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シリアスみたいな雰囲気を出しておきながら、僕らのやっていることはギャグそのものである



「私はただ、美味しいものを作りたいだけ」


「だから、それが駄目だって言ってるんだろ!」


「なんで?」


「お前、マジで言ってんのか!?」


 卯月が信じられないといった様子で叫んだ。しかし、如月さんは何も答えない。


「ねぇ、蓮くん」


「え、あ、はい」


 突然、如月さんに名前を呼ばれて、僕は慌てて返事をした。そして彼女の方を見ると、如月さんはじっと僕のことを見つめていた。


 その瞳からは僕に向けて、何かを訴え掛けるような意思を感じたような気がした。


「蓮くんは……私の何?」


「えっ」


「蓮くんは私の彼氏、だよね」


「え、えっと……うん。そう、だね」


「なら、裏切らない、よね?」


 如月さんは真剣な表情で僕の顔を覗き込んでくる。その目は真っ直ぐに僕を捉えていた。


「そ、その……」


「裏切らないで」


 如月さんは懇願するような声でそう言った。そんな彼女を見ていると、何だか胸が締め付けられるような感覚がした。


「裏切らないで」


 再度、念を押すようにそう言われる。それだけで、僕の心は揺らいでしまう。如月さんが何を望んでいるのか、何となく分かってしまったからだ。


「おい、立花」


「え?」


「お前、騙されるなよ。こんなの絶対に罠だからな! 正攻法が通じないから、泣き落としに掛かってるだけだぞ!」


「う、うん。分かってるよ」


 卯月が忠告してくるが、そんなことは僕だって分かっている。これが僕の良心に訴え掛ける罠だというのは、目に見えている。


 彼女の助けになってあげたいのは山々だけど、ここで折れてしまっては、僕らは激辛カレーを泣く泣く食べることになってしまう。


 だからこそ、今回ばかりは彼女の要求を呑むことは出来なかった。残念だけど、その気持ちに応えることは出来ないのだ。


 そうして僕が渋っていると、如月さんは少しだけ落胆したような感じの表情をして、僕から視線を外した。そしてこんなことを告げてきたのだった。


「……信じていたのに」


 ぽつりと呟かれたその言葉は、僕の心を激しく貫いた。思わずショックで崩れ落ちそうになるくらい、衝撃的な言葉だった。


「蓮くんは、私のこと、好きじゃなかったんだ」


「え、いや、その……そういうことじゃなくて……!」


「嫌いになったんだ」


「ち、違う! そうじゃなくて、僕はただ、みんなの為を思って……」


「もういい」


 如月さんはそう言うと、僕から顔を背けてしまった。もうこれ以上話すことはないと言わんばかりに、拒絶されてしまったようだった。


「え、あ、その……ご、ごめん……」


 僕は咄嗟に謝ったが、彼女からの返事はなかった。完全に無視をされている。どうしよう、どうしたらいいんだろう……。


「お、おい、お前、その手は卑怯だろうが……」


 如月さんをまだ羽交い締めにしている卯月が何かを言っているけど、今の僕にはその意味を理解する余裕は無かった。


 頭の中が真っ白になってしまっていて、何も考えられなかったのだ。


「如月さん……」


 僕は無意識のうちに、彼女の名前を呼んでしまっていた。だが、それでも彼女が反応することはなかった。


 もうどうすればいいのか分からなくなってしまった僕は、その場で立ち尽くしてしまうしかなかった。


「立花、いいか。落ち着け。これは何としてでも激辛カレーを作りたい、こいつの卑劣なすべだからな。決して絆されるんじゃないぞ」


 こんな時、僕はどうするのが正解なんだろうか。如月さんから失った信頼を取り戻す為にはどうするべきなのか。分からない、全く分からなかった。


「おい、お前聞いているのか!? しっかりしろ!」


 卯月が何か言ってるような気がするけれど、よく聞き取れない。今はそれどころじゃないんだ。僕は今、人生最大の危機に直面しているのだから。


 僕が如月さんの彼氏役……いや、彼氏として彼女の期待に応える為に出来ることは何だろうか? 考えろ、考えるんだ……。


 僕は必死になって思考を巡らす。どうすればこの状況を打破することが出来るのだろうか? どうすれば彼女を納得させることが出来るのだろうか?


