「まったく、市民を守ったのに長時間拘束なんて、やってられないな」
「そう言うな。俺だって心苦しいんだ。仕事だから上の指示に従うしかないんだ」と、圭は弁解する。
「それで、その指輪どうするんだ? 『暴食』に対抗できるとはいえ、代償が大きすぎる」
あのモンスターの名前は正式に「暴食」と決まったらしい。たぶん、圭が提案したんだろう。ここ最近の異常事態――スーパーでの買い占めなど――はあいつが原因なのは間違いない。しかし、どういう原理なのかは謎のままだ。
「この指輪か……。あいつは、体を黒いオーラで覆っている。この前の戦闘からするに、銃撃じゃ倒せないな。だから、こいつの力が必要になるはずだ」
仮に記憶を失うデメリットがあろうと、世界を守るためには必要だ。おそらく、使用時間に比例して消える記憶の量が多いのだろう。ならば、一瞬で片づける必要がある。どうやって瞬殺するか、名案はないが。
「お前は昔から『自分よりも多くの人のために』がモットーだからな。やめろと言っても無駄だろうな。俺も可能な限り援護する。でも、限界ってものがある。自己犠牲は、ほどほどにしておけよ。自分が無事であってこそ、他人のために動けるんだからな」
最後の一言が胸に突き刺さった。
「分かってるって。俺だって、里帆や圭のことを忘れたくはない。無茶はしないさ」
翌朝、肌寒い中ポストに向かう。新聞はとってないから、何も入っていないだろうけど。
「あら、海堂くんじゃない。おはよう。春の終わりが近いのに寒い日が続くわね」
隣の庭から声をかけられる。隣人なのは間違いない。が、この人の名前が思い出せない。誰なんだ、一体。
「ボケっとして、どうしたのよ」
相手のポストをチラッと見ると「糸井」と書かれている。適当に話を合わせるしかない。
「いいえ、少し考え事をしていて。ほんと、寒いですよね。糸井さん」
糸井さんは怪訝な表情だ。あれ、何か間違っていたか……?
「ちょっと、いつも通り『糸井おばさん』でいいのよ。さん付けなんて、水臭いわね」
どうやら、呼び方がまずかったようだ。
「海堂くん、この間はごめんなさいね」
「この間……?」
この人と何かあったらしいが、まったく記憶にない。
「ほら、スーパーでのことよ。私、強迫観念でどうかしていたわ」
「ああ、あれのことですか。気にしないでください」
スーパーで何かあった……? そういえば、この人と会ったような、会わなかったような。どうも、モヤがかかったように頭がぼんやりとする。指輪をはめれば頭がスッキリするだろうが、それではますます記憶を失ってしまう。
「俺、用事を思い出したんで今日はこのへんで失礼します」
これ以上話していると、ますます怪しまれる。近所で変人と噂されては困ってしまう。俺は、そそくさとその場を後にした。
「なるほど、そのおばさんの記憶がすっぽり抜けてたわけね。状況がまずくなってきたわ」
「と、言うと?」
ソファーにもたれかかる。まあ、うちのソファーは十年近く使っているから、ふかふかしていないが仕方ない。もちろん、里帆も気にしてはいない。それはそれで悲しいが。
「このまま指輪を使い続ければ、もっと記憶が抜け落ちる。今回のことから考えると、当然どこが抜けたかは分からないわ。生活に支障がでるのは間違いないの。それに――」
里帆は言うか迷っている。しかし、意を決したらしい。口を開くとこう言った。
「今回のモンスター、つまり『暴食』を倒せたとして、それで終わりじゃないわ」
「……? どういうことだ」
「もし、古文書通りならモンスターは七体いるはずよ。晴人のことだから、全部を倒したくなるのは分かってる。でも、私の気持ちを考えて。これ以上、記憶をなくして欲しくないの。もし、私のことを忘れたら……正気でいられる自信はないわ」
里帆の頬を涙が伝う。
俺は大事なことを忘れていた。モンスターによって被害を受ければ、家族は悲しむ。同じように俺に何かあれば悲しむ人がいる。一番辛い思いをするのは里帆なんだ。
里帆を思って戦うのをやめるか。あるいは、世界を守るために記憶を失うか。天秤にかけるまでもない。
その時だった。糸井おばさんの悲鳴が聞こえたのは。ただならぬ声だ。
「行くぞ!」
「もちろんよ」
家を飛び出ると、糸井おばさんが襲われていた。「暴食」に。
「里帆、警察に――いや、圭に連絡だ! 圭が来るまでは、俺が何とかする!」
「さっきの話を思い出して! 指輪に頼れば反動がでかいわ。ううん、でかいじゃ済まないのよ!」
「安心しろ。いざって時まで使わない」
こいつを倒す時だけ力を使えばいい。圭が来るまでの時間稼ぎさえできれば、勝機はある。
「暴食」の体はでかいが、その分素早い動きはできない。
奴の腕が振り下ろされる。だが、スローモーションだ。ステップを踏んで、攻撃をかわす。さっきまでいた道路の舗装は、跡形もなく消え去っていた。
「いくら動作が遅くても、当たれば間違いなく死ぬな」
額を汗が流れる。
里帆を見ると、スマホに向かって叫んでいる。圭への連絡は大丈夫そうだ。警察署は近い。五分もすれば応援が来る。それまで、こいつを引きつけなくては。もし、俺が動くのをやめれば、糸井おばさんに襲いかかるかもしれない。
「もうそろそろか……?」
パトカーのサイレンの音が近い。
こいつを倒す作戦を実行するには、圭との連携が必須だ。
「晴人! どういう状況だ!」
「見れば分かるだろ。『暴食』を倒すぞ! 圭、今から言う通りにしてくれ」
攻撃の合間に圭に作戦を耳打ちする。
「それ、うまくいくのか?」
「大丈夫、うまくいく。さあ、モンスター退治といこうじゃないか!」