あるところに、うさぎのぬいぐるみがありました。名前は「モモ」。柔らかくて、耳が長くて、鼻のところには小さなハートの刺繍がありました。
モモは、かつて女の子「ナナ」の一番の友だちでした。ナナがまだ小さかったころ、どこへ行くにもモモを連れていき、夜にはぎゅっと抱きしめて眠りました。
「モモ、きょうね、保育園でおともだちができたの!」
「モモ、おねしょしちゃった……でも、おかあさんに怒られなかったよ。」
モモは何も話せなかったけれど、その柔らかな体でナナの気持ちをいつも受け止めていました。
けれど、時は流れて──。
ナナが小学校に入るころ、モモはだんだん棚の上に置かれるようになり、中学校に上がるころには押し入れの奥にしまわれてしまいました。
それでもモモは、ナナのことをずっと想っていました。
ある年の春、大掃除のときのこと。押し入れの奥から引っ張り出されたモモは、古い布や箱と一緒に、ごみ袋に入れられてしまいました。
「……ナナ……?」
モモの心が、かすかに揺れました。ぬいぐるみには声も足もありません。でも、心だけは確かにあったのです。
その日の夕方、ゴミ回収車がやってきて、モモは家から遠く離れた処分場へと運ばれてしまいました。
……でも、その途中。
大きな風がふき、ごみ袋が破れました。中からころんと転がり出たモモは、道ばたに落ち、そのまま夜の街に取り残されました。
冷たいアスファルト、見知らぬ景色。
けれどモモは思いました。
(ナナのところに、かえりたい……)
モモの旅が始まりました。
最初にモモを見つけたのは、道ばたで段ボールに寝ていたホームレスのおじいさんでした。
「おや、ぬいぐるみか。ずいぶん汚れちまってるな……」
おじいさんはモモを拾い上げ、ボロボロのコートの中に入れました。夜の寒さを少しでもやわらげたかったのです。
「……お前もひとりぼっちか」
おじいさんはそう言って、モモを抱きしめて眠りました。
でも朝になると、おじいさんはモモをベンチの上にそっと置きました。
「ありがとうな。お前のおかげで、ちょっとだけあったかく眠れたよ。」
次にモモを見つけたのは、小さな男の子でした。公園で遊んでいるとき、ベンチに置かれたモモに気づいたのです。
「ママ! このうさぎのぬいぐるみ、もってかえっていい?」
「だめよ、落とし物かもしれないでしょ。しばらくここに置いて、誰も来なかったらね。」
けれどその日、誰もモモを迎えに来ることはありませんでした。
男の子はその晩、モモを自分のベッドに連れて行きました。
「きょうね、ぼく、おともだちにいじわるされたの。モモって、なまえつけてもいい?」
モモは話せませんでしたが、心のなかで「うん」とうなずきました。
けれど数日後、男の子の家では引っ越しの準備が始まりました。
「こんなぬいぐるみ、いつ拾ったの?」
お母さんがモモを手に取ると、ふたたび古い箱の中に入れられ、リサイクルショップに持って行かれました。
それから、いくつもの手を渡り、いくつもの街をめぐって、モモは少しずつ古びていきました。
けれど、ナナのことは一度も忘れませんでした。
(ナナは、今ごろ、どうしているかな……)
ある日、古びたぬいぐるみを集めて展示する「ぬいぐるみ博物館」が開かれることになり、モモもその中のひとつとして飾られることになりました。
ショーケースの中で、モモは静かにたたずんでいました。
その日、たまたま街を訪れていた一人の女性が、その博物館に足を踏み入れました。
彼女の名前は──ナナ。
もう大学を卒業し、大人になったナナは、ふと目に入ったうさぎのぬいぐるみに、なぜか足を止めました。
「……え?」
小さなハートの刺繍。長い耳。どこか懐かしいそのぬいぐるみを見つめるうちに、ナナの瞳に涙があふれました。
「モモ……モモなの……?」
手を伸ばしたナナの指先に、モモのぬくもりが戻ってきました。
スタッフに頼んでモモを譲り受けたナナは、その夜、自分の部屋でモモを優しく抱きしめました。
「ごめんね……長いあいだ、ひとりにしちゃって。……でも、また会えてよかった……」
モモの体はすっかりくたびれていましたが、その心は、あのころのままでした。
そして、静かに思いました。
(ナナのもとに、かえってこれた……)
長い長い旅の終わりに、モモはまた、大切な人のそばで、眠ることが出来ました。