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第12話

 籠澤がいないと籠澤の相談者たちを訪ねることができないと長尾が気づいたのは、彼の背中を十分見送った後だった。

 迂闊過ぎたが、かと言ってこのまま行動しないわけにはいかない。

 長尾は、唯一電話番号を知っている本田へ連絡を取った。


「長尾ちゃん」


 図書館の閲覧スペースへ向かうと、並んでいる長机の一角でひらひらと手が振られている。

 ジャケットを脱ぎ、ネクタイと襟シャツの第一ボタンを外したラフな格好で本田がいた。


「勉強の邪魔したか」

「勉強してねえ」


 図書館という意外な場所にいると聞き、もしかしてと思った長尾に、安心しろとばかりの様子で本田が返す。

 「さっきまで個室で寝てた」と本田が言うので、思わず壁の『個室スペースでの居眠り禁止』の張り紙を確認してしまう長尾だ。

 本田にとっては風景の一部となっていることだろう。


「祈祷行って来たか、長尾ちゃん」

「いや、まだ行ってない」

「なんで行ってないんだよ……」


 信じられないと如実に顔に出る本田だが、長尾はそれを気に留めずに話を切り出した。


「本田は宗教勧誘には遭ってないってことだったが、他に原因になりそうな心当たりはないか。

 二週間前くらいに、いつもと違う状況が無かったか」

「えええ…… ちょっと、待って、まだ続いてたのかそれ。

 いや、それより長尾ちゃん、今からでも祈祷に」

「籠澤がお守りを買いに行ってくれてる」

「そこまでして聞くことぉ?」


 理解できないと如実に顔に出る本田だが、長尾はやはり気に留める気はない。

 ひとまず応急措置は取られているらしいので、本田は目の前に座る、自分の話を聞くまではてこでも動かなそうな男の質問を反芻した。


「二週間前…… なんて、何かあったっけ」


 難しい顔をしてみせながら、本田はスマートフォンの画面をタップした。カレンダーを確認するのだ。スケジュールをマメに入れる性格ではなかったが、何日というのを見ると見ないとでは思い出す深度が明らかに違う。

 …… と思ったのだが、数字を見ても一向に思い出せない。

 本田は片手を振った。


「無理無理。もうちょっと絞って質問してくれよ、広すぎるよ」

「そこまでインパクトが無い起因なのか……」


 長尾も困惑してしまう。宗教勧誘が実際に行われているとは思わなかったが、そんな日常茶飯事の中にあるなら、もっと事象が起きている人間がいていいはずだ。

 だが、籠澤の相談者、本田、長尾を含め片手で余る人間の間だけで事象は起きている。

 …… あるいは、他にたくさん同じ事象が起きている人間がいるのに、気づかないだけなのか。

 しかし、そうだったとしても、やはりその他多数の人間と長尾達にある差分の理由は何なのだ、という話になる。

 どこかに差別化があるはずなのだ。

 長尾はしばし黙考した。


「喫茶店には行かなかったか」

「喫茶店んん~~?」


 宗教勧誘であってもなくても、少なくとも噂の場所は喫茶店そこなのだ。

 本田はカレンダーを睨みつけるように見つめる。


「そりゃ喫茶店の一つや二つ行くけども~~……」

「なんでもいい、いつもとは違うことがそこで起きてないか」


 忍耐強く、長尾は本田に質問を続けた。

 本田も長尾に恩がある上に、今長尾自身が同じ問題を抱えているとなれば、自分の記憶に何か手がかりを求めている相手に返せるものが欲しい。

 しかし、いくら記憶を浚っても変哲の無い記憶しか出てこない。


「いやぁぁ…… ──────」


 やはり違和感などないともう一度手を振りかけたところで、本田は、はたと気づいた。

 気づいたというより、思い出したのだ。じわりじわりと、滲むような速度で。


「そうだ。なんで忘れていたんだろう」


 本田は愕然と手で口元を覆った。瞬きを何度も繰り返す。その時の光景を思い出しているのだ。

 長尾はじっと彼の様子を見つめ、次の言葉を待った。

 本田は断続的に机を叩いていた指で、次第に長方形を描く。掌に納まるほどの、縦長の長方形。


「あった、喫茶店で、いつもとは違うこと……

 、長澤。

 


