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やめてください、死んでしまいます
やめてください、死んでしまいます
もちもち
現代ファンタジー都市ファンタジー
2025年04月16日
公開日
6,869字
完結済
400字詰め原稿用紙444枚を脱稿したアマチュア作家・市ヶ谷は、ある朝目覚めると、枕元で男に土下座をされていた。 立派な不審者に自宅に侵入された市ヶ谷は、ひとまず男に声を掛けると、彼は土下座スタイルのまま謝罪するのだ。 「申し訳ございませんでしたあ! あなた様の小説を、  ぜんぶ喰らい尽くしてしまいました!!!」 何を言い出したのかさっぱり分からない市ヶ谷は、しかし、突然の焦燥感に襲われ、脱稿した原稿用紙に駆け寄ると…… そこには、真っ白な原稿が残されていたのだった。 市ヶ谷が次に手を取るのは、ボールペンか三徳包丁か、 手に汗握る男との攻防が始まる───!!

 枕元に人が立つ、という話はありがちな話ではある。

 だが、土下座されたというのはあまり聞かないな。と、目覚まし代わりにしているスマートフォン端末を手に取り、作家志望の男── 市ヶ谷いちがやは時間を確認した。

 現在、朝の7時である。

 遮光カーテンから差し込む朝陽が爽やかだ。


 土下座しているのはどうやら男で、ふかっとしたフードの付いているパーカを着ており、髪は短髪黒髪。顔は見えない。

 土下座しているので推測ではあるが、たぶん中肉中背といったところだろう。


 市ヶ谷はとりあえず起き上がり、布団の上に胡坐を組んで男と向かい合った。

 じつはスマートフォンには110の番号を打ち込んではいるのだが、すでに不審者は部屋の中にいる。この状況をどう考えるべきだろう。

 とりあえず、なにかコミュニケーションを取れるのか確認しよう、と市ヶ谷は内心で頷いた。


「あの」「すいませんっでしたあああ!!!!!」「うわ…」


 早くも後悔がこんにちわしている。とりあえず日本語が通じることは分かった。

 だが、男は頭を上げないし、ついでに音量据え置きで続けるのだ。


「申し訳ございませんでしたあ! あなた様の小説を、


 !!」


「…… え?」


 何を言っているんだコイツは。

 市ヶ谷は寝起きの脳みそで一瞬ぽかんとした。が。


「─── ぉいおいおい……?!!」


 急速に首筋の血液が湧き立ち、寝ぼけた脳みそを高速回転させる。

 思い当たることが一つあった。

 果たしてこの土下座マンが何をしたのかは分からないが、市ヶ谷は飛びはねるように立ち上がり、ワンルームの簡素な部屋に据えられたデスクへ駆け寄る。


 起きたらポストへ投函しようとしていた封筒が開けられている。

 その上に丁寧に重ねられた原稿用紙を見て、一瞬、裏を上にされているのかと市ヶ谷は思った。思いたかった。


 骨が軋んだ音を立てて、市ヶ谷は土下座している男を振り返る。


 数時間前にようやく書き上げた400字詰め444枚の原稿用紙。

 が。

 目が覚めたら、──── 真っ白まっちろなのだ。



 ようやく顔を上げた男は、どこにでもいる平凡な顔立ちだった。多少垂れ眼のようにも見えたが、顔の全面に「申し訳ない」と押し出ていたのでそう見えたのかもしれない。


「俺の原稿どこやった……?!」


 だが、市ヶ谷はそれどころではない。手にした原稿の束を持って男の前に行くと、その顔に用紙を押し付けるようにして叫んだ。


「やめてください、いまお腹いっぱいなんで!」

「幸せか! それはどういうことだって聞いてんだよ!」

「そのまんまですって!」


 押し付けられる原稿用紙を両手で押し返しながら、男は答えた。


「この原稿はあなたが小説を書いていた原稿で、俺は、その文字を全部食べてしまったんです!」


 そんな馬鹿な……

 市ヶ谷には到底受け入れられない発言であったが、手にしている原稿は真っ白なのだ。

 葛藤する市ヶ谷に、男はどうしたものかと困った顔をする。だが、すぐに壁に掛かっているカレンダーを見つけると、男は立ち上がってそれに指先を添わせる。


「こういうことです」


 5×7のマス目に並べられた中の4の数字の上を、彼の指先が摘まみ取るように動いた。

 というか、


「え」


 するりとカレンダーから抜き取った4を、男はぱくりと口に入れてしまう。

 残ったのは、4を欠いたカレンダー。

 最初からそこは空いていたのだと錯覚しそうなほど、違和感がない。


「不味いすわ」

「あ、はい」


 もぐもぐとしていた男のぞんざいな感想に、反応のしようがない。

 市ヶ谷はもう一度、自分が手にした原稿を見下ろした。


「いやいや、違うでしょ?! そういう反応じゃないでしょ!」

「え、なに、急にどうした」


 突然ガッシと男に肩を掴まれ、思わず身を引いてしまう。相手の距離感が掴めないのは一人の人間として純粋に怖い。

 だが、男はお構いが無かった。


「物語の人たちはこういう状況になったら、何者だ?!て聞くじゃないですか」

「お前は最初から不審者一択だろ」

「広いですよ括り方が!」


 言われましても……

 男の反応に市ヶ谷は困ってしまったのだが、突然、壁から鈍い音が聞こえた。いわゆる壁ドンではあるが、この種類はトキメキなど皆無である。

 市ヶ谷は慌てて原稿で男の口を押さえた。現在、朝の7時14分。まさか15分程度でこんな無駄に濃い現実に遭遇するとは。


「とりあえず静かにしてくれ。お前がどこからどう侵入したのか知らんが、アパートなんだよここは」

「す、すみません……」


 とりあえず、アパートがどんなものかという知識はあるらしい。しゅん……、と大人しくなった男に、市ヶ谷は「とりあえず座れ」と促すと、目の前に正座された。

 距離感…… 思ったものの自分で一歩下がり適切な距離を取って座る、基本的に他人へは消極的な市ヶ谷である。


「ひとまず、手品ではないことは分かった」

「はい」

「お前の話しを信じたいと思う」

「ありがとうございます……!」

「念のためにもう一度確認したいんだが、この白紙の原稿は、お前の仕業だってことなんだな?」

「はい!!」


 自分の話を存外素直に信じてくれた市ヶ谷に、男は輝く笑顔で頷いた。

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