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◆第二記録◆2

 さてこのたびの蜜柑殿は、いつも通りの奇抜な姿形で我が屋敷へ侵入した。まだ陽も昇りきらぬ刻限だと言うのに、

「真田殿! 幸村殿はおるか? 遊びに参ったぞ。柚からの書状も持参してござるぞ」

 と、大声で呼ばわって家中の者どもを見事に叩き起こすことから、はじめた。

 はっきり言って迷惑千万である。

 挙句、邸内をまことに横柄な態度で闊歩し、応接間に勝手に腰を落ち着けおった。

 真に許しがたき所業であるが、飄々として満面の笑みの蜜柑殿本人を前にすると、なぜか許してしまう。それに、怒るより先に蜜柑殿の奇妙奇天烈な身なりに目が行って、怒りがどこぞへとんでしまうのだ。

 それは拙者に限ったことではなく、蜜柑殿を知る誰もがそう口にされる。

 それを計算しての衣装かと疑ったこともあるが、どうやら純粋に本人の好みの衣服らしい。どうやら蜜柑殿、衣服の趣味はあまりよろしくない……いや、なんでもない。

 あわてふためいた家中の者が抗議、いや、接待に出たはずなのだが……拙者が応接間へ出て行った時には、彼らは揃いも揃って蜜柑殿に平伏し、ひたすら謝罪しておった。


 もはや、何があったのか尋ねる気も起きぬ。


 我らは三日三晩――いや、もっと長かったかもしれぬ――蜜柑殿を出来る限りもてなした。

 土地の美味い物をだし、最も出来の良い真田紐をいくつも渡し、蜜柑殿の笛に合わせて歌い、舞った。時には激しく竹刀を交え、また、蜜柑殿から旅の話、諸国の事情を聞いて楽しく夜を明かした日もあった。


「蜜柑殿ご滞在はや数日、此度はこれといった事件もなく、祝着至極にございますな」

「爺、我が家にとって実り多き蜜柑殿の滞在であったぞ。真田紐を京で売りさばいてくれるとか……」

「その上、我らが密かに攻め落とそうとしている城の情報もさりげなく流してくださいましたな」

「まったく、どこで城攻めの情報が漏れたのやら……。我が家でも一部の者しか知らぬはずなのになぁ……」

 とにもかくにも、上機嫌で蜜柑殿は帰ってゆかれた。

 来訪時とは打って変わって、ごくごく普通に帰って行った――ことは、喜ばしい事であるため、爺と酒を酌み交わしていた時に、事件が発覚した。

 蜜柑殿の接待の為につけていた小姓の一人が、血相を変えて拙者のもとへ走ってきた。

「ゆ、幸村様! 一大事にござりまする!」

「何事じゃ、蜜柑殿が戻って参ったか?」

「いえ、幸村様ご愛用の六文銭のお守りが忽然と消えてしまいました」

「な、なに……」

 慌てて自室に戻り、あちこちひっかきまわしてみたが、六文銭がみあたらない。あれは、非常に大切な六文銭である。幼き折、人質として他家へ赴く拙者の手に、父上が握らせてくれたものなのだ。

 奪い去った犯人は、捜すまでもない。

「誰ぞあるか! 急ぎ瀬戸内の柑橘城へ赴き、六文銭を返却してくださるよう、丁寧に頼め!」

 拙者が思わず発した怒号に、家臣たちがさっと反応をした。刀を手に立ち上がった者、馬引けと叫ぶ者。

「殿、大切なお宝を奪われたのでございまするぞ。これはもう、柑橘家に宣戦布告を!」

「ここは武力で奪い返すのが妥当かと!」

 我が家中には血気盛んな者が多い。いきり立つ家臣どもの言い分もわからぬ拙者ではない。

「それはならぬ。断じて武力を用いてはならぬ。命令じゃ」

「なにゆえでござりまするか!」

「我が家が滅びても良いのか! よいか、ひたすら頭を下げるのだ。まかり間違っても柑橘家のご機嫌を損ねるようなことがあってはならぬ。柚姫を泣かせてはならぬ、八朔様を困らせてはならぬ。良いな!」

 一瞬の沈黙ののち、家臣たちが「心得ました」と項垂れた。

「その方らを使者とするが、お城へ伺う前に、城下にある厳島神社に寄るのを忘れるな。そこで気を落ち着かせ、身を清め、蜜柑殿の行方と機嫌、柑橘城の様子を念入りに探ってから、お城へ向かえ」

「はあ……」

「そして、舅様や我が嫁が困っておられたら、存分に助けてまいれ」

 使者が、きょとんとした。

「殿の嫁様は、柑橘城におられるので……?」

「申しておらなんだか。拙者も、柚姫の婿軍団の末席に加えていただけたぞ」

「殿、婿軍団とはなんでござりますか」

「蜜柑殿の妹御、柚姫には婿が大量におる。なんでも姫を嫁にもらいたいと言うものが大勢おったとかで、ならば一夫多妻制ならぬ一妻多夫制でどうか、と蜜柑殿が思いついた」

「不躾ながら、閨は……複数でいたすのであろうか……? いや、子が出来たら如何なさいますので……?」

「ふふふ、よう出来ておってな、姫がまことに添い遂げたいと思う相手が現れるまでの関係よ。われらは、ただただ、柚姫の傍に坐しておるだけ……我々から姫に触れることはない」

「はぁ、左様ですか……」

「兎にも角にも、柑橘家を敵に回してはならぬぞ、よいな」

 よくよく使者に言い含め、柚姫の愛らしい姿を思い出しながら自室へ帰った拙者の目に、達筆の張り紙と共にとんでもないものが飛び込んできた。


『幸村殿。いい槍を持っているな。ちょっときれいに飾っておいたぞ。蜜柑』


 無残に飾られた愛槍を前に、拙者が室内に座り込んだのは言うまでもない。


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