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第4話 約束が違うじゃねぇか

 淫魔になって良かった、そう思ったことなんか一度もなかった。

 生き物の精力をエネルギーにする汚らしい力なんかいらなかった。

 両親から貰った身体に、卑猥な意味を持たせた力なんかいらなかった。


 警察でも、犯罪者でも必要なら誰でも良いから、与えてください。


 そう何度、神に願ったのかなんて忘れた。

 今にして思えば、それが不服で神は私にさらに罰を与えたのでしょうね。

 そんな無能な神だから、宗教発祥の教会にすら存在を信じられてないし、殺せるとすら思われるのよ。


「もうすぐだ、まだまだ授業開始までたっぷりある」


 校舎表面から側面に回るだけ。

 それだけで世界は驚くほどに静かになり、豆腐型の建物が目に入る。


「ここは数年前の改装工事が終わってから使われ無くなった旧体育倉庫。ヤるにはピッタリだろ?」


 屋根は新潟だというのに雪など考えてない緩い片流れ式で、昔は白かったはずの壁は茶色に汚れていた。


 目的地が見えたことで、もう我慢できないとばかりに腰の手が一段と力強くなり、クズに身体が密着する。

 捻れそうなほど強烈な消臭剤の匂いが、鼻を突き刺してくる。

 どれほど馬鹿の一つ覚えでぶっかけた?

 今日会ったのはたまたま、そう思っていたけど一体いつから計画していた?


 吐きたい吐きたい吐きたい吐きたいはきたいはきたいはきたいはきたいはきたいハキタイハキタイハキタイ。


 胸の奥から湧き出る感情のまま暴れて、顔を殴って今すぐメチャクチャにしたい。

 そんなドス黒い感情に支配されるが、無意味な憎しみは止めるべきね。

 良い事は周り回って返ってくる、そんな偽善心で幼馴染のこいつを『いじめ』から助けた私が悪いんだもの。

 そう、全ては私が悪い。

 私が悪いのだから、我慢しなきゃならない。

 あの秘密が表に出たら、これよりももっと酷い目に遭わされてしまうのだから。


「っゔ、なんだこれっ! 馬鹿みたいに重てぇ」


 錆びついたドアを両手で懸命に開こうとする姿が凄く滑稽、お願いだから……せめて私より強者らしくして。

 何度かの挑戦で、ようやくガラガラと開きクズの姿勢が崩れる。


「——ッ」


 覚悟を決め、視線を入れる。

 電気も通ってないうす暗い部屋の中で、まるで猫のように輝きを放っている魔眼と広げられた淫魔の羽が複数見え。


「よぉ、すっげぇっなぁっ?! 本当に約束通り連れてきやがった」

「——っなッ!!」


 嵌められた、一人じゃなかった。

 そう思った時には遅く、私の身体は一瞬にして——。






「おはよう、お前を騙したことは悪いとは思っているよ。本当に」


 霞んだ意識の中でクズの声が聞こえ。

 紅い色の光に誘われるまま意識が戻り、やがてはっきりと模様が見える。

 瞼を指でこじ開けられ、魔眼によって覗き込まれる目覚め……なんて最悪の起こし方。


 使われなくなったマットレスや跳び箱、バスケットボールなどが放置されたカビ臭い倉庫。

 鉄格子ごしがあって、身体も通れないほどの小さな窓が床付近に複数。

 逃げるとしたら……入り口しかない。


「っは、はははっ! 悪いな、簡単に騙されるとは舐められたもんだ」


 数えるのも面倒なぐらい男女の取り巻きを大勢配置して、調子が良くなったのか。

 クズは顔とお腹を抱えて笑い、


「あーーッ、イライラするッ!!!」


 倉庫の壁を埃が落ちてくるほど、思いっきり叩いた。

 下半身で考えるようになっただけじゃなくて、気づかないうちに随分と自尊心が増大したようね。


 記憶が失われている事といい、魔眼で意識を取り戻したのも考慮すれば、魅了下にある可能性が高い。

 衣服の乱れはまだ無い、これからされる訳ね。


 気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪いキモチワルイキモチワルイキモチワルイ。


 この学校は学年によって制服の色が変わるけれど、同じ制服の色しかない。

 新入生たちの中に少なくともインキュバスとしての素質が私を上回っているのが紛れ込んでいる。

 嫌になっちゃうわね……まったく、淫魔としての才能も無かったのね。


 それにしても私を使うだけなら一人で出来たはず、それなら間違いなく遂行出来ていた。

 それだけなら不満だから話して過程にして、利用して、自分の立場を確立した。

 これほど私が傷を負い、憎悪を生んでいるのに、1番のゴールですらなかった。


「安心しろ、秘密は誰にも言ってねぇからよ」


 試しに立とうとしたけれど、座禅を12時間行った後のように痺れて動かない。

 無理ね、これで魅了されていることは確定した。口の中から鉄の味がする、いつの間にずっと噛み締めてたんだろ。


 わざわざ意識がある状態にして頭をスッキリさせてから、なんて下衆にも程がある。


『……ズサ……ズサ』

「——っ」


 そんな時、背後から音が聞こえた。

 それはだんだんと大きくなり、足音だと気づいて思わず声を上げそうになる。

 助けて、なんて言ったらこの子も魅了にかけられるだけ。

 どうすれば。


『カンカンカン、カーンカーンカーン、カンカンカン』


 モールス信号でSOS。

 長いのと短いの、どっちがSで2回なんて覚えてない。

 2分の1、最小限の文字を二つ合わせた成り立ちからも考えて、2回も繰り返すSは短い方。

 お願い——伝わって!


