「随分と上品で、楽しそうなことしているわね」
落ち着き、透き通った声が風に乗って届く。
僅かに意志を介入できたので視線をズラすと、長い黒髪を靡かせた美少女が凛と立っていた。
朝日に照らされ、長いまつ毛と通った鼻筋が映える整った顔。
胸は控えめだけど、健康的で出るところは出て、凹むべきところは凹んでる。
「……きれぇ」
思わず口から賞賛の言葉が出ると、彼女の目が鋭くなる。
『だからお願いします、どうか黒瀬をッ。私たちの家族を守ってくださいませんかっ!』
入学前に頼まれた依頼人の、土下座するほど必死な形相が脳裏に浮かぶ。
結構探し出すのに時間がかかる事も考えていたけど、まさか逆に助けられるとはな。
「死ぬところと思ってたけど、そんな安っぽい言葉を言えるなら余裕そうね」
「あいにくと俺の股間は正直らしい、上位互換が出たらすぐそっぽを向いちまう」
ズボンの上から谷より深い理由でズレたチンポジを治しながら言うと、虐めてきた奴はおろか。
助けに来たであろう黒瀬までもが、蔑んだ目を向けてくる。
まったく……誰のせいでズレたと思っているんだ。誰のせいで。
わざわざ助けられたし、気があるか? いや、ないか。歳の差もあるしな。
「いいか、チンポジがズレた苦しさが分からない奴は、社会に出てもズレるんだ」
「邪魔してごめんなさい、続けて良いわよ」
「待って、助けてください、お願いしゃっすっ!」
どうせなら、っと思ったまま口に出してたら、彼女は手を振って帰りそうになり。
すぐさまビシッと角度を45度つけ、最敬礼をした。
我ながら実に都合の良い態度、見捨てられるだろうな。
ずぅーっと頭を下げていても、反応がないことから顔を少し上げると、黒瀬の胸についているバッジが目についた。
「それ、そのバッジにその身体、恵まれた才能を持ってんだろ? 助けてくれってっ!」
初日に魅了能力を測定した結果次第で、学校からもらえるバッジ。
等級が1〜10まである中、俺は最低の10で苛めっ子たちは7や8。
そして彼女は6、間違いなく新入生の中で上位だ。
「ッ貴方……自分が世界一番不幸、だなんて勘違いするのはやめるべきだわ」
良かった、そう思ったのも束の間。
軽蔑、憎悪が一瞬、顔へ混じる。
地雷を踏んでしまったんだろう。
天才は天才の努力を知らない凡人を嫌い、凡人は凡人の絶望を忘れた天才を嫌うもんだしな。
「はぁ……ずぅずぅしいわね」
しかし、どうやらこの子は外見の美しさだけではなく、心まで綺麗なようで。
「貴方たち、自分たちが淫魔だからって、警察は手出しできない。
なんて思っているなら認識を改めた方がいいわよ」
ため息と共にすぐ感情を隠し、遠回しに庇ってくれた。
「っはは、そんなのにビビってんの? 所詮は人間で旧人類じゃない。
こいつの股間が使いものにならなくなったって、そういう性癖。
私が原因だって結びつけられないし、捕まったところで警官も裁判官も役に立たない」
そして虐めっ子のリーダーも至極真っ当なところを突く。
魔術科、魔眼に魅了は分類されていて、魔力を消費して行使する中で最も加害者を判別し難いからな。
「その旧人類がたった一人で十数年前、淫魔の犯罪組織を壊滅させた噂知らないの?」
またその話。
使い勝手の良い育児用昔話みたいに、淫魔の家庭が使っているんだろうか。
うんざりするほど、耳にしたがそれでも虐めっ子たちは初めて聞いたようで固まっていた。
そりゃそうか……少し前まで只の人間だった一般人なんだから知っている方がびっくりする。
「自分勝手に暴れ回っていると、いつ教会から
逆に言うと知っている彼女の両親は淫魔か、魔法使い、神社本庁のどれかの組織に属していたのか?
それとも今の話に出てきた。
魔女狩りや
魔力を持つ者を駆逐しようとした歴史を持つ教会の人間だろうか。
「そんな子供騙しに騙されると思ってんの? それよりさ」
鬱陶しそうに手でからかい、苛めっ子が黒瀬の方へ歩み寄り、胸ぐらを鷲掴みにする。
「その子、私たちが魅了していたはずなんだけど、上書きしたでしょ?」
女の子から死に際しか見せないような見栄のないドスの効いた声が発せられる。
けれど、黒瀬は依然として自信満々な態度で、何事もなかったように見つめ返していた。
「馬鹿ね、魅了するには目を光らせなきゃいけないってのに、今まで光ってