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第十一話「我々の邪魔をするなら、容赦はしません。」

「…買い物、ですか?」


里保は少し戸惑いながら、嶺二の言葉を繰り返す。

訓練や任務に日々追われる彼女にとって、「買い物」という行為はあまりに馴染みのないものだった。

特に個人的な買い物などとは無縁だ。

しかし、嶺二がわざわざ提案したことには、きっと何か意味があるに違いない。

彼女は少しの疑問を抱えながらも、嶺二の提案に素直に頷いた。


嶺二は無表情のままデスクに座り、手元のメモに何かを書き加えていた。筆記音がオフィスに微かに響く。

やがて、書き終えると、彼はその紙を里保に手渡した。


「ああ、ヒトの生活を学ぶ一環として、里保にやってもらう。」


そう言って、彼はそのメモを指さす。


里保はそれを受け取り、視線を落とす。

メモには、日用品のリストが書かれていた。

しかし、その中には明らかに必要性が感じられないものや、使い道がわからないものも混ざっていた。

メモの一部を読み上げてみる。


「タオル、手洗い石鹸、…ぬいぐるみ?」


彼女の眉が少し寄る。

ぬいぐるみが何の目的で必要なのか、里保にはまったく理解できなかった。

しかし、これは嶺二が課した「学び」の一環だ。

無意味ではないはず。

里保は黙ってそのリストをポケットにしまった。


嶺二は続けて、椅子に座っている綾子に目を向ける。


「それと、綾子も同行してもらう。ちゃんと里保を見張っててくれ。」


嶺二の頼みを聞いた綾子は、読んでいた本をパタンと閉じ、軽く肩をすくめた。


「OK、任せて。」


彼女は本を机に置き、ゆったりと立ち上がる。

その様子に里保は一瞬だけ視線を送ったが、再びじっとメモを見つめた。


メモには特に不自然なことは書かれていないはずなのに、何かが引っかかる。

彼女の思考は機械的な処理能力をフル回転させ、リストにある各項目の目的や意味を考え続けた。

そんな里保を見て、嶺二が静かに彼女の名前を呼ぶ。


「里保。」


その呼びかけに、彼女はすぐさまメモから顔を上げ、嶺二に視線を戻した。彼の表情は穏やかで、彼女が過剰に考えすぎていることを見透かしているようだった。


「そんなに深く考えなくていい。ただ町へ行き、リストにある物を買い、ここに戻ってくる。それだけだ。」


その言葉には、温かい思いやりが感じられた。

嶺二は、里保があまりに真面目に受け取りすぎる傾向を理解していた。

だからこそ、彼はあえて軽い口調でその任務を「シンプルな体験」として伝えたかったのだ。


「了解しました、行ってきます嶺二。」


里保は深く考え込むことをやめ、メモをしっかりとポケットにしまい込むと、一歩前へと踏み出した。

素早い動作でオフィスのドアを開け、すぐさま外へと出て行く。


綾子は小さく笑い、里保の後を慌てて追いかける。


「ちょっと待って、そんなに急がないでよ。」


彼女は軽やかに里保の後を追い、オフィスを後にした。


【………】


「…で?どうするの?」


綾子は前を歩く里保に問いかけた。

街中を進む二人の足音が静かな午後の空気に響く。

里保は一瞬立ち止まり、正面を見据えて答える。


「ここから300メートル先にあるショッピングモールに行きます。そこで全ての品物が揃います。」


里保は遠くにわずかに見えるショッピングモールを指差した。

彼女の言葉と動作は、任務を終えることだけを考えた効率的なものであった。


しかし、そんな態度に綾子は思わずため息をつく。


「そんな機械的に終わらせちゃダメよ。せっかくの外出なんだから、少しは楽しみなさいよ。」


言葉を口にするやいなや、綾子は里保の手を掴み、別方向へと引っ張った。


「ですが、今回の任務は…」


里保は淡々と反論しようとするが、綾子はそれを遮る。


「そういうのはナシナシ!いいから行くわよ!」


綾子の勢いに押され、里保は言われるがままに引っ張られていく。

表情こそ変わらないものの、内心では少し戸惑っているのが見て取れた。


二人が辿り着いたのは、コンビニエンスストアだった。

ドアが自動で開き、冷房の効いた店内に入り込む。