 


 節ばった指が、描いていた長方形を握るように押さえた。

 机に描かれた透明な長方形の中に、長尾は黒い頭のセーラー服の少女が見えた気がした。

 写真を見せられた……


「誰にだ」


 尋ねる長尾の声は掠れかけていた。本田はそれに気づかず、唸りながら腕を組んでしまった。

 長尾は本田に尋ねながらも、本田から自分が予感している人物が出てきたらどう思うべきなのかと、今まで味わったこともない焦燥を感じていた。

 不可解なのだ。たとえが出てきたとしても。

 正体が分かったところで謎は解けない。

 重苦しい気分になってきたところに、ジャケットのポケットが震えた。取り出して確認すると、ディスプレイに籠澤の名前が光っていた。

 その明かりを見て、長尾は小さな安堵を覚えた。


「おう」

『長尾か。お守り買えたから戻るよ。そっちは大丈夫?』

「ああ、今、本田と図書館にいる」

『本田か。今日一番頼りになる男だね。

 俺も図書館に行く』


 籠澤の声がホッとしている。学業守りが効果があるならば、ご祈祷をしてきた本田も丸ごと御守りみたいなものだろう、と籠澤は考えたのかもしれない。

 通話を切った長尾に、本田は声を掛けた。


「籠澤くんから?」

「ああ、籠澤もこっちに来るって」

「そっか。御守り買えたんだな」

「長尾くん」


 瞬間、心臓が絞られた。

 反射的に長尾が振り返ると─── 青ざめた顔をした女の子が、所在なさそうに立っていた。

 籠澤の元相談者の一人だ。祈祷を済ませていたはずなのに、『影』を見て焦ったように走り去ってしまった……

 長尾は緊張を解いた。それから、努めて柔らかく彼女に声を掛ける。


「八千代さん、だよね。どうしたの」

「ちょっと、名前が聞こえたのだけど…… かごくん─── 籠澤くん、これからここに来るのかな」


 しどろもどろの様子で友人の行方を聞いてくる彼女は、しかし、そこにあるのは恋慕の類ではない。ありありとした、恐怖だ。

 先ほどとは別の嫌な予感を覚えながら、長尾は頷いた。


「ああ、もうすぐ来るけど。

 何かあった? 大丈夫?」


 もう一度尋ねると、彼女は堪えていたものが溢れたように、くしゃくしゃと顔を歪めた。

 慌てて長尾は立ち上がるが、女の子へ伸ばした手がさまよう。その先が分からない。

 彼女は俯いてしまった。


「さっき、かごくんたちと話してから、また視界の端に影を見るんだ……

 私、お祓いしてきたのに…… 見えなくなったと思ったのに……

 どうしよう、……」


 か細く震える声が聞こえた。長尾はその話に顔を強張らせた。

 話をしてから───

 見るようになる───


 ─── 恐怖はどこから来るのか。


 長尾は女の子の肩を慰めるように叩きながら、…… 書架の奥へ視線を向けないように努めた。

 本棚の影から、セーラー服の肩が出ている。滴るような白い腕。

 そちらへ視線を向けられないのだ。


「分かった。大丈夫、今、籠澤も戻って来るし、そしたら御守りもある。

 ついでに、ここに今朝、祈祷受けたばかりの男もいる」

「ついでかよぉ長尾ちゃーん」


 のんびりとした本田の声が後ろから聞こえた。彼には書架の奥の影は見えないのだろうか。ならば、やはりこの場で最も心強い存在だ。

 籠澤に御守りをもう一つ買えないか通話をしてみたが、移動中で呼び出し音が鳴るだけだった。

 十数分後、心配な顔をした籠澤が息を切らせて図書館にやってきた。

 集まっている顔ぶれに、一瞬、困惑の表情を浮かべて……


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