「黒瀬さん──弊社に来ませんか?」
そう言って、篠原さんはタブレットを俺に差し出した。
表示されたのは、雇用契約書のドラフト。そこには、俺の新しい肩書がある。
【セレスティア・リンク株式会社 魔力基盤統合部門 特別研究開発職】
特別研究開発職?
なんだその肩書き……なんかすごそうな名前してるぞ。
「……俺、研究とかしたことないですよ」
「安心してください。必要なのはあなたの『存在』です」
「存在……?」
「はい。あなたの魔力そのものが、今の世界では最も価値のあるリソースです」
篠原さんは、まっすぐな目でそう言った。
こういう人が言うと、なぜか信じられてしまうから不思議だ。
「もちろん、ご本人の意思を最優先します。お断りいただいても構いません。ただ……この激動の時代に、自分の力で社会を変えることに興味があるなら……私たちは、歓迎します」
……社会を変える?
俺が?
いやいや、そんな大それたこと……とは思ったけど。
気づけば、俺はうなずいていた。
◇
セレスティア・リンク本社は、なんというか、異次元だった。
入社初日から驚きの連続。まず、出勤時間が自由だった。フレックスどころじゃない。コアタイムすらない。
そして、驚くべきことに──。
「黒瀬さん、残業は禁止ですからね」
マジで言ってる。
「休憩は自由に取ってください。お昼寝ブースもあります」
ふと隣を見ると、社員の男がマジで寝てた。ブースの上には「回復中」って札まで立ってる。
この会社……大丈夫か?
「昼食はビル内のカフェテリアをご利用ください。全品無料です」
カレーをよそってる社員が、「うちのグリーンカレー最強ですよ」とか言ってる。うそだろ、前の職場なんて残り物のカップ麺で喜んでたぞ……。
そんな中でも、俺にはちゃんと「仕事」があった。
魔力基盤統合部門──つまり、世界に張り巡らされた魔力インフラ網を支えるための、安定的な魔力量供給の研究と実装だ。
他の社員は、特殊な魔法能力を持っていたり、精密な計測技術を駆使して、インフラ全体のバランスを調整している。
で、俺の役目は──。
ただ、そこにいること。
マジでそれだけだった。
「黒瀬さん、あの椅子で座っててください」
「え? これだけ?」
「はい。魔力圧が一定以上保たれていれば、周囲十メートルにエネルギーが伝導しますので」
何を言ってるのかよくわからなかったが、とにかく俺の存在そのものがエネルギーになるらしい。
最初は、「こんなんでいいのか……?」と不安だった。だが、結果はすぐに出た。
俺が配置されたエリアでは、通常よりも約二倍の魔力が供給されたらしい。
上層部からは絶賛され、他部署からも視察依頼が来た。
社内報には「黒瀬誠氏、魔力インフラに革命を起こす!」なんて見出しが躍った。
やめてくれ。そういうの、一番恥ずかしい。
◇
それから、わずか一か月ほど経った日のこと。
「黒瀬さん、このたび、基盤圧調整チーフに任命されました」
「えっ……チーフ?」
「はい。部門内では異例のスピード昇進ですが、適性と実績を考慮すれば当然のことかと」
俺が? チーフ? マジで?
と喜んだのもつかの間、ある重大な事実に気がついた。
最近、体の調子がちょっといい気がする。
目覚めもスッキリ、頭も冴えてる、腰の痛みも消えてきた。
……まさか。
これは、ストレスが減ってきているのでは?
やばい。
魔力が……弱くなる……!