俺は、対策を始めた。
ストレスが、減ってる。つまり、魔力が弱くなるかもしれない。
それは、セレスティア・リンクにおいて──いや、この魔力社会において、俺が俺である理由を失うことを意味していた。
「……俺は、『苦しみ』でできてるんだ」
口にしてみたら思ってた以上にヤバいやつみたいだったけど、それが真実だった。
まず手始めに、朝の出社時間を誰よりも早くした。
フレックス制度? 知らん。七時にはオフィスにいる。誰もいない静かなビルで、空気清浄機の音だけを聞きながら黙々と資料を読む。背中がスッと冷える感じ、これぞ社畜の朝。
次に、他部署の業務改善提案に首を突っ込んだ。
セレスティア・リンクには部署横断の提案制度があったのだが、普通は年に数回ペースで出せば多い方だ。
俺は一週間で十四件提出した。
しかも、全部A4で三十枚超え。
AIと人力をフル活用し、改善案+工数分析+リスクシナリオ+代替案まで全部書いた。
もちろん誰にも頼まれてない。完全に自主的。
さらに、休憩時間。普通の社員はお昼寝ブースかカフェテリアに行く。
俺は倉庫に行った。
管理が雑だった書類棚を自主的に整理し、システムから持ち出された備品の棚卸しをやり、在庫数と使用実績をスプレッドシートに入力。効率化提案書まで添えて提出した。
何度も言うが、誰にも頼まれてない。
その結果──。
「黒瀬さん、最近なにかお困りごとは……」
「疲れてませんか? 本当に?」
「……なんというか、あの、ちょっとだけ……休みません?」
周囲の人間が俺をそっと観察するような目で見るようになった。
だが、その視線こそが、俺の魔力の源。
ああ、戻ってきた。
この、心にひりつく感覚。
呼吸が浅くなるような緊張感。
「これ俺がやらなきゃ終わるな……」っていう、あの独特の圧。
そう──これが、俺の「日常」なんだ。
案の定、俺の魔力数値は維持されていた。
社内の研究チームからは「やはり苦痛値と魔力は相関する」なんて論文が出され、俺は学会発表用のモデルケースとしても名前が載った。なんかもう、笑うしかない。
気づけば俺は、会社で「エース」と呼ばれるようになっていた。
魔力の安定供給はもちろん、業務効率化、チーム支援、資料作成、庶務、社内美化まで──。
「困ったら黒瀬さんに聞けばなんとかなる」と言われるようになっていた。
それ、本来は部署ごとの仕事では? と思うこともある。
でもな。誰かに頼られるって、嬉しいんだよな。
……それが苦しみを生むならなお良しなんだけど。
◇
そんなある日。
篠原さんに呼び出された。
「黒瀬さん。ひとつ、お願いしたいプロジェクトがあります」
応接室。あの入社面談以来、久々に対面する彼女は、少しだけ疲れて見えた。
「本社中枢で新たに動き出した『第零基盤』……魔力供給の根幹を担う極秘プロジェクトです」
「……それを、俺が?」
「はい。あなたの魔力安定性と、対ストレス適応値は、現状人類最高です」
「いやそれ、誇っていいのか微妙なんですが……」
「安心してください。これまで以上に快適な環境をご用意します」
「……それが怖いんですけど」
俺の返答に、篠原さんが少し笑った。
「では、適度に不快な環境で」
「それだ、それなら話は早い」
俺は、笑った。