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【現代ドラマ】彼女の望み

 僕はアマチュア小説家だ。ペンネームは坂木進。自作のサイトに拙いながらも小説をアップしている。


 今執筆中なのはSFミステリーだ。SFは自分で世界観を構築できるし、何より設定を考えるのが楽しい。SF要素だけでは作品に幅が出ないから、ミステリーという他ジャンルを組み合わせることで物語を重厚にしようと日々精進している。


 アマチュアながらも小説を書いていると、ありがたいことに徐々にファンが増えてきた。みんなが僕の書く物語を楽しみにしてくれているかと思うと、とても嬉しいし励みになる。ますます筆が進む。好循環だ。


 そんなファンの中にも特に熱狂的な人がいる。小説にはコメント欄があるのだが、新しいエピソードを公開するたびにコメントをくれる人がいる。ただ、不思議なのが匿名でコメントをくれるのだ。他のファンはペンネームを使うのだが、彼もしくは彼女はいつも匿名なのだ。では匿名なのになぜ同じ人と分かるのか。その人の文章に個性があるからだ。これでも小説家を目指しているので、文体に滲み出る個性は見分けがつく。その熱心なファンは単に「面白い」とコメントするのではなく、「主人公がこの危機をどう乗り越えるのか、わくわくどきどきしています。坂木さんなら、きっと思いもよらない方法で私たち読者の予想を越えると信じています」など、僕が照れてしまうほどに褒めちぎってくる。



 そんなふうに小説を投稿していたところ、彼女の誕生日が近づいてきた。まだ、大学生なので煌びやかな指輪をプレゼントすることはできない。でも、シンプルながらもきれいなネックレスを贈れば喜んでくれるに違いない。彼女はささやかなプレゼントでも喜んでくれる。今回もそうに違いない。彼女の喜んだ笑顔を思い浮かべるだけで、僕は幸せな気分になる。


 プレゼントを贈ると決めたからには、今以上にバイトのシフトを増やすしかない。そうなると、小説の方は一時的に休載するしかない。僕が休載する旨を告知すると様々なコメントが寄せられた。「連載再開を待っています!」「何か事情があるのでしょう。気長に待つので、無理なさらないでください」など。


 例の匿名のファンは少し違った。「あなたの書く小説は私の日常に彩りを与えてくれています。生活の一部になっています。執筆される多くの方は一度休載すると戻ってこない方が多いです。坂木さんはそんなことはしないと信じています。いつまでも待ち続けるので、再開されることを祈ります」との熱いメッセージをくれた。



 僕がバイトに勤しむ日々を送っていると、彼女からこんな言葉をもらった。「最近、バイトが多いけど大丈夫? 何か困りごとがあったら言ってね」と。優しい彼女のことだ、僕が金欠だと思っているのかもしれないが違うのだ。君に贈るプレゼントのために頑張っているのだ。だが、そんなことは口が裂けても言えない。



 さらにバイトを続けているある日のことだった。僕は疲労のあまり倒れてしまった。無理がたたったのだ。僕が自宅で横になっていると、ベルがなり来客を知らせる。恐らく彼女が僕の容体を心配してお見舞いに来たに違いない。


 玄関の扉を開けると、案の定彼女が立っていた。僕は彼女を迎え入れる。


「茂はもっと自分の体を労わらなきゃ」そう言いながら彼女はタオルの水を絞ると横になった僕の額にのせる。彼女の言うとおりだ。プレゼントで喜んでもらいたいという想いが強すぎて無理をした結果、彼女に心配をかけてしまった。


「ねえ茂。最近バイトのシフトを増やしているのって、私の誕生日プレゼントのため?」


 図星だった。僕の心の動揺が顔に現れたのに違いない。


「やっぱりそうなのね。もう、私は茂と一緒に過ごせるだけで十分なのに」


 そうなのだ。彼女はそういう性格なのだ。好きな人と一緒に過ごせるだけで幸せだと言ってくれる素敵な子だ。だからこそ、たまには良いところもみせたい。


「私ね、茂が無理して買ったプレゼントをもらっても嬉しくないわ。それよりも自分を大事にして。あなたと過ごす時間の方が大切だから。それに……」


「それに?」


「それに、私は茂の小説を読むのが一番楽しみなの」彼女が頬を赤らめながら言う。


 彼女には一度だけ自分がアマチュア小説家として活動していることを話した記憶がある。かなり遠い過去のことだ。


「実はね、茂の小説に毎回コメントを書いているのは私なの。だって茂の書く小説が面白いんだもの。お世辞じゃないわ」


 あの熱烈な匿名のファンは彼女だったのだ。僕は一つの謎が解けた。いつものコメントの文章にはどことなく親近感を覚えていたのだ。彼女が書いていたのだから当然だ。


「だからね、私の一番の望みは『茂が趣味の小説を続けてくれること』なの。あなたの小説の続きを読むことが出来れば、私は十分に幸せなの」


****


 あれから数年後、僕は相変わらず小説を書いている。趣味ではなく職業として。僕はなんとか小説家としてやっていけるようになった。


「茂、ごはんできたよー」


 キッチンから彼女の声がする。いい匂いがこちらまでただっ寄ってくる。この匂いからするに、今夜はカレーだろう。


 彼女は僕のよき理解者であり、今は僕の妻でもある。僕が小説家としてやっていけるのも、彼女の支えがあってこそだ。だから、今日も筆をとる。僕の小説を楽しみにしている彼女のために。

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