その蜜柑様と酢橘様は、半年ばかりの旅を終えてつい先ほどお城に戻って参られました。
が、そのお姿は、
「み、蜜柑! いったいそれはどうしたことか!」
と、八朔様が素っ頓狂な声を上げて、目を
「これは父上! 直々のお迎え痛み入りまする」
「直々も糞もあるものか! そなた、ここは誰の部屋だと思うておるのじゃ!」
「父上の私室でござる。しかし……相変わらず酸っぱそうな顔つきでござるなぁ……父上。こればかりは如何ともしがたい」
余計な世話じゃ、と、蜜柑様を一喝した八朔様は、眉間に皺をくっきりと刻み、数歩離れて御子息の『異装』を上から下までしげしげと眺められました。
「蜜柑、色々と問い質したいところであるが、まずはその服装の説明をいたせ」
「では上から順序良く。この眼帯は
「そなた、蝦夷まで出かけておったか……」
「海を使い、空を使い、水脈やら風脈をよめばあっという間でござる」
「わけがわからぬ……」
八朔様のお言葉に、蜜柑様は首を傾げて「簡単なことでござるが」と呟かれました。いったいどのあたりが「簡単なこと」なのか、我々には少しもわかりません。
「簡単なことでござるが説明は面倒でござるゆえ、頂き物の説明の続きを致しとうござる」
「おお、致せ、致せ」
「この兜は徳川家康殿に頂戴したものでござる。俗にいう『唐の
「まて、待たぬか!」
ここで八朔様はすっかり蒼褪めてしまわれました。ぷるぷると震えながら、
「聞きたい事は山のようにあるが……一つ尋ねる。そなたは今まで、どこで何をしておったのだ」
と、ごくごく基本的な質問をなさったのです。
蜜柑様は、切れ長の涼しげな瞳で、八朔様をじっと見つめられました。
「言いたい事は山のようにござるが……各地で諸将と親交を深めた次第」
「なんじゃと?」
「噛み砕いて申せば、父上や金柑の爺がもっとも苦手な外交でござる。どこの屋敷も作りは似てござれば、家宝の置き場所も似たり寄ったりでござる。実に簡単な仕事でござった。まあ、これにて我が家は安泰にござる」
「そ、そそ、そなた、まさか……夜盗や盗賊の真似事をしているのではあるまいな」
「まさか。そのような卑怯な……武士道に反する行いは致しておりませぬ。それがし、これでも大名家の嫡男でござる。それなりの
「誓って本当か」
「はい。いずれも正式に譲って頂いたものにござる」
「……大事なものを、正式に譲った、と?」
疑わしい、と八朔様は呟かれましたが、蜜柑様はいっかな気にした風もなく、それゆえ父上安心して隠居なされよ、と、ぽーん、と胸を叩いて得意げでいらっしゃいました。
しかしそんな蜜柑様に対して、八朔様は深々と嘆息されました。
「されど、蜜柑……」
「父上……まさか、懇切丁寧に返却して参れ、などと無粋なことを……」
「ぶっ、無粋じゃと!?」
「父上ほど無粋で無風流な大名は知り申さぬ」
「なっ! そなたほど無礼な息子は知らぬぞ!」
「何を申されるやら。よろしいか、父上。世の中には子に討たれる父、子に城を乗っ取られる父、子に監禁される父……それがしなどよりも余程非道で非常識で非情な子は星の数ほどござれば、それがしなど可愛いもの」
「ぐっ、ぐぬぬ……いやまて、その非道な子らにも仁義や道義はあろう。そなたはどうじゃ。何もなさそうじゃ」
「なんとここまで無能な父であったとは嘆かわしい。父上、まことにそれがしの父上か。才色兼備の母上がそれがしの母上であることは間違いがないが、それがしが父上を父と信ずるに足る証が欲しいところであるが……母上が、ぞっこんでござるゆえ、間違いなくわが父なのであろうな……嘆かわしい」
「……どこから叱ればよいのやら……」
何という会話であろうか。
その時控えの間で父子の問答を聞いていた我々は、嘆息するどころか、目も口も開きっぱなし、八朔様と蜜柑様のやりとりにすっかり聞き入っておりました。
それは巷で話題になっている芝居や書物、春画などよりも数段に面白い、親子のやり取りでした。
「話が随分と反れたが……そなたの『正式』やら『武士道』ほどあてにならぬものはないわ。やれやれ、そなたの盗癖・放浪癖にて我が柑橘家は潰れるのかと思うと涙も出ぬ」
「父上は何を嘆いておられるのやら。嘆くことなぞ、ひとつもあり申さぬというに……」
「そもそも、そなたの存在がこの父の頭痛の種であって……いやいや、今まで散々言い含めてこれなのだ。無駄であるな」
「ほほう、珍しく賢明な判断にござるな、父上」
「……そなたに褒められてもちっとも嬉しくないのう……」
八朔様の太いため息と、蜜柑様の陽気な笑い声が室内に木霊いたしました。