった。私は交換を承諾し、お金を受け取って店を出た。


 これで食べ物を買える。少しなら宿に泊まれるかもしれない。でも、すぐに尽きてしまう額だ。次の魔石を拾うまで生き延びるには、何をどうすればいい? 結局、私は町外れの安宿を探した。だが、ボロ布をまとった子どもを泊めてくれる宿など滅多にない。数軒断られ、仕方なく町の壁際にある空き地にボロテントを置かせてもらい、身を潜めることにした。


 この世界には乞食や浮浪者も多いが、盗賊に襲われることもしばしばある。夜は常に緊張感を抱えつつ、私は町外れで細々と暮らすことを決めた。


 町外れとはいえ、壁の内側に位置する一角には簡易的なテントや小屋が並んでいる。そこに集まっているのは、私のように貧困にあえぐ人々だった。中には闇市のような場所で盗品をさばいて暮らす者もいるらしく、油断ならない雰囲気が漂っている。


 そんな中で私は、一番端の空きスペースに自前のボロテントを張った。とはいえ、実際はその場に捨てられていた獣の毛皮やシートの切れ端を組み合わせ、強引に屋根代わりにしているだけ。雨風をしのげるかも怪しいが、夜露に濡れずに済むだけでもありがたい。


 朝になるとテントから出て、市場の裏通りを覗き込み、売れそうなものや安い食材を探す。もともと家が貧乏だったせいか、私自身が食べるための最低限のやりくりには慣れている。しかし、もっとお金が必要だ。そこで思いつくのが「魔石拾い」だが、この近辺ではもう自然に落ちている魔石などそう簡単には見つからない。魔物を狩れるわけでもないから、山や森の奥には行きづらい。


 仕方なく私は、町外れを出て近くの川原や小さな崖下など、自然が残る場所を転々と探し歩くようになった。運が良ければ、ごく小さな魔石の欠片を拾えることもある。それをせっせと買取業者に持ち込み、わずかなお金に換えてもらう。あるいは、市場近くで野菜の端切れをもらい受け、自分用に調理する。そんな日々を繰り返した。


 町の人々は基本的に自分たちの生活で精一杯だ。私のような年端もいかない子どもに構ってくれる人は少ない。それでも時々、気のいいおばさんが「これ、余り物だけど食べときな」と硬くなったパンの切れ端をくれたりすることがあった。そんな人に出会うと、私はお礼に何か料理を作って振る舞おうと考えるのだが、いつも材料が足りない。謝りながらも、もらう一方になってしまう。


 ある晩、倉庫街の近くで魔石の欠片を運良く見つけた私は、小さな歓喜に胸をふくらませてテントへ戻った。ところが、帰り道に三人組の男に囲まれてしまう。彼らは酔っ払っているのか、目の焦点が定まらないままニヤニヤと私を見下ろした。


「おい、こんなガキが夜にうろついていいのか? 金でも持ってるんじゃないのか?」

「売られた奴隷なら戻ってもらった方がいいかもな」


 私は恐怖で身体が震え、何も言えない。荷袋には、換金前の魔石の欠片がある。もし見つかったら奪われるだけでなく、奴隷商に売り飛ばされる可能性だってある。


 男の一人が手を伸ばして私の腕を掴もうとした。その瞬間――


「そこまでだ」


 低い声がして、どこからか棒のようなものが男の腕を叩く。痛みに男が叫び、私の腕から離れた。見ると、木製の杖を持った初老の男が立っている。


「こいつに手を出すんじゃない。そういう真似をするなら警備兵に通報するぞ」


 三人組は面倒だという顔をして、嫌な舌打ちを残しながら去っていった。私は危うく身体を奪われるところだった。助けてくれた男に頭を下げようとすると、相手は「大丈夫か?」と声をかける。私は一言、「ありがとうございます……」と呟くのが精一杯だった。


 その男は通り名をロウといい、最近この辺りに移り住んできたとか。詳しい素性は語らないが、私のような貧しい子どもを放っておけなかったらしい。彼は行商人とも知り合いがあるようで、私の魔石を少しでも高く買い取ってくれる店を知っていると言ってくれる。なんと優しい人だろう。この世界にも、まだこうした人の温かみがあるのかと思うと、涙がこぼれそうになる。


