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◆第三記録◆1

記録者ーー記しとうはないが、拙者は三河国某家臣にござる。


 当家の門前に珍奇な若侍が……と、取次ぎの者の言葉が終わらぬうちに、

「失礼仕る! 狸どの、近くを通ったので挨拶に参った次第でござる」

 と、見事な大声が屋敷に轟いた。

「それっ、やややや、奴がきた、人災がやってきたぞ! それっ、わわわわわわ、我が家宝を、かかかかかか、隠すのじゃ! いい、いそげ、いそがぬかっ!」

 この屋敷の主……徳川家康は、年甲斐も無く大慌てで部屋の中を飛び回った。

 あれをそこに隠し、これをあっちに仕舞い、ぽっかりと生まれた空間にはこれを置いて誤魔化して……。

 しかし、あたふたとすればするほど、うまく収納が出来ない。

「ああっ!」

 という悲鳴や、ごとん、と何かを落としたような鈍い音が立て続けに響いた。

 そっと室内の様子を覗いた小姓は、ああ、とため息をついた。ちょうど、大きな花瓶を抱えた家康が、うっ、という呻きとともに腰をおさえたところだった。その上、箪笥の引き出しから紫色の房がちろりと覗いていたり、掛け軸が畳の上に転がっていたり、ろくなことが無い。

 片づけたというより、荒らした、に近く。

 隠したというより、お宝のありかを告げている。

 見かねた小姓は、家康が日頃宝物だと喚いている物品を己の羽織に包んで隣室へ運び、畳をかるがると持ち上げた。そこにはぽっかりと穴があいており、小姓はそこへ家宝をしまった。

「よし!」

 次いで主の部屋へ戻る。畳の上で腰をおさえて脂汗を浮かべている家康をきちんと座らせた。

「殿、しゃんとなされませ。汗を拭いて」

「わわわわわわ、わかっておる。あの若造如きに平静さを失っては……亡き吉法師様に笑われてしまうでな……」

 小姓が下がったのと同時に、柑橘家の長男・蜜柑が家康の居室へとやってきた。

 品よく凛々しい若侍――衣装が前回以上に珍奇ではあるが。

「家康殿、お久しゅうござりまする」

「み、みみみみ、蜜柑殿、そそそ、息災でなにより」

 家康の狼狽ぶりはそれはそれは酷いものである。脂汗はひっきりなし、顔色は赤くなったり青くなったり白くなったり忙しない。隣室に控えた家来たちが一様に息を詰める。もちろん、殿が倒れてしまわないか、心配なのだ。

 だが、蜜柑は気にする風もなくにこにこしている。

「城下を拝見して参ったが、民も健やかでお国も御安泰のご様子、何よりでございまする。三河の国はいつきても平穏無事でござるな。このご時世、平穏なことが何より肝要かと存ずる」

「い、いいいい、いかにも左様かな……」

 にこやかに挨拶をする若い蜜柑と、それに応じる年配の家康。もちろん蜜柑は、それなりの地位にいる家康に敬意を払っていて、丁寧な態度だ。

 しかし不思議な事に、はるかに年上で地位も名誉もある家康が、歳若く奇妙な浪人にしか見えない蜜柑の顔色を伺っているように見える。

 もっといえば、どこかの名家の若様と、出来が悪く叱責されてばかりの家老の面談、のように見えるのである。このあたり、徳川家康という殿様が不出来なのではなく、柑橘蜜柑という若者が規格外れなのである。

「……して、み、みみみみ蜜柑殿、本日はどのようなご用件で……わわわわわわ、我が屋敷へ参られたのかな」

「ちょっと見に参ったのでござる」

「何を!」

 と顔色を失くした家康が悲鳴をあげたのと同時に、廊下を物凄い勢いで走ってきた者がある。

 作法もへったくれもない。すぱん、と襖を開けて、その侍は大声を張り上げた。


「出たな、柑橘蜜柑!」


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