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◆第二記録◆1

  記録者……信濃国某将


 先に一言、一寸ばかり断りの言葉を記しておきたく、筆をとり候。


 拙者は気の利いた文が書ける男ではない由、読者諸氏は既にご存知のこと、無礼とは存ずるが、普段通りの言葉づかいにて書かせて頂きたく候。

 幼き頃より、筆より剣の暮らしをしており勉学や手習いを疎かにしていた拙者に口煩く注意していた母者の言葉を今更ながらに思い返しており候ども時すでに遅く……ええい、やめやめ! これが限界、ここからは普通の言葉で書かせていただく。拙者には、堅苦しい文章は苦痛である。

 思えば蜜柑殿滞在の様子を記してくだされと、某国某御仁より懇切丁寧な手紙を頂戴せし時に何故きちんと断らなんだのか。

 自分を今になって激しく呪ったところで……致し方なし。


 さて、ここからが本題である。

 瀬戸内にある柑橘家には困った若様がいるという噂話は、ここ、信濃国にもしっかり届いている。

 傾奇者かぶきものとして有名な加賀前田家の利家様とその甥・慶次郎殿も「困った若様」に分類されるのであろうが、柑橘家の若様はその「困った」とは少し違う「困った」お方であらせられる。

 ではどのように違うのかと拙者に尋ねられても返答に窮するのだが、とにかく具体例をのべていきたい。


 柑橘家の蜜柑殿の我が屋敷訪問の後は、必ずこちらが大慌てして、使者を一人、二人と、瀬戸内へさし向けねばならないのである。これだけで、尋常ならざる客人であると知れる。

 ただし、この時決して間違ってはならぬのであるが、蜜柑殿が我が家に対して悪意や敵意をもっているわけでもなく、我らも蜜柑殿に対してそのような気持ちは一切ない。むしろ、友好的で好意的である。

 ただ単に、我らの想像の斜め上を行く蜜柑殿に良いようにあしらわれる拙者どもが、未熟なだけである。よって、蜜柑殿は決して悪人ではない。

 瀬戸内に差し向ける使者に持たせる密書……いや、親書の内容は、時に詫びであったり時に懇願であったりと、実に様々である。

 通常であったならば、「我が屋敷での非常識・無礼の数々、許し難し」と書くところである。当然、祐筆として一筆したためる拙者の心中は、怒りや苦情でいっぱいである。できることなら宣戦布告と記して蜜柑殿の取り澄ました美しい顔に書状をびしりと叩きつけたいと思うことも、ある。

 されど、まさかそれを馬鹿正直に書くわけにはいかない。蜜柑殿にあしらわれた我が家の未熟・恥を世にさらすことになり、この帳面にも、そっと面白おかしく記され、他国の人々の耳や目に入る。それだけは避けねばならぬ。

 そして、何よりも拙者が恐ろしいと思うのは、柑橘家を攻撃しようと兵を挙げた瞬間、我が家は方々から攻められるは必定という点であろう。

 そうなれば滅びるのはこちらである。

 我が家はさほど敵が多い家ではないが、こと柑橘家が絡むと厄介なことになる。周辺諸国すべてが敵になる。それも蜜柑殿が「あそこを攻めろ」とか「援軍を求む」といって他家が動くのであれば応戦のやり甲斐もあるが、柑橘家は何も言わない。周囲の諸将が、それっ、とばかりに率先して動くのだ。これほど恐ろしいことはない。

 何せ、我が家の近隣諸国で柑橘家と友好関係・同盟関係にない家など一つもない。いや、この日ノ本のどこを探しても誰に聞いても、

「柑橘家を支持致す」

「柑橘家は我が最大の友好国・同盟国である」

 と答えるであろう。そこに理由などいらぬ。めちゃくちゃで、まったく道理が通らぬが、それこそが、柑橘家なのである。


 そう言えばあの信長公も、とうとう柑橘家には手が出せなかったと聞いている。出さなかったのではなく、出せなかったのだ。

 しかも、羽柴・徳川両名も、柑橘城の大広間では小さくなっている。

 いかに大大名家といえども、蜜柑殿に睨まれたら……もう、おしまいである。四方八方から攻め立てられ、没落することが確定である。

 そういった事情を十分に解っていて犯行に及ぶ蜜柑殿、実に、憎たらしいやら天晴れやら……



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