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第2話 七つの大罪、最初の兆し

「いったい、どうなってるんだ……?」


 スーパーでの買い占め騒動は二週間目に突入している。食品の値段は上昇し続け、一部の市民が買えない状況だ。明らかに何かがおかしい。


「この惣菜、高いけど買うしかないか……」


 惣菜のパッケージに手を伸ばした時、バチンという音とともに手の甲に痛みが走る。


「ちょっと、それは私が先に買おうとしたのよ!」


「いや、俺の方が先に……」


 相手を見ると、そこには目が血走った老婆の姿があった。隣の糸井おばさんだ。普段は穏やかな彼女が俺の手を叩いたのか。信じられない。心が荒むと人はここまで変わるのか。


「いくらお隣さんでも譲らないわよ。これは、私のもの! 他のものを買いなさい」


 他のものをと言われても、残っているのは目の前のこれ一つ。だが、争いは好きじゃない。ここは譲るか。


「どうぞ……」


「それでいいのよ」


 惣菜を引っ掴むと糸井おばさんはレジに向かって行った。


 彼女の後ろ姿を見ると、数日前よりふくよかになっている。数日でここまで変わるのか? 暴飲暴食をしたとしか考えられない。だが、「コレステロール値が高くて困っている」と言っていた人が、そんなことをするのだろうか。


 ブルルと音を立てて、スマホが震える。ディスプレイには「圭」との表示。例の古文書と指輪の件か。


「もしもし、俺だよ俺」


 いや、俺と言われても困る。声からして圭なのは間違いないが、警察官がオレオレ詐欺のような話し方をするのはどうなんだ。


「電話をかけてきたってことは、時間ができたってことか? 指輪を見るための時間が」


「まあ、なんとかな。今日は非番だ。そうは言っても、暇じゃあない。最近は非番でも、バンバンと応援要請がくるからな。短時間だが勘弁してくれ」


「了解。じゃあ、いつもの場所で」





 「いつもの場所」は、近所の神社の裏手にある小さな公園だ。子どもたちの姿もなく、今は誰もいない。


 五分もしないうちに、圭が姿を見せた。目の下にはうっすらとクマ。多忙なのだろう。


「よう。で、例のブツは?」


「ブツって……。まあ、これだよ」


 俺は古文書と指輪を手渡す。圭は目を細め、じっとそれらを見つめた。


「へぇ……。これはかなり古いな。和紙の質からして、江戸時代以前の可能性が高い」


「さすが骨董屋の息子。で、指輪の方は?」


「見た感じ、真鍮製……か? でも、妙に軽いな。中が空洞かも。宝石は入ってないし、装飾も最小限。でも……」


 圭の表情が曇る。


「なんだ?」


「うまく言えないけど、これ……なんか、嫌な感じがする。警察的に言えば、『何か事件に関わってる可能性』がある」


「いや、まさか」


「確証はない。でもさ……ここ最近、都内で妙な事件が相次いでるんだよ。人が異常に食べて、そのまま倒れるケースが増えてる。しかも、原因はどれも不明」


「まさか、それが……暴食?」


「暴食……? ああ、その古文書に書かれてた、七つの大罪ってやつか?」


 俺はうなずく。


「信じられないかもしれないけど……何か、ただの偶然って気がしないんだ」


「運命ってことか?」


「いや、宿命の方が正しいかもしれない。古文書にはこう書かれていた。『人は七つの罪を乗り越えし時、神に至る』。つまり、この暴食事件を解決する必要がある……?」


 圭のポケットから緊急地震速報のような、けたたましい音が聞こえる。


「こりゃ、呼び出しだな。まあ、一連の騒動は俺たち警察に任せておけ」


 圭は俺の肩を軽く叩く。


「そうそう、最近は不審者の目撃情報も多い。気をつけろよ」





「なるほど、その友達は『ヤバい代物』って判断したわけね。私と同じじゃない」


 里帆は、コーヒーに注いだミルクをストローで混ぜる。太陽を反射して少しまぶしい。


「そうか? これ、蔵ではめた時は頭がスッキリして悪くはなかったんだけど」


 俺は指輪をいじくる。


「それは危険な兆候よ。癖にならないように気をつけた方がいいわ」


「はいはい」


「真剣に聞いてよね」


 目の前では、コーヒーとミルクが混ざり合って茶色になっていた。


「それにしても、皮肉だな」


「何が?」と里帆。


「ダイエットが流行ったと思ったら、次は暴食だ。そのコーヒーとミルクみたいなものさ。どちらも行き過ぎはよくない。だが、混ざり合えば適切になる」


 次の瞬間、テラス席に何かが突っ込んでくる。


 まさか、車か!?


「里帆、伏せろ!」


 頭を抱えて背を低くする。煙があたりに立ち込める。あたりがざわつく中、煙の向こうから誰かがやってくる。


「人……じゃないな」


 煙が薄れて何者かの姿が鮮明になる。そこにいたのは、モンスターとしか言いようがない不気味な生命体だった。でっぷりとした体に大きな口。歯は黄色く、不健康な印象を受ける。


 俺の勘がこう告げた。


「こいつこそが、乗り越えるべき存在『暴食』だ」と。

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