「んん? んんん〜?」
ゲームマスターは首をかしげつつ僕の両肩から手を外すと、今度は人の顔面を勝手になで回し始めた。それはもう無遠慮に、手の感触だけで造形を把握しようとする陶芸家みたいに、むにむに執拗に。
「……いや、ちょ、やめてください。何なんですか、いきなり」
僕は不快感をあらわにしつつ、顔を這う手を荒っぽく払いのける。
おっさんに顔面を撫で回されて喜ぶような趣味はない。普通に気色悪いし、鬱陶しい。
「ごめんごめん。ヒデオくんかと思ったけどやっぱり違ったみたいだ」
そう、それだ――どうしてゲームマスターの口から僕の父の名前が出てくる?
父は生前、たしかに冒険者として活動していた。けれど実績はそこそこ止まりで、『ダンジョンの創造主』という世界的キーパーソンに認知されるほど高名な人物じゃなかったはず。
「あの、父を――優木英雄(ゆうきひでお)をご存知なんですか?」
「え、父?」
僕の問を受けたゲームマスターは、口を半開きにして間抜けヅラを晒していた。
だが、次の瞬間。
「ああっ!」
と、驚愕と納得が入り混じったような声をあげて逆にこちらを驚かす。
いきなりやめてくれ。びっくりしぎて少し飛び跳ねてしまった……。
「キミ、次世代か! 英雄くんの子供だろう? ワタシと英雄くんは友人でね、そう言えば乳児のキミを抱き上げたこともあったなあ。ひょいと持ち上げてみたら『香澄さん』がえらく慌てて、英雄くんにも『落としたらぶち殺す』なんて脅される始末さ。まったく、ワタシをなんだと思っているんだろうね」
そこでゲームマスターは「でも」と言い置いて、顎に片手を添えつつどこか感心したような視線を投げかけてきた。
「少し前のことだと思っていたけど、やっぱり人間はすぐに大きくなるなあ。これが雨後の筍ってやつなのかなあ」
多分、筍うんぬんは誤用だと思う…ともかく、数々の衝撃の事実が飛び出してきた。
ゲームマスターと父が友人だったとか、乳児の僕を抱き上げたことがあるとか……しかも亡き母を『香澄さん』と親しげに呼んだり、僕の驚きは留まるところを知らない。
しかし、相手はこちらの心情などお構いなしに話を続ける。
その視線が一度、僕の全身を一瞥するように動く。
「あれ、その格好? キミ冒険者になったの?」
「え……? ええ、まあ。わりと最近の話ですけど」
「それも盾持ち――『タンク』か。英雄くんと同じスタイルだね」
父が盾を主体に戦う冒険者だったことまで知っているのか。本当に親しかったようだ。
「なるほど、健気じゃないか。死んだ英雄くんの意思を継いで、盾を装備して冒険するってわけかい?」
ゲームマスターの言葉にまたしても驚かされる。
どれだけ不遇だろうと、僕が絶対に盾を手放さない理由を看破されるとは……だが実のところ、理由は他にもある。父の冒険者の師匠で、さらに僕の師匠でもある人物の事情も絡んでのことだ。
ただ、こんな衆人環視の場でするような話じゃないので頷くだけに留めておく。
それにしても、なんだか嬉しいな。
母が亡くなって十二年、父が亡くなって七年が経つ――今では僕と秋穂さんの会話にしか登場しなくなった両親の名を、こうして他人の口から聞ける機会に恵まれるだなんて。
おかげでモチベーションが急激に高まってきた。酷い言われようのゲームマスターだけど、案外悪いやつではないのかもしれない。
まあ……評判が散々なだけに、これ以上は関わり合いになるつもりもないのだけど。ここらで話を切り上げ、さっさとダンジョンに向かうとしよう。
「父と母の話を聞けて嬉しかったです。ありがとうございました」
それではさようなら、と僕は別れの挨拶を告げて場を辞そうとした。
ところが、そうはいかない。
「よぅし、決めた!」
僕の行動は、唐突に上がったゲームマスターの大声によって阻まれる。
「このワタシが、キミに協力しよう! 任せるといい!」
「え!?」
「任せるといい! キミに協力しよう、このワタシが!」
胸に手を当てつつ何やら勝手に宣言するゲームマスター。しかもその顔には、超絶うさん臭い笑みが張り付いていた。
事態は予期せぬ方向へ転がっていく……ていうか、なんで倒置法?
