七月二十六日。学校によっては多少前後するだろうけど、私の学校ではその日が夏休み初日だ。
高校生活で初めての夏休みとはいってもこれといった友達もいない私には特に何も変わらない。宿題をちまちまやって、ただ怠惰に時間を浪費するだけの一か月。冷房を効かせたリビングでソファに寝そべり、テレビを眺める。両親は仕事に行っているため、家には私一人しかいない、どれだけだらけていても誰にも文句を言われない。
「夏休みっていいわ~」
そう呟いてだらだらと平日お昼の番組を見る。
この平日の番組を見られる喜び! 私はその喜びを噛み締めて緩くなった頬を持ち上げる。
こうして一日過ごしても明日も休み。やったね!
そんなくだらない至福の時を過ごしていた私に、邪魔が入った。
突如テレビの映像にノイズが混じる。ジジっ……と。
「んあ?」
接触でも悪いのかな?
でも割と新しめの薄型テレビだし、昔のテレビと違って叩いても治らないし……目が霞んでるのかな。
ジジっ……ジジっ……と再びノイズが混じる。
えぇ……、壊れちゃった?
私は重たい身体を頑張って起こし、テレビへと近づく。そんな間に映像には断続的にノイズが混じる。
「せめて私の夏休みが終わるまでは綺麗なままでいてくれよぅ……」
テレビの配線を触るが一向にノイズが消える気配は無く、むしろ酷くなっている気がする。
さっきまでは断続的だったノイズなのに、今はずっとノイズが混じっている音がする。
え、どうしよう……。
叩いてみようか、と思ったが最近の機械はそれで大丈夫なのかと一瞬躊躇ってしまう。
ジジっ……ジジっ……。
なんか心なしか音が大きくなっている気がする。
これは本格的に壊れる前だ、絶対。
ええい、どうせ壊れるんなら私の手で壊してやろうじゃないか!
私は、右手を大きく振りかぶり、壁に手をぶつけないようにテレビの背面にフルスイング。
「どぅうぇあ!」
え?
バンっ、という音と共になにか変な声が聞こえたような気がして、私はテレビの後ろから身体を出す。
するとさっきまで私がだらけていたソファに、全身黒のボリュームありすぎの琥珀色の髪の毛を持つ人が倒れていた。
「誰⁉」
誰⁉ それとどこから⁉ てかほんとに誰⁉
「いや誰⁉」
「痛い……後頭部……」
どうやら不審者は後頭部を抑えてうずくまっていたようだ。
てか誰?
「ほんと誰⁉」
「うるさいな!」
うずくまっていたその不審者はくわっと目を見開いて、大変可愛らしい声にもかかわらず吠えるように言った。
なんでキレられてるのか分かんない。
「だから誰だって聞いてんの!」
イラっと来た私はできるだけ高圧的に言葉を叩きつける。
「ひゃう⁉」
ボリュームありすぎの髪の毛からこの不審者の顔が見えた。
年齢は小学生にしては大人びているし、中学生にしては少々子供っぽく、大変庇護欲が湧く、大変可愛らしい整った顔立ち。
今はその可愛らしい顔の、くっきりと大きな瞳をうるうるさせて私の顔を見上げている。
え、可愛い……。なんか私が悪者みたいじゃん……。
とりあえず誤っておこう。
「えっと、ごめんね」
「人に怒鳴ったくせして謝り方適当だと思うんですけど?」
「あ?」
今なんつったコイツ。
「ていうかなんですか? わたしの顔見た途端に謝って。そんなにわたしの顔が子供っぽいんですか! 同情の目でわたしを見て!」
なんで私キレられてるの? てかなに? 私キレていいの?
「これだから少し図体がデカい人間は。はっわたしのこと見下しすぎだと思うんですけど?」
ダメだ。ここでキレたらコイツと同じになってしまう。冷静に、冷静に、そして笑顔、大事……。それにしてもコイツうるさいな、不審者のくせに。
「なんで私こんなにぼろくそ言われてるの?」
「ひゃ⁉」
あれ? また涙目でプルプル震えだしちゃった。なんでかな? 私の笑顔ってそんなに怖いのかな?
「ちょちょちょちょっと言ったらすすすすぐキレる。さっきああああ謝ったくせに?」
めっちゃ震えてる……え、どうしよ、とりあえず警察?
