蓮は、取調室の椅子で目覚めた。立ち上がろうとすれば、縛られていることに気付く。
「お、起きた」
目の前にいるのは鳶色の瞳を持った男。前髪は後ろに向かって固めてある。
「君、自分が何したか覚えてる? 逮捕、いや、処刑されてもおかしくないことしたんだけど」
「俺は……雪音から貰った腕輪で変身して……それで……」
彼は、ぼやけた頭で記憶を引き出し始めた。
◆
闇の中、蓮の体を夜の色をしたインナーが覆っていく。元々着ていた服はどこかに消えていた。首から下がすっぽり隠された直後、ポータルを通じて現れた銀色のアーマープレートが胸部や腕部、脚部に装着される。そして、最後に虎を彷彿とさせる頭ヘルメットが現れた。
闇が消え、戦場に放り出される直前、彼は心臓に痛みを覚える。息が荒くなる。何かが絞り出されて、干からびて死んでしまうような恐怖だ。
が、それは刹那的なものだった。すぐに平常を取り戻し、ファイティングポーズ。視界には何らかの計器が映っている。その意味は彼には理解できなかったが、目の前にいる妖魔の霊力を判別して、最適な行動を脳に直接送り込んでいるのだった。
「やってやらー!」
強く踏み込んで、甲虫型の妖魔に右ストレート。腕の中を駆け抜ける、血とは別のものを感じながら拳を叩きつければ、相手は霧散した。
その何かが霊力であることを、彼は結果から逆算した。妖魔を倒せるのは霊力。ならば妖魔を倒せたこれは、霊力を伴っていたということだ。
背後にいた蜘蛛型が飛び掛かってくるので、振り向き様に肘鉄。怯んだ所に、ワンツーパンチだ。噛みつきは体を捻って躱し、間合いの内側へ。ジャブを打ち込んだ後、回し蹴りでフィニッシュ。風に吹かれた霧かのように、妖魔は消え去る。
「俺、つえーじゃん!」
高揚のままに掌を空に翳す。
「これがあれば、誰だって助けられる……!」
そう、小さな声で言った直後のことだった。
「動くな!」
風間が到着していたのだ。
「S県警霊災対策一課第二小隊、
風間の近くには数体の妖魔。滞空する、人が乗れそうなほど巨大な鳥と、初対面の時に連れていた三匹の犬だ。
それだけなら、全ては上手くいくはずだった。だが、夜海原の意思は彼の妖魔を敵と認識し、攻撃を仕掛けるように何度も訴えかけてくる。頭痛が走る。少しずつ、思考が塗り潰されていく。
気が付けば、殴りかかっていた。右フックが風間の左腕にぶつかる。受けた方は霊力操作による身体強化で骨折とまではいかないものの、中々重い打撃を喰らっていた。
(最悪だ……)
痛む左腕を振りながら風間は思考を巡らせる。
(スサノヲに飲み込まれやがった!)
夜海原の存在は先んじて聞いていた。とあるテロリストが狙っている、最新兵器だ。その“敵”に渡さないために、警察の手で確保する必要があった。
だが、それは起動され、想定され得る中で最もあってはならない状況になってしまった。
「霊力砲!」
鳥が嘴を開き、光線を放つ。目くらましになれば、程度の期待だった。事実、霊力を束ねたビームは装甲に傷をつけることもできなかった。
煙の中から飛び出した蓮の、アッパーカット。動物的な勘で上体を反らしていた風間は、顎に掠り傷ができただけで済んだ。
が、不安定な姿勢になったのも事実。足払いを受けて転倒する。踵落としの直撃を貰う直前、鳥に自分を引っ張らせて難を逃れた。数メートル後退して、着地だ。
「いい異能だ」
蓮──いや、スサノヲの冷たい声が風間に汗をかかせる。一つの覚悟を決めた妖魔使いの少年は、召喚していた下僕を消す。
「一緒に死ぬぞ、スサノヲ」
風間の影が蠢く。とっておきもとっておき。どうしようもなくなった時のための、最終手段。それを使おうとした彼は、肩を叩かれてやめた。
「はい、そこまで」
風間より少し背の低い男が現れたのだ。
「隊長……」
隊長と呼ばれたオールバックの男は、ニヤリと微笑んで前に出る。
