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第2話

 芦倉と穂月は恋人同士だった。

 芦倉の話を聞くうちに、長尾は段々と穂月のことを思い出してきた。

 芦倉の語る穂月は明るい性格で、どちらかと言えば控えめな芦倉の手を引っ張っていくような少女だった。


「いつも二人分の弁当を作ってくるから、前に無理するなって言ったんだ。

 でもあいつ、『冷凍食品を詰めてるだけ』って言ってさ」


 穂月の話をする芦倉は、聞いている長尾が嬉しくなるほど楽しそうである。

 芦倉と穂月が一緒に可愛らしい弁当を食べていている光景が、長尾の中に浮かんだ。その光景の中で、芦倉は美味しそうに弁当用の小さなハンバーグを頬張っているが、穂月が言うには冷凍食品だったようで。

 冷凍食品と言えど味は馬鹿にできないということを、現在一人暮らしの長尾は切々と味わっていた。

 穂月が弁当箱に詰めたハンバーグならば、芦倉にとっては一流シェフのハンバーグさながらだったことだろう、と長尾はしみじみと頷く。


 芦倉と再会してから数日、長尾は大学の授業が終わると毎日芦倉に連絡を入れた。芦倉の話を聞くためだ。

 長尾のアルバイトが始まるまでの一時間程度ではあったが、芦倉は喜んで長尾の待つカフェに来た。

 芦倉の予定は大丈夫なのかと、長尾が確認したことがあったが、芦倉はもちろんと笑って頷く。これ以上の予定があるだろうか、とばかりの様子だった。


「二人はいつも一緒だったよな」


 芦倉から聞く話を総合すると、芦倉と穂月は授業の合間、昼食、下校までずっと一緒に行動しているようだ。

 長尾が思い出そうとすると、二人が並んで話している様子や歩いている光景が浮かぶ。 


「教室で『彼女が来たぞ』って呼ばれると、ちょっと恥ずかしかったけどね」


 長尾の言葉に、芦倉は照れ笑いで惚気てみせた。だが、そのあとに一瞬、彼は辛そうな目をするのだ。

 長尾はその顔に気づかないふりをした。薄情なのではなく(薄情であったらそもそも毎日のように芦倉に付き合うことなどしないだろう)、その痛みを、芦倉は越えようとしていると思ったのだ。

 彼に必要な痛みなのだと。

 長尾は「うん」と頷いた。


「いつも一緒だった」




 芦倉と別れ、大学の授業へと向かう。

 初めて会ったときからの流れで、芦倉とは授業の終わりに待ち合わせているのだが、今日は休講があり午前中が空いたのだ。

 いつものように授業の後で落ち合っても良かったが、一応連絡を入れてみると芦倉は「すぐ行く」と出てきた。

 彼は大学は通ってないのだろうか、と長尾は首を傾げた。

 落ち着いたのが最近だと芦倉が言ってたので、もしかしたらここまでずっと穂月の死に塞ぎこんでいたのかもしれない。

 長尾は、思ったよりも重要な役割を自分は背負ったのではないかと考えた。だが、かと言って、では目の前で辛そうにしている友人に何も声を掛けないままでいられるだろうかとも思う。

 大学で籠澤と話す中で、もし高校の時に少しでも彼の話を聞けていたら、当時の籠沢の重さを分かち合うことができたのでは……と、思わずにはいられず、それと同じ感覚を芦倉にも抱いていたのだ。


 今日は始業五分前に教室に到着。

 こちらもいつも通り、長尾分の席を確保していた籠澤が階段教室の上で手を振っていた。


「今日もカフェに行って来たのか」

「ああ、午前中の授業が空いたんで、連絡を入れてみたんだ」

「今日の今日で予定が空いているものなんだな」


 小さく驚く籠澤の中に、長尾は自分と同じ疑問があることを見て取った。


「学校に行ってないのかもな」

「進学してないのか」

「そこまで聞いてはいないけど、たぶん進学はしてるんだ。

 そのあと、通えていないのかもしれない」


 初めてカフェで声を掛けられた時、芦倉は「みんなバラバラだった」と言っていた。

 学校がバラバラになったとも取れるし、進学や就職や、そもそもの進路がバラバラになったとも取れる。

 だが、母校から高卒で就職する学生はほとんどいなかったようにも見えた。

 四年制の大学なのか、専門学校なのかはまた選択肢が分かれるが、少なくとも穂月が亡くなったのは卒業直後だ。通常は、進路が確定した後になる。


「重い事情があるようだけれど、それでも長尾の呼びかけに応えるのだから、その人は救われていると思うよ」


 籠澤はうん、と頷きながら言った。

 その言葉は、芦倉の大事な時期を自分が担っているのではないかと思っていた長尾にとって、ぐっと背中を支えてくれるような頼もしさがあった。

 長尾は、この友人のこういうさらりと自然体で励ましてくれるところにありがたさを感じている。

 それゆえに、長尾もまた籠澤が迷っているときには手を貸したいと思うのだ。


「ああ、そうだ。カフェと言えば」


 籠澤がふと思い出したように切り出したところで、始業時間きっかりに教授が教室に入ってきた。

 この授業の教授は点呼を取らない。テストとレポートが問題なければ単位を出すタイプなのだ。教室に入って来たそのままの流れで講義が始まる。

 長尾が至極真面目に講義を受けているのを知っている籠澤は、言いかけた話題を続けるべきか中断すべきかを迷ったようだった。

 長尾は友人のその真面目さに内心小さく笑いながら、「カフェがどうかしたか」と促した。


「いや、キャンパス付近のカフェで最近、宗教勧誘らしきものを受けるって噂があるらしい。

 学部の知り合いから聞いたんだが、その知り合いも別の誰かから聞いたみたいで。

 又聞きの又聞きになるから、本当かどうかは分からないんだけどな。

 長尾は、よくカフェを使ってるから、言っておこうと思った、て話だ」


 促され、籠澤はいつもより早口で話を続けた。

 なるほどと長尾は頷いた。新成人を狙うその手の話題は、長尾もたびたび耳にする。外見のおかげか、今まで長尾自身が遭遇したことは無い。

 よく出入りするカフェでも、長尾が知る限りは聞こえてくる話の中で、様子のおかしい話は聞こえてはこないが…… 噂が立っているならば、全く無いわけでは無いのだろう。火の無いところになんとやらだ。


「分かった、気を付けるよ。

 ありがとう」

「うん。ただの噂だといいんだけどな。

 連れの人にも注意しておいてあげて」


 籠澤の言葉に、長尾は深く頷き了解した。

 そうだ、大事な人を失って情緒が非常に不安定になっている人間は特に注意しなければならない。

 死後の世界の話になれば、おそらく今の芦倉にはあまりに優しく、輝いて見えてしまうことだろう。


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