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第4話

 今日の階段教室で待っていたのは、長尾の方だった。

 始業まで十分時間はあったが、長尾は籠澤の様子が気になっていた。


「昨日、大丈夫だったか」


 隣に腰かける籠澤へ長尾は尋ねる。籠澤は気軽な様子で笑った。


「全然、平気。

 定期的に本家が訪ねてくるだけだ。無視するわけにもいかないだけで」


 籠澤は昨日の講義をすべて休んでいた。

 体調が悪いのかと長尾がスマートフォンからメッセージを入れると、しばらくして元気だと籠澤から返事があった。

 『ノートを頼む』とだけ続きがあり、それ以降は籠澤からの連絡は無かった。

 その時点で、事態が籠澤個人を越えたところにあるのだなと長尾は察したのだ。


「しつこい連中なんだな」

「跡取りが急にいなくなってしまったし、焦っているみたいだな。

 正式に後継とするには時間が掛かる上に期限がある。めんどくさいものを祀ってるんだそうだ」


 と、自分で言う通り実に面倒くさそうに投げ遣りな口調で返す籠澤。

 そんな彼に更に重ねるようで申し訳なかったが、長尾は一昨日の本田のことを伝えた。


「釘は刺しておいたが、もしかしたら本田が籠澤にお祓いをしてくれって話を持ち掛けに行くかもしれない」

「うん?」


 突然の話に、籠澤が怪訝そうに頭を傾けた。艶やかな前髪がさらりと動く。


「何があったのかは分からないが、本田は自分が何かに憑かれていると思ってるみたいだ。

 それで、籠澤を通じて─── おそらく本家の方の神社だと思うが─── 祓ってもらえないか、て俺に言ってきた」

「なんだそりゃ……」


 うわあ……、と如実に籠澤は顔を歪めた。いつも笑顔の方が多い籠澤なので、こんなぐにゃぐにゃとした表情は珍しい。


「俺が一緒に別の神社を探してやるから、籠澤の方へは話を持って行くなとは言っておいた。

 でも、だいぶ切羽詰まっている感じもあったから」


 怖い男だと思っていた長尾に食い下がったくらいである。協力を申し出て落ち着いたようには見えたが、また彼の中で何かが動けば、今度は籠澤に直接話をしに行く可能性がある。


「もし、本田が籠澤にその話をしに来たら、俺の名前を出してくれ。長尾に任せてるって。

 籠澤が関わることじゃ」

「長尾」


 ゆっくりと、籠澤が長尾を呼ぶ。

 不思議なことに、長尾は最後の一言「ない」を飲み込んでしまった。静かな命令が、友人の声には含まれていたように聞こえたのだ。


「長尾がそこまで動くことでもない。本田が話に来たら、まあ話を聞くだけはするよ。

 で、別の神社に行けって言っとく」


 明るく笑って、籠澤は言うのだ。

 長尾は分かっていた。この穏やかな友人は、見た目に反して自分よりも芯が強い。

 そもそも、本田よりも厄介そうな連中本家を長い間退けてきている。もちろん籠澤一人が対峙してるわけではなく、その席には両親が共にいるのだが。

 当初は、息子の同席を控えようとした両親の配慮を押してまで、籠澤本人も本家と顔を合わせているようなのだ。

 長尾があれこれと庇わずとも、彼は考えている以上に上手くいなすことができるだろう。

 力になりたいと思っているのは、長尾の勝手な願望である。それを長尾自身、分かってはいるのだ。

 籠澤は長尾の肩をパンと景気よく叩いた。長尾の中のもやもやとした感傷を払い落すように。


「ありがとうな、長尾。

 一人でも、そうやって自分を守ろうとしてくれる人がいるってことは、本当に心強いことなんだ」


 その上、長尾の方が励まされてしまう。この友人には敵わない。

 長尾は不甲斐ない自分に悔しさがこみ上げた。


「もし、今回の本田のことに限らず、籠澤が本家に行かなくてはならないことがあったら、

 俺も連れて行ってくれ。

 いや、ついていく」


 そんなことができるのかとも一瞬思ったが、長尾は言い切った。言い切らなければ始まらないと思ったのだ。

 籠澤は面食らったように口を開いたが─── そのまま笑い声が零れた。


「ああ、うん、ありがとう。そのときは、ぜひ頼む。

 長尾が来たら、本家もびっくりするだろうなあ」


 何度も頷きながら、籠澤は嬉しそうに言うのだった。

 友人の承諾が得られたところで、長尾はひとまずホッと安心した。

 そこへ始業のベルが降ってくる。機械仕掛けのように講師が教室へ入ってきた。籠澤と話をしていてすっかり準備を忘れていた長尾は、隣に置いていたリュックサックからノートを取り出した。

 と、その肩を、今度はつんつんと叩かれる。


「授業の後、空いてるか」


 振り返った籠澤の顔は先ほどの笑みを消し、真剣さが滲む。

 講義が終わるころはちょうど昼時だ。

 長尾が頷くのを見た籠澤は、小さく笑い返した。


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