『……』


 音に気づいてくれたのか、壁を挟んだ向こう側の足音が止まる。

 よし、よしよしよしッ!

 後はそのまま先生に助けを求めて……頼むから万が一にも突っ込んでくるような馬鹿じゃありませんように。


「……? 何してるのよ」


 10秒、20秒。

 しばらく待つけど、足音の主は動きを見せない。

 なに、なんなのよ、助けるなら助けるで入ってくるなり、どっか行くなり反応しなさいよ。


「悔しいか? そう、俺はテメェの秘密を守る気なんか、はなっからねぇんだよ」

『カーンカーンカーン、カンカンカン、カーンカーンカーン』


 万が一、逆だったことも考えて『OSO』だろうと鳴らしておく。

 見張りの可能性もあったけど、この時点で窓を蹴飛ばしたりしないなら無関係の可能性が高い。

 翼で飛べるほど優れている淫魔だとしても、羽の音ひとつぐらい出る。

 大丈夫、向こう側にまだいるし、少なくともこっちサイド。


『……ジィーー』


 ほらね、良かった。

 ここまでチャックの音に、心が救われるとは思わなかったわ。

 ん…………? チャックの音?

 え? ちょっとまって、違う……よね?


『じょっ……じょぼ、じょぼぼぼぼぼぼー』


 壁に当たる液体の音が幾重にも倉庫内へ反響し、柔らかくて高い音と反対に悪ぶっていたクズの顔が固まっていく。

 嫌らしい笑みを浮かべていた取り巻きの顔もまた、彼の様子を伺う。

 数日なのに随分と、出世したものね。


「ぶフッ、ふっふふふふふっ」


 しかし、中には空気が読めない子もいるようで。

 クズの真後ろ、そこへ立っていた青髪でメガネをかけた男の子が口元を手に、肩を振るわせていた。

 私も自分が助けてもらう立場じゃ無かったら……笑っていたかもしれないけど、ただただ腹立たしいわ。


「おい、てめぇなに笑ってんだ?」

「い、いぇ、すみませんっ」


 襟を掴み、睨みを効かせたクズに笑っていた子が両手で口を押さえてつぐむ。

 悪ぶりたいのね。


「それにしても、相変わらずのお人好しだな。

 強気だったってのに、あんな女に魅了すら出来なかったクズで脅したらホイホイついてくるんだからよ」


 そして私の秘密の何もかも暴いて、立場が上だと知らしめたいのね。

 許さない……許さないわ。

 お前なんかにバラされるぐらいなら……私は自分の意思で暴露する。


「わ、私……私は」


 覚悟を決めた、決めたはずなのに。

 それでも言い淀んでしまった。

 自分の覚悟の程度が知れて情けなくなる。


「こいつはな、サキュバスとして致命的なものが欠けているんだ。

 いや、サキュバスですらないか」


 壁が叩きつけられると身体が縮こまる。

 クズの拳はワラワラと震え、血管が浮かび上がってる。

 なんで……?

 なんでそっち怒っているの。

 なんで私の顔は硬直して怒りすら出ないの。

 分かってる、今はもうそんな言葉を出す自信すらもう残されていない。


「なんたってお前は————」


 こんな身体の上に、心さえ不良品で生まれてきてごめんなさい。


『——バァッッッヴゥゥゥンッ!!』


 何十回、何百回と鏡の前で繰り返し見た口の動き。

 言った、言われた。でも、


 音は聞こえなかった。


 腐った悪臭すら漂い、まとわりつくような湿度がした倉庫。

 その入り口の扉が突然、爆発が起こったように吹き飛んだから。


「うッ……テェっ、いってぇーよ……何が起きたんだ」


 巻き込まれた数人の淫魔が呻き声を上げるなかで、一筋の風が流れ込み。


「さっせーん、小便してたら催してきたんだけど、早くしてもらっていいか」


 朝日に照らされ、ぼんやりとした輪郭で学生服を羽織り。

 タバコの煙を口から吐き出し、気だるげな大人がそこへ立っていた。


 それと同時に敵や味方だとしても、反応ぐらいあっても良いと思っていたけど理由が分かった。

 この人はどっちにしても————役に立たない。

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