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第2話 『空からの接触』

 二頭の翼竜が、荒涼とした大地に向かってゆっくりと高度を下げ、力強い羽ばたきと共に舞い降りた。

 大きな翼が巻き上げる風が乾いた土を舞い上げ、辺りに砂塵の渦を巻き起こす。最初に降り立った翼竜の背には中年の男性が乗り、革のコートが風に煽られながらも、しっかりと手綱を握り、鋭い視線で立ちすくむ少女を見据える。


 翼竜が地面に足をつけると、硬い爪が土を掻き、低い唸り声が静寂を破った。男性は素早く背から飛び降り、大地の感触を確かめるように一歩踏み出した。

 そのすぐ後ろでは、獣人の少女を乗せたもう一頭の翼竜が遅れて降り立つ。


 彼女のマントが風に舞い、獣耳がぴくりと動いて周囲の音を捉えた。翼竜が着地する瞬間、少女は「うわわっ」と小さく声を上げ、バランスを取るように翼竜の首にしがみついたが、すぐに軽やかに飛び降りた。


「あ!いたいた!どうも!」


 二人は、擦り切れた麻布を纏う少女に声をかけた。彼女の白の髪が乾いた風に揺れ、鈍色の瞳が驚きと戸惑いを映していた。


「うわっ、髪真っ白!美人さんっ!」


「おい、ルビア」


「ごめんちゃい」


 ルビアの無邪気な声が乾いた風に乗り、少女の耳に届いた。バルデの低い声でたしなめられると、ルビアは舌を軽く出して肩をすくめる。


 少女は突然の賑やかさに戸惑い、麻布の裾をぎゅっと握りしめながら、目の前の二人を見上げた。


「突然すみません、上空を飛んでいたら貴方を見かけまして。」

「……あ、えっと」


 少女は、巨大な翼竜の鱗と鋭い目に一瞬たじろぎ、その男性の声に困惑したように視線を彷徨わせる。


「いや、ここら辺は誰かが所有している訳でもないので、ここに居ることは問題ないのですが、もしかすると遭難者だという可能性があったので、お声がけさせて頂きました。助けは必要ですか?」


 その男性は、少女から数歩の距離を保ち、穏やかだが慎重な口調で問いかけた。

 少女は、答えを探すように目を伏せ、どう応じればいいのか迷っている様子を見せる。


「……私、あの……」

「……どちらから、ここまで?周辺には人里は無いと我々は認識しているのですが、遠出でしょうか?それにしては些か軽装がすぎるかと」


 男性がさらに一歩踏み込んで尋ねると、少女は目を上げ、声を振り絞るように答えた。


「分からなくて、私、どうして……ここにいるのか、覚えて、なくて」


 その言葉に、男性と獣人の少女は一瞬、顔を見合わせ、驚きが瞳を過ったが、すぐに冷静さを取り戻した。


「覚えていない、と言うと?」


 少女は、遠くに見える崩れた巨大な遺構を、震える指で示した。


「あそこで、目が覚めて。そこからずっと歩いて、ここまで、歩いてきて……」

「……それ以前の記憶は?」


 少女は深く悩み、諦めたように小さく呟いた。声には虚無感が滲んでいた。


「……分かりません」

「……お名前は?」


 この問いにも、少女は眉を寄せて考え込んだ。

 過去の記憶を手繰り寄せようとしても、あの廃墟で目が覚めた以前の記憶がまるで最初から無かったかのように彼女の記憶の中に存在していないのだ。


「……思い、出せません」


 やがて悲しみが彼女の声を染め、深い哀しみが瞳に宿った。自分の名前も、故郷も、彼女には思い出せない空白だった。


「ルビア、船に戻って船長に事情を……」

「分かった。任せて」


 二人は短く言葉を交わし、獣人の少女ルビアが頷くと、彼女は軽やかに翼竜の背に飛び乗った。その場から離れるように数歩走ったあと翼竜は力強く羽ばたき、砂塵を巻き上げながら飛空船へと飛び立った。


「いつ目覚めたか、分かりますか?」

「……太陽が、あの辺にあって」


 少女は空を指さした。彼女が示した位置から、太陽はすでに大きく傾き、光を大地に投げかけていた。


「まだ太陽が沈んだのは見ていないか?」

「はい、まだ……」

「半日かそこらか……ありがとうございます、分かりました。」


 中年の男性は、少し考えた後、これ以上問い詰めても答えは得られないと判断し、質問を切り上げた。

 彼は腰の革ベルトから水筒を取り出し、少女に近づいてそっと差し出した。少女は受け取っていいのか分からず、目をしばたたかせて慌てた。


「喉が渇いたでしょう、中身は普通の水なので安心してください」

「……ありがとうございます」


 少女は恐る恐る水筒を受け取り、乾いた唇に当てて水を飲んだ。喉を潤す音が、静寂の中で小さく響く。

 喉を潤す水の冷たさが、初めて感じるかすかな安心感を彼女にもたらした。


「我々は、空谷の民と呼ばれるキャラバンです。各地の……まあ、様々な調査を行っている団体です」

「空谷……」


 少女は顔を上げ、晴れつつある空に浮かぶ飛空船を見上げた。船体は古木と黒鉄で頑丈に補強され、煙突から白い蒸気が吐き出されては風に溶けていた。銅色の歯車が船腹でゆっくりと回り、甲板には錆びたパイプが絡まるように這い、時折、蒸気弁からは白い蒸気が勢いよく噴き出し、巨大な帆は煤けた布で補修され、無骨な美しさが荒涼とした空に映えていた。


 見上げていると翼竜の影が船から飛び立ったのが見えた。しばらくすると少し上空で、戻ってきた獣人の少女が翼竜の背から身を乗り出し、叫んだ。


「バルデさーーーん!招待おっけーだってー!」

「よーし分かった!そのまま先に戻っててくれ!」


 翼竜の羽ばたく音は空中において驚くほど静かで、風を切る柔らかな響きだけが漂い、大声で叫べば声が地上に届く。ルビアの声が空に響き、翼竜が軽やかに旋回しながら飛空船へと戻っていった。

 中年の男性、バルデは少女に向き直り、穏やかだが真剣な眼差しで尋ねた。


「……あなたを、我々の方で保護したいと考えているのですが、同行を願えますか?」

「……は、はい」


 少女は緊張しながらも、小さく頷いた。

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