「見て、最近のコンビニはタオルだって売ってるのよ。何がどこにあるのか、そういうのも知っておくことが大事なの。」


綾子は商品の棚を指しながら説明する。

だが、里保は納得がいかない様子で首を傾げた。


「しかし、そのためにわざわざ遠く離れた場所に来るのは非合理的です」


合理性を重視する里保にとって、寄り道や回り道は理解しがたい行動だった。


「その非合理を楽しむのも必要なのよ。」


綾子は楽しそうに言い、里保は再び困惑の表情を浮かべる。


「???」


結局、里保は日用品コーナーからタオルを手に取って会計を済ませた。

任務の一部を達成したにもかかわらず、彼女の目にはいまだ疑問の色が残っていた。

だが綾子は次なる目的地へと足を向けていた。


「次は…」


綾子は里保を再び引っ張り、薬局、スーパー、ホームセンター、さらには高級洋服店まであらゆる場所に連れて行った。

里保が「非合理的です」や「命令に忠実であるべきです」と繰り返すたびに、綾子は軽く受け流し、あちこちを案内していく。


最後に二人が辿り着いたのは、ゲームセンターだった。

きらびやかなネオンと賑やかな音楽が周囲を包み込み、初めて来た場所に里保は少しキョロキョロと周囲を見回した。


「ぬいぐるみはここで手に入れるわよ。」


綾子はクレーンゲーム機を指差す。

里保は興味深げに近づき、まじまじとその機械を観察した。


「これにコインを入れて…」


綾子が操作の手順を説明し、実際にコインを投入すると、特徴的な音楽が流れ始めた。

クレーンが動き出し、綾子は慎重に座標を定めてボタンを押す。

アームが下降し、ぬいぐるみを掴むが、途中で無情にも落ちてしまった。


「駄目だったか…」


綾子は軽くため息をつきながら、操作の順番を里保に譲る。


「さぁ、やってみて。」


言われた通り、里保は機械を操作し、クレーンを正確に動かした。

だが、やはりぬいぐるみは途中で落ちてしまう。


「欠陥品ではないでしょうか。」


冷静に指摘する里保に、綾子はクスッと笑った。


「そういう風に作られてるのよ。簡単に取れたらつまらないでしょ?」


二人はさらに何度か挑戦するが、結局成功せず。


「それならば、こちらにも考えがあります。」


里保はクレーンゲーム機に手を置き、目を閉じた。


数秒後、彼女は静かにコインを入れ、同じようにクレーンを動かす。

だが今回は、ぬいぐるみを掴んだアームがそのまま最後まで持ち上げ、見事に景品を獲得した。


「…何したの?」


怪訝そうに綾子が尋ねると、里保は当然のように答えた。


「ハッキングでアームの強さを改変しました。」


ぬいぐるみを取り出しながら、まるで当たり前のことのように。


「あなたねぇ…」


綾子は頭を抱えた。思わず苦笑するしかなかった。


「我々の邪魔をするなら、容赦はしません。」


ぬいぐるみを見つめながら、里保は独り言のように呟く。


【………】


そして夕暮れが街を赤く染める頃、二人はタイナカエレクトロニクス社へと戻りつつあった。

太陽はゆっくりと沈み、長い影が足元に伸びる。


「里保、今日はどうだった?」


歩きながら綾子が問いかける。


「非合理的な一日でした。本来なら昼頃には終わっていたはずです」


里保はいつもの冷静な口調で答える。


「でもね、里保…」


綾子が何か言おうとした瞬間、里保が言葉を続けた。


「しかし、発見も多数ありました。ありがとうございました、綾子。」


その言葉に、綾子は驚きながらもほっとした様子で微笑んだ。


「非合理的ではありましたが、決して無駄ではない一日でした。」


こうして、非合理を体験した一日が幕を閉じた。

夕焼けに染まる空の下、二人のシルエットが静かに並んで歩く。

里保にとっては任務を離れた初めての「普通の時間」だったかもしれない。

合理性の追求ばかりが全てではないという新たな発見を感じながら、里保は静かに心の中で一つの結論に至る。


"たまには、こんな時間も悪くない"


そう思いながら、いつもの日常へと戻っていくのだった。





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