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第3話 力の代償

「こいつが『暴食』……なのか?」


 でっぷりとした体に大きな口。歯は黄色く、とてもこの世の生き物とは思えない。


 仮にこいつが「暴食」だとして、どうやって乗り越えるんだ? この怪物――明らかに人ではない――を乗り越える、つまり倒すには銃火器がないと無理だ。やはり、圭たち警察に任せるべきだ。だが、この場に警察はいない。どうする?


 あたりを見渡すと客の大半が散乱したテーブルやイスの陰に隠れている。もちろん、里帆も。このままじゃ、この場の人間は全員殺される。


 俺は足元に落ちていたプラスチック製のイスを担ぐ。そして、思い切り振りかぶる。


「これでもくらえ!」


 勢いよくモンスターに叩きつけるが、あっという間に粉々に砕け散る。それも、皮膚にぶつかる前に。


 こいつ、変なオーラをまとってる。禍々しい黒色のオーラが本体を守っているに違いない。


「晴人、逃げて! そいつから離れて!」


 里帆の声が聞こえた――と思った時には、体は宙を舞っていた。


 ああ、このまま地面にぶつかって死ぬんだな。もっと、里帆と一緒に過ごしたかった。言いたいことも山ほどある。だが、それも叶いそうにない。じゃあな、里帆。


 蔵で見つけた指輪が地面から飛び上がる。まるで、意思があるかのように。指輪からは薄く黒い何かが漏れ出ている。里帆や圭の言う通り、こいつは危ない代物かもしれない。だが、はめていた時は蔵に拳をぶつけてもなんとも感じなかった。つまり――。


 指輪をはめると、体中を薄い黒色のオーラが包み込む。あの時と一緒だ。地面にぶつかる衝撃に備えて腕で顔面を覆う。ズシン、と音を立てて着地する。普通なら骨折、いや、死んでいただろう。だが、そうはならなかった。指輪のおかげに違いない。こいつがあれば、あの怪物とも対等に渡り合える気がする。


「こいつをくらえ!」


 ボディーブローがヒットすると、モンスターは後ずさりする。確実にダメージを与えられている。


 このままラッシュをくらわせれば、倒しきれる!


 パトカーのサイレンが聞こえてくる。


「グギガゲゼヨ」


 そう叫ぶとモンスターは背を向けて逃げ出そうとする。


「させるか!」


 足を振り上げて、かかと落としをくらわす――はずだった。しかし、空を切り地面に突き刺さる。


「ちっ、外したか」


 パーン、と音が鳴る。勘違いじゃなければ銃声だ。やっと警察が来たらしい。


「おい、そこの民間人! そいつから離れろ!」


 離れろ? とどめを刺すチャンスを逃すわけないだろ。


「今度こそ、終わりだ」


 拳を顔面に食らわせる。しかし、モンスターの顔に黒いオーラが密集し、衝撃が吸収される。


 こいつ、オーラを自在に操れるのか。それなら、きっと俺にもできるはず。オーラよ右手に集まれ。集まれ。


「これは……」


 拳のオーラは揺らいでいるが、剣の形をしている。こいつの斬撃で切り裂く!


 腕を振り上げると、拳銃を手にした警官が視界に入る。遠くからモンスターを撃つつもりか。だが、それはまずい。間違って俺に当たれば即死する。オーラが守っているのは右腕のみ。


 素早くモンスターから離れる。向こうも好機と受け取ったのか、ぶよぶよとした巨体を揺らしながら逃げていく。


 ちくしょう、トドメまでいけなかった。このままでは、どこかで奴による被害が増えていく。悔しいが、今回はここまでだろう。


「あなた、そこで何してるんですか!」


 警察官が慌てて近寄ってくる。俺の右腕を見るなり、顔が引きつる。


「お前……奴の仲間なのか?」


「それは違う! 俺は奴を倒そうとしただけだ」


 俺は指輪を引き抜いて黒いオーラを消し去る。これなら問題あるまい。


「そうだとしても、署に来てもらうぞ。詳しい話を聞かせてもらおうか」


 なんだか面倒なことになってきたぞ。


 駆けつけた警官の中に圭の姿がある。それなら話は早い。


「圭、なんとかしてくれ」


「そう言われても。これは職務だからな」


 市民を守ったのに連行されるのは納得がいかない。


 圭が耳打ちしてくる。


「言っただろ? 不審者が目撃されているって」


 不審者と誤魔化していたのは、市民の不安を和らげるためか。つまり、警察は「暴食」と思われるモンスターの存在を隠していた。


「なあ、さっきからお前のことを見つめてる女の人がいるんだが」


 圭の視線の先にいたのは里帆だった。


「里帆、ごめん。心配させて」


「ううん。だけど、あの黒いモヤモヤは何? 指輪をはめてから、おかしくなったわ。やっぱり、それは捨てるべきよ」


「これを捨てる? それじゃあ、またモンスターが現れた時に対抗できない」


「晴人、あなたが戦う必要はないわ」


 里帆は、どうしても指輪を捨てさせたいらしい。頭がスッキリと冴える感覚。そして、イメージ通りに操れるオーラ。問題はないように思うんだが。


「へえ、この人がお前の恋人か? 俺は小野寺圭。こいつの幼馴染だ」


「聞いたことがあるわ。骨董屋の息子だって」と里帆。


「おいおい、二人で盛り上がるなよ」


 人の恋人に馴れ馴れしく話しかけて欲しくはない。


「それで、二人はどうしてここに?」と圭。


「それは、えーと。なんでだっけ」


 俺の言葉に里帆が固まる。まるで、氷像のように。


「え、ショッピングの休憩でしょ? ちょっと、しっかりしてよ」


 そういえば、そうだった……ような。あまり、記憶がない。


「ねえ、その指輪、はめていると『記憶がなくなる』なんてことないわよね」


 記憶がなくなる? なんとなく身に覚えがある。蔵ではめた時も、里帆から聞くまで指輪は彼女からもらったと勘違いしていた。


 もし、記憶を失うというデメリットがあるなら大きな問題だ。今回は小さな記憶で済んだ。もし、これから力の行使を続ければ、次になくす記憶は里帆との思い出かもしれない。いや、すでにそうなっている。


 途端に手のひらに乗った指輪が恐ろしくなった。こんなもの、どこかに行ってしまえ!


 思い切り放り投げる。指輪は弧を描いて飛んでいく――。と、思いきや、ブーメランのように手元に戻ってくる。まさか、生きているのか?


「な、なんなのこれ……」と里帆が一歩後ずさる。


「……やっぱりお前は、普通の人間じゃなくなってるのかもしれないな」と、圭がつぶやく。


「この指輪、警察に預けた方がいい。鑑識に――」


「無理だよ、圭」と俺は言った。


「こいつ、捨てようとしても戻ってくる。たぶん、もう俺から離れない」


 里帆の手が俺の腕をつかむ。か細い声で言った。


「お願い、晴人……その指輪に飲み込まれないで」


 俺は答えられなかった。ただ、じっと指輪を見つめることしかできなかった。


 その時――。


 俺の影が、かすかに揺れた。


 風は吹いていない。照明も変わっていない。それなのに、俺の足元の影だけが、にじむように歪んだ。


 誰も気づいていない。里帆も、圭も。


 俺だけが、それを見ていた。


 指輪の黒いオーラが、わずかに、影へと伸びていた。


 まるで、何かとつながっているかのように――。

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