「ただし、あんまり深くは関わらん。私も自分のことで手一杯だからな。最初の一回、紹介してやるだけだ。あとは自分で頑張りな」


 そう言われても、私にとっては十分だ。そうしてロウの紹介で、少しだけ良心的な買取店を知ることができ、魔石の換金もいくらかスムーズになった。こうして私は、細々とではあるが、ボロテント暮らしを維持できるようになっていく。


 ◆◆◆


 ある朝、私は町を出て再び野外で魔石を探すことにした。ロウの紹介してくれた買取店といっても、こちらが持ち込む魔石が小さな欠片ばかりでは大した金額にはならない。少し遠出をしてでも、自然が豊富な場所での拾い集めを狙いたかったのだ。


 目的地は、街から半日の距離にある丘陵地帯。その端には小さな洞穴が点在しており、昔から魔物が棲むと噂されている場所だ。もちろん魔物が出たら私にはどうしようもない。だから危ない場所には近寄らず、あくまで外れに落ちていないか探すだけだ。


 昼を過ぎても成果はほとんどなかった。わずかに拾えた石は怪しい欠片が一つあるだけ。今日の収穫はこれで諦めるしかないのかと、意気消沈しながら帰路をたどっていると――。


 くーん……。


 小さな鳴き声が聞こえた。耳を澄ませば、動物の弱々しい唸り声に近い。何かが苦しんでいるのだろうか。茂みをかき分け、そちらへ足を向けてみると、そこには白い毛並みの小さな狼がうずくまっていた。


 大きさは子犬ほど。前脚を傷めているのか、皮膚にかすり傷があって血が滲んでいる。立ち上がろうとしてもうまくいかず、痛々しい声を上げるばかりだ。その姿は、放っておけば死を待つしかない状態にも見える。


(私に何ができるんだろう……)


 正直、放っておくのが安全だ。狼は危険な動物だし、魔物に近い存在だという話もある。下手に近づいて噛まれでもしたら、私の方が危なくなるかもしれない。でも、その弱々しい目が私を見つめてくると、見捨てられなくなってしまう。私自身、捨てられそうだった過去があるから、余計に放っておけない気持ちになるのだ。


「……大丈夫、怖くないよ」


 そう呟いて近づくと、白い狼の子は驚いたように身を引こうとしたが、痛みのせいで逃げられず、その場にうずくまったままだ。私は自分が持っていた水筒と布を取り出して、傷口を簡単に洗い流す。すると、再び弱い声で「くーん」と鳴いて私の手元を見上げてきた。


 応急処置しかできないが、とにかく傷口を覆い、少しでも出血を抑えてあげる。そして私の少ない食料の中から、パンの欠片をちぎって口元に近づけると、その子はゆっくり匂いを嗅いで、ぱくりとかじった。食べ物への執着はあるようだ。まだ生きようとしている証拠に見え、私は少し安心する。


 このまま見殺しにするのは気が引けた。危険を承知で、私は白い狼の子を抱きかかえ、テントに連れて帰ることにした。荒野で夜を越せば、傷が悪化して死んでしまうかもしれない。それぐらいなら、せめて自分のテントで保護してやろうと思ったのだ。


 思いのほか重たい身体を抱えて、どうにか町の外れまで戻ってきた。人目を避けるように、そっとボロテントに入る。狼を連れているところを誰かに見られたら、殺されてしまうかもしれないし、こちらが追放される可能性もある。町では野生の狼は危険な存在と見なされているからだ。


 テントの中で、私は白狼の子に水と食料を分け与え、傷口に再度布を巻いてあげる。何か薬草でもあればいいのだが、残念ながらそんな高価なものを買う余裕はない。せめて傷が化膿しないように、お湯で清潔に拭いてやるぐらいだ。


 数日をかけて手厚く――とは言えないまでも精一杯に看病していると、徐々に狼の子は動けるようになってきた。最初は痛みに耐えかねて唸っていたが、今は安堵のようにすーすー眠っている。最初こそ私を警戒していたが、いつの間にか膝に頭を乗せてうとうとしてくれるようになった。


