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第10話

 午後の時間に入り、学食で遅めの昼食を取っていた長尾と籠澤の元へ声が掛かった。


「長尾ちゃん、ありがとな。

 朝に、教えてもらった神社にお祓いに行ってきたわ」


 スーツ姿の本田だ。

 初対面で怯えていた相手に、この短期間で「ちゃん」付けをする。本田という男が分かったような気がする長尾だ。


 一通りの元相談者に話を聞き終え、長尾と籠澤は本田を探したのだが見つからず、長尾から電話を掛けた。留守電に繋がったので食堂で待っていることを伝えていたのだった。

 長尾を見るや否や、学食の入口から嬉しそうに走ってきた。彼がいつものラフな服ではなく、スーツを着ていることに長尾は驚いたが、祈祷の後だからだと分かった。

 本田へ神社のことを連絡した際に、祈祷料やら服装やらのことも併せて伝えておいた。

 長尾自身も祈祷を受けたことは無かったので、意外に細かい礼儀があることに内心驚いていたのだが、儀式に参列するのであると考えれば、まあそういうものかとも思った。

 本田と話した時の様子から、この男ならTシャツとジーパンで向かいかねないと思い、スーツを要項に加えたのは長尾である。


 背負っていたスーツには不釣り合いなカジュアルのリュックサックを下ろし、本田は機嫌よく話を続ける。


「お礼ってことで、お守り買ってきたんだ。学業守り、学生にはうってつけだろ。

 長尾ちゃんと、神社のこと教えてくれた籠澤に」

「その籠澤が俺です」

「え」

「その籠澤がこちらだ」

「えっ」


 わっ、わっ、となぜか籠澤を見て、有名人にでも会ったかのように焦る本田は、バタバタと長澤の腕を叩く。


「えっ、長尾ちゃん、なんかあれだけ俺には会わせてくれなそな空気出してたのに?!

