目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

松雲学院特科

「すっげー!」


 M市南部には、山地が広がっている。地方都市と呼ぶのも憚れるような都市にあるのだから、人の手が入っていない部分もある。


 そんな山林を切り拓いて作られた、平地が存在する。そこに、松雲学院特科は位置しているのだ。


 蓮がなぜそんなところに連れてこられたか、少し時を遡るとしよう。





「君には、当分訓練を受けつつ、難易度の低い任務を熟してもらう。ま、ゆっくり行こうよ」

「訓練って、どこで? 東京? それとも外国?」


 腕を忙しなく動かして蓮は問う。


「松雲学院、知ってるよね?」


 頷く。


「あれだろ、S県で一番レベルが高い、私立の超進学校。学費なんて一年で六十万するって……」

「そう。でも、君は特別にタダで入れてあげる」

「ハァ?」


 間抜けな声が出たタイミングで、取調室に風間が入ってくる。白いシャツにスラックス。だが、胸元には一本の松が雲を貫いている図柄の紋章があった。


「彼、松雲学院の生徒なんだよ」

「そんなに賢そうには見えねえけどなあ……」

「お前、言葉は選べよ」


 風間は静かに怒りを滲ませていた。


「松雲学院、一応私立なんだけど、実は公費で運営されてる学科があるんだよね。君が入るのも、風間がいるのも、そこ」


 全く以て状況を飲み込めない蓮。


「ま、君は説明するより見せた方が早いか。明日、保護者に話をしに行くよ。その後、学校に案内してあげる」

「うす」





 そういうわけで、蓮は躍に連れられてM市南部の山にやってきた。入口は古ぼけた鳥居だ。大きなリュックサックを背負った彼は、ふと携帯電話を見る。何とか電波は入っていた。


「こんなの、誰でも入れるんじゃ」

「登録済みの霊力以外通さないようになってるよ」


 朱塗りも剥げ始めているそれの下を潜ると、リィーン、と蓮は鈴のような音を聞いた。


「しかし、ああも理解が早いとはね」


 蓮の祖父、夕陽ゆうひ。一日中新聞を読んで暮らしている。無愛想で不躾。だが、孫の邪魔をすることはなかった。学費がタダならそれでいい、と深く追及することもない。


「興味があるのかないのかわかんねえよ、ホント」


 蝉の声が五月蠅い。


「蝉は入れるんだな」

「一定以上の霊力がある生物を対象にしてるからね」


 持ち込んだスポーツドリンクを、彼は一口。


「さ、そろそろだよ」


 見た目としては、さして特別な要素はなかった。赤い屋根に白い壁の、二階建ての横に長い建物が中心にあって、そこからグラウンドを挟んで似たような見た目の三階建ての建造物がある。


「すっげー!」

「真ん中のが校舎で、でかいのが寮。まずは君の部屋に行こうか」


 ギラギラと地面を灼く陽光を受けながら進めば、中程で飲み物がなくなってしまった。


「自販機って……」

「そういうのは自分で探すものさ。夏休みを活かして探検しなよ」


 寮は、綺麗とは言い難い。床は軋むし、壁紙は少し汚れている。一階は共用スペースとなっていて、各人の個室は二階と三階にある。下が女子寮、上が男子寮、と躍が説明する。


「同じ建物で大丈夫なのか?」

「だいじょばない、けど、予算が足りないんだよねえ。一応異性の部屋には入れないように結界を張ってあるよ」


 二階をちょいと覗いた蓮は、一人の女子と目が合った。白いブラウスに、青いプリーツスカート。緑がかった、緩やかにウェーブのかかった黒髪。女性を形容する言葉をあまり持たない彼だが、ふわふわしているな、程度の感想を持った。