 私はその小さな温かさに心を癒される。孤独を感じていた旅暮らしの中で、この狼の子は少しずつ家族のような存在になりはじめていた。


 とはいえ、このままずっと町に置いておくのは難しい。傷が癒えて動き回るようになれば、周囲に見つかって殺されるかもしれない。それに、ここでずっと過ごしている私自身の暮らしも安定していない。魔石を拾いに旅を続けないと、いつか行き詰まるに決まっている。狼の子を連れての旅は危険かもしれないが、ここで捨てていく選択は私にはできそうもなかった。


 そのころ、町では奇妙な噂が立ち始めていた。北側の丘陵地帯で魔物の群れが活発化しているらしい。大人の傭兵たちが討伐に向かったものの、手痛い被害を受けたとか。それを聞いた私は身震いがした。あのあたりに近寄らなくて本当に良かった。もし私がうかつに魔石を拾いに行っていたら、一瞬でやられていただろう。


 しかし、魔物騒ぎが起きれば起きるほど、自然発生の魔石も増える可能性がある。危険地帯に行ける人は、その分稼ぎが大きくなる。もっとも、私にはそれを活かす術がない。戦う力がなければ、なにもできやしない。


 狼の子は日に日に元気になっていくが、まだ外を連れ歩くわけにもいかない。テントに潜ませている間、私は食料を確保するため、小さな魔石探しと簡単な手伝い仕事をこなしながら日銭を稼ぐ。そうしてどうにかこうにかやりくりを続けていた。


 そんなある日の夕暮れ、いつも通りテントに戻ると、白狼の子が待ちきれないように入口へ出迎えに来ていた。わずかに尻尾を振っているのを見て、私は自然と笑みがこぼれる。近づいて撫でてやると、くーんと甘えた声を上げた。


「……大丈夫だよ。明日も食べ物を何とかしてくるからね」


 私はそっと呟く。もはやこの子に名前をつけようかと思うほどの愛着を感じていた。生きる希望を失いかけた私を支えてくれる、小さな存在。その夜はいつになく穏やかな気持ちで眠りについた。


 狼の子はすっかり私に懐き、時にはテントの外で小さく鳴いてはじゃれるようになった。周囲に見られないように気をつけながら、できるだけテントの裏側で遊ばせる。少しずつ脚力も戻り、傷はかなり癒えているようだ。もう少ししたら野生に返すべきなのか、それとも一緒に旅を続けるべきなのか、私は悩んでいた。


 そんなある日、町の外れにある野菜畑の一角で、私は小さな仕事を見つけた。畑の持ち主が腰を痛めてしまい、収穫の手伝いをしてくれる人を探していたのだ。報酬は安いが、収穫した一部の野菜を分けてもらえるというので、私は喜んで引き受けた。


 畑仕事は思ったよりも大変だった。子どもの私には野菜の入ったカゴを運ぶだけでも重労働で、すぐに息が上がってしまう。けれど、これをやり遂げれば、自分の食料だけでなく、狼の子にも少しずつ与えられる。干し肉ばかりでは栄養が偏ってしまうだろう。とにかく必死だった。


 夕方、作業が終わって畑の主が差し出してくれたのは、葉付きの人参や小さなジャガイモ。私はそれを袋に詰め込み、何度もお礼を言って受け取った。そして町外れに戻る途中、ふと良い香りが鼻をくすぐる。そこは仮設の屋台のような場所で、行商人が焼き菓子を売っていた。丸い薄焼きの生地に甘い蜜を塗った素朴なお菓子。私のような貧乏人には滅多に口にできないが、たまには贅沢がしたくなる。


 でも、お金は大事だ。食材だって一瞬でなくなる。魔石を売った金も底をついてきた。ここで甘い菓子を買うわけにはいかない……そう思っていたが、そのとき鼻先まで甘い香りを運んできた風が、私の心を揺さぶった。ついに意を決して、屋台のおじさんに声をかける。


「あの……これ、いくらですか?」


「一枚、銅貨一枚だよ。買うかい?」


 私は小さく頷いた。久しぶりの甘いもの。半分は狼の子に分けてあげようかな、などと考えつつ、銅貨を取り出して焼き菓子を受け取る。ふわりとした甘みが手のひらに伝わってきて、なんだか心がほぐれるようだった。


