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そうしてそこには何もなく
そうしてそこには何もなく
もちもち
ホラー怪談
2025年04月16日
公開日
5.1万字
連載中
大学生の長尾は、ある日喫茶店でセーラー服を着た少女の写真を渡された。 それは写真を見せた男、芦倉の亡き恋人『穂月』であった。『穂月』を語る傷心の芦倉の様子を見た長尾は、彼を放っておけず、大学の講義の後に喫茶店で会い、かつての二人の話を聞くようになる。 一方、長尾の通う大学では一部の学生の間で囁かれている噂を、親友の籠澤から聞いた。 『視界の端に影を見る』 長尾は実際に噂の影を見た本田に泣きつかれ渋々と噂を調べることとなり、 そしてその影を、覗いてしまうことになる。 …… それは、セーラー服の少女の姿だった。

第1話

 宇宙の果て最初を見た人間はいない。

 どこかの大きな望遠鏡が捉えた写真や多くの人が導き出した数式から、視認できないその空間を推し量っているのだ。

 しかし、本当に『宇宙の果て』をそこに存在させているのは写真でも数式でもない。

 人々のだ。





『ねえ、覚えてる?』


 を見たとき、星のような明るい声が、長尾ながおの脳裏に響いた。

 写真には半袖のセーラー服に、黒く長い髪を下ろした少女がひとり写っている。カメラの方へ可愛らしい笑顔とピースサインを向けていた。

 思い出した少女の声は、長尾を酷く懐かしい気持ちにさせた。彼も二年前までは毎日詰襟の学生服を着ていたはずだが。

 小学校、中学校とも運動部に所属していたわけでもないが、長尾は体格がしっかりとしていた。高校の時には柔道部からバスケ部まで広く声が掛かったが、家庭の事情もあり部活には入らずじまいであった。

 短髪のツーブロックに三白眼、押し黙っていると険悪な雰囲気に見られがちだが、周囲との関係は悪くはない。広く交友を持つよりも狭く深く付き合う性格だ。

 そのため、一度交友を持った人物とは長く連絡を取り合う方だと自分でも思っていたが、この写真の少女は久しぶりに再会したなという印象があった。

 教室の広い窓から見た青空や夕陽への郷愁や、放課後の廊下のしんとした寂しさと小さな恐怖心が混ざった感傷が、写真を見た瞬間に長尾の胸中に湧き上がったのだ。


「覚えてるか」


 ふと、カフェのカウンターで隣に座っていた男が長尾を覗き込むように尋ねた。

 細い銀フレームの眼鏡を掛けた男だ。垂れた目の下は、疲弊の色が残っているかのように暗い。櫛は通しているのだろうけれど、伸ばしたというよりは伸びてしまった様子のある目深な前髪。

 記憶の中に沈んでいた長尾は、反応するのに一瞬遅れてしまった。


「ああ、穂月ほづき…… 懐かしいな」


 男へ写真を返しながら笑いかける。長尾が写真の少女のことを覚えていたことに安堵したのか、男はホッとした笑みを浮かべた。

 写真の裏を返すと、「穂月 8月、高校の帰り道 芦倉」と手書きの文字が書いてある。

 芦倉あしくらが撮影した穂月の写真、ということだろう。

 現在の季節は写真の頃より三か月ほど進んでいる。長尾は本格的な寒さの気配に、今朝方コートを引っ張り出してきたところだ。

 写真の中の少女は、今は懐かしい強い光の中にいる。


「高校のときのケータイから、写真をちゃんと保存しておくんだった。

 彼女の写真はこれしかないんだ」


 受け取った写真を、男─── 芦倉は大事そうにジャケットの内ポケットへとしまった。

 高校当時に持っていたガラケーでは、たとえ写真を保存したとしても解像度は良くなかっただろう。だが、全く無いよりは良かったのかもしれない。

 寂しそうな芦倉の顔を見ると、長尾はそう思えてしまうのだった。


「彼女は…… 今どうしているんだ」



 写真を見せてきた芦倉の様子に聞いていいのか躊躇われたが、長尾がこれから芦倉に掛けるべき言葉を知るには必要な情報だった。

 芦倉は少し傷んだように笑って首を振る。


「これを撮った一年後に逝ってしまった。…… 突然だった。

 俺たちが卒業した直後のことだ」

「そうだったのか」

「大学はみんなバラバラだったしね。

 俺も今日まで誰かに伝えられるほど落ち着いてなくて、遅くなってごめん」

「いや、教えてくれてありがとう」


 長尾は謝る芦倉の肩を叩いた。

 突然だと芦倉は言った。身近な人間を突然亡くして、二年。表面上は落ち着いたと自分では思っていても、ふとした瞬間に不意打ちのように寂しさが襲ってくることもあるだろう。

