目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第11話

「俺が聞いたときは、宗教勧誘と噂の話は繋がってなかったんだよな。

 いつ繋がったんだろう」


 籠澤は、新しく自販機で買ってきた小さなペットボトルのお茶を、手の中でくるくると動かしながら自問する。

 本田が午後の授業へ向かった後、いまだ長尾と籠澤は学食にいた。

 すでに二人の中では今日の授業は捨てている。真面目な長尾が一日の授業を捨てたのだ。籠澤は、今回の長尾の行動に対する覚悟の度合いを察していた。

 長尾を授業に連れ戻すためには、まず彼の疑問を解決しなければならないだろう。

 二人の間に開いたノートへ聞き取りの結果を書き込む。

 だが、まさか宗教勧誘とセットとは思ってなかった二人の聞き取りでは、事象の発生時期は分かってもその原因は記述されていない。


「籠澤が聞いた宗教勧誘の話は、どっちかというと忠告だったよな。

 学校から出てた連絡なのか」

「いや、…… 友人伝手だな。学校からは出てないから、おそらく実際遭遇した学生は少ないんじゃないか」


 なるほど、と長尾は頷いた。

 噂が独り歩きして大きくなっているだけかもしれない。そうであれば……


「籠澤の相談者たちは、明らかに異常だと気づくまでにブランクがあるんだよな。

 単純に本人たちが気づいてないだけなんじゃないか」

「宗教勧誘と現象が関連していることを、か?

 そもそもその繋がりが正しいのかにも疑問があるけど、さすがに宗教勧誘に遭遇したら印象強くないかな。

 こうして噂にもなってるし、現象が同じでその起因が勧誘だって話を聞いたら」

「実際は宗教勧誘ではなかった」


 とか、と。

 籠澤は長尾の顔を見つめた。

 そもそも宗教勧誘と現象が関連している以前に、宗教勧誘自体が噂話である。

 果たして、本当に宗教勧誘を受けたことがある学生がどれほどいるだろうか。自分の想像を外れた状況に遭遇した場合に、自分の理解が及ぶ範囲の意味不明な状況へ寄せてしまったのが、宗教勧誘だったのではないか。


