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第3話  日向潤管理官は音もなく現れる

 男二人から事情聴取している本庁捜査一課の捜査員たちの姿が見えた。


「事務所に妙なメッセージが入ったときは、半信半疑でしたが……」

 背の高い男が早口で話す声が、途切れ途切れに聞こえてきた。




 三十メートルほど離れた、クスノキの木陰に、制服姿の女が立っていた。

 ハッキリ見えないが、『美女』という言葉を体現すればこうなるという強烈なオーラが感じられた。



 町田中央署の女性警察官だろう。

 オレをジッと見詰めている。



 世間が狭く、噂がたちまち拡散される業界なので、こちらは知らなくても、皆がオレの素性を熟知していた。


 オヤジが、同期のキャリアの中でも異例の出世を遂げ、四十六歳で、警視庁のトップである警視総監の地位に上り詰めたエリート中のエリートであるだけでなく、オフクロが陰陽師で名高い土御門家の末裔で、占い師として政財界の大物を操っていると。




 ふいに巻き起こった強い風が、木々の枝をザワザワゆすって通り過ぎる。


 微かな香りが鼻をくすぐる。

 周囲のすべてが一瞬、静止した心地がした。


 視線を戻すと、女の姿は視界から消え去っていた。



 この世の者ならぬ美女が、生者と死者との境目にある境界線――黄泉比良坂を踏み超えて冥界に戻っていったという妄想がフッと頭をかすめて、心地良い悪寒が背筋を伝った。




「何をボンヤリしているのですか」

 耳元でささやかれて、ビクリとした。


 日向潤、コイツはいつも音もなく現れる。



「もう少し、近寄ったらいかがです」

 馬鹿丁寧で快活さを装う声には、有無を言わせない響きがあった。

 度の強いメガネが、日の名残を受けてきらめく。


「オレも、栄えある、警視庁刑事部捜査第一課特命捜査対策室第六係の刑事だからな」

 皮肉っぽく返すと、

「いよいよ、通称猟奇殺人事件係の初仕事ですよ」と顔をのぞき込んできた。


 長身をことさら折り曲げられると腹が立つ。

 卒の無い優等生面を睨みつけた。 



 日向は、自由気ままに生きていたオレを警察組織に引き込んだ元凶、オヤジの忠実な犬だった。


『一博さん、一博さん』と親しげに話し掛けてくる顔はいつも嘘くさい。


 ちなみに、新設されたばかりの第六係は、警視である日向と巡査であるオレの二名で構成されていた。




「何事も勉強ですよ」

 日向は右の眉をクイッと上げた。 






 目の前に突き出た枝の先にも、贄が留められていた。

 耳の一部らしい。

 ゴールドのイヤーカフが光っている。


 見覚えがあったがどうしても思い出せなかった。






 一課の刑事と通報者たちが、十メートルほど離れた先を通り過ぎる。


「今日はこれでお引き取りいただいてけっこうです」


「メンバーをこんな目に遭わされて、ハラワタが煮えくり返っているんです。いくらでも協力させていただきます」


 通報者は二人とも地味な色目のジャケットをはおっていた。


 年長の男は、ノーネクタイながらシックな着こなしで、若い男は白いTシャツにジーンズをはいている。


 どちらもブランドものらしいシルエットと色合いで固めていて、売れっ子のホストといった印象だった。



 視線を感じて、二人がこちらに顔を向けた。


 花房と健太だった。


 つまり……見覚えがあるイヤーカフということは……。



 喉がグッと締め付けられる。

 衝撃が稲妻となって背筋を走った。



 よりによって、最初に関わる事件のマルガイ(被害者)が、オレを信じ、頼りにし……それ以上の気持ちを抱いてくれたシュンだったなんて……深紅の薔薇のような、翳りのある笑顔が脳裏に蘇った。




