目前に現れた変異巨体ゾンビを目にし逢魔の思考が止まる。それが致命的な隙となってしまった。
「ぶぅぅぅぅ……」
巨体に似つかわしくない速度でゾンビは手を伸ばすと逢魔の身体を掴む。
「がっ…はっっ」
呼吸が止まる。万力のような力で握りしめられ逢魔の骨がミシミシと音を立てていた。抗おうと力を込めてもがくが巨体ゾンビの方が強化された逢魔の身体能力を上回っていた、太い腕から逃れることができない。
(あぁ…くそ、オレはまた、また殺されるのかよ…)
必死に抗いながらも自分がまた死に近づいていることを感じていた。
(あぁもういいか諦めても…)
頑張って抗うよりさっさと諦めた方が楽じゃないか、そんな考えが頭をよぎり走馬灯が、過去の記憶が脳内を駆け巡る。
「……………………」
思えば麻方逢魔は昔からそんな人間だった。文明崩壊前でも後でも理不尽や困難に対し「まぁいいか」「こんなもん」「諦めよう」そんな悟ったフリをして諦める自分を正当化して生きてきた。樫田と2人、ゾンビを相手にした時も最初からどこか諦めていた。それよりも前、上司である新田の新田の命令にもちゃんと異議を唱え最後まで貫くべきだったのだ。
逢魔は思う、もし、もしも自分がもっと本気で全力で最後までゾンビと対峙していたら、ちゃんと嫌なことは嫌だ、おかしいことはおかしいと言えていたら、自分や樫田、田辺にもっと違う今があったのではないかと。
再び死に面した逢魔は今までの自分に対して怒りを覚えた。目の前の理不尽を押し付ける敵にも。
(…違うだろう、もういいかじゃ…ないだろう!何で生きることを諦めなきゃいけないんだ!)
傷つくことが嫌だから頑張ってダメだったら恥ずかしいから、そんな理由で悟ったフリして本気になることから逢魔は逃げていた。今日、逢魔はそんな自分と決別する。自分の本当の意思を貫き通すのだと。
「うぐ…うぎ、ぐぐぐぐ」
(オレは死にたくない!死にたくない!死にたくないんだ!)
逢魔の胴を掴む腕の力は強くぎりぎりと逢魔を締め付けて握りつぶそうとしている。それに全力で抗い巨体のゾンビを睨みつけた。
「オレを……オレを離しやがれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
ぐちゃっっぶしゃぁぁぁっ!!
巨体のゾンビの手から赤黒い液体が噴水のように飛散した。
「がぅっ!?ぐるるるああああああ!!?」
悲鳴を上げ、怯んだのは巨体ゾンビの方だった。逢魔を掴んでいた手がバラバラに切り飛ばされたのだ。見るも無残な手だった残骸を抑えて悲痛な声を上げている。
「はぁっはぁっはぁっ……こ、れは…?」
拘束していた腕がなくなったことで解放され地面に膝をついている逢魔は肩で息をしながら自身の背中から生えているモノに目をやった。
それは鳥の翼を思わせる形状をしていた。ただし柔らかい羽毛ではない、ルビーのような赤い結晶が無数に連なる鋭利な硬質な翼だ。逢魔から生えたこの翼が巨体ゾンビの手をズタズタに切り裂いていたのだった。
最初の印象はルビーだったが、血が凝固した結晶といった方が近いのかもしれない、内部ではどくんどくと脈打つ音がしていた。
「何だかよくわからないが……形勢は逆転したようだな」
得体の知れない翼が生えたことは不気味だったが窮地を脱することができた。逢魔は立ち上がると硬質な翼を広げる。彼の意思に反応して動くようだった。異形の羽が生えた経験なんて当然のことながら初めてだったが、何故か逢魔には使い方が自然と頭に浮かんでいた。
(飛行能力はなさそうだ…別にもう逃げるつもりはなかったが。戦って生き残るしかない)
試しに羽ばたかせてみたが地面から足は1mmも浮かなかった。
「……うぐるる…」
食べ物に思わぬ反抗をされ手傷を負った巨体ゾンビは逢魔を敵と認識したようだった。ズタボロの残骸と化していた自分の左腕を残っていた右腕で引きちぎると逢魔へと投擲してくる。
「見てるこっちが痛くなるぜ」
拡げた血翼を振るいと投擲された左腕を軽々とはたき落とす。見かけ倒しでない強さがそこにあった。
「がうるるるるるっっ」
ちぎれた腕の付け根から血を吹きださせながら巨体ゾンビが突進をしてくる。ひらりと躱した逢魔がその際に尖っている翼の下部でゾンビの腹を斬りつける。
ぶしゃぁっ!!腐った皮膚が裂け赤黒い血が流れた。
「まだまだぁっ」
渾身の突進をスカされ、たたらを踏んだゾンビを逢魔の翼が攻撃する。
シュザザザザザザンッ!!