私は不審者から目をそらさずにじりじりと電話のある場所へと移動する。不審者は怯えた様子で私の挙動を見ている。
受話器を持ち上げ、ピ、パ、パ、と番号を押して受話器を耳に付ける。
その瞬間、不審者は私がなにをしようとしているのか分かったのだろう。
「だめええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼」
カサカサと私との距離を詰めて、電話機のフックスイッチを押す。
この不審者のカサカサがあまりにも気持ち悪くてひるんだ私にはどうすることもできなかった。
「警察だけは! 警察だけはやめてくださいぃぃぃぃぃ‼」
不審者は私の脚に巻き付くとあろうことか、私の脚に頬をすりすりし始めた。
もちもちしてて気持ちいいけど気持ち悪い。
「気持ち悪い! 気持ち悪い!」
振り解こうとするけどなかなか解けない。クッソ、ほんとになんなの⁉
「やだやだやだ警察だけはやだあ」
「分かったから離して!」
受話器を戻してホールドアップ。なにもしませんよーとアピールする。
「ほんとに?」
鼻水と涙でべちょべちょになった脚がほんっっとに気持ち悪いけど、ため息をついた私は頷く。
「ほんとだから、早く離れて」
不審者は私の脚から離れるとそのまま床にぺたんと座って一言。
「ちょろすぎ――わゔぇっ」
「あ? 誰がちょろいだって? おい、蹴られないだけマシだと思え?」
「蹴った! 今フルスイングで蹴った!」
「私の歩く先にいるのが悪いんでしょ?」
「やだこの人怖すぎる!」
頬を抑えて瞳を潤ませる不審者。またしても私が悪い気がしてきた。
やっぱり警察かな? でもまたさっきの繰り返しになるだろうし、ここは無難に話し合いかな?
「てか誰?」
そうそう、怒涛の展開で忘れていたけど、この不審者ほんとなに? 誰?
テレビ叩いたら出てきた気がするんだけど……。
まあこれは私が昼寝して見た夢の可能性もあるけどね。
「ええー? 人に聞く前に自分から言うべきじゃないんですかあ?」
うっざ。なにコイツ?
ひくつく頬を抑えながら、私はこの不審者を見下ろす。
ムカつく。
とてつもなくうざくてムカつく。顔とか声、外ズラは完璧と言うほど可愛いのに中身がクソすぎる。
せっかくの夏休みで悠々自適、呑気に過ごせると思っていたのにこれか……。
「
「苗字だけですか⁉」
「文句あるの? ほら、あんた誰? 不審者は警察のお世話になるよ?」
そう言ってやると不審者はガクガクて首を縦に振る。
「
「そうか長谷宮か……」
長谷宮ねえ……長谷宮……。
「って日本人⁉」
「なんですかあ、その一昔前の言い方」
長谷宮は思いっきりこちらをバカにした表情で手をすくめる。
ほんとうざい……。
「長谷宮
「どっからどう見ても日本人の見た目じゃないよね?」
髪の毛は綺麗な琥珀色だし、目の色が薄桃だし……ていうかそもそも地球人じゃないよね?
「式沢ってバカですね。まあ、すぐに警察に連絡しようとするし? 暴力を振るってくるしでバカ丸出しですもんぶぎぇあ!」
「あんた殴れるんならバカでいいわ」
「痛いよぅ……」
長谷宮は頬を抑えながら涙を流す。
「……、なんかごめん……」
またも私が悪いみたいな気持ちになってきたからとりあえず謝る。
「やっぱりこっちの世界の人間はわたしの世界よりも遅れてるのかな? 同じ日本人でも私と式沢じゃあ人としての差が天と地以上あるもんね」
「バカだからすぐ殴りたくなっちゃうなあ」
平常心……。
「すすす少しはっ、かかかかか賢くなる努力でででもすすすすればばば?」
どうやって出してるんだろう、その声。
確かに、私も少しおおらかな気持ちにならないとダメだ。一向に話が進まない。
だから私はできるだけ落ち着いて、笑顔で長谷宮に問いかける。
「うん、分かった。それじゃあ長谷宮のこと教えて欲しいな」
「ひぇっ。きゅ、急に優しくならないで下さいよ……怖い」
「うん。長谷宮の気持ち、私もすっごく分かるよ。でもね、今は気にせず話して欲しいな」
「悪霊退散悪霊退散」
「おい、さっさと話せや」
「ひゃいっ⁉」
これでやっと長谷宮とまともに会話をすることができる。
「わたし、日本から来ました……。日本と言っても、今いるこの世界、式沢がいる日本とは違う世界の日本です」
「はい?」
どゆこと? 私がいる日本とは違う日本?