「ありそうな話だな」


 籠澤はふむと頷く。


「もう一度、相談者に話を聞けないか」

「それはたぶんいつでも大丈夫だと思うんだが」


 そこで籠澤はスマートフォンを─── 現在の時刻を確認した。

 うん、と頷き長尾を振り返る。


「まず神社へ祈祷を受けに行かないか。たぶん最後の祈祷に間に合うと思う」


 籠澤が確認したのは、神社で定時に行われている祈祷の時間だった。

 相談者や本田の解決事例があるならば、籠澤は長尾を神社に連れていかずにはいられない。

 長尾の身の安全を確保してから、噂の検証でもなんでもすれば良いのだ。


「いや、できれば今日中に確認したいんだ」


 しかし、長尾はあっさりと断った。

 あまつさえ、更に再聞き取りの話を進めそうになったので、籠澤は慌てて長尾を止めた。


「待て、待て。

 なんでだよ、何か急ぐことがあるのか」

「………」


 長尾はどう答えたものかと悩んだ。

 もし噂のセーラー服の女の子が『穂月』ならば、一番の関連者である芦倉に何もないはずがない。

 何より、長尾が最初に『穂月』を目撃した後、カフェで会った芦倉は言っていなかったか。「

 あれは芦倉もすでに何かを見ていたからではないのか。

 あの時、長尾自身がその話題を避けたのは、

 あの時…… 芦倉から何らかのサインが出ていたのを拒んだのは自分だ。

 後悔が尽きないが、ならば少しでも前進していたい。


「もしかしたら、もう一人、この現象に遭遇している最中の奴がいるかもしれないんだ」

「…… マジか」

「同じだったら、確実に彼の方が期間が長い。

 だから出来るだけ情報を持って行きたい」


 自分の身の危険など分かっていないような長尾を、籠澤は困惑した顔で見つめた。

 説明の少ない長尾の状況を、彼の行動と言葉からなんとか推測する。


「それなら、一緒に祈祷に行けばよくないか。

 別に祈祷を受けて何か悪化するものでもないし。何もなければ何もないでいいだろうし」

「それもそうなんだが…… さすがにすぐには連絡はつかないと思う。

 祈祷は何時からなんだ」


 長尾が確認すると、籠澤はもう一度スマートフォンを見て答えた。一時間もないが、ちょうどキャンパスから神社に向かうと間に合う時間でもあった。

 だが、芦倉を呼び出すには足りるか怪しい。

 彼に説明する時間も必要だ。

 長尾が苦い顔をするのを見て、籠澤はその相手を察した。


「カフェの相手か」


 長尾は一瞬躊躇したが、伏せる内容ではないと判断して頷く。

 そのまま『穂月』のことも話してしまおうかと籠澤を振り返った。

 長尾の声が喉で固まる。


「長尾?」


 自分を見つめたまま固まった長尾に、籠澤は眉を寄せる。視線が、自分を見ているようで見ていない。

 籠澤には、長尾の張り詰めた緊張が見えるようだった。しかし、籠澤には分からない。

 視線が─── 横に泳ごうとしている。


「長尾」


 籠澤は咄嗟に立ち上がり長尾の視界を狭めるように、彼のこめかみを両手で囲った。


「長尾、さっき本田から貰ったお守り、どこに持ってる」

「ジャケットの…… ポケットの中……」


 長尾の声は震えていた。いつも泰然としているこの男が怯えるなど、籠澤には信じがたかった。


「分かった。ジャケット、椅子に掛かってるから、手探りで取れるか」


 長尾は小さく頷き、籠澤を向いたまま後ろ手にジャケットを探る。両のポケットに手を突っ込み、左手が握った状態で取り出された。

 それを見て、籠澤はゆっくりと手を離した。

 長尾は確認するように視線を横手へ向ける。ホッと安堵の息を吐いた。


「いたのか」

「いた…… ように見えた。気のせいだと言われればそう思ってしまうかもな」


 長尾も冷静さを取り戻しつつあったようで、いつもの淡白な口調で答えた。

 握っていたお守りを見つめた。青い地模様のある布に『学業御守』と金糸で刺繍が施されている。


「目的が違うけども、効くもんなのかな」


 お守りを握った瞬間、それまで感じていた背中から覆われるような恐怖が、潮が引くように無くなった。


「授かったばかりだから、まだ神社の神気を帯びてるとか、そういう感じだと思う」


 神社の血筋だからとて、別に詳しいわけではない籠澤では曖昧な説明にしかならない。正直なところ、今この場で縋るものがそれしかなかったのだ。

 籠澤は、長尾の両肩を掴んだ。強く掴んだ。


「やっぱり先にご祈祷に行こう、頼むよ、長尾。

 そのカフェの相手に伝えるにも、お前が無事でなければ意味が無いだろう」

「何が起こると思う」


 自分の訴えに返って来た長尾の言葉に、籠澤は顔を歪めた。

 じっと自分を見つめる長尾が、もしかして一番おかしいのではないか。


「これまで全部、噂通りに『視界の端に影が映る』だけでしかない。

 俺でさえ、名前を呼ばれることが追加されているだけだ。何か危害を加えられたわけじゃない」

「この先、無事で済むと思ってるのか。噂だって過去の噂じゃない、今まさに事態が進んでいる噂だ。

 これから形を変えていく可能性がいくらだってある。

 長尾だって今まさに声が震えるほど怖かっただろ、それで十分じゃないか」

「そこなんだ、籠澤」


 そう、と長尾は人差し指を立てた。

 絶対にではないと思う籠澤に反論の隙を与えず、長尾は続けた。


 確かに遭遇するときは異常な状況であるし、怖いと思わないわけがない、とは思うんだ。

 だけど、…… これはその状況に陥ってみないと分からない感覚かもしれないが、ような気がするんだ。

 俺は本当に、あのセーラー服の女の子を怖いと思ってるんだろうか……」


 長尾は顎に手を当てて考え込んでしまったが、いくら話を聞いても籠澤には、それが祈祷を遅らせてまで考えるべきこととは思えなかった。

 思えなかったが、本人が動かないのでは、神社を持ってくることなどできない籠澤は、彼の悩み解消を優先するしかない。


「分かった。

 俺の分のお守りも持っててくれ。

 応急措置で魔除けのお守りを買ってくる」


 神社は持っては来れないが、お守りを授かってくることはできる。

 自分の青いお守りを長尾に握らせると、「すまん、ありがとう」と彼は頷いた。謝られるくらいなら素直に祈祷を受けて欲しい籠澤だ。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?