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第8話

「長尾」


 心配そうな声に呼ばれ、ハッと我に返った。

 賑やかな話し声が方方から聞こえてくる。

 長尾は階段教室にいた。傍らの大きな窓からは、明るい朝の陽ざしが差し込んでいる。その光を背に、籠澤が長尾を見下ろしていた。


「寝てたのか。授業前に寝てるなんて、珍しいな。

 どこか調子悪いのか」


 籠澤に言われて、長尾は昨夜の記憶を思い出した。

 長尾の記憶は途中で途切れている。あの…… 穂月の言葉を最後に。

 気づくと朝になっており、長尾はドアに凭れるように座り込んでいた。


「籠澤……」


 思わず口に出しかけ、長尾は飲み込んだ。こんな現象を籠澤に話してどうする。

 長尾も本田に話したように、ましてや籠澤本人が言うように、籠澤にはこの手の現象を解決できる力は無いのだ。

 自分がそれを話すことによって、籠澤にまた歯がゆい思いをさせてしまう。


「いや、なんでもない。ちょっとバイトが遅くて」

「長尾」


 再び、籠澤が長尾を呼ぶ。


「俺に何か話すことがあるだろう。

 別に、俺に特殊な力があって言ってるわけじゃない。

 顔色悪いよ、長尾」


 そう言って、籠澤は笑った。

 特別な力ではない。友人として。長尾をよく知る者として。

 弱っている友人に、手を差し伸べたのだ。

 その手をどうして振り払えようか。


「…… 悪い。ちょっと、授業が終わったら話を聞いてくれ」

「もちろんだとも」


 絞り出すように頼む長尾の背を、籠澤はいつものように軽く叩いた。




 昼時は賑わう食堂も、まだ早い時間では自動販売機でドリンクを買って持ち込むしかない。

 長尾と籠澤はそれぞれペットボトルのコーヒーを購入し、今は人の少ない食堂でたやすく席を見つけて座った。

 籠澤はくこともなく長尾が話し出すのを待った。

 自分が見てきた恐怖を、もう一度振り返るのもまた怖い。しかし、今は朝で、光が差し込んでいて、目の前に信頼する友人がいる。

 長尾は自分の恐怖に耐えながら、ゆっくりと籠澤へ昨夜の出来事を伝えた。

 説明の際に、穂月の名前は伏せた。籠澤は長尾がカフェで友人芦倉の話を聞いていることは知っていても、それが死んだ彼女のことだとは話していない。

 あまりに個人の繊細な部分であり、長尾から籠澤他人から他人へ話すことは芦倉にはもちろん、籠澤にも良いことではないと考えたのだ。

 もしここで長尾が『穂月』の名前を出せば、「それは誰」となり芦倉の話を語らねばならなくなるだろう。



「…… それは酷い目に遭ったな」


 話し終えた長尾に、籠澤は深く息を吐いて応えた。

 通常では考えられない自分の体験を、この友人は一度も確認も否定もすることなく受け入れてくれたのだ。

 それだけで、長尾の恐怖の半分は解消できたようにも思えた。

 ようやく、長尾はいつもの冷静さまで追いつこうとしていた。


「悪いな。こんな話をされてもお互い解決手段がない」

「まあ、手っ取り早い解決はできそうにないけど」


 うん……、と籠澤は顎に手を添えて考える。


「ただ、事実を並べることはできると思う。

 直接解決の手段を持たない俺たちは、まずそこからだよ」


 考えよう、と籠澤は言う。

 今の長尾にとって、その言葉で寄り添ってくれることがどれだけ心強いものであるか。

 先日、籠澤が長尾へ向けて伝えた心強さの話を、長尾は思い出していた。


「事実と言っても、全部俺の勘違いかもしれない」

「勘違いであっても、その時の長尾にとっては事実だ。

 安心してくれ、当てずっぽうに言ってるわけじゃない。

 今までの噂話と共通点があるだろ」


 懸念を持つ長尾を励ますように、しかし確かな感触を籠澤は示した。

 昨夜の長尾と、籠澤が聞いた噂話の共通点─── セーラー服だ。

 だが、長尾はまだ悩ましい。それは一度考えたことだ。


「俺が噂話を聞いてから見たセーラー服だ。噂話に影響している可能性がある」

「大丈夫、安心しろって言っていいのか分からないけど、そうだな……

 俺を信じてくれ、長尾」


 籠澤は辛抱強く長尾へ語りかけた。

 長尾の目が、ようやく籠澤へ向き直る。


「長尾、さっき長尾が見た女の子のセーラー服、なんて言った」

「なんて?」

「そう。袖は? 長かったか」

「いや。短い。半袖だ。

 夏服のセーラー服なんだ」

「うん。そうだよな」


 長尾の答えに、籠澤は納得するように頷いた。


「幸か不幸かってところだけど。

 、長尾。

 長尾が見た影は、噂話の影と同じだ」


 長尾は、目を見開いて籠澤を見つめた。

 自分が見たのは『穂月』だった。それが噂話の影と一緒であるというならば、なぜ不特定多数の人間の前に彼女が現れているのだろう。

 長尾の疑問には気づく由もない籠澤は、噂話と長尾の体験を並べ続ける。


「長尾が女の子の影を見たのは、キャンパスと帰り道だったな。噂話の方もあまり場所が特定されていない。

 場所が特定されていない怪談っていうのも珍しいもんだな。

 目撃した日時まではさすがに個々には聞いてないけど、ちゃんと並べたら同時多発的に女の子に遭遇してたってのもあるかもな」

「同時多発的……」


 怪談を聞くうえでおよそ出会わなそうな単語に、長尾は束の間恐怖よりも純粋な好奇心が勝った。


「籠澤としては、同じ女の子の幽霊が、同時に複数の場所で出現するというのは、あり得るのか」

「そうだなあ…… それって、幽霊という存在をどう捉えるかって話になるんだろうな」

「捉え方?」

「うん。外に存在しているのか、中に存在しているのかっていうか」


 籠澤はペットボトルの蓋を開けながら答えるのだが、長尾には今一度ピンと来ていない。

 ごくごくとコーヒーを飲んだ籠澤は、首をひねる長尾に向かい、静かに切り出した。


「長尾は、




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