 そうして考えうる限りを尽くした結果、一つの結論に至った。そうだ、これならきっと、如月さんの信頼を取り戻せるはずだ……! 僕は意を決して、口を開いた。


「き、如月さん」


「……」


 如月さんは相変わらず不機嫌そうな表情のまま、何も答えてはくれない。けど、視線は僕の方へ向けてくれた。僕はそんな彼女の目を見つめながら、はっきりとこう言った。


「僕は、君の味方だよ」


「は?」


 僕がそう口にすると、卯月が何を言っているんだとでも言いたげな顔でこちらを見てきた。しかし、そんなものには構わず、僕は続けてこう口にした。


「僕は、如月さんの為に、何でもするよ」


「……」


 如月さんは相変わらず無言だったが、一瞬だけぴくりと眉を動かしたような気がした。しかし、その表情はすぐに元の無表情に戻ってしまう。


「ちょ、おま、正気か!?」


「うん、本気だよ」


「いやいやいや、おかしいだろ! なんでそうなるんだよ!」


「だって、これしか方法がないから……」


「だからって、いくらなんでもそれはねえよ!」


 卯月が慌てた様子で叫んでいるが、僕は無視して言葉を続けることにした。


「だから、安心していいよ。何があっても、僕は如月さんのことを見捨てたりしないから」


「……」


 如月さんは無言のまま、僕のことをじっと見つめていた。その瞳からは何を考えているのか読み取ることが出来ない。しかし、先程までのような敵意のようなものはもう感じられなくなっていた。


 どうやら少しは効果があったようだ。このまま押し切ってしまえば、もしかしたら上手くいくかもしれない。そう思った僕は更に言葉を続けていくことにする。


「どんなことがあっても、絶対に見捨てたりしないよ。約束するよ」


「……本当に?」


 ようやく口を開いてくれた如月さんが小さな声でそう尋ねてくる。その声はとても小さくて、今にも消え入りそうなくらいだった。


「うん、本当だよ」


 僕がそう答えると、彼女は少し間を置いてから再び話し始めた。


「なら、証拠を見せて」


「えっ?」


「証明してみせて。私の為に何でもするなら、ちゃんと証明してみせて」


「……うん、分かったよ」


「おい、馬鹿、止めろ」


 卯月が制止してくる声が聞こえてくるが、僕はそれに構うことなく、ゆっくりと調理中の鍋に近付いていく。既に鍋の中には具材とカレーのルーが投入されていて、後は煮込むだけという状態だった。


 僕が鍋の前に立つと、手にしているガラムマサラの瓶と唐辛子粉末の容器の蓋をそれぞれ開ける。そして、それらを鍋に向かって傾け始める。


「おい、待てって! お前、早まるんじゃねえ!」


 卯月が慌てて止めようと声を張り上げるけど、もう遅い。僕は瓶と容器を完全に傾け、その中身を鍋の中へ注ぎ込んでしまった。するとその瞬間、鼻につんざくレベルの刺激臭が途端に鍋から漂い出し、美味しそうに出来ていたカレーは真っ赤に染め上がっていく。


 僕はその臭いとカレーの色を見て、思わず顔をしかめてしまう。そしてその瞬間で僕は正気を取り戻した。あれ、何で僕、こんな事してるんだっけ……?


「げほっ、げっほ……っ!」


 あまりの異臭に咳き込んでしまい、目に涙が滲んでくるほどだった。正直、近くにいたくなかったので、僕は鍋から急いで離れた。


「な、何てものを生み出してしまったんだ、僕は……」


「当たり前だ、この馬鹿!」


 自分のやったことを冷静に振り返ってみて、とんでもないことをしてしまったことに気付き、頭を抱えていると、横から怒鳴り声が聞こえてきたのでそちらを見る。


 そこには怒りの形相をした卯月が立っていた。彼は僕の肩を掴むと、激しく揺さぶってくる。頭がガクガク揺れてちょっと気持ち悪い……。


「お前、自分が何やったのか分かってんのか!? ああん!?」


「ご、ごめん……如月さんの信頼を取り戻すには、こうするしかなくて……」


「謝って済む問題じゃねえんだよ! どうすんだよこれ! こんな激辛カレー、誰が食べるんだよ!」


「その……頑張って、食べよう」


「無理に決まってんだろ!」


「だ、だよね……」


 僕は力なく項垂れた。やっぱり駄目だったか……。まあ、当たり前と言えば当たり前なんだけど……。


 そんな項垂れている僕の元へ、卯月から解放された如月さんが近付いてきた。そして、僕にこんなことを言ってくる。


「蓮くん」


「如月さん……」


「ありがとう」


 如月さんは首を傾げながらそう言ってくれた。僕はその言葉を聞いて嬉しくなり、心が温かくなるのを感じた。良かった、喜んでもらえたみたいだ。そう思うと、自然と笑みがこぼれてきてしまった。


「どういたしまして」


 僕は笑顔で彼女に返事をする。それを見た如月さんも、無表情ではあったけれども、どこかほんの少しだけ微笑んでくれたような気がした。それだけでも僕は嬉しかった。そうして僕らは互いに見つめ合い、幸せな気分に浸っていた。


「お前ら、そんな良い感じな雰囲気出していても、何も事態は好転していないからな」


 そして卯月が冷めた目で僕らを見ながら、そんなことを言ってきた。ああ、そうだ。事態は何も変わってなんかいなかった。正直、ここからどうすればいいのか。


 というよりも、弥生さんに任せてと言った手前、どうすることも出来なかった……じゃなくて、犯罪の片棒を担ぐような真似をしてしまったので、彼女に合わせる顔が無かった。


 僕はまるでマグマのように煮え立つ激辛カレーを見ながら、後々のことを思って憂鬱になるのだった。



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