 どういう流れ?!」


 狼狽える本田の言葉に、そうだったのかと問いかけるように長尾を見る籠澤の視線が少し気まずい長尾だ。

 あの時点では確かに籠澤には接触させたくはなかったが、籠澤も本田もこれが初対面だとしたら、本田は言われた通り籠澤に接触も探りすらも入れることはなかったのだろう。

 長尾の協力を信じてくれていたのだ。

 そう思うと、案外この男はいい奴なのかもしれない。


「お前の話をもう一度聞きたいんだが、いいか」

「そりゃ別に、構わないけど……

 ええと、籠澤くんも一緒にって?」

「ああ、そうなんだが。俺は席外してた方がいい感じか」


 籠澤が本田に尋ねると、本田も「ええと」と困惑している。

 そこで、あ、と長尾が気づいた。自分が、本田へ籠澤にこの手の話をするなと言ったのだった。

 それを彼は気にしているのだと察したのだ。


「すまん、この前と事情が変わった。

 俺も、本田と同じように影を見るようになったんだ」

「え…… 嘘だろ……」


 さすがに本田の目に真剣味が帯びた。

 何か声を掛けるべきかと迷うような視線を本田は長尾に投げるのだが、彼の中に相応しい言葉が無かったようだ。

 本田は、鞄から取り出しかけていた白い紙袋を長尾に押し付けるように渡した。

 袋を見ると神社の名前が印刷してある。先ほど本田が言っていたお土産のお守りだ。


「そんなんなってるとは思わなかったから、厄除けじゃないけど」

「いや…… ありがとう」


 自分の問題が解決でき、気軽になったノリの勢いで買ったものだろう。

 しかし、長尾は本田の心遣いが嬉しかった。礼を言うと、うんうんとなんだか本田自身が安心している。


「あ、だから籠澤くんがお祓いするってことか」

「それが出来ればよかったんだが、長尾から聞いてると思うけど、俺はお祓いできないんだよ」

「その話、ほんとなんだなあ」


 ひらひらと手を振る籠澤に、本田はへえと目を丸くしてしげしげと見つめる。

 変に長尾が、本田が籠澤に会うのを止めてしまったからなのか、本田はどこか籠澤を違う世界の人間芸能人のように見ている様子だ。


「それで、もう一度話を聞いても大丈夫か」

「そうだったそうだった。

 おう、なんでも聞いてくれよ」


 得意げな様子で、本田は長尾の隣の椅子を引き座る。

 本田相手ならば、籠澤を前にする必要はない。長尾は本田へ尋ねた。


「本田は、─── じゃなくて、友人は、確か視界の端に影が映る、だったな」

「あ、いや、ええと」


 律儀に長尾が訂正すると、本田は気まずそうに声を差し込んだ。

 はて、と長尾が彼を見ると、本田がひらひらと手を振る。


「もういいよ、影を見たのは俺だ。分かってたっしょ?」

「まあ、分かってたけど……

 なんで『友人』のていにしてたんだ」


 冒頭から横道に逸れてしまうが、長尾は思わず聞いてしまった。

 すると、本田はごにょごにょとしながらも答えた。


「あれは~~……

 なんか、自分がそういう状況になってるって口で言ってしまうと、最後の一線を越えるというか、…… 自分で本当にそう思ってしまうことが怖かったっつーか」


 しどろもどろと。

 本田の気持ちは分からないでもないと、長尾は感じた。主観的に見るよりも客観的に眺める方が、受ける恐怖は幾分下がるような気がするのだ。

 ありがとう、と本田へ礼を言い、長尾は本題へ戻った。


「お祓いの後は、もう影は見えてないか」

「ああ、今のところは見えないし、なんつーか、すごく重かったものがなくなったような感じ。

 視界が明るくなったっていうか」

「良かった。

 親戚じゃないけど、良くしてもらってる人のとこなんだ、その神社」


 軽やかに返す本田の様子に、籠澤も安心したようだ。

 初めて聞く情報に、本田も長尾も「へえ」と感心して頷く。籠澤の家自体は神社ではないのだが、やはり神社同士の繋がりがあるのだろうか。

 本田の状況は問題無いようなので、長尾は遠慮なく確認した。


「その影なんだが、悪いけれどもう少し姿を思い出せないか」

「まじか…… いや、長尾ちゃんの頼みなら仕方ない」


 ぎょっと反射的に抵抗があった本田だが、以前よりもずっと気が楽になっていること、相手が自分を救った人物であることもあり、素直に承諾してくれた。


「細かいところは怖くて長尾ちゃんには言ってなかったけど、あの影は女の子だった。

 セーラー服の女の子だ。スカートを履いてたから」

「『スカートを履いてたから』?」


 籠澤が首を傾げた。本田の言い回しが気になったのだろう。

 本田は「うん」と頷く。


「顔が見えないんだよ。

 黒く…… あれは影になってるようにも見えたけど、昼間の時間帯に、顔だけ見えないほど影が差すってのもおかしいよな。

 塗り潰されてるみたいだった」


 ぽつりぽつりと思い出すように本田は語る。

 先ほどの女の子の様子もあり、長尾は本田の様子をじっと窺っていたが、突然あらぬ方向を見つめる挙動はない。


「見えるのは視界の端だけだったか。

 例えば正面に見えたりとかは」

「正面はなかったなあ。

 後をつけられているような気配はあったから、後ろにはいたかもしれないけど。

 振り向こうとすると一瞬ちらっと目の端に捉えるんだけど、完全に振り返ると誰もいないっていう」


 あくまで視界に納まるのは端のようだ。

 正面に映る人間と、映らない人間がいる。基本的な事象は同じだが、細部で個人差があるのか。

 そしてその個人差は、もう一つ。


「声は聞いてないか」


 長尾の質問に、本田はぎょっと目を剥いた。


「いや、いやいやいや、聞いてない聞いてない」


 本田はぶんぶんと頭を振りながら答えた。

 それから怯えと心配を混ぜた顔で長尾を見る。


「怖いな、長尾ちゃんは聞いたってのか」

「聞いた。結構はっきりと聞いた」

「絶対お祓い受けてくれよ長尾ちゃん……」


 本田に念を押されると、長尾は「うん」と頷いた。

 祈祷を受けて解決している例が目の前にいるので、心持ちは随分と軽い。七割は解決した気分ではある。


「本田がその現象に最初に遭ったのはいつ頃だったんだ」


 長尾は本題に入る。

 「う~~ん」と本田は額を抑えながら記憶を遡った。


視界の隅にいたからなあ……

 意識し始めたのは二週間くらい前だったと思う。そこから色々相談したりして、長尾ちゃんに辿り着いた感じだから」


 やや曖昧な記憶ではあったが、それほど遠い時期でもないし、長い期間でも無さそうである。

 長尾は籠澤を振り返った。


「さっきの子が籠澤に相談したのはいつ頃だったんだ」

「4日とか5日前くらいかな。一週間は経ってないと思う」

「あの子の話だと、意識しだしたのが4日目って言ったな。

 じゃあ現象自体はもっと前からってことか」

「それこそ、だいたい二週間前とかじゃないか」

「え、なんの話……」


 長尾と籠澤のやり取りに、本田は恐る恐る声を差し込んだ。

 長尾はもう一度本田を振り返ると、事情を話した。


「本田や俺と同じ現象に遭った学生がほかにもいる。

 本田は、今キャンパスで噂されてるセーラー服の女の子の幽霊は知らないか」

「えっ、あの噂の幽霊なのか?!」


 まじか、と本田は驚いている。噂を知ってはいたようだが、それに自分が遭遇しているとは思ってはいなかったらしい。

 しかし「セーラー服」や「視界の端に映る」や、かなり共通点は多いのに今まで気づかなかったのだろうかと長尾は思ってしまう。

 その長尾の疑問を察したわけではないだろうが、本田は「いやでも」と続けた。


「でも俺、別に宗教勧誘受けた覚えはないけどなあ。

 その噂って、『変な宗教勧誘を受けてしまうと、セーラー服の女の子の幽霊を見る』ってやつだろ」


 首を傾げる本田に、長尾は籠澤を振り返った。

 籠澤は眉を寄せて顔を顰めていた。おそらく、自分も同じような顔をしているのだと、長尾は思った。


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