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第2話 新たな変態

 異世界の朝は、無駄にさわやかだった。

 澄みわたる空。鳥のさえずり。木々の間を抜ける心地よい風。

 そんな中で、俺は全力疾走していた。


「ちくしょう、まだ追ってきてるのか!?」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねるような足取り。無駄に軽い身体。全力で走っても息が切れない。

 ――これが“合法ショタ”の力か……!!


「でも逃げ切れなきゃ意味ないんだよぉぉぉ!?」


 俺の背後には、聖なる変態――クラリス・ラ=フィリアがいる。

 「神の器には祝福が必要です」などと称して、昨夜も全力で清められかけた。しかももちもちマットと香油を用意して。


(なんで清めがアロマとマッサージ仕様なんだよ!?)


 悪夢のような夜をなんとか逃げ延び、今こうして森を抜けようとしていた。

 ようやく木々が途切れ、視界が開ける。


(よし、このまま村か町に――)


「……あら?」


 声がした。


「わぁ……すごい……とても、光ってる……」


 草むらの向こう、少女が立っていた。白と紫のゆったりした衣装。

 手にはでかすぎる聴診器。首には変な数珠。

 そして目を輝かせながら、俺の腹を凝視している。


「うわ、なんかいる!?」


 俺はとっさに飛びのいた。だが、その瞬間――。


「逃げちゃダメ! そのおなか、すごく霊的波動が出てるの!」

「なに言ってんだコイツ!?」


 少女はぴょんと跳ねて俺に接近。その手には、聴診器……いや、それほんとに医療器具か?


「ねぇ、ちょっとだけ、触らせて? すぐ終わるから……ほんの三時間くらい……!」

「終わらねぇじゃん!!!」


 少女は笑顔のまま、俺にぐいぐい迫ってくる。

 俺は後ずさりながら、心の中で確信した。


(ヤバい……コイツ、クラリスとは別ベクトルの変態だ……!!)


「おなか……おなか見せて? 大丈夫、怖くないから。ちょっと温めるだけだから……」

「怖さしかねぇよ!!!」


 全力で距離を取ろうとする俺。しかし、このショタボディではリーチも短い。

 その間に、彼女――謎の巫女少女は、腰のポーチから何かを取り出した。


「精霊波測定器、起動……ぶるぶるモード!」

「なんか変なスイッチ入れたァ!?」


 小型のマッサージ器のようなそれは、ぶるぶると不穏な音を立てて震えていた。

 しかも、なぜかハート型だ。おかしい。信仰ってこんなんだっけ?


「この辺……たぶん、ここから出てる……ふにゃってしてて、あったかくて……」

「ヤメろォォォォ!! なんかやべぇぇぇぇ!!!」


 俺の理性が悲鳴を上げる中、謎巫女はさらに道具を取り出した。

 今度は……スプーン?。しかも、先端がキラキラしてる。なんか、光ってる。いや、ていうか――。


「それ、なにするつもり……?」

「ちょっとだけ、君の汗をすくって精霊に捧げるだけだから」

「ヤバさの新記録を更新中なんですけど!?」


 俺は森の地面を転がりながら必死に距離を取った。だが、そのとき――。


「……あれ? 逃げるの? どうして? 君のおなか、とっても素直なのに」

「素直なお腹って何だよ!!」


 俺のツッコミが届く前に、少女はうっとりと呟いた。


「精霊様……この子のおなか、とっても神聖です……」


 ――駄目だ、この子、話が通じないタイプの変態だ。

 あのクラリスが丁寧語でおかしい方向だったのに対し、こっちは純粋で天然すぎて、逆にタチが悪い……!

 どうする……このままじゃ、変な測定器で全身を調査される!

 俺の中の尊厳センサーが、最大音量で警報を鳴らしていた。

 そのときだった。


「……このあたりに、神の器の気配が……♡」


 聞き覚えのある、やたら艶っぽい声が森に響く。


「出たぁぁぁぁぁあああ!?」


 森の奥から現れたのは、銀の杖と異様な笑顔をたたえた聖女――。

 クラリス・ラ=フィリア(変態)――再臨。


「神の器様……ついに、見つけました♡」


 森の木々をすり抜けて現れたのは、銀の髪と極端に露出の少ない、けれど清楚すぎるほど清楚な聖衣に身を包んだ美しい女。その顔に浮かぶのは、完全なる確信と変態の自信。


「またお前かぁぁぁぁ!?」


 俺は思わず地面にへたり込んだ。

 だがクラリスは、俺ではなく、すぐそばにいる巫女少女――ティナに目を向ける。


「……異教徒、ですね?」

「えっ? こんにちは? 私はティナ・エンジュって言って、精霊様とお話ししに来ただけで――」

「『神の器』をそのまま触るなど、異端もいいところです」


 クラリスの笑顔がギラリと輝いた。

 彼女の手に握られた銀の杖から、妙に甘ったるい香りがふわりと漂う。


「『清めの香油』はお持ちですか?」

「え? え、持ってないです……なにそれ怖い……」

「安心してください。私が持っています♡」

「ヤバい、めちゃくちゃ満面の笑みでアウトなこと言ってる!!!」


 ティナが困惑して一歩後ずさると、クラリスはまるで優しいお姉さんのように一歩踏み出す。


「異教徒にも、当然、浄化が必要です……祝福のタオル、もちもちマット、そしてこのラベンダー聖香で……♡」

「それ絶対祈りじゃないだろ!!!」

「だ、大丈夫、クラリスさん! これは儀式じゃなくて、精霊観測で……その、おなかがちょっと光ってただけで……!」

「『おなかが光る』とは……やはり、器はこの子に通じたのですね……!!」

「話が斜め上に進化していってるぅぅぅ!?」


 俺の周囲で、変態的信仰心が二重螺旋で巻き起こっていた。

 クラリスは、香油を滴らせながらティナにじわじわ接近。

 ティナはティナで、「精霊の怒りが……波動が乱れてる……」とブツブツ呟き、マッサージ器を構えている。

 なにこの空間、地獄の宗教博覧会!?