私が頭に疑問符を浮かべていると、これ見よがしに長谷宮は勝ち誇った顔をする。鼻の穴が膨らんだドヤ顔。シンプルうざい。
「教えて欲しいですかあ?」
うわうっざ。でも知りたいんだよなあ……。どうしよう……情報抜くだけ抜いて後は煮るなり焼くなり好きにしようかな?
私は頷く。もちろん、長谷宮のうざさに耐えられるように覚悟を決めて。
「教えてください」
私がそう言うと、長谷宮は少し驚いた表情を浮かべ、すぐに悔しそうな表情に変わる。
どうせ「教えて」と言うと「教えてくださいでしょ?」とか「それが人にものを頼む態度ですかあ?」って言われるに違いない。
そんなものに私が引っかかる訳無い!
私は勝ち誇った顔をする。鼻の穴を膨らまし、長谷宮を見下ろしてドヤ顔を決める。
「ぐぬぬ……。い、いいでしょう! しかたな〜く、頭のよろしくない式沢に教えてあげます!」
平常心、平常心。
「やったあ、ありがとう」
「ひっ⁉」
「おい」
コイツほんとに失礼だな。そんな気持ちを込めて長谷宮を見る。
「わ、分かりましたから……」
やっと話が進みそう……。もう疲れた、コイツの話理解できるかな……。
そんなこんなで長谷宮は話し出す。自分は何者か、どこから来たのか、年齢身長血液型、好きな食べ物嫌いな食べ物。好みの枕の高さやマットレスの柔らかさなど、デートはどこに行きたいとかそんなことを――。
「あ、ふうん」
そうなんだ、へえ、違う世界ねえ。異世界転移ってやつね。私ら転移する側だと思ってたけど逆もあるんだね。そうかそうか……。
「って異世界転移⁉」
「ナーイスリアクション! そうそう、そのリアクション見たかったんですよねえー」
「トラックに轢かれたの?」
異世界転生とか転移とかってだいたい過労死かトラックに轢かれてるよね? ということは長谷宮は一回死んだの?
そんなことを思っていると、長谷宮はちっちっちと(クソうざい)指を振りながら口を開く。
「わたしの世界の日本って技術大国なんですよね、だから異世界に行くなんてちょちょいのちょいって感じですよ」
「そうなんだ……異世界転移って割とメジャーなんだ」
「メジャーですよ、わたしみたいに家出で異世界転移する人もいますしね」
おい待て今コイツなんて言った?
「家出……って聞こえたんだけど……?」
「家出って言いましたもん」
「家出して、異世界転移して、人の家に勝手に上がり込んでるの?」
家出で異世界転移ってほんとなに? あらゆるテンプレート壊しすぎてない?
すると長谷宮は気まずそうに目を逸らす。おい、目を逸らすな。
「帰れ」
「嫌です!」
家出とか絶対家族が捜すじゃん。もしかするとっていうかほぼ確定でコイツの親が来るじゃん。
「トラブル持ち込むのやめてほしいんだよ!」
「トラブルなんて持ってきていないじゃないですか!」
「あんたの存在自体がトラブルでしょうが!」
「はっ、人のことをトラブル扱いするなんて、式沢はもう少し人とのかかわり方考えた方がいいと思うんですけど? 絶対友達いないでしょ? ああ言わなくてもいいですよ、どーせ『一人でいるのが好きなの』とか『いや、友達とか人と関わりたくないんだよね』とか可哀想な言い訳を言おうとしぶげぇえばりゃ――」
「人間って粗大ごみで捨てれんのかな?」
マジでコイツうるさいしうざい。痛む右手をひらひらとしながらこの不審者――改め、クソ野郎をどうするか考える。
まあ粗大ごみか警察の二択だけなんだけど。
私がそんなことを考えていると、長谷宮は赤く腫れた頬を抑えながら下唇を噛みしめ、必死に涙をこえていた。
……え、なに。やっぱり私が悪いみたいになってるじゃん。
「暴力反対……」
「あ、ごめん」
やり過ぎたとは思っていないけどコイツの見た目のせいで私が悪いことをしている気になってくる。それはやり過ぎたと思っているのでは?