「うわ。クソボケゲームマスターにウザ絡みされてんぞ」
「ほっとけ。こっちまで巻き込まれちゃたまんねえ」
「おいおい。死んだな、あいつ」
顔を振って周囲を確認すると、大勢の冒険者が遠まきに僕らの様子をうかがっていた。だが、興味は示すものの決して近づこうとしない。これが陸の孤島ってやつか。
そして人を遠ざける元凶が、馴れ馴れしく僕の肩に腕をまわして宣言する。
「それではキミ、行こうじゃないか」
「は!? どこへ?」
「とりあえず喫茶店にでも入るとしよう。ここじゃあ落ち着いて話も出来ないからね」
「いや、僕にはダンジョンに行く予定がありまして」
ここまでくればもう、いやでも厄介事の訪れを予感せずにはいられない。
困った、どうすれば……そうだ、横にいた例の中年冒険者なら助け舟を出してくれるのでは?
僕は祈るような気持ちで、ナイスガイな彼の姿を探す――いや、いないじゃん……。
「なあに、遠慮なんて必要ないよ。何せワタシは英雄くんの友人なのだからさ!」
「遠慮なんてしてないし、本当に結構ですから!」
逃げ出そうともがくも、肩に回されたゲームマスターの腕はピクリとも動かない。
恐るべき『異人』の怪力……何より押しの強さにやられ、僕はもうたじたじ。それでも、せめてもの抵抗として声だけは上げ続ける。
「ていうかあなた、何か困りごとがあったのでは? 僕よりそっちを優先してください!」
「ああ、あれね。おかげで解決したよ」
「は?」
「本当に困っていたよ――心底困り果てていたところなのさ、退屈で退屈でね! でも、こうしてキミが現れてくれたじゃあないか!」
ゲームマスターが僕に向ける視線は、新しいおもちゃを見つけた子供のそれだった。対して周囲の冒険者の視線はと言うと、屠殺前の家畜に向けるのと大差ないように思えた。
いや、本当に誰か助けてください……。
***
その男は、退屈で心底困り果てていた。
だから『JPタウン』をうろつき、そこらのオモチャ……もとい冒険者にちょっかいをかけて気を紛らわそうと考えた。
しかしていざタウンに繰り出してみれば、不意に見知った顔が己の視界に飛び込んでくるではないか。それは、久しく見ていない友人の顔だった。
なんとも懐かしい……いや、友人は少し前に死亡したのではなかったか?
彼は訝しげに思い、近寄って丹念に検めてみる。
すると、すぐに判明した――それは亡き友の面影を色濃く受け継いだ次世代の個体で、つまりは忘れ形見だったのである。
たしか、名を『夜月』と言ったか。
友の子を抱き上げた過去の記憶を思いおこす。とても小さく、酷く弱々しかったことを覚えている。しかしその時の乳児は、いつの間にかすっかり少年と呼べる年代にまで成長していたらしい。
男はつくづく思う。
まったく、人間とはあっという間に大きくなるものだな。どうせあっさり死んでしまうのだから、もっとゆっくり時を重ねればいいものを。
さておき、友の忘れ形見が偶然にもこうして目の前に現れたのだ。しかも、亡き父の意思を継いで冒険者になったと言うではないか。
なんて健気な少年なのだろう。それに、こんな愉快な邂逅を不意にする道理などない。
かくて男は――もといゲームマスターは、自ら『協力』を申し出た。
続いて、友の忘れ形見――あらため聖夜月を引っ張って、最寄りの喫茶店へと足を向けたのだった。
「さあ、なんで注文するといい。ワタシはコーヒーにしよう」
目についたカフェに入り、レジでドリンクを注文する。
ゲームマスターはこのような場合、とりあえずブラックコーヒーを注文することに決めていた。味などよくわからないが、人間の大人が好む飲み物だと知っているからだ。
「……じゃあ、僕も同じものを」
注文が確定した後、二杯分のコーヒー代金を『DP』で支払う。スーツのポケットから自身のスマホを取り出して端末にタッチする。夜月の分はもちろん奢りだ。
「いやあ、本当に嬉しいなあ。まさか英雄くんの子供が冒険者になっていたとはね」
見るからにご機嫌のゲームマスターが店内に姿を現すと、途端にひどい騒動が引き起こされた。厄介事の飛び火を恐れ、すべての客が泡を食って逃げ出したのだ。
