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新たな生活へ

「えーっと、なんだっけ、風間の名字」


 ハラミを取りながら蓮が尋ねた。


「エワタリだ」

「そうそう。どこのなんだ?」

「昔からこの町で暮らしている。異能者の一族だ。俺の使鬼しきは相伝の異能でな──」


 そこから先を、彼は聞いていなかった。


「自分から振ったんですからぁ、ちゃんと最後まで聞きましょうよぉ」


 めかぶに窘められて、少し居心地の悪くなった彼は、


「……わりぃ」


 と言った。


「んで、ソーメンの異能って何?」

「お前なあ……」





 たらふく食べて、自室。蓮はベッドの上に転がっていた。


(俺、やれっかな)


 今更になって湧いてくる不安。どうにもならねえよ、と自答して目を閉じる。


『よお、ガキ』


 どこかわからない暗い街で、蓮は黒い炎を前にしていた。声はその炎の中から聞こえてくる。とても冷たく、聞くだけで鼓膜が凍り付きそうだった。


『オレだよオレ、スサノヲだ』

「……夜海原に封印されてるって話じゃねえのかよ」

『簡単さ。お前に乗り移っただけだ……頑丈そうなんでな。ま、ここにいるのはほんの滓みたいなもんさ』


 金縛りにあったように、蓮は動けない。足も、腕も。ただ、口だけが回る。


『人間ってのは汚いものに塗れてやがる。嫉妬、憎悪、恥辱……そういう負の感情の塊だ。オレはそういうものから生まれた』


 炎が揺らめく。


『まあ、いい。オレに体を寄越せ』

「ハア?」

『あの日妖魔を連れていたのは慧渡のガキだろう? アイツを殺せれば、暫くは大人しくしてやる』


 蓮に、肚の底からの嫌悪が湧いてきた。先程まで一緒に飯を食っていた相手なのだ。


「嫌に決まってんだろ」

『ケケケッ! そうだよなあ、オマエら人間はそういう遊びが好きだものなあ。友情、友愛、慈悲! 何年生きても理解ができん。反吐が出る』


 知らず知らず、彼の顔は険しくなっていた。金縛りも解け始めている。


「とっとと消えろ。イライラすんだよ」


 炎の勢いは弱くなり、少しずつ姿を消していく。


『覚えておけ、オレはいつだってオマエの肉体を狙っている。精々、隙を見せないようにするんだな……』


 ハッ、と彼は目を覚ます。


「随分と寝言が五月蠅いのですね」


 椅子に腰掛けて本を読んでいる、雪音の姿がある。


「……お前、どこで寝んだよ」

「哀しいことにベッドは一つしかありませんから。添い寝してあげますよ」

「全くいくつだよ……」

「十五ですが。世間で言えば高校一年生ですね」


 寝台から降りた彼は、鞄から着替えをひょいと取り出し、部屋を出んとする。


「どこへ?」

「風呂だよ。お前も入れよ」


 共用部の浴室は、小さな銭湯のそれに似ていた。タオル類は自前、洗面桶は黄色でプラスチックのものが用意されている。


 壁に沿って置かれた椅子に座ると、目の前にシャンプーとボディーソープが。


「スカルプ、ねえ。薬用シャンプーの匂い苦手なんだよなあ」


 適量手に取って頭を洗い始めると、次の客がやってきた。が、蓮は目を開けて髪を洗えない。


「それ、俺のだぞ」

「風間か? 別にいいだろ」

「仮に、自動販売機で百六十円の飲み物を毎日買ったとする」

「あ?」

「一か月で四千八百円。かなり大きな損失だ」


 真意を掴みかねて──そしてそれはどうでもいいとして、彼はシャワーを浴びる。


「そういう小さな浪費の積み重ねが貧乏を生む。シャンプーとて同じことだ」

「……俺、風間とダチになれねえかも」

「売店に色々ある。明日にでも見ておけ」

「へいへい。じゃ、こっちも借りるぜ」


 片側の口端だけを下げた奇妙な表情で、風間は新たな級友の入浴を見ることになった。





 深夜の街並みを見下ろす、レストランの一角。個室になっているそこは、上質な静けさに満ちていた。


「準備は出来ているんだね?」