 こうして少しだけ贅沢をしながらテントに戻る道すがら、思わぬところで知り合いと遭遇した。かつて森で出会った旅人たち――ではなかったが、似たような傭兵風の格好をした数人の男たちだ。彼らは町外れの治安を見回る依頼を受けているらしい。


「子どもがこんなとこで何してんだ? 怪しいモンでも飼ってないだろうな」


 疑いの眼差しを向けられ、私は慌ててかぶりを振った。もちろん白狼の子のことがバレたら大変だ。どうにかごまかし、その場を離れる。テントに戻ったときには、胸の鼓動がまだ収まらなかった。


 テントの裏で小さく丸くなっていた白狼の子は、私の顔を見るなり駆け寄ってくる。傷はほとんど治っているようで、毛並みも少しふっくらとしてきた。私は用意してきた野菜と、お裾分けできる程度の干し肉を煮込み、栄養のあるスープを作る。もちろん狼用には無塩に近い味付けだ。自分用には少し塩を足して、ささやかだが温かい食卓を囲む。焼き菓子は一口だけ千切って鼻先に近づけると、興味深そうに匂いを嗅いでからぺろりと舐めた。甘味に驚いたのか、くしゃみを一つして首を傾げる仕草が可愛らしかった。


 こんな小さな幸せが、いつまで続くだろう。助け合いの形を見つけながら、私は白狼の子との日々を重ねていく。


 ◆◆◆


 街に滞在してからしばらくが経ち、私のテント暮らしにも慣れが出てきた。だが安定というには程遠い。特に、魔物の活発化の噂は日を追うごとに増しており、大きな被害を受けた街道もあるという。運搬の旅人たちが襲われ、魔石の流通が滞り始めているようだ。そんな話を市場の片隅で耳にするたび、私は他人事ではない気がしていた。


 ある朝、私はいつものように少しでも魔石を拾おうと、街の外れにある小川へ足を向けた。岩の隙間や川底に、稀に小さな魔石が紛れ込んでいることがある。しかし、この日はまったく成果がない。落ち葉や小石をどけながら探してみるが、手ごたえはゼロ。残念に思いながら川辺を歩いていると、不意に周囲がざわついた。


「おい、逃げろ! 魔物が出たぞ!」


 悲鳴に近い叫び声が聞こえ、私は慌てて顔を上げる。見ると、川の向こう岸の森から黒い影が数体、こちらへ駆けてくるのが見えた。大きくはないが、犬のような体格で牙をむいた魔物――おそらく「ダスク・ハウンド」と呼ばれる下級の魔物だ。彼らが町へ侵入すれば被害は免れない。何より、私のように戦えない人間はひとたまりもない。


 私は急いでテントへ戻ろうとする。しかし魔物たちも目がいいのか、こちらに気づくと一直線に向かってくるではないか。逃げないとやられる――でも、私の足は遅い。体力もない。パニックに陥りそうになったその時、白い影が私の脇をすり抜けた。


「……え?」


 いつの間にか追ってきたのか、白狼の子が私と魔物の間に立ちはだかっている。まだ子どもなのに、相手は複数。とても勝ち目などないだろう。でも、狼の子は低く唸り声を上げ、敵意をあらわにした。私を守ろうとしているように見える。


「だ、だめ! 逃げて!」


 私は声を振り絞るが、白狼の子はまるで応じない。ダスク・ハウンドが吠えかかり、一体が突進してくる。子狼は素早く身体を捌いて噛みつこうとするが、相手も野生の魔物だ。鋭い爪で反撃され、子狼は悲鳴を上げて転がってしまう。


 その瞬間、私の中で何かが弾けた。恐怖は消え、頭が真っ白になる。――ここで立ち止まっていたら、この小さな命が失われる。自分に何ができるか分からないが、やるしかない。私は辺りを見渡して、木の枝の先を掴むと、必死に駆け寄って魔物の脇腹を叩きつけた。