「やばい、挟まれる! このままじゃ俺、アロマまみれで精霊測定される!!」


 理性が、尊厳が、命の危機が……脳内で全部赤信号を点滅させていた。

 逃げなきゃ。

 逃げなきゃ、俺の社会的生命が終わる!!


「――煙幕玉・チーズ臭Ver、発射ァァァッ!!!」


 俺はポーチからベルン老人お手製のやつを取り出し、地面に叩きつけた。

 ブシュウウウゥゥッ!!


「くっ、なんという芳醇な……!!」

「うわぁっ、くさい!? チーズ!? 乳製品!?」


 地獄の香りに包まれる二人を背に、俺はショタ足を限界まで回転させて森の奥へと走り出した。

 この異世界、ほんとどうなってんだよ……!


(お願いだから、次に出会うのは普通の人であってくれ――!!)



 どれくらい走っただろうか。

 森を抜け、川を越え、気がつけば岩場の影にうずくまっていた。

 息は上がらない。ショタボディ、すごい。でも心は……ズタボロだった。


「もう無理……心が疲れる……」


 俺は大きな石にもたれかかりながら、空を見上げた。

 木々の隙間から見える青空が、やけに遠い。


「なんでこうなるんだよ……。転移して、ショタになって、変態聖女に追われて、巫女にも腹を狙われて……」


 異世界って、もっとこう、なんかいいことあるとか、あるだろ。

 なんでおなかを狙われなきゃいけないんだ。


「くそ……俺は、ただ平穏に暮らしたかっただけなのに……」


 しん、と森が静まり返る。

 そして、その静寂を破るように――。


「……あっ、いた!」

「うわッ!?」


 後ろから飛び出してきたのは、もはや見慣れた――いや、見慣れたくない巫女少女だった。


「よかった、無事だったんだねぇ!」

「なんで来てんだよ!? 逃げてたよね!? 俺が! お前から!」

「うん、でも私も逃げてきたの。なんか、あの銀髪の人すっごく香油振りかけてきて怖くて……」


 そりゃそうだろうよ……クラリスは「清め」と称して香油スプラッシュかます聖女だぞ。


「でも……君のおなかのこと、もっとちゃんと調べたかったし」

「やっぱ逃げろおおおおおお!!」

「ま、待って!? 今はもう測定器持ってないから! 本当に! ただお話したくて!」


 俺が全力で岩場をよじ登ろうとするのを、ティナが慌てて止めに来る。

 そして、ぺこりと頭を下げた。


「ごめんね。さっきは……ちょっと興奮しちゃって。精霊の波動にすごく反応して……」

「霊感ある人が心霊スポットで壊れるみたいな感じか……」

「うう……でも、あの銀髪の人みたいに怖くはないよ? 私、優しいし……押し倒したりしないし……もちもちマットも持ってないし……」

「比較対象がヤバいんだよ……!」


 ため息をついて、俺は石の上にどさっと腰を下ろした。

 ……たしかにクラリスと比べれば、こっちの方が話は通じる。変だけど。


「……はぁ。で、お前、名前は?」

「ティナ! ティナ・エンジュ! 君は?」

「ユウト。こっちの世界に転がり込んで、合法ショタにされた被害者だよ……」

「ごうほうしょた……?」

「あ、いや、忘れてくれ。むしろ忘れてくれ」

「そっかぁ……ユウトくん、大変だったんだね……」


 ティナはぽん、と俺の頭に手を置いた。優しい。けどその手にはまだチーズ臭が微妙に残ってる。


「やめて。落ち着く前に別の意味で魂が抜けそうだから」

「ふふ、ごめん。でも、ちょっと嬉しいかも。こうやって、話せて」

「なにが?」

「だって、私、あんまり人と仲良くなったことなくて……。精霊のことばっかり話してたから、よく『変な子』って言われて……」

「まぁ、変だしな」

「うん、知ってる」


 あっさり肯定したこの子、逆に怖い。

 でも、ちょっとだけ……クラリスとは違う意味で、不器用なんだろうなって思った。


「だからね、私、決めたの!」


 ティナが、くるっと振り返って人差し指を天に向けた。


「これからは、君と一緒に逃げる!」

「えっ!? いやいやいや、待て待て。なんでそうなる!?」

「だって私もあの銀髪お姉さんから逃げてるし、君もでしょ? 一緒にいた方が効率いいじゃない?」

「いや、むしろ危険倍増では!? お前も狙われてたじゃねえか!」

「そしたらユウトくんが守ってくれるもんねっ!」

「俺が!?」


 どや顔で拳を握るティナ。明らかに戦闘力ゼロ。

 ていうか守られる側の俺が守る側に回ったら、この世界終わる。

 ……が。


(まぁ、ひとりよりはマシ……か?)


 クラリスの異常な執着心を思い出す。あの人、絶対また来る。絶対に。


「……ため息で世界が曇りそうなんだけど」

「わかる。私も毎日そんな感じ」

「嘘つけ」


 でも、こんな世界で、ちょっとでもマトモに喋れる相手がいるのは――。

 ――たぶん、悪くない。


「……わかったよ。好きにしろ。俺が逃げるから、お前も巻き込まれるだけだけどな」

「うんっ! よろしくね、相棒っ!」


 満面の笑みで手を差し出してくるティナ。

 ……しょうがねぇな、とぼやきながら、俺はその手を握り返した。


(俺の逃亡劇、ますますカオスになりそうだ……)

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