それは言った。この世界を赦してほしいと。
そして、もしできるならこの世界を救う者たちを助けてほしいと。
それを果たしてくれるならば、命を繋ぎ、力を分けてやると。
彼は答えた。是と。
だってあまりにも悲しかったのだ。このまま終わってしまうのが。
色んなものが見てみたかった。
色んな人に会ってみたかった。
他の子どものように自由に外を走り回り、遊んでみたかった。
自分には、何もかもがなかったから。
だから、もう少し生きられるなら、それでいいと思った。
そもそも許せぬものなど何もない。
助けたかったものを助けられたこともない。
誰かの助けになれるなら、それもいいと思った。
それは言った。最初は分からぬことも多いだろうと。
けれども務めを果たしてくれるならば、それもいずれ解決していくと。
そんなことを言われても、何が分からぬかさえも分からぬ。
でももう少し色々分かるなら、それもいいと思った。
案ずるな、全てが糧になる。
それが、それから掛けられた最後の言葉になった。
彼は、はっと目を覚ました。しかし彼の目には何も映らなかった。
暗闇。
首を動かして周囲を見回すと、少し離れたところにぼんやりとした灯りが見えた。
灯りのある辺りから、じじっと何かが小さく燃える音がする。そこにロウソクか何かがあるのだろう。左側からは、微かに空気が漏れる音と、その向こうには人が生活を営む音。右側からは呼吸音。何人かの子どもが息をしていて、そのうち一人は泣いているのか、ときおりしゃくり上げている。わずかに反響する音から、この部屋はそれほどは大きくない部屋なのだと分かった。
それで思い出した。この身体は目が見えないのだと。
見えないといっても、まったくの暗闇ではない。明暗はほんのりわかるし、明るい場所なら大きなもののシルエットもぼんやりと分かる。その程度だ。
とはいえ、その分というか、それ以上にというか、この身体はとても耳がよかった。少し離れたところにいる人の呼吸音や、小さな空気の流れの音すら聞こえる。それで補える部分もあり、慣れている屋内くらいなら何とか行動できる。とはいえ一人では、その辺を歩くことすらままならない。
それで両親に売られ、今ここにいる。
しかし、この身体が抱える困難は、それだけではない。
そのときだ。
「……!!」
不意に胸にするどい痛みが走った。物理的なものではない。病的なものでもない。
けれども、まるで大きな針が胸の真ん中を貫くような、そんな痛みだった。
そうして同時に行かなければと思った。
向こうの方に、何かとても大切なものがある気がする。
何を差し置いてでも、自分はそこに行かなければならないと思った。
それは例えていうならば、使命、いや宿命のようなもの。
行かなければ……急がなければ、離れていってしまう!
焦っていると、部屋の外から足音が近づいてきた。彼はとっさに、その足音を恐ろしいと思った。しかしそれと同時に、行かなければという気持ちもまた、爆発的にふくらんでいった。
足音が止まる。ちょうど空気が漏れる音が聞こえるあたり。
ガチャガチャと、金属の錠が回される音がする。
ギイっと木がきしむ音と、すぅと空気が動く音がして、外の音が鮮明に入ってくる。
―今だ!―
衝動が突き動かすままに、彼は走り出した。
「あ! てめぇ、待ちやがれ!」
足音の主が怒鳴る。その声は、それまでの彼ならばおびえて縮こまるような声だった。けれども今の彼は、とにかく行かなければという気持ちでいっぱいで、それに構っている余裕はなかった。
目は見えぬが、行くべき方向はこの心が教えてくれる。
ふらふらとする頭、折れそうになる膝、ぜいぜいと喉を鳴らす呼吸。
苦しかったけれど、必死に走った。
追いかけてくる足音を背中に感じながら、走って走って……そうしてもうダメだと思ったとき、暗闇の中で玉のように輝く光が見えた。
―これだ!―
この光をつかまえなければ!
彼はそれに向かって思い切り手を伸ばした。
しかし。
指先がその光に触れたと思った瞬間、ガクンと身体が引き戻された。
「この……クソガキがっ!」
暴力的な怒鳴り声が降ってくる。
首が絞まって、襟の後ろを掴まれているのだと分かった。
いやだ、いやだ、光が行ってしまう。
首を振って、めちゃくちゃに手足を振り回す。
「手間かけさせんじゃねえ!」
ひゅっと空を切る音がして、バキっという音がした。
それと同時に、頭の横に痛みが走る。
殴られた。
勢いで、身体が地面に叩きつけられる。
あちこちが痛い。頭がグラグラする。
襟首を掴まれて、引きずり起こされ、もう一度空を切る音がする。
身体が恐怖で縮こまる。
けれども、つぎの一撃は来なかった。
パシっと軽い音がして声が聞こえる。
「やめないか。まだ子どもだぞ」
光がすぐそこに戻ってきていた。