 黒いスーツに赤いネクタイを合わせた中年間近の男は、向かいに座っている女性にそう尋ねた。


「ええ。使い魔の内数体を、件の洋館に送り込ませました。ふぐりがいいように料理するでしょう」


 青いドレスを着た女は、一口ワインを飲んだ。


「我々の理想を成し遂げるためには、夜海原を手にしなくてはならない。そうだろう? 慧渡秋野あきの

「コードネームで呼んでください」

「すまないね、オータム。つい楽しくなってしまった……」


 男の腰にはポーチがある。時折、内側で何かが蠢いているように見える。


「君のおかげで、人を妖魔にできるようになった。堕落させた人間は、好きに操れるのだね?」

「ええ。通常の調伏と同じ手順で使い魔にできます。制御の放棄も、問題なく」

「雪音を取り逃がしたんだ、ここで取り戻しておくれよ」


 男はポークソテーを切って、口に運んだ。


壱阡火せんか様」


 そう呼ばれた彼は、上目遣いで秋野を見る。


「なぜ、この町なのです」

「後輩がいるんだ。同じ特科で学んだ仲でね……そろそろ、縁を切りたい」

「殺す、と」

「さて、どうかな。あいつは強い。一生戦えないようにしたいね」


 空になった白い皿。


「予定通りだ。君は夜海原と雪音を確保。特科に入ってしまった以上そう容易くはないが、やってくれるね?」

「ふぐりに特上級妖魔を数体用意してもらっています。勝ちますよ。──それで、夜海原は多少壊しても構いませんね?」

「腕輪が手に入れば、そこから解析ができる。八鷹……蓮だったか。彼自身はどうでもいい」


 秋野は深く頭を下げる。


「行こうか。時間を無駄にしたくはない」





 山から山へ、バンが走る。遠くには積乱雲が見えて、この先の夕立を蓮に思わせた。


「今回の任務は、単純です」


 運転手をしている教員、継日つぐひ孝司こうしが口を開いた。痩身で、とても戦えるようには思えないし、事実戦うことのない人間だ。


「放棄された洋館に、妖魔が住み着いたようなのです。それを消し去ってください」

「洋館への被害は、どれほど許容されますか」


 風間が問う。


「更地にしても構いません。まあ、偵察部隊の情報では、住み着いたのはせいぜい中級、どんなに強くても上級だということですから、そこまでの被害は出ないでしょう」

「はいはい、質問!」


 蓮が手を挙げる。


「上級ってどれくらいつえーの?」

「霊力反応と呼ばれる、霊力を数値化したものを参考に決められるのが妖魔の等級。しかし、上級と特上級は、固有の異能を持っているかどうかで判断されるほか、数値は低くとも狡猾である場合にもカテゴライズされます」

「えっと……」

「単純に強いか、手に負えないほど賢いか、ということですよ」

「ははーん、んじゃ、今から行くところはチンパンジーの檻みたいなんだな」


 イマイチピンと来ない喩えは相手にもされずに受け流された。


「油断はしないでくださいね。中級であっても、莫大な霊力を有しているケースは何度か観測されていますから」

「余裕だって! めかぶつえーもん!」

「風間くんも強いですよ」

「えぇ~?」


 怪訝そうな顔を浮かべる彼の頭を、隣の風間が抑えつけた。


「風間くんは一年生で唯一単独任務が許可されています。名門、慧渡家の跡継ぎですから」

「名門、ねえ」


 顔を上げた蓮は、顎を撫でながらそう言った。金を持っていそうだな、くらいの感想しか抱かない。


「慧渡家は平安の時代から続く家系ですよ。使鬼しきという異能を受け継ぎ、いつの時代も力なき人々のために戦い続けてきたのです」

「なーんか信じきれねえなあ」

「勝手に言ってろ」

「じゃ、今回の主役は風間でいこうぜ。そしたらホントにつえーかわかるだろ」


 風間は黙ってそっぽを向いた。


 遠足気分でいた蓮だったが、彼は、現実を見ることになる。己の矮小さと、高すぎる壁。この事件は、一人の命を奪うことになるのだった。誰も望まない形で。

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