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第6話

 午後の授業も終わり、長尾は芦倉に連絡を入れた。

 一週間が過ぎ、授業が一回りすると、芦倉も長尾の授業終わりの時間を把握してきたようだ。たびたび長尾が連絡を入れるよりも先に、待ち合わせのカフェにいることが多くなった。

 この日も長尾の連絡に『席を取っておく』と返事が来た。

 宗教勧誘のこともあり、長尾としては自分は待つので後から来て欲しい気持ちもあったが、芦倉には忠告はしてある。分別の無い子どもでもないし、少しは彼を信じていいのかもしれない。

 だが、一応『勧誘には注意』とメッセージを送っておく長尾である。


 季節は木枯らしが吹き始める頃で、すでに日が落ちかけていた。

 そもそも五限の授業自体が少ない上に、ましてや受講者などほとんどいない。五限の階段教室は、一日の中で最も空席が余っている。

 籠澤とは微妙に取っているカリキュラムが異なり、この五限を彼は取得していない。

 西日が差し込む人気のないリノリウムの廊下に、自分一人の足音が響く。

 窓枠の濃い影が廊下を断つように落ちていた。


「長尾くん」


 ふと背後から呼びかけられた。軽やかな調子の声。

 振り返ると、廊下の奥に人影が佇んでいる。首から上が窓枠の影に入ってしまっていて顔が見えない。

 

 赤く強い光に目が眩む。長尾は自分の手をかざし影を作った。

 目を凝らし、長尾は影を見つめ─── ぞくりと背筋を凍らせた。


 その影はセーラー服だった。

 白い半袖から、赤く照らされた腕が滴るように伸びている。


 紺地のスカートから生える両脚は短いソックスを履き、足元はローファー。

 一見したら、普通の女子高生と何ら変わりない。

 高校生が大学にオープンキャンパスで訪れることは珍しくない。ほとんどは夏休みの時期に被るが、時折大学側で実際の授業を見てもらえるよう企画することもある。

 今日、おそらくイベントがあったのだ。その帰り、とか。

 長尾はなんとか自分の平静を保つために、現実的な可能性を考えつくした。

 

 だが、たった一人でオープンキャンパスに来るものか。

 なぜ長尾の名前を知っているのか。

 なにより、なぜ彼女は夏服なのだ。


「…… 誰?」


 尋ねた自分の声は想像以上に震えていた。しかし、影は答えない。

 そこに貼り付けられたように、微動だにしない影から長尾は視線を外せない。身体が硬直してしまったかのような、そのときだ。

 背負っていたリュックサックのポケットが震えた。突然の振動に、びくりと長尾の心臓が跳ねる。

 慌ててスマートフォンを取り出すと、本田空のメールの着信だった。そうだ、先ほど籠澤から教えてもらった神社と地図を彼に送ったのだった。

 一瞬現実に引き戻された長尾は、ハッともう一度影の方を見た。


 ─── 誰もいない。


 そこには、ただ暗闇に断絶されている廊下が伸びているだけだった。



 顔が…… 見えなかった。足元、スカートの裾、白い手、腕、半袖のセーラー服。

 その上が、影に隠れていた。

 しかし、名前を呼んだ声は、の声だったと、長尾はなぜか思うのだ。

 理由の付かない絶対的な確信を、長尾は持たざるを得なかった。


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