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第5話

「本田の周りで起きてること、長尾は聞いたのか」


 カシャンカシャンと食券の販売機に硬貨を投入する長尾へ、籠澤は確認した。

 点灯した『旨辛からあげラーメン』のボタンを押下する。


「一応は…… ただ、あまり要領を得るような説明じゃなかったな」

「そうか。

 長尾が分かる範囲でいいから、教えてくれないか」


 払い出された食券を取り、長尾は籠澤を見た。

 躊躇するような長尾の空気に、「大丈夫、大丈夫」と言いながらタックル気味に長尾を販売機の前から押し出す籠澤。

 深刻な様子でもなく自分と同じように硬貨を投入する籠澤を見て、長尾は自分の躊躇いを振り切って、話し始めた。


「視界の端に影がよぎる、と言ってたと思う」

「それだけか」

「ああ。…… 何か心当たりがあるのか」


 『ほうれん草カレー』のボタンを押下した籠澤は、長尾の問い返しに微妙な笑顔を返した。苦笑だったかもしれない。

 籠澤はゆで卵の券も追加で購入し、二人揃ってカウンターの方へと向かう。


「長尾は耳にしたことないか。

 最近、キャンパス内で怪談が流行ってる」

「季節外れだな」

「話を聞いていくと、どうやら10月中旬辺りから始まってるようだから……

 そうだな、もういい季節外れだ」


 怪異が夏に限ってはいないことは、それこそ多くの怪談から知りえるところだが、夏以外に聞く怪談が『季節外れ』になってしまうのは日本人の性だろうか。

 そんなことを長尾は思ってしまったが、その話題を振るより前に、籠澤の言葉に引っかかった。

 割烹着を着た職員に食券と挨拶を渡した長尾は、後ろの籠澤を振り返る。


と、って言ったか」


 カウンターへ食券を出した、その手で、籠澤は額を抑えた。分かりやすい『失敗した』のジェスチャーだった。

 自分の食券が引き取られ「お願いします」と職員へ声を掛けた後、籠澤は長尾へ両手を合わせた。


「黙っててすまない。

 実はもう、本田以外からそこそこの相談を受けてた」

「いつの間に……

 てか、籠澤の本家のことなんて、一体どこから広まったんだ」


 長尾の驚きも冷めやらぬ内に、揚げたてのから揚げが乗った豚骨ベースのラー油掛けラーメンが到着する。

 カレーの到着も待ちたいところだったが、注文を待つ学生は長尾と籠澤だけではない。

 後がつかえていたので長尾は待機列から離れた。

 カレーがそれほど掛かるはずもなく、すぐに籠澤も長尾の隣にやってきた。

 会話が途切れたせいもあり、長尾はいつかの芦倉の時のように自分の疑問は無かったことにされるだろうかと思った。

 しかし、籠澤は苦い顔をしながらも、


「人の口に戸は立てられないというか…… その辺りは辿っていくとなかなか不愉快な答えに行き当たる気もするな。

 結構、地味に姑息な手を使ってくるもんだよ。

 本家はどうにかして、俺に接点を持たせたいんだ」


 と答えた。

 思ってもみなかった存在の出現に、長尾は目を見開く。


「嫌がらせ、てことか」

「嫌がらせも含まれてるかもしれない、けど。

 、俺に、本家の存在を」


 トレーを持ったまま混んでいる食堂の席の間を、縫うように進む。

 先を歩く籠澤が、半分振り返る形で長尾を見て、


「そういう、


 半分見えた籠澤の口元が引くように上がっていた。

 籠澤の抱えている問題が深すぎるのを、長尾は改めて思い知った。

 呪い─── それが一体どんな意味を持つのかさえ分からない長尾には、今、籠澤に掛けられる言葉が無かった。

 混みあう食堂の中、長尾と籠澤はようやく見つけた向かい席に座る。


「流行ってる怪談というのが」


 から揚げをスープに漬け込む長尾に、籠澤は切り出した。

 籠澤は、米とカレーの境目をスプーンで混ぜ込みつつ続ける。


「視界の端に映り込んでくる影…… というのは本田と同じだ。

 ある日、その影に気づく。気づくとどうしても気になってしまう。

 一人きりの部屋の中ではもちろん、大勢の人ごみの中でも。

 その影が『在る』と、気づいてしまう」


── いるんだ、視界の端に、気づくと、黒い…… ──


 本田の愕然とした声が、長尾の脳裏に響いた。

 籠澤の話は、確かに本田と同じ内容だった。


「ただ、相談の中にはもう少し具体的に目撃した子もいる」

「具体的に?」


 首を傾げる長尾に、籠澤は頷いた。だが、先を話す前に籠澤は長尾のラーメンを指した。


「ラーメン、伸びちゃうぞ。

 食べながら聞いてくれ」


 籠澤の話を聞くあまりラーメンを待機しそうな長尾だった。

 長尾は長尾で、食べながら話を聞くという器用なことができるだろうかと思っていたが、籠澤の気遣いを無駄にはできない。

 箸で麺を掬って啜る。こってりとした豚骨に、ラー油の辛味がちょうど良いバランスで食欲を加速させる。スープに漬け込んだから揚げも、齧ればじゅわっと肉汁と一緒に豚骨スープが溢れた。


