それから数分後―――
「ひぃ……ひぃ……辛い、辛過ぎる……」
風が語り掛けてくるようなフレーズを口ずさみつつ、僕は食べ進める手を止めてしまう。しかし、このまま止まってしまうと次の一口に躊躇をしてしまうので、気合いを入れ直してカレーを頬張った。
口の中に入れた瞬間、また強烈な辛味が襲ってくるが、僕は必死になって耐えながら食べ続ける。既に舌は麻痺しており、最早痛みすら感じなくなっているほどだ。
汗もだらだらと流れ続けており、身体中から水分が失われていくような感覚に陥っている。でも、それでも僕は食べることを止めなかった。何故なら、残すことは許されないからだ。
如月さんの為にここまでしたのに、残したら何の意味もない。そして巻き込んでしまった卯月や弥生さんにも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。だからこそ、絶対に最後まで食べきると決めたんだ。
「な、何か凄い顔が真っ赤だけど、これ大丈夫なのかな……?」
「知らねぇよ……自業自得だろ」
「とりあえず、水を飲ませた方が……」
「いや、止めとけ。辛いもん食ってる時は、水は逆効果なんだよ」
「そ、そうなの?」
「あぁ。牛乳とか果汁ジュースとかの方が良いんだよ」
「へぇー……でも、牛乳もジュースも、ここにはないよね」
「牛乳はさっき俺らのカレーにぶち込んだからな。だからもうねぇぞ」
「あっ、そっかぁ……じゃあ、水を飲まずに、頑張って!」
弥生さんの声援を受けるも、それで何かが変わるということも無く、相も変わらず辛さに苦しめられる僕だった。そして遂に―――食べ進める手を僕は止めてしまった。
もうこれ以上は食べられないという意思表示でもあったが、それ以上に限界を迎えてしまったのだ。これ以上はもう無理だ、そう判断して僕はスプーンを置いた。
頑張りたいのは山々なんだけれども、僕の手がカレーを口に運ぶことを拒んでしまうのだ。まるで身体が拒絶反応を起こしてしまっているみたいに、動けなくなってしまっていた。
そんな僕を見て、卯月は大きく溜め息を吐いた後、こう言った。
「お前、あれだけ大言壮語しておいて、結局ギブアップかよ……」
「ご、ごめん……僕もまさか、ここまでとは思ってなくて……」
「ったく……」
呆れ返った様子の卯月に謝罪をしながら、僕は自分の無力さを痛感していた。確かに自分でやると言い出したことではあるし、やると言ったからには責任を持ってやり遂げたかったんだけど、流石に無理があったみたいだ。
自分が情けないなぁと思いつつ、僕は俯いていると、不意に横から肩を突かれる感覚がした。それに驚きながらもそちらを見ると、既に激辛カレーを完食した如月さんが僕を見ていた。どうやら彼女が僕を突いたようだ。
「ど、どうしたの……?」
「貸して」
「えっ?」
如月さんは短くそう言ったかと思うと、僕が持っていた皿を取り上げて、そのまま自分の手元に引き寄せた。そして次の瞬間、彼女の手にあったスプーンが僕の口元に運ばれてきて―――
「あーん」
「ちょ、ちょっと如月さん!?」
突然のことに動揺する僕に構わず、如月さんはカレーを掬ったスプーンを近付けてくる。僕はあまりのことに驚いてしまい、近付いてくるスプーンを反射的に顔を引いて避けてしまう。
僕のそうした行動に、如月さんは首を傾げて不思議そうな表情を浮かべる。僕はそんな彼女に、顔を真っ赤にしながら答えた。
「え、あ、あの……何を……?」
「蓮くん、大変そうだから」
「えっ……?」
「私が食べさせてあげる」
如月さんはそう言って、再びスプーンを僕の口元へと運んできた。僕は慌ててそれを手で制す。
「い、いいよ! そんなことしなくても……!」
「遠慮しないで」
「いや、そうじゃなくて……ほら、恥ずかしいし……」
「大丈夫」
「全然大丈夫じゃないというか……」
僕は必死に如月さんに訴えかけるが、彼女は全く聞く耳を持たない様子だった。それどころか、さらに距離を詰めて来て、僕の口にカレーを運ぼうとする始末だ。
「早く食べて」
「だ、だから、そういうのは本当にいいから……」
「口開けて」
「わ、分かったよ……いただきます……」
観念した僕は口を開けると、そこにすかさずカレーが入れられた。口の中に広がる辛味に耐えながら咀嚼していると、正面から視線を感じたのでそっちを向くと、そこには呆れた顔の卯月が僕らを見ていた。
「何やってんだか、お前らは……」
「だって、如月さんが無理矢理……」
「こうでもしないと、蓮くんは食べないから」
「いや、そこは食べさせるよりも、お前が食べてやれよ……」
「……?」
「……はぁ。まぁ、いい。とにかく、とっとと食っちまえ。時間なくなるぞ」
「う、うん……そうだね」
「分かった」
そして如月さんが再びスプーンでカレーを掬い、僕に食べさせようと運んでくる。それを今度は素直に受け入れて、もぐもぐと咀噛していった。
やっぱり辛いものは辛くて、とても美味しいとは言えないけれど、それでも何だか幸せな気分になれた。好きな人が自分に優しくしてくれるというのは、こんなにも嬉しいことなんだな、と実感させられた。
……けど、思うところが一つだけある。これで如月さんから何かを食べさせられるのは三回目なんだけれども、どうしてその全てが激辛料理なんだろう? たまには雰囲気的にも口内的にも甘い体験を味わってみたいんですけど……。
僕は色々な感情が込められた涙と汗を流しつつ、如月さんが口に入れてくるカレーを飲み込んでいった。
「ご馳走、様、でした……」
最後に水を飲み干して、僕は何とかカレーを完食することができた。正直、まだ舌がヒリヒリしているし、喉が焼けるように痛いけれど、それでも僕はやりきったんだ。
そんな達成感に包まれている僕とは対照的に、卯月は不満そうに顔を歪めていた。
「ったく、何てもんを見せつけられてるんだ、俺は……」
「ご、ごめんなさい……」
「立花くん、良く頑張ったじゃん! はい、これ貰ってきた氷ね」
「ありがとう……」
弥生さんから受け取った氷を口の中に含むと、ひりついた痛みが少しだけ和らいだ気がした。それから僕は氷を嚙み砕いてから舌の上で転がし、ゆっくりと溶かしていく。
そうしてようやく一息吐いたところで、僕は如月さんに視線を向けた。
「如月さんも、ありがとう。僕一人だったら、食べ切れなかったよ」
「別に……」
僕の感謝の言葉に、如月さんは視線を逸らしつつそう呟いた。相変わらず素っ気ない態度だけれど、それが彼女らしさでもあると思うので、僕は特に気にしなかった。
「つか、そもそもカレーを激辛になんかしなかったら、ここまでのことにはならなかったんだぞ」
「まぁ、その通りなんだけど……」
卯月から至極真っ当なことを言われてしまったので、僕は苦笑しながら言葉を返すことしかできなかった。実際、この激辛カレーさえなければ、こんなことにはなっていないのだから。
「とりあえず、さっさと後片付けしちまうぞ。この後の自由時間に影響が出るからな」
「あっ、うん。そうだね。急がないと……」
僕は立ち上がると、みんなの使った食器を持って炊事場の洗い物が出来るスペースに向かっていく。そしてみんなで協力をしながら、手早く後片付けを済ませていくのだった。