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第9話

 人気のない食堂に、決して大きくはないはずの籠澤の声が響いた。

 長尾は籠澤の質問の意味を掴みかねながらも、頭をフル回転させて考えた。そうした方が、今、長尾自身が抱えている恐怖が紛れるような気がしたのだ。

 …… 恐怖が紛れる…… そうか。

 長尾は驚きとともに籠澤を見た。


だ。

 


 長尾の言葉に、籠澤は「なるほど」と頷いた。

 てっきり「その通り」や「そうじゃない」などとはっきりとした反応が返ってくるものと長尾は思っていたので、どちらともない籠澤の様子にキョトンとしてしまう。


「長尾は中に存在しているタイプなんだな。

 もう一つの外に存在しているというのは、自分以外の存在として幽霊というものがと考え方だ。

 この考えだと同時多発的に別の場所で現れるとは考えにくい。人は一人しかいないだろ。

 でも、長尾のように幽霊がのであれば、複数の場所で同じ存在が同時に出現することは、不自然ではないよな」


 そう言われてみると、長尾には自然な流れのように思えてきてしまう。

 幽霊という存在を、個として見るのか、現象として見るのか…… ということだろうかと、長尾は考えてみるのだが、何かが腑に落ちない。小さな引っかかりを覚えてしまうのだ。

 自分でも言語化できない靄をひとまず横に置き、長尾は再度尋ねた。


「籠澤は、どっちの考えだったんだ」


 長尾の質問に、籠澤は腕を組み眉間を寄せた。


「いや、俺そんなこと考えたこともなかったなあ」

「うん?」


 予想外も予想外、まさかの答えが返って来た。


「今初めてこんなにちゃんと考えた。

 正直、俺はどっちもあり得そうだなって思ってる。ただ今回、長尾の話を含めて場所に囚われなかったり不特定多数だったりするのを考えると、見てしまった人の方に由来があるのかなって思って」

「急ごしらえで、よくこんなことを考えつくもんだ」


 長尾の感心した様子に、籠澤は笑って手を振る。

 謙遜と捉え、長尾は気づかなかったのだ。籠澤の笑いには一抹の鋭さが隠れていた。


「長尾が自分の認識による恐怖であると考えるなら、どうだろう、前に教えた神社にお祓いに行かないか。

 怪異現象らしきものに遭遇した時に、一番心強い対処法だと思うのだけど」


 あくまで怪異現象だと言い切らない籠澤の話し方は、おそらく長尾の現実主義的な部分に配慮したものだろうと、長尾は感じていた。


「そうだな。本田が行くときの参考を兼ねて……」


 友人の配慮に、長尾は頷きかけて─── 止まった。

 自分には、まだ残された問題がある。


「籠澤」


 ぐっと手を握り、長尾は籠澤を見据えた。

 その表情に籠澤も凭れていた椅子から背を離した。何か、自分の想像している範囲を超えたものがやってくる気配があった。


「相談に来た人たちを教えてくれ。

 噂の出どころを知りたいんだ」


 


 もしも本当に噂の幽霊が穂月ならば、その理由は何なのか。

 長尾は確認しなければならなかった。ことによっては、芦倉も危ない状況なのではないか。

 長尾の言葉に、籠澤は眉を寄せた。

 だが、彼の真剣で深刻な剣幕に、しばらく考えて頷く。


「分かった。

 …… 俺も一緒に探ろう」



 籠澤が同行することに、長尾は少なくない懸念があった。

 そもそも籠澤は、このような話に積極的に関わる人間ではなかった。長尾に内緒で相談を受けていたということにすら、長尾は驚いている。

 だが、人へ聞き込むうちに、やはり籠澤が一緒に来てくれて良かったと長尾は感じた。

 特に女子には長尾が声を掛けると、非常な警戒心とは言わないが、質問の答えが短く話を進めるのが難しいのだ。

 そこを籠澤がフォローするとスルスルと話が進むのである。

 そこはかとない理不尽を長尾は感じるところであったが、先日の本田の反応を思い出すと女の子では致し方ないのかもしれない、と思い直すあたりが長尾という男でもあった。


「あれから状況はどう? お祓いはしてきたんだっけ」


 籠澤が柔らかい物腰で確認すると、元相談者の女の子はホッと安堵した様子で答えた。


「うん。かごくんに教えてもらった後にすぐ行ってきたよ。

 それで安心しちゃって今まで忘れてたんだけど…… そういえば、あれから見てないな」

「ああ、そっか…… 忘れてたところ余計な声かけちゃったな。ごめん」


 女の子の返事に籠澤が謝ると、彼女は「ううん」と慌てて首を振った。


「お祓いがちゃんと効いたのだと思うよ。

 それより、何かあった?」


 気の利く子であったようで、わざわざ状況を確認しに来た籠澤の用件を尋ねた。

 このように籠澤を前にすると話が途切れないので、こちらの用事をきり出しやすいのだ。


「もう一度、話を聞かせてくれないか。

 今度、こっちの奴が同じような状況になっちゃってさ。

 もし同じ事態だったら同じ神社へ行ってもらおうかなって」


 気軽な調子で籠澤が長尾を指す。変に理由を伏せるよりも多少でっち上げてでも、最初から自分たちの目的を見せてしまった方が、相手も話しやすいだろうという配慮か、と長尾は籠澤を見た。

 籠澤としては、本当に長尾をお祓いへ連れていく気ではあるので、あながちすべてがでっち上げでもない。

 籠澤の話に、女の子は長尾を見ると気の毒そうな表情を浮かべた。


「それは災難だったね…… 神社のお祓いで済むといいね。

 私の場合は、最初は視界の端になんだか気になる影があるなって感覚から始まったかな。

 だいたい2,3日くらいの間でその違和感が強くなってきて。

 たぶん4日目くらいでその姿が


 女の子はそこで一度口を噤んだ。

 そうして、そのときの様子を思い出すように視線を泳がせ、小さな口を開く。


「…… 半袖のセーラー服を着た女の子だった」


 落とされた言葉が予想以上に冷たい響きをしていて───

 突然、女の子の視線がギュッと横へ走った。

 反射的に長尾と籠澤もそちらを振り向いてしまう。「長尾くん」

 しかし、そこには寒さに身を竦めた学生が、早足にまばらに歩いているだけだ。


「大丈夫?」


 いち早く冷静を取り戻した籠澤は、青ざめた顔の女の子へ声を掛けた。

 彼女はハッと籠澤に気づくと、ひきつったような顔をして頷いた。


「大丈夫、ありがとう。

 ごめん、そろそろ授業だから行くね」


 そう言うと、彼女は寒さとは違う焦燥から逃れるようにキャンパスの方へ走って行ってしまった。


「あの子ももう一度、お祓いに行った方が良さそうだな」


 長尾の言葉に、籠澤も黙って頷いた。

 まだあの子の恐怖は続いているのだろうか。


「さっき、長尾は何か見えたか」


 女の子が怯えた様子で視線を走らせたその先。

 尋ねた籠澤に、長尾は少し考えて首を振った。長尾にはいつものキャンパスにしか見えなかったのだ。


「いや。少なくとも俺が昨日見た影は見えなかった」

「そうか」

「籠澤は」

「俺は、そこに居たとしても見えないからな」


 首の後ろをさすりながら、籠澤はもう一度彼女が見た方向を振り返った。

 冬の遠い日差しが落ちる校門が見える。

 二人は、そこに異常を見つけることはできなかった。


 しかし、長尾には聞こえていたのだ。

 彼女が視線を走らせたその直後に、自分を呼ぶ『穂月』の声を。


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