 ――花房が経営する会員制バー・リセットで見習いを始めたばかりのある日だった。


 最後の客を送り出した後、シュンが、

「そのイヤーカフ、いいな」と突然、言い出した。



 ゴールドのイヤーカフは、前日に買ったばかりだったが、色白なのに、ゴールドを選んでしまったため、後悔していた代物だった。



 イヤーカフを外して、黙ってシュンに手渡した。


 桁違いに稼ぎがいいシュンが、こんな安物をもらって喜ぶはずがない、単なるお世辞だと、たちまち後悔したが、


「エ? 僕にくれるの? いいの?」

 シュンは無垢な少年のように目を輝かせ、次の瞬間には、大きな瞳が消失しそうなほど微笑んだ。


 うなずくオレに、

「僕、日焼けしているから、この色、似合うだろ」

 言いながら、いくつもピアスをつけた耳に、イヤーカフを加えた――




 あのシュンが今は細かな破片でしかない。




 一瞬、遠い目になったオレに、

「オイ、You」

 健太が、大股で詰め寄ってきた。


「こんな所で出会うとはな。相変わらず、スカしたツラしやがって」

 見下ろしながらガンをつけてくる。


 オレも無言で睨み返した。



「テメエ」

 殴り掛かろうとする健太を、

「いい加減にしろ」

 花房が静かな声で制した。


 健太がスッと退く。



「久しぶりだな、You」

 花房は額にハラリと垂れた一筋の髪を掻き上げながら、口の端をゆがめた。




 半グレグループ『オール・リセット』のリーダー花房と顔を合わせるのは四年ぶりだった。


 ブルーブラックのサングラスを掛けた端正でニヒルな顔は、頬のラインがさらにシャープになって、凄みを増している。




「お互い、ここじゃマズいでしょ。わたしたちも、ちょうど帰ろうとしていたところですから、途中までご一緒しましょう」

 日向の言葉に、花房が黙って歩き出す。


「オレたちだって、マッポだらけの中で、悶着起こすほどバカじゃねえ」

 健太が花房のボディガードよろしく続く。


 身長が一九〇センチある健太は、打撃系総合武道空道の猛者として、地下格闘技の世界でも知られていた。

 動きがキビキビしていて、単体で見れば大男に見えなかった。 




 苔むし、アチコチ崩れた石段を下ると小さな堂があった。

 誰からともなく立ち止まり、堂の前の石畳で対峙する。


 デカになるハメになったのも、元を正せば花房のせいだ。

 あのときは、よくもチクってくれたな、と強い怒りが込み上げてきて、三白眼で睨みつけた。



「シュンがこんなことになって、いい気味だと思ってるんだろ」

 声を荒げないものの、激しい憎しみが、花房の目の奥で躍る。

 手首がキラリと光を放つ。

 ジュエリーが散りばめられた腕時計は、花房の羽振りの良さを誇示していた。


「You、いや、土御門一博! ケツをまくりやがってよぉ。あれほど嫌ってた親父どのの七光りで警視庁にご就職か。まことにおめでとうございます。今や、俺らを取り締まる側の刑事さまかよ」

 健太が、異様に歯並びがいい、真っ白な歯をむき出した。


「花房さんにあれだけ世話になったってのに、アッサリ裏切りやがってよ」

 オレの胸倉をつかもうとしたが、静かにたたずんでいる日向を横目で見て矛を納めた。




「皆さん、ここまでにしましょうよ」

 日向が場違いに陽気な口調で宣言し、緊張の糸を断ち切った。


「それじゃ……」


「お気をつけて」


「覚えてろよ」


「てめえこそ覚えてろ」


 花房、日向、健太、オレは四者四様の言葉を交わした。








「着替えを取りに戻りましょう。特捜本部が立ち上がれば忙しくなって、当分、マンションに戻れませんから」 


 寺域を脱して、農道脇の空き地に駐車していた公用車に戻った。 




 オレは、日向管理官の運転担当刑事という位置づけで、管理官を自宅まで送迎し、赴く先に常に同行する秘書的な役目である。

 公用車のハンドルをオレが握って、日向は後部座席に座った。


 警視である管理官が、巡査のオレに敬語を使っている。

 どう考えてもおかしいが、日向は誰にでも丁寧な話し方をする、スカした男なので、周りは気にしていないようだった。



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