「やめて! この子をいじめないで!」


 魔物にとっては子どもの力など知れている。私の攻撃は弱く、ダスク・ハウンドは痛みより驚きで少しだけ後退したに過ぎない。それでも一瞬の隙ができ、子狼が身を起こすと威嚇の唸り声を上げる。そこへさらにもう一体が回り込もうとした瞬間――。


「そこまでだ!」


 聞き覚えのある声が響いた。かつて私をチンピラから助けてくれた、あの初老の男、ロウだった。彼は杖を構え、一気に駆け寄ると的確な動きで魔物を突き飛ばし、手にした短剣を振るって一撃を加える。私が息を飲む間に、もう一体も斬り伏せられた。そこへさらに後方から数人の傭兵が追いつき、ダスク・ハウンドたちは一掃される形となった。


 私はその場にぺたりと座り込み、子狼を抱きかかえる。子狼の身体は傷から血がにじみ、またしても苦しそうに息をしている。ロウが駆け寄ってきて、私と狼の子を見比べながら困惑した表情を浮かべた。


「おまえ……こんな危険な動物を飼っていたのか? 町の連中にバレたらただじゃ済まんぞ」


 怒られるのは分かっていた。でも私は頭を下げて懇願する。


「ごめんなさい。でも……この子は何も悪いことしていないんです……。私が拾って、ずっと面倒を見ていたんです。さっきも、私を守ろうとしてくれました……」


 ロウは小さく溜息をつき、しばし黙考した後、小声で言った。


「分かった。今はそんなことを議論してる場合じゃない。ひとまず町に戻るぞ。怪我の手当が先だ」


 幸い、周囲の傭兵たちは戦闘後の混乱と魔物の処理に集中しており、白狼の子にまで気が回らない。ロウはさりげなく私たちを隠すように促しながら、その場を離れさせてくれた。


 こうして私たちは町の中でもひと気の少ない裏路地へと避難し、改めて子狼の傷の様子を確認する。前脚に噛まれた痕が深く、出血も多い。ロウは手慣れた様子で布を裂いて包帯代わりにしながら、私に言った。


「早急に薬草か、治療道具を買わないと。が、町の医者に見せれば狼だと分かるだろう。まずいな。……おまえ、金はあるか?」


 私は黙って首を振るしかなかった。いくらかの小銭はあるが、まともな治療を受けるにはとても足りない。ロウは悩ましげに唸り、


「仕方ない。知り合いがいる。少し風変わりだが、動物の治療に長けた人だ。秘密を守るのが条件になるが、そこにかけてみるか?」


 背に腹は代えられない。私は小さく頷いた。どんな条件でも、この子を助けられるなら受け入れたい。この子は命がけで私を守ってくれた。その恩を返したい。そうして私たちはロウの知り合いのもとへ急ぐことになる。


 ロウの知り合いは町外れの寂れた地区に住む初老の女性だった。彼女はかつて猟師の手伝いをしていたらしく、動物の怪我には詳しいらしい。人間の医者に頼むよりは費用が安いし、口外もしない。ただし、狼を治療するというリスクもあるため、上乗せで報酬が必要だと言われる。


 私は持ち合わせの金をすべて差し出し、さらにロウが少し援助してくれたことでどうにか治療を受けられることになった。狼の子は激しく抵抗することなく、女性の手によって丁寧に傷口を消毒され、包帯を巻かれる。時折、鋭く鳴き声を上げるが、そこは私がなだめて抑える。


 治療が終わり、彼女は「あとは安静にしておくんだね。無理に動かさないことだよ」とアドバイスを残し、私と狼の子を見送ってくれた。夜にはロウの案内で安全な抜け道を通り、私のテントに戻ってきた。外では魔物騒ぎがまだ収まっていないという話もあるが、ともかく白狼の子は生き延びた。私はホッと胸を撫で下ろした。


 数日後、子狼の容態は安定し、少しずつ歩けるほどに回復した。しかし、この町でいつまでも暮らすのは難しい。それはロウにも言われたことだ。魔物が活発化している今、白狼の子が何かのきっかけで人目に触れれば、確実に駆除対象とされる。私の身だって危険だ。ならば、いっそ町を出るしかない。