「影の詳細を見た、というのかな。

 真正面から見たわけじゃないようなんだけど、視界の端にぼやっと見えるだけでもないらしい。

 と言っていた。

 視覚で認識する実像じゃない。

 脳裏にイメージが湧いてしまう」


 境界を混ぜていた籠澤のスプーンが止まった。


「それは、─── セーラー服を着た少女らしい」


 籠澤の言葉が、長尾の脳天に突き刺さるように響いた。

 口腔の中の味が一瞬にして吹き飛ぶような衝撃だった。

 長尾の中で、確かに一つのイメージが繋がっていた。セーラー服の少女……

 いや、それはあまりに唐突過ぎる。長尾は動揺を抑え、心中で首を振る。怪談においてもそうでなくても、『セーラー服の少女』のモチーフなど数えればキリがない。

 そう思えば、長尾の動揺はすぐに凪いでいった。咀嚼を続けると、再びラーメンを味わい深く感じる。


「不思議なのは」


 長尾の様子に気づかなかった籠澤は話を続けた。


「分かると言いながら、少女の顔は誰一人思い出せないことだ。

 誰かは『見えない』と言っていた。どう『見えない』のかは、本人も分からないようだったけど。

 俺が聴いた話はこんな感じだ」

「初耳だった」

「長尾は授業が終わるとすぐ帰っちゃうからな。

 キャンパスにいるときはだいたい授業に出ているときだし」


 ふふ、と籠澤は笑い、ようやくスプーンでカレーを掬った。

 今度は長尾が話す番だ。


「その相談を受けて、籠澤はなんて返してるんだ」

「さっき言った通りだ。本家ではない神社を勧めてる。本田にも教えておこう」

「本田の連絡先を知ってる。どこの神社だ」


 スマートフォンを取り出し、長尾は籠澤が告げた神社の名前をメモに登録する。場所を調べてから本田には伝えようと思ったのだ。

 登録を終えると、長尾は籠澤の手が止まっていることに気づいた。

 突然相手が止まっていることに気づくのは芦倉以来だったので、長尾は焦りを抱いて籠澤を見た。

 だが、彼は長尾の手元を─── スマートフォンを見つめていた。じっと、静かに。


「ほんとにな…… 俺にを理解して、解決できるだけの力を持っていたら良かったな。

 長尾にも手間を掛けさせて。

 ものだから。

 そんな現象はないって、笑い飛ばすこともできない」


 ぽつぽつと呟く籠澤は、長尾ではなく自分に向かって言っているようだった。

 中途半端に分かる。しかし解決できるほどの力はない。

 そのもどかしさを、長尾もまた痛切に感じたことがあった。家の事情を理解しながら、それを解決できない自分がいた頃がある。

 結局、問題を解決したのは力のない長尾ではなかった。

 そのことに感謝しているものの、実家にいるとあまりの自分の不甲斐なさに勝手に居心地が悪くなり、心配する親を半ば振り切るように出てきた。

 きっと、今籠澤は自分と同じもどかしさを感じていると長尾は思った。

 だが、長尾と違うのは、籠澤はそのもどかしさを感じる必要が無いということだ。


には、要らない力だろ」


 籠澤が目指す到達点とその先に必要なのは、人に容易には見えない存在を見る力ではない。少なくとも、それは違う。

 きっぱりと告げる長尾に、籠澤は苦笑気味に笑った。「ごもっとも」

 籠澤のスプーンが再び動き出したのを見て安心した長尾は、先ほどの話を続けた。


「本田の話は─── 噂は、本当だと思うか」

「うーん…… なんとも。

 ただ、幽霊にしろ集団パニックもどきにしろ、本田を含めて一部の人間に何かが起きているのは確かなんだろうな」


 籠澤らしい一歩引いた立ち位置からの視点に、長尾は感心した。

 籠澤よりもずっと感の長尾であるが、その手の話を頭から否定するつもりもない。


「深入りはしない。できることもないし」

「そうだな。俺も本田に神社を伝えたら、この件に関わるのは控えるよ」

「そうしてくれ」

「籠澤が無理やり巻き込まれそうになったら、それはそれで言ってくれよ」


 ここまで教えられなかった実績が目の前の相手にあると気づき、長尾は慌てて付け加えた。

 籠澤は長尾の見えにくい焦燥に気づいたらしい。

 カレーを掬う手を止めて、笑った。


「おう」


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