「俺が聞いたときは、宗教勧誘と噂の話は繋がってなかったんだよな。
いつ繋がったんだろう」
籠澤は、新しく自販機で買ってきた小さなペットボトルのお茶を、手の中でくるくると動かしながら自問する。
本田が午後の授業へ向かった後、いまだ長尾と籠澤は学食にいた。
すでに二人の中では今日の授業は捨てている。真面目な長尾が一日の授業を捨てたのだ。籠澤は、今回の長尾の行動に対する覚悟の度合いを察していた。
長尾を授業に連れ戻すためには、まず彼の疑問を解決しなければならないだろう。
二人の間に開いたノートへ聞き取りの結果を書き込む。
だが、まさか宗教勧誘とセットとは思ってなかった二人の聞き取りでは、事象の発生時期は分かってもその原因は記述されていない。
「籠澤が聞いた宗教勧誘の話は、どっちかというと忠告だったよな。
学校から出てた連絡なのか」
「いや、…… 友人伝手だな。学校からは出てないから、おそらく実際遭遇した学生は少ないんじゃないか」
なるほど、と長尾は頷いた。
噂が独り歩きして大きくなっているだけかもしれない。そうであれば……
「籠澤の相談者たちは、明らかに異常だと気づくまでにブランクがあるんだよな。
単純に本人たちが気づいてないだけなんじゃないか」
「宗教勧誘と現象が関連していることを、か?
そもそもその繋がりが正しいのかにも疑問があるけど、さすがに宗教勧誘に遭遇したら印象強くないかな。
こうして噂にもなってるし、現象が同じでその起因が勧誘だって話を聞いたら」
「実際は宗教勧誘ではなかった」
とか、と。
籠澤は長尾の顔を見つめた。
そもそも宗教勧誘と現象が関連している以前に、宗教勧誘自体が噂話である。
果たして、本当に宗教勧誘を受けたことがある学生がどれほどいるだろうか。自分の想像を外れた状況に遭遇した場合に、自分の理解が及ぶ範囲の意味不明な状況へ寄せてしまったのが、宗教勧誘だったのではないか。
「ありそうな話だな」
籠澤はふむと頷く。
「もう一度、相談者に話を聞けないか」
「それはたぶんいつでも大丈夫だと思うんだが」
そこで籠澤はスマートフォンを─── 現在の時刻を確認した。
うん、と頷き長尾を振り返る。
「まず神社へ祈祷を受けに行かないか。たぶん最後の祈祷に間に合うと思う」
籠澤が確認したのは、神社で定時に行われている祈祷の時間だった。
相談者や本田の解決事例があるならば、籠澤は長尾を神社に連れていかずにはいられない。
長尾の身の安全を確保してから、噂の検証でもなんでもすれば良いのだ。
「いや、できれば今日中に確認したいんだ」
しかし、長尾はあっさりと断った。
あまつさえ、更に再聞き取りの話を進めそうになったので、籠澤は慌てて長尾を止めた。
「待て、待て。
なんでだよ、何か急ぐことがあるのか」
「………」
長尾はどう答えたものかと悩んだ。
もし噂のセーラー服の女の子が『穂月』ならば、一番の関連者である芦倉に何もないはずがない。
何より、長尾が最初に『穂月』を目撃した後、カフェで会った芦倉は言っていなかったか。「
あれは芦倉もすでに何かを見ていたからではないのか。
あの時、長尾自身がその話題を避けたのは、
あの時…… 芦倉から何らかのサインが出ていたのを拒んだのは自分だ。
後悔が尽きないが、ならば少しでも前進していたい。
「もしかしたら、もう一人、この現象に遭遇している最中の奴がいるかもしれないんだ」
「…… マジか」
「同じだったら、確実に彼の方が期間が長い。
だから出来るだけ情報を持って行きたい」
自分の身の危険など分かっていないような長尾を、籠澤は困惑した顔で見つめた。
説明の少ない長尾の状況を、彼の行動と言葉からなんとか推測する。
「それなら、一緒に祈祷に行けばよくないか。
別に祈祷を受けて何か悪化するものでもないし。何もなければ何もないでいいだろうし」
「それもそうなんだが…… さすがにすぐには連絡はつかないと思う。
