「最低」
私はそう言いつつ、煌真に掴まれていた腕の辺りを手で何度も払った。まるで汚いものに触れられたような視線を送りつつ、嫌悪感を露わにしていると、煌真は少しムッとした表情を見せた後で、腕を組んでこちらを見下ろしてきた。
「あぁん? さっきから文句ばっかり言いやがってよぉ、少しはこっちのことも考えやがれってんだ」
「嫌」
「即答かよ……いや、俺だって本当はこんなことしたくなかったんだぞ」
「だったら、しなきゃいいのに」
「あのなぁ……。それを言うなら、お前がさっさと帰っていればこんなことにはなってなかったんだからな?」
「そんなの知らない」
「こ、こいつ……」
私の言葉に煌真は呆れ果てているようだった。確かに今の言動だけを見れば、私も酷いことを言っていると思う。だけど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
私が黙ったままでいると、彼は諦めたように大きな溜め息を吐いていた。そして乱雑に自分の赤い髪の毛を掻きむしっていた。
「あー、くそ! もういいわ、めんどくせぇ。ほら、行くぞ」
「嫌だって言ってる」
「うっせ、黙れ」
「臭い」
「それはさっき聞いたわ!」
「息が臭い」
「くっそ、マジで腹立つな、お前……!」
私がしつこく拒否し続けると、彼は苛立った様子を見せながらも、再び私の腕を掴んで引っ張っていく。私は抵抗するが、彼の方が力は強く、すぐに引き摺られてしまう。
「痛い、離して」
「ダメだ、絶対に連れて帰る」
「どうして?」
「どうしてもこうしてもあるか。お前に何かあったら困るんだよ」
「意味が分からない」
「……お前が心配なんだよ、分かれや」
「……気持ち悪い」
「何でだよ!?」
煌真の言葉に私が率直な感想を述べると、彼は大きな声で反論してきた。そんな彼のことを冷ややかな目で見つめながら、私は淡々と言葉を続ける。
「煌真なんかに、心配される筋合いはない」
「てめぇ、人が心配してやっているのに、何てことを言いやがる」
「頼んでない」
「頼まれてなくても、こっちは勝手にやってんだよ」
「迷惑」
「うるせぇ、もう決めたんだよ」
「横暴」
「なんとでも言え」
そして煌真は自分の靴と、私の靴箱から靴を取り出して、私に向けて差し出してきた。だけど、それを素直に受け取るというのは、何となく癪だったので、私は差し出された靴を無視してそっぽを向いた。
「おい、受け取れよ」
「いらない」
「はぁ? お前、何言ってんだよ」
「必要ない」
「必要あるだろうが」
「無い」
「あるって」
「無いから」
頑なに受け取ろうとしない私に痺れを切らしたのか、煌真は大きく舌打ちをすると、自分の靴を先に履いてしまった。それから私の方に向き直り、早くしろと目で訴えてくる。
「……」
「ほら、早くしろよ」
「嫌」
「いいから、とっとと靴を履けって言ってんだろうが」
「……じゃあ、履かせて」
「はぁ?」
「そう言うなら、煌真が履かせて」
私がそう言うと、煌真は心底意味が分からないといった感じに表情を歪めて見せた。私はそんな彼の反応を無視しながら、じっと彼の顔を見つめることにした。すると、彼は困ったような表情をしながら頭を搔いていた。
「あー、ったく……仕方ねぇな。今回だけだぞ」
やがて根負けした様子の煌真が、そう言って渋々といった様子でこっちに来いと手で合図してくる。私は無言のまま頷くと、ゆっくりと彼の元まで歩いて行った。そして彼に向けて自分の足を差し出した。
煌真は私の前に跪くと、丁寧に上履きを脱がせて、持っていた靴を渋々といった感じに履かせてくれた。自分で要求したことなのに、いざやってみると恥ずかしくて堪らない気持ちが込み上げてきて、私は頬が熱くなるのを感じた。
「……煌真はさ」
「あ? 何だ?」
「本当に、変態だよね」
「……うっせ」
「普通頼まれても、靴なんて履かせようとしないと思うけど」
「うるせえ、黙ってろ」
「変態」
「……学校来るのに、そんな派手な赤い下着を穿いている奴に言われたくねぇよ」
煌真がそう言ったタイミングで靴を履き終えることが出来たので、私は靴の底を使って屈んでいる煌真の顔面を思い切り蹴り上げた。鈍い音と小さな唸り声と共に煌真はその場に倒れ込む。
「痛ぇ! 何すんだ、てめぇ!」
「セクハラ男には当然の報い」
「だからって蹴ることないだろ!」
「うるさい、変態」
私は短くそう告げてから、煌真の横を通り抜けて校舎から出て行った。背後から何やら怒鳴り声が聞こえてきたけど、無視することにした。
どうせ無視したところで、彼が追い掛けてくるのは分かっているからだ。だって、帰る方向は一緒なのだから。昔からそうやって、何かと私のことを気に掛けて、勝手に面倒を見ようとして損な役回りばかり引き受けるのだから、本当にお人好しだと思う。
そういうところが嫌いで、それでいて嫌いになれないところが大嫌いだった。だからこそ、私は煌真のことが苦手で嫌いで仕方がないのだ。
それなのに、私に何かあった時にはいつも側に居るものだから、嫌いになり切れない自分がいる。それが余計に腹立たしくて仕方がなかった。
「……やっぱり、嫌い」
私は誰にも聞こえないくらいの小さな声でそう呟くと、煌真に追い付かれないように足早にその場を後にした。
そんな中、私はふと思うことがあった。煌真はこんな感じに心配をしてくれるけど、彼は―――蓮くんなら、どうなのだろうか? 彼はどんな風に私を助けてくれるのだろうか?
そんなことを考えてしまった自分自身に対して、私は小さく首を横に振った。多分だけど、彼はここまではしてくれないだろう。偽りの関係性の私に対して、そこまでする義理はないのだから。
彼もそれが分かっているからこそ、必要以上に踏み込んではこないし、放課後になって私に会いに来なかったのだろう。だから、私も彼に連絡を取るような真似はしなかったし、会うつもりもなかった。これ以上、彼を巻き込んではいけないと思ったから。
それでも、心の中で思ってしまうことがある。もしも、あの時に来てくれたのが煌真じゃなくて彼だったらどうなっていただろうか? ……いや、考えるだけ無駄だと思う。
だって、そんなことはあり得ないし、あり得てはいけないことなんだから。それに、私には誰かに頼る資格なんてない。今までずっと一人で生きてきたのに、今更誰かに助けを求めることなんて許されるはずがないんだから。
私はそう思いながら、校門を抜けて帰り道を歩き始めた。足取りは決して軽いものではなかったけれど、それでも私は歩き続けた。
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