それから一時間ほど経過して、僕らを乗せたバスは長い道のりを無事に踏破し、ようやく目的地である森林公園に辿り着いた。
バスを降りて、外の空気を吸ってみると、緑の香りが鼻腔をくすぐり、心地の良い気分になる。
人の営みから離れた場所であるからこそ、感じられる自然の息吹だ。そしてそれは、少し前にも感じたことのあるものでもある。
場所は違うけれど、ゴールデンウィークの初日に行った山登りのことを思い出す。あの時は色々と大変だったけど、それでも楽しかった思い出の一つだ。
また機会があれば、もう一度行ってみたいと思えるくらいには、良い体験だったと思っている。それ程に僕の中では際立って輝いている思い出だ。
……ただ、また行きたいというのは自分一人という意味ではなくて、もちろんそれは―――彼女と一緒という意味合いだけれども。
「……」
無表情で早くも帰りたそうにバスを降りてくる如月さんを視界に収めつつ、僕はそんなことを考えていた。
そしてクラスの全員が降りたところで、釜谷先生が手を叩いて注目を集めるように言った。
「ほら、あんたたち! まだ自由行動の時間じゃないんだから、ちゃんと整列しなさい!」
その言葉に、生徒たちは慌てて列を作り始める。それを見た先生は満足そうに頷くと、全員に聞こえるような声で言った。
「はい、それじゃあ今からは班ごとに分かれて行動するわよ! それぞれ、事前に決めた通りに動きなさい! 分かったわね!?」
『はーい!』
先生の呼び掛けに、元気よく返事をするクラスメイトたち。特に弥生さんなんかは張り切った様子で返事をしていた。
そしてその後は予め決めてある班ごとに各自散らばっていく。僕は同じ班員である如月さんと弥生さん、そして卯月の三人と合流を果たす。
「えーっと、それじゃあ! 今日は一日よろしくね!」
「あっ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「……おう」
「……」
合流を果たすと、弥生さんが盛り上げるように僕らに向かって挨拶をした。そんな彼女に対して僕は応じるようにそう言って、卯月も素っ気なくではあるけど反応し、そして如月さんは無言である。ただ静かに周りの景色を見ていて、まるで関心がないといった感じだ。
「ちょっと、ちょっと! そんなテンションじゃ、つまんないよー!? もっと盛り上がっていこうよー!!」
しかし、弥生さんはめげることなく、笑顔でそんなことを言ってくる。特にその矛先となっているのが如月さんだった。弥生さんは彼女の前に立って、楽しそうに笑いながら話し掛けていた。
「ねぇ、如月さん。聞いてるー? おーい、如月さーん?」
「……」
しかし、如月さんは何も答えない。弥生さんの呼び掛けに応じることもせず、ただただ無表情で遠くを見ているだけだ。そんな如月さんと弥生さんの間に、卯月がスッと割り込んでいった。
「おい」
「ん? 何、卯月くん?」
突然割って入ってきた卯月に、弥生さんはキョトンとした表情で首を傾げる。それに対して、卯月は鋭い目つきで彼女を睨み付けると、ハッキリとした口調で言った。
「別によ。そんなもんは強要するもんでもねえだろ。如月は如月のペースでやらせてやれ」
「えー、でもさー。せっかくのこういう機会なんだから、仲良くしたいじゃん」
ぶーぶーと文句を垂れる弥生さんに対して、卯月は呆れた表情を浮かべると、溜め息を吐いて言った。
「お前なぁ、如月の気持ちも少しは考えろよ」
「んー、まぁ、それもそっかぁ……」
卯月の言葉に納得したのか、弥生さんは少し残念そうにしながら一歩後ろに下がる。そして卯月は如月さんへ視線を向ける。
「お前も呼び掛けに反応するぐらいはしろ。じゃないといつまでも絡まれるぞ」
「……」
「……チッ」
しかし、卯月からそう言われても、如月さんは相も変わらず興味無さそうな態度のままである。そんな彼女の態度を見てか、卯月は舌打ちをして、彼女から離れていった。どうやらもう話すことはないと判断したらしい。
それにしても……如月さんと卯月って、どういう関係なんだろうか? 卯月は最初に会った時、彼女のことを知っていたから知り合いかと思ったんだけど、どうもそんな風には見えてこない。
如月さんも如月さんで、卯月が同じ班になったことを伝えた時、明らかに嫌そうな顔をしていたので、少なくとも仲が良いとは言えないだろう。
まあ、でも。前に如月さんに告白をしていた彼にもそうだったけど、彼女は近寄ってくる相手に対しては塩対応なのがデフォルトなので、卯月についてもあまり気にする必要はないのかもしれない。
そんなことを考えていると、卯月が僕の傍に近寄ってきた。そして彼は如月さんの方を見ながら、僕に耳打ちしてくるように言う。
「お前も何か言ってやれ」
「えっ、僕が……?」
「ああ」
卯月の言葉を聞いて戸惑いながら僕がそう聞き返すと、彼は面倒臭そうな表情をしながら頷いた。
「俺があれこれ言うよりも、お前が言った方が、あいつも言うこと聞くだろ」
「そ、そうかな……? いや、そんなことはないと思うけど……」
僕はそう言いながら視線を如月さんに向ける。すると丁度その時、彼女がこちらを見ていたようで目が合ってしまった。その瞬間、反射的に顔を逸らしてしまう僕。そんな僕を見てか、卯月は溜め息を吐いていた。
「はぁ……まあいいや。とりあえず任せたからな」
「あ、うん」
そしてそう言うと、卯月は僕の肩を軽く叩いてから離れていった。僕はそんな彼の背中を見つめながら、どうしたものかと考える。
正直、何を言っても聞いてくれなさそうな気がする。というか、そもそもの話、卯月が言うように、如月さんが素直に言うことを聞くかどうかも怪しいところだ。
とはいえ、このまま放置していても良い方向に転びそうにないし、ここは覚悟を決めて言うしかないのだろう。
そう思って、僕は一度深呼吸をしてから、ゆっくりと彼女に近づいて行った。そして、彼女に声を掛ける。
「えっと、如月さん……」
「……なに?」
恐る恐る声を掛けた僕に対して、如月さんは相変わらずの無表情で、淡々とした口調で返事をした。その声色からは、何の感情も感じられない。僕は思わず気圧されそうになるが、何とか堪えて言葉を続ける。
「えっと……弥生さんも言っていたけど、せっかく同じ班になったんだからさ。もうちょっと、仲良く出来ないかなと思って……」
「……」
僕の言葉に、如月さんは黙ったまま僕を見つめている。その視線を受けて、僕は何だか気まずくなってしまい、つい目を逸らそうとしてしまったが、どうにか堪えることが出来た。それから数秒ほど経った後、ようやく如月さんが口を開く。
「……善処する」
「え、あっ、う、うん。ありがとう……」
相変わらず感情の籠っていない声で、しかも棒読みのような喋り方だったが、一応は頷いてくれたので、僕はホッと胸を撫で下ろす。
「よーし! じゃあ、改めまして……今日は一日よろしくね!」
そこで、今まで黙って僕たちのやり取りを見ていた弥生さんが、元気な声でそう言った。それを聞いた如月さんはまた無言ではいたけれども、小さく頷いて応える。
僕もそれに合わせて、弥如月さんと同じように頷き返した。そして、卯月も無言のままではあったが、僕らに合わせるかのように頷く。それを見て、弥生さんは嬉しそうに笑顔を見せた。
「うんうん! やっぱり皆で協力しないとね! ほら、早く行こう!」
そして、弥生さんは元気よく歩き始める。そんな彼女に続くように、僕らは歩き始めた。