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約束も何も無い待ち合わせ。やって来たのは違う相手だった。




 ******




 最後の授業が終わってから、さらにホームルームが終わってから数時間が経過した。その間にも空の色はどんどんと変化をしていて、澄んだ青色だった空はいつの間にかオレンジ色へと変化していた。


 そんな夕暮れ時、私は屋上にあるフェンスの金網の隙間から、夕焼け色に染まった街並みを見下ろす。少しずつ街灯が点灯していく様子を眺めながら、ぼんやりと物思いに耽っていた。


 本当なら、もう帰ってもいい頃だった。時間的にも、下校をしている人の数的にも、私がいつも帰る為の条件には当て嵌まっている。それなのに、どうしてまだ残っているのかと言うと、それは何となく帰る気がしなかったからだ。


 だからこそ、空が暗くなり、空気が徐々に涼しくなってきている今でも、私は屋上から離れることは無かった。金網の隙間に指を掛けて、それでいて景色を見下ろしながら、ただじっと考え事をしていた。


「……くしゅんっ」


 肌寒さを感じてくしゃみが出てしまう。もう何度目のくしゃみなのかは分からない。それぐらいの回数を今日は何度もしている。明らかに体調を崩している証であった。


 その原因については分かっている。きっと、昨日の夜に冷水を浴びてから、何も着ずに寝たことが悪かったのだ。多分、それで風邪を引いてしまったかもしれない。


 だからこそ、今日はいつも以上に人を避けて過ごしてきた。朝は朝礼のギリギリの時間に合わせて登校をして、昼休みでさえいつもはここに来るところを、校舎裏の非常階段で過ごしていた。……結局、彼とは会ってしまうことになったけど。


 本当なら会うつもりも無かったのに、彼からどこにいるというメールが送られてきたせいで、仕方なく返事をしてしまった自分が恨めしい。


 心の中で悪態を吐きながら、私は小さく溜め息を吐く。こんなことになるのなら、最初から一人でいれば良かったと思う。そうすれば、余計なことを考えずに済んだし、もっと言えば体調を崩すこともなかったはずだ。


 そして時刻は夜六時を過ぎ、周りの景色が夕焼けから徐々に暗くなりつつあった。この分だと、あと一時間もしないうちに完全に暗くなってしまうことだろう。そうなれば、流石に帰らないといけない。


 私は誰にも気にすることもなく、何度目かも分からない溜め息を漏らす。すると、私の背後で何やら物音が聞こえてくることに気がついた。


 その音は出入り口の扉がゆっくりと開く音だった。誰かが来たのだろうか。見回りに来た先生か、それとも―――別の誰かなのか。


 私は外の景色に向けていた視線を、扉の方向に動かしてみる。そこに誰がいるのか、私は若干の期待を込めながら目を凝らす。しかし、扉から出てきた人物を見た瞬間、その期待はすぐに裏切られることになる。