 逃げるようなかたちだが、私自身、奴隷商に売られる恐怖から始まった逃亡生活で慣れたものだ。大きな問題は、これからどこへ向かうかということ。魔石を拾い続けて暮らすしか道はないのか……? それでも、新天地を求めるしかないだろう。


 テント暮らしの荷物と、残りの少しばかりの食料と金をかき集め、私は一つの決断をした。白狼の子を連れ、町を出よう。ロウに挨拶すると、彼は苦笑いしながらも少しの糧食を分けてくれた。


「おまえが決めたなら止めはしないさ。この辺りも危険になってるしな。気をつけて行けよ。少しでも生きやすい場所が見つかるといいがな」


 最後に握手を交わそうとして、思わず手を引っ込める。私の手はまだ幼く、小さく震えていた。ロウはそれを見てふっと微笑み、「無理をするな」とだけ言う。私はその言葉の温かみを胸に刻み、歩き出した。


 白狼の子は、傷が痛むのか足を引きずりながらも、私の隣を離れようとしない。その様子を見守りながら、私は心の底から思う。この子が私のもとに来てくれたのは、きっと何かの縁だ。だからこそ、私が守ってやらなければならない。戦う力はないけれど、逃げ足だけはある。そして、周りに助けを求めることはできる。私は一人じゃない――頼れる人は必ずいるはずだと信じたい。


 こうして新たな旅が始まる。相変わらず貧しく、ボロテントを担ぎ、魔石を拾う生活は変わらない。だが、私は決して諦めない。必死に生き抜いていく。それが「石拾いの転生少女」である私の、ささやかな誓いだった。


 ◆◆◆


 町を出て数日が経つ。魔物の脅威は至る所にあるが、それでも安全な道を選びながら進むうちに、子狼の脚の傷も少しずつ癒えていった。ときには森を迂回し、ときには新しい街で注意深くテントを張り、少しずつ前へ進む。 


 旅の途中で出会う人々――優しい人ばかりではないけれど、時折、私たちを受け入れてくれる人もいる。私が感謝を込めて料理を振る舞うと、「こんな貧乏料理でも工夫があるじゃないか」と笑ってくれたり、無償でお裾分けをくれたりすることもあった。料理一つで心を通わせることができるのだと、私は改めて知った。


 白狼の子は歩き方もだいぶしっかりしてきて、次第に森の小動物を追いかけたりもするようになった。襲うというより遊んでいる程度だが、その生き生きとした姿を見るたびに私の胸は温かくなる。いつの日か、この子も立派に成長し、私を助けてくれる存在になるかもしれない。もちろん私は期待ばかり押し付ける気はないけれど。


 ある夕方、丘の上にテントを張り、簡単な煮込みを作って食べていたとき、ふと空を見上げると、かつての世界の空を思い出すような気がした。夕焼けの朱色が、一瞬だけ懐かしい色に重なったのだ。私は自分がどんな理由でこの世界に転生したのか、分からないままだ。でも、これでよかったと思えてくる。過去の自分がどんな人生を送っていたにせよ、今、生きる意味を見出せることが何より嬉しい。


「よし、明日も魔石探し、頑張ろう」


 呟く私の横で、白狼の子がちょこんと座り、月を見上げていた。その光景は静かで美しく、何にも代えがたい時間がそこにあった。私が逃げ続ける限り、完全に安全な場所なんて見つからないかもしれない。でも、世の中にはきっと助け合える人がいる。私も、料理や石拾いなど自分にできることで恩を返していこう。


 戦えなくてもいい。チートなんてなくてもいい。魔石を一つずつ拾いながら、出会いと別れを繰り返して、それでも生きていく。――その先に、私と白狼の子の居場所がきっと見つかるはずだ。


 どこまでも続く地平線の彼方へ、足元にはボロテント。背には小さな荷物と、胸いっぱいの希望を抱えて、私は歩み出す。美しい月の下、白狼の子が寄り添うように私に歩調を合わせてくる。それがたまらなく愛おしく、心を満たしてくれる。


 夜露が降りる静かな野原に、二つの小さな足跡が並んで伸びていく。明日を求めて、今日を乗り越えていく――そんな決意を胸に、逃げ足しかない転生少女と白い狼の子の旅は続くのだった。

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