祈祷は何時からなんだ」
長尾が確認すると、籠澤はもう一度スマートフォンを見て答えた。一時間もないが、ちょうどキャンパスから神社に向かうと間に合う時間でもあった。
だが、芦倉を呼び出すには足りるか怪しい。
彼に説明する時間も必要だ。
長尾が苦い顔をするのを見て、籠澤はその相手を察した。
「カフェの相手か」
長尾は一瞬躊躇したが、伏せる内容ではないと判断して頷く。
そのまま『穂月』のことも話してしまおうかと籠澤を振り返った。
長尾の声が喉で固まる。
「長尾?」
自分を見つめたまま固まった長尾に、籠澤は眉を寄せる。視線が、自分を見ているようで見ていない。
籠澤には、長尾の張り詰めた緊張が見えるようだった。しかし、
視線が─── 横に泳ごうとしている。
「長尾」
籠澤は咄嗟に立ち上がり長尾の視界を狭めるように、彼のこめかみを両手で囲った。
「長尾、さっき本田から貰ったお守り、どこに持ってる」
「ジャケットの…… ポケットの中……」
長尾の声は震えていた。いつも泰然としているこの男が怯えるなど、籠澤には信じがたかった。
「分かった。ジャケット、椅子に掛かってるから、手探りで取れるか」
長尾は小さく頷き、籠澤を向いたまま後ろ手にジャケットを探る。両のポケットに手を突っ込み、左手が握った状態で取り出された。
それを見て、籠澤はゆっくりと手を離した。
長尾は確認するように視線を横手へ向ける。ホッと安堵の息を吐いた。
「いたのか」
「いた…… ように見えた。気のせいだと言われればそう思ってしまうかもな」
長尾も冷静さを取り戻しつつあったようで、いつもの淡白な口調で答えた。
握っていたお守りを見つめた。青い地模様のある布に『学業御守』と金糸で刺繍が施されている。
「目的が違うけども、効くもんなのかな」
お守りを握った瞬間、それまで感じていた背中から覆われるような恐怖が、潮が引くように無くなった。
「授かったばかりだから、まだ神社の神気を帯びてるとか、そういう感じだと思う」
神社の血筋だからとて、別に詳しいわけではない籠澤では曖昧な説明にしかならない。正直なところ、今この場で縋るものがそれしかなかったのだ。
籠澤は、長尾の両肩を掴んだ。強く掴んだ。
「やっぱり先にご祈祷に行こう、頼むよ、長尾。
そのカフェの相手に伝えるにも、お前が無事でなければ意味が無いだろう」
「何が起こると思う」
自分の訴えに返って来た長尾の言葉に、籠澤は顔を歪めた。
じっと自分を見つめる長尾が、もしかして一番おかしいのではないか。
「これまで全部、噂通りに『視界の端に影が映る』だけでしかない。
俺でさえ、名前を呼ばれることが追加されているだけだ。何か危害を加えられたわけじゃない」
「この先、無事で済むと思ってるのか。噂だって過去の噂じゃない、今まさに事態が進んでいる噂だ。
これから形を変えていく可能性がいくらだってある。
長尾だって今まさに声が震えるほど怖かっただろ、それで十分じゃないか」
「そこなんだ、籠澤」
そう、と長尾は人差し指を立てた。
絶対に
「
確かに遭遇するときは異常な状況であるし、怖いと思わないわけがない、とは思うんだ。
だけど、…… これはその状況に陥ってみないと分からない感覚かもしれないが、
俺は本当に、あのセーラー服の女の子を怖いと思ってるんだろうか……」
長尾は顎に手を当てて考え込んでしまったが、いくら話を聞いても籠澤には、それが祈祷を遅らせてまで考えるべきこととは思えなかった。
思えなかったが、本人が動かないのでは、神社を持ってくることなどできない籠澤は、彼の悩み解消を優先するしかない。
「分かった。
俺の分のお守りも持っててくれ。
応急措置で魔除けのお守りを買ってくる」
神社は持っては来れないが、お守りを授かってくることはできる。
自分の青いお守りを長尾に握らせると、「すまん、ありがとう」と彼は頷いた。謝られるくらいなら素直に祈祷を受けて欲しい籠澤だ。