翼を振る度に巨体ゾンビの血が弾け飛ぶ。
「吹っ飛べ!」
硬質な翼を鈍器として叩きつけると巨体は耐え切れず地面を転がった。
(はぁはぁ…どうだ、これで…)
「ぐる…るるる」
すぐに立ち上がろうと巨体ゾンビはしている。体中から血を流しているにも関わらずその運動能力に陰りはない。目を見る限り逢魔を食べることを諦めるつもりもなさそうだった。
(さすがはゾンビ、そう簡単には動きを止めねぇか)
「一気にお前の肉体を壊させてもらう」
巨体ゾンビが再び攻撃を仕掛けてくる前に止めを刺すことにする。逢魔は血に結晶でできた両翼を空へ向かって大きく拡げた。
血翼がどろりと溶け、液状化する。しかし、それらが地に落ちることはなかった。バキ、バキィ!空中に散布し浮いた状態で再び鋭利な杭のような形状で凝固する。
逢魔周辺の空一帯が赤い結晶で埋め尽くされていた。
「いけ」
逢魔が手を振り下ろすと同時に無数の結晶刃が巨体ゾンビへ降り注ぐ。まるで斬撃の雨だった。
血でできた杭がゾンビの身体に突き刺さる。一撃、二撃、三撃…と途切れることなく雨は降り続け、刺さる度にゾンビの巨体が抉られ削られた。
雨が止んだ時にはわずかな肉片と血だまり以外、その場に残されていないのだった。
「はぁはぁ…」
(終わった)
今度こそ、片付いたとほっと息をついた時だった。
パチパチと手を叩く音がした。
「ごーおっかくじゃぁ!見事、妾の期待に応えたのぉ。うむ、犬…眷属として認めようではないかっ!」
「お、お前…」
現れたのは地面につきそうな程に長い金髪の妖艶な美女吸血鬼だった。
「目覚めた能力は形状変化タイプだの。系統としては珍しくないが、威力はそこそこじゃ。<血の裂翼(ブラッド・リッパー)>…と名付けよう」
最後の血結晶の雨で抉られているコンクリの地面を興味深そうに見ていた。
「おい…」
「しかし…この力があって、あの程度の出来損ない変異種に手こずるとは。まだまだ力は使いこなせておらんな。やれやれじゃ、先が思いやられる」
「おいっお前っ」
逢魔の事を気にすることなく一方的に吸血鬼は話し続ける。
「そう言えば飼い主である私の名前を教えておらなんだ。…妾はメアローズ・ラヴェンヌ!恭しくメア様と呼ぶがよい」
こんな目に合わせてくれた礼がまだしていない。それに相手は吸血鬼、世の中を滅茶苦茶にした人類に敵である。容赦する必要はない。そう考えた逢魔は手に入れたばかりの血翼を再び出現させて攻撃しようとし…。
クラッ…
できなかった、頭が暗くなり手足が痺れる。
「馬鹿者め、血の使い過ぎじゃ」
逢魔は吸血鬼女…メアローズに倒れる身体を抱き留められながら逢魔は意識を失った。