しかし、いつものことなので当人は歯牙にもかけない。これ幸いと窓際の席を確保し、夜月が対面に着座するなり話を切りだす。
「そんなに怖い顔をしないでくれ。さっきも言ったろう? ワタシは協力したいだけなんだ」
「……協力ですか?」
「そう、協力さ。何せキミは、ワタシの友人の息子なのだからね」
夜月が強く警戒していることは一目瞭然。ゆえにゲームマスターは、その警戒を解くところから始める。
関係を持つ建前として協力を申し出たものの、相手が拒めば話は終了だ。それは自身の望む展開ではない。
「さて、改めて名乗らせてもらおう。ワタシはゲームマスター、趣味でダンジョンなどを運営している者だ」
「趣味だったの!? ……いえ、失礼しました」
いきなりのカミングアウトにやられ、夜月は唖然とする。だが、すぐに気を取り直して自己紹介を行う。
「僕は、優木夜月――今はわけあって、聖夜月と名乗っています。趣味は……ダンジョンに挑むことですかね」
「そうかそうか、ならば『夜月くん』と呼ばせてもらおう。ワタシのことは、親しみを込めて『マスター』とでも呼んでほしい」
「じゃあ、ゲームマスターで」
依然として夜月は厳しい態度をくずさない。
自身が警戒に値する相手であることは重々承知だが、これでは話が進まない――そこでゲームマスターは、早くも秘策を繰りだすことにした。
「良ければ、キミの両親のことを話そうか?」
「え!? それは……かなり聞きたいです。ぜひお願いします」
「もちろんだとも。そうだな、ワタシと英雄くんの出会いはいつだったか……そうそう、彼が冒険者になって間もない頃だった。困っていたワタシに英雄くんが親切にも声をかけてくれてね、それが友情の始まりだ」
やはりこの話題を選択して正解だった、とゲームマスターは笑みを深める。
現に幾つかエピソードを語って聞かせたところ、夜月は前のめりになるほど強い関心を示した。次第に態度も和らいでいき、今やすっかり打ち解けた様子である。チョロすぎて逆に心配になるレベルだ。
「――それで、ワタシと英雄くんは飲み友達となったわけさ。彼は『居酒屋』なる物を教えてくれてね、そこで覚えたエダマメは今でもワタシの好物だよ。ああ、香澄さんが同席することもあったな」
「え、母さんも!? 二人ともお酒が好きだったんですね」
「いや、酒を飲むのはワタシと英雄くんだけだったよ。香澄さんはいつもお茶を飲みながらニコニコ笑っていたね」
「そっか。なんとなく想像できるかも」
ゲームマスターは夜月の反応に満足していた。が、より好ましい展開へ誘導すべく思考を巡らせ続ける。
(夜月くんは随分と両親を慕っているな。『両親の友人』というだけで、こうも簡単に心を許してくれるとは。それなら……)
不意に良案を思いつく。
今でも亡き父を慕い、その意思を継いで冒険者にまでなった少年。ならば彼の心に準じる形でちょっかいを……もとい協力をしようではないか、と。
具体的なプランでいえば、夜月に冒険者としての成長を促すような機会を与えるつもりでいた。そして自身は、その冒険を鑑賞して楽しむ――なにより、近ごろ己を苛む『退屈の元凶』に手を加える絶好の機会かもしれない。
ゲームマスターは高次元の超越存在だが、平時は人間水準に合わせるため、大幅に知性階梯を落とした低スペック個体で活動している。今もそう。これは各関係機関との協定を遵守したもので、発揮可能な演算能力は本体とは比較にすらならない。
それにもかかわらず、よくぞ素晴らしいアイデアを思いついたものだ――と、ゲームマスターは内心で自画自賛する。
しかし、本人だけが知らない。そんな思いつきを、冒険者たちが『災い』と称して恐れていることを。
「時に夜月くん、最近の『アタッカー至上主義』についてはどう思う? ワタシは常々、由々しき問題だと思っているのだけれど」
そもそもの話、問題なんて自らが動けば即座に解決する。だが、それは己の嗜好から大きく外れている――夜月を動かして解決すること、それ自体が最上の娯楽となりうる。
そのため、ゲームマスターは期待に胸をふくらませながら、己の思惑に向けて大胆に会話の舵を切るのだった。