 その女子は、困り顔で小さく手を振る。ドキリとした。


氷川ひかわめかぶ」


 躍が言う。


「一年生だ。挨拶しておきな」


 鞄を背負ったまま廊下を小走りで往き、めかぶの前に立つ。背丈は百五十センチほどだろう。


「俺、八鷹蓮。よろしく」

「よろしくお願いしますねぇ」


 握手を交わした時、彼は相手の腕が鍛え上げられていることに気付く。隆起した筋肉に、ごつごつとした指。只者じゃない──そう思った次の瞬間、彼は投げられてしまった。


「油断大敵ですよぉ」


 そう言ってめかぶは部屋に入っていった。


「ああ見えて、めかぶはゴリゴリの近接タイプなんだ。気を付けた方がいいよ」

「気を付けるたって……不意打ちでぶん投げてくるの、どうすりゃいいんだよ」


 ハハッ、と笑いを見せた躍について行き、三階の角部屋へ。簡素なワンルームアパートと呼ぶべきものだった。木製のベッドと、備え付けの机。トイレと洗面所があるくらいだ。


 が、最も目を引いたのは、既にシーツが敷いてあるベッドに腰掛けた、人形のような美少女の姿だった。


「来ましたね」

「雪音、おま、どうして……」


 ピョン、と彼女は飛び降りる。そのままツカツカと歩み寄り、蓮を見上げた。


「躍さ──いねえ……」

「私のフルネームは血盟けつめい雪音」


 状況の説明を求めたかった彼は、仕方なく少女の方を見た。三十センチ背の低い相手と目を合わせるのは、少し煩わしい。


「先日伝えた通り、夜海原の起動には私の血……正確には、血盟一族の血によって作り変えられた霊力回路パターンが必要です」


 具体的な理解はできずとも、何となく、で蓮は頷く。


「そして、それは一時的なもの。起動の際に私の血液を何らかの手段で取り込む必要があります。わかりますね?」

「おうよ」

「皆まで言う必要はありませんね。そういうわけで、私もここに住みます」

「……?」


 理解が及ばずフリーズした彼を見て、雪音は深い深い溜息を吐いた。


「あなたが戦うには、私がいなければならないのです。血液製剤でも用意できればいいのですが、採取から五時間以内の新鮮なものでないと意味を為しません。したがって、いつでも私が血液を供給できるように、ここで待機する必要があるのです」

「えっと、つまり……同棲?」

「そうなりますね」

「不純異性交友にならない?」


 少女の、一ミリも動かない表情。


「つーか、また乗っ取られたらやばいんじゃねーの」

「そうなったら処刑でしょうね」


 顔を青くした蓮は、部屋に入るに入れない。


「夜海原を狙う人物がいます。命を芥のように消し去る、そんな人物です。しかし、夜海原は最初に起動した人間が生きている限り、他者に譲渡しても起動できない」


 雪音は彼の右手を握る。


「あなたが生きていれば、彼は夜海原を手に入れることができない、ということです。とはいっても、戦力を遊ばせるほど余裕はないそうですが。戦えますか」

「……俺さ、妹とかーちゃんを殺されたんだ。五歳の時に。だから、そんなことがもう起きないように、全部守りたい。俺にその力があるなら……命を賭けたっていい」


 階段の陰でそれを聞いていた躍は、頷いて彼に向かう。


「よし! 歓迎会だ!」


 突如現れたように思える躍に、二人は驚きつつも笑顔を向けた。


「ちょっと待ってね、風間呼ぶから」

「いますよ」


 慧渡風間。十六歳。スラックスのポケットに手を突っ込んで立っていた。


「まずはご苦労さん。どうだった?」

「別に。雑魚でしたよ」


 顔の硬い彼の肩を、躍は何度も揺らす。


「蓮、どこ行きたい? ステーキでも焼肉でも寿司でも連れてくよ」

「じゃ、焼肉! 焼肉行きたい!」

「はいはい、じゃ、今晩行こうか。『ぷりんす』でいい?」


 腕を交互に突き上げながら回転する謎の踊りを披露しながら、蓮は宜った。その声を聴いたのか、めかぶが上がってくる。


「でも、その前に実力を見ておきたい。めかぶと一緒に、軽い任務をやってもらうよ」


 唐突な指名にも戸惑わず、彼女は柔らかく頷く。


「それじゃ、出発だ」


 車で連れていかれたのは、中心部から十キロほど離れたところにある空き地だ。腰ほどまである草が茂り、その年月を思わせる。


「ここに低級の妖魔が出ると通報があったんだ。倒してごらん」

「草しか見えないけどなあ……」

「いるよ。ね、めかぶ」


 彼女はどこから取り出したのか、背丈ほどある大斧を担いでいた。


「いますねぇ。気配を感じますぅ」

「それ、どっから出したんだ?」

「乙女の秘密ですよぉ」


 顔をくしゃくしゃにして受け流す彼女に、蓮はそれ以上聞くのをやめた。


 めかぶは斧を片手に空き地に踏み入り、何か呪文らしきものを唱え始めた。


「俺も行くか!」


 雪音の血は車の中で飲んだ。合掌して、装着。白虎めいた仮面で顔を隠し、めかぶを追う。真っ青な空の下、初めての任務が始まった。


「私はあなたのことを信じたわけではありません」


 車に戻った躍に、雪音はそう言った。


「ですが、蓮を生かすためにはこうするしかなかったのです」

「わからないんだよね」


 助手席と躍と、後部座席の雪音。六人乗りのバン故に二人の間には距離がある。


「なんで蓮なのさ。成り行きかい?」

「今はそうだと言っておきます」


 躍とて、こんな短い問答で全てを知れるとは思っていなかった。だが、雪音には何かがある。


「八鷹奥平おくひら、だろ?」


 雪音は答えなかった。


 スモークガラスの向こうでは、蛇型の妖魔が蓮に噛み付こうとしていた。霊力によって強化された装甲がその牙を通すことはなく、むしろ、彼にがしりと掴まれ、そのまま捩じ切られた。


「ヘヘッ、どうだ!」


 めかぶに向かって胸を張った彼だが、直後、その彼女が自分に向かってくるので


「ちょいちょいちょい!」


 と間抜けに叫んで腰を抜かしてしまう。が、彼女は跳躍し、もう一匹の蛇を断ったのだった。


「気配も感じませんねぇ。これで終わりですよぉ」

「いるなら言えよぉ……」


 健全な男子高校生であることに加えスーツを纏っているはずの蓮を、めかぶは易々と持ち上げる。斧はいつの間にか消えていた。


「たいちょぉ、焼肉ですよぉ」


 雪音は、語るべきことを語れないでいた。これからの蓮の一生を、縛り続けるということを。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?