「風間、若い子が死にたがるんじゃないよ」
学生然とした風間とは違い、隊長はどこにでもいそうな、灰色のTシャツにジーンズという格好だった。だが、腿には短機関銃を納めたホルスターがある。
「来なよ、三十秒だけ付き合ってあげるからさ」
鳶色の瞳は、勝利への確信に満ちていた。
「人間風情が!」
そう叫んだスサノヲの拳を、彼は容易く受け止める。軽いパンチを数発いなしてから、伸びきった腕を掴んで高く投げる。宙に躍った相手に向けて、
「キエレ」
と掌を向けて言う。すると、黄色いエネルギーの縄が現れて、スサノヲを縛り上げた。
落下を始めた敵に狙いを定め、拳に霊力を込める。腕が膨張を始めただけでなく、強化された肉体が、鋼のような硬度を持った。
しかし、それが振り抜かれることはなかった。突如、光と共に夜海原が消える。元通りの姿になった蓮を認めた彼は、そっとその肉体を抱きとめた。
「おかえり」
「……ただいま?」
その直後、蓮は意識を失った。
◆
「そうだ! 俺、あのスーツ着たら乗っ取られたんだ!」
取調室で蓮が大声を発する。
「そう。君は特上級妖魔、スサノヲに意識をジャックされ、風間に戦いを挑んだ。普通に公務執行妨害だし、妖魔に憑依された人間は殺してもいいことになってる」
「殺……ッ⁉」
「うん。裁判なしで死刑だ。普通は元に戻せないし、妖魔に人間の法は通用しないからね」
隊長と呼ばれていた男は、腿のホルスターから短機関銃を抜き、蓮の額に押し当てた。
「どうする? ここで殺してもいいんだよ?」
少年は、涙を流してしまった。喧嘩で怪我をするのとは違う、冷たすぎる殺意。
「い、いやだ……」
震える声を絞り出す。
「死にたくない。刑務所だって入る。だから、殺さないでくれ……」
スッ、と銃口が離れる。
「いくつか選択肢がある。君の一生を左右することになる。それでも聞くかい?」
「死なないなら何でもいい! だから、だから!」
隊長は腹を抱えて笑い出す。ゲラゲラと、生きるか死ぬかの判断を迫るにはあまりにも軽い態度で。
「必死だねえ。何が君をそうさせるのさ」
「誰だって死にたくねえだろ!」
ひとしきり笑い終えた男は、鳶色の目で蓮を見つめた。
「しかし、幸運だったねえ」
「幸運?」
「言ったろ? 妖魔に憑かれれば元には戻れない。でも、一つストーリーを用意した。夜海原に封じられたスサノヲはまだ完全には覚醒してなくて、油断した君を一時的に乗っ取っただけ。僕を相手にした恐怖で引っ込んだんだ。上にはそう報告してある。ま、完全な憑依じゃなかったってわけだ」
「はあ……」
イマイチ何を言っているのか、蓮にはわからない。
「夜海原──君が着たあのスーツには、スサノヲと呼ばれる特上級妖魔が封じ込めてある……その莫大な霊力で、身体能力や装甲の防御力を底上げするためにね」
早く条件というものを言ってくれねえかな、と思いながら蓮は話を聞いていた。
「だが、その起動にはキーが必要だ。一つは、血盟一族の霊力回路パターン。君が雪音ちゃんの血を飲んだのは、その霊力回路を組み替えるためだ」
「なんで知ってんだよ」
「雪音ちゃんは僕らが保護したからね。事情はある程度聞かせてもらった」
男は顔をずいと蓮に近づける。
「で、ここからが本題だ。君が生きる道は二つある。妖魔の憑依に耐えられる人間として、実験施設に送られる。これは最悪だね。一生出られない」
「もう片方は」
「もう一つは、僕の部下になること! 正確には、保護観察として僕の下で夜海原を使って戦う、ってことになるけど」
戦う。その言葉を、蓮は何の拒否感もなく受け止めた。
「……戦うよ」
「殺されたくないからかい?」
「それもあるけど、でも、一番は誰も失いたくないからだ。俺にその力があるなら、無駄にするのは嫌だ」
男は柔らかく微笑んで、二、三度頷いた。
「僕は
躍が指を鳴らすと縄は消えた。差し出された手を握り、今、蓮は立ち上がった。