 長尾は、できればもう少し彼の話を聞いてやりたいと思ったが、時計を見るとそろそろ次の授業が始まる時間だった。


「芦倉」


 呼びかけると彼はパッと俺を見上げた。


「明日は空いてるか。俺、明日は授業が3限で終わるんだ。

 また穂月のことを聞かせてくれよ」


 果たしてそれが芦倉の慰めになるの、長尾には正直分からなかった。しかし、思い出は共有した方が温度を感じることができるものだと、長尾は考えていた。

 芦倉は、長尾の誘いに寂しそうだった顔を輝かせると、「ありがとう」と返した。


「長尾は、明日もここのカフェにいるのかい」

「授業の前後はよくいる。明日の待ち合わせもここにしよう」

「わかった。…… ああ、そうだ。

 俺、電話の番号が変わってしまったんだ。

 登録するよ」


 そう言って芦倉が手を出すので、長尾はポケットのスマートフォンをパスワードを解除して彼に渡す。

 人のスマートフォンだからか、芦倉は随分手間取りながら難しい顔で番号を登録しているようだった。

 番号を聞きながら俺が登録すればよかったかと、長尾は内省した。いやそもそも着信を貰って登録すれば早かったなと思ったところで、芦倉が顔を上げた。

 「ごめん、時間かかった」と苦笑しながら返された電話帳には、「芦倉」と表示された下に登録された番号が並んでいる。


「ありがとうな。店に着いたら電話鳴らすわ」

「こちらこそありがとう、長尾」


 呼びかけられると、高校の時間を思い出す心地だった。




 始業間際に教室に掛け込むと、階段教室の最後列で手を振る男が見えた。

 長尾は手を振り返して足早に階段を上る。


「すまん、籠澤かごさわ。席確保ありがとな」

「確保するほど埋まってもないけどな。

 でも遅かったな。欠席するのかと思った」


 長尾の分、長椅子を横に移動しながら席を空け、籠澤は笑いかけた。

 周りの男友達が揃って髪を染める中、この友人は珍しく真っすぐな黒髪のままだ。染めたりパーマを掛けたりはしないのかと以前尋ねたところ、「メンテナンスを忘れそうだから」と返ってきたことがある。

 一見、秀才然とする籠澤だが、その実驚くほどのんびりしていたり抜けていたりするのを、長尾はこの二年、隣で見てきていた。

 その籠澤の言う通り、教授が壇上に立った時点でも、階段教室の座席は半分ほどが空いている。もともと受講する生徒が少ないのかと長尾は思っていたが、「真面目に毎回出席する生徒が少ないのでは」と籠澤は推測していた。

 せっかく金を払って専門知識を持つ人間の講義を受け放題の場所に入ったのに、なぜ最低限の出席を目指すのか、長尾は首を傾げるタイプの学生だった。

 その彼を見て、籠澤は「ごもっとも」とのんびり笑うタイプの人間だ。


「何か用事があったのか。バイト?」

「いや。高校のときの友だちに会ってた」

「へえ」


 籠澤が興味を示したように相槌を打ったように見えたので、長尾は芦倉のことを話そうとしたのだが。

 籠澤はひらひらと小さく手を振る。


「誰、と聞いても分からないだろうな。

 長尾とは高校の時はそんなに接点無かったし」

「ああ、そうだった」


 今でこそ相棒のように隣にいるが、高校のときは籠澤のいう通りほとんど話すことが無かった。

 それは長尾に限ったことではなく、そもそも籠澤が学校にいる時間が短かったのだ。

 たまたま大学が同じ学校で、ほかに顔見知りが周りにいなかったので自然と話すようになり、話すとお互い思った以上に気が合って今に至る。


「…… 家の方は、今は落ち着いてるのか」


 教授の点呼が続いている中で、長尾はそっと籠澤に尋ねた。

 籠澤と話すようになってからしばらくして、長尾は彼が高校のときに遅刻や早退を繰り返していた謎を聞いたことがある。

 その理由は、長尾には想像がつかず、未だにどんなものか理解しかねるような話だった。


「うん。まあ、まだ完全に解決したわけじゃないけど、前ほどでもない。

 だいたい、俺は本家を継げるような器じゃないよ」


 ドラマの中でしか聞いたことが無いような、お家騒動だった。

 彼の家は分家の中でも更に末端の方であり、なんとなく大きな本家があるなぁというくらいに血筋の遠い位置だったらしい。

 だが、突然、本家が籠澤を跡継ぎにしたいと言い出したのだという。

 本家にはのっぴきならない理由があるにはあるのだが、籠澤には青天の霹靂もいいところだった。

 なにより、彼には彼で、目指したい未来があったのだ。それを本家の一言で曲げられるなんて、到底承知できない。

 籠澤は、嘲笑とも嫌悪ともつかない複雑な笑い方をする。

 普段穏やかに笑う彼を見ている長尾には、その笑みが随分と自嘲しているように見えた。

 心配そうな長尾の様子に籠澤は、「ありがとう、大丈夫だ」といつもののんびりとした笑顔で言い直した。

 気を遣わせてしまったと気づいた長尾が何か声を掛ける前に。


「では、講義を始めます」


 淡々と、しかし有無を言わさぬ響きで、教授が告げた。



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