一人でツッコミを入れていると、長谷宮は立ち上がり、真っ黒なフレアワンピースについた埃をポンポン払っていた。掃除機でコイツも吸い込めないかな?
「どうしてですか……」
長谷宮が今にも消え入りそうな声を発した。
俯いて顔は見えないけど、僅かに肩が震えている。あ、これは泣くやつだ……。
「どうして、わたしを殴ったり蹴ったりするんですか……」
「いや、それは……」
いやだってあんなに煽られたらぶっ飛ばしたくなるし……。そう言いたくても、今の長谷宮にそんなことを言える雰囲気じゃなかった。
「うぅっ……ぐすんっ……」
あー、遂に泣いちゃった。どうしよう。
とりあえず背中でもさすってみようかと、私は長谷宮の背中に優しく触れる。
「なんでみんなわたしにきつく当たるんですか⁉ 学校でもわたしは式沢みたいに友達いないし、殴られたり蹴られたりして、だけどパパもママはわたしが悪いって言ってくる。誰もわたしの味方になってくれない!」
長谷宮の嘆きは、一見すると学校でいじめを受け、親からも守ってもらえない哀れな少女の話に聞こえるけど、今までのやり取りから察するにほぼ全てこいつが悪いと思う。
「そっか……でも、長谷宮のお父さんとお母さんは間違ってないと思うよ。なんなら学校での扱いも正当だと思うよ」
「違う世界にもわたしの味方はいなかったんだあぁぁぁぁ‼」
泣いていたかと思うといきなり叫び出す。うるさいなあ、情緒不安定すぎない?
そう思っても、コイツに見た目がそうさせるのだろうか。少し可哀そうだな、と思ってしまう。
「ねえ長谷宮、家出したのって味方が欲しかったから?」
もしそれが、長谷宮が家出をした理由なのだとしたら、少しだけ手を貸してあげようかと、自分でも不思議だけどそう思った。
私の問いかけに長谷宮はコクンと首を縦に振る。こうしてみたら滅茶苦茶可愛いのに。
「ならさ、私が友達になってあげようか? 家も、私が親に話してみて長谷宮が泊まれるか話してみるからさ」
たぶん私の親は割と緩いから大丈夫だと思うし。
「なんで上から目線なんですか?」
「あ?」
「なんかいい人的な雰囲気出してますけど、さっきまで式沢はわたしのこと殴ったり蹴ったり捨てようとしたり警察に通報しようとしましたよね? はっ、散々人に暴力振るったり脅したりして、挙句の果てに友達になってあげようか? ってもう少し自分の言動を改めた方がいいと思いますよ?」
やっぱりコイツぶん殴りたい。
怯えて身を守るためにそう言ってる訳じゃなさそうだし、純度百パーセントの煽り顔だし、ほんとに殴りたい。
だけど私は学習しているんだ。ここで殴ったら話が進まない。そろそろ私も疲れて来たし。
「ねえあんたさあ、そういうところがダメなんだよ? そりゃあ殴られたり蹴られるし、友達もできないわ」
だから作戦変更。優しく注意。
さっきまでなら既に殴られているはずなのに、今は殴られていない。長谷宮は戸惑った様子で私の言葉を聞いている。
「そっちの世界で、あんたになにがあったのかは分かんな――いや大体分かってるけど。もう少し人との関わり方考えたら? 友達いらないのならまだしも、友達が欲しいんだったらそういう関わり方してちゃダメ」
これでどうだ?
私の言葉が響いたのか響いてないのかはわからないけど、長谷宮は黙って話を聞いてくれた。
「だったら、式沢がわたしに教えてくださいよ。その関わり方とやらを」
「いいよ。仕方ない。私が長谷宮に教えてあげる。人との関わり方ってものを」
なんか上から言ってくるからこっちも上から返してやろう。
すると長谷宮はふっと息を吐いて答える。
「バカ丸出しの式沢に教えさせてあげますよ」
やっぱコイツ殴っていいかな?