「……」


「……よう」


 そこに立っていたのは、髪を赤く染めた少年だった。不機嫌そうに眼を吊り上げて私を睨んでいるその姿は、どう見ても怒っているようにしか見えない。


「やっぱり、ここにいやがったな。多分、そうだろうと思ったけどよ」


「……」


「……チッ、無視かよ。まぁ、いい」


 彼の言葉に私が意図的に無視を決め込むと、彼は苛立たしそうに頭を掻いてから、こちらに向かって歩いてきた。そして私の横に立つと、私と同じように外の景色を眺めていた。


 彼との距離感が少し近くに感じたので、私は距離を空けるようにちょっとだけ離れる。そんな私の様子を見て、彼は訝し気に舌打ちをした。


「んだよ、別に離れなくたっていいだろうが」


「……うるさい」


「あ?」


「臭い。近寄らないで」


 私がそう言うと、彼の表情が更に険しくなるのが分かった。しかし、それも一瞬のことだった。彼は溜め息を吐きながらやれやれといった感じに表情を崩したのだった。


「へいへい、そうですかい。臭くて悪かったな」


「……」


 私が何も言わないまま顔を逸らすと、彼は呆れたようにまた溜め息を吐いてから、私から少し離れてくれた。そして、柵に寄り掛かって空を見上げた。


「……ねぇ」


「あん?」


「何で、ここに来たの?」


 私がそう尋ねると、彼は面倒くさそうに頭を掻くと、私の方を見ないまま答えた。


「話を聞いて、お前がいると思ったからだ。どうせ、ここだろうってな」


「何それ。気持ち悪い」


「うっせぇな。別にいいだろうが」


「良くない」


「はぁ? 何でだよ」


「いいから」


「だから、理由を言えっつってんだろうが」


 苛立ちを募らせる彼に、私は敢えて冷たい態度を取ることにした。これ以上、関わりたくないという気持ちを伝える為に。


「……」


「……」


 沈黙が流れる中、先に折れたのは彼の方だった。彼は三度目ともなる大きく溜め息を吐くと、呆れた様子で私に話し掛けてきた。


「ったく。変に八つ当たりしてきやがって。来たのが違う相手だからって、そんなに不機嫌になることねぇだろが」


「違う相手……?」


「そうだよ。お前、立花が来るのを待っていたんだろ」


「……」


「それなのに、あいつじゃなくて俺が来たから機嫌が悪いんじゃねぇのか?」


 彼の言葉を聞いて、私は少しだけ考えてから首を横に振った。


「違う、そんなことない」


「じゃあ、何でそんなに機嫌が悪いんだよ?」


「それは……」


 彼からの指摘に、私は言い淀んでしまう。それは間違いなく、彼の指摘が正しいものであったから。でも、それを素直に認めるわけにはいかない。


「……煌真が臭いのが悪い」


「はぁっ!? 何だよ、そりゃ!」


「本当のことだから」


「いや、お前なぁ……」


 彼―――煌真は困ったように頭を搔くと、横目で私のことを見てきた。その視線が鬱陶しかったので、私は顔を背けて彼を視界から外すことにした。


「……はぁ。もう何だっていいや。とりあえず、お前……いつまでもこんなところにいないで、さっさと帰るぞ」


「嫌」


「嫌、じゃねえよ。どうせここでいくら待っても、何にもならないだろ」


「それでも嫌」


 私がそう言って煌真を突き放すような態度を取った後、私は不意にくしゃみが出てしまった。それを見た彼が、心配そうに声を掛けてくる。


「おい、大丈夫かよ」


「……別に」


「そもそも、お前よ。今日は体調崩しているんだろ。それなのに、こんなところにいたら悪化するに決まってるだろうが」


「知らない」


 私は素っ気なく返事をすると、そっぽを向いて黙り込んだ。それを見て、彼は呆れたような表情で深く息を吐いた。


「全く、お前は本当に昔から頑固だな。仕方ねえ、こうなったら力尽くだ」


「え?」


 私は驚いて振り返った瞬間、腕を掴まれた。そしてそのまま煌真は私を引っ張りながら屋上から出て行こうとする。突然のことに私は抵抗することも出来ず、されるがままになってしまう。


「……離して」


「うるせぇ、黙ってろ」


 抵抗も虚しく、私はずるずると引っ張られていく。必死に踏ん張ろうとするも、上手く力が入らないせいか、どんどん引きずられていった。


「だから、離して」


「離したら逃げるだろうが、馬鹿が」


「煌真の変態」


「はっ、何とでも言えよ。とにかく、俺は絶対にお前をここから連れ出すからな」


「意味分かんない」


「分からなくて結構だよ」


「やめて、触らないで、変態。気持ち悪い、臭い、気持ち悪い、臭い」


「……お前、その言い方はあんまりだからな」


「離さない煌真が悪い」


「はいはい、分かったから大人しくしてくれや」


 そうしたやり取りをしながらも、私は煌真に連れられて、階段を下りて一階へと辿り着く。そこでようやく私は解放された。私は煌真のことを睨みつけると、彼は悪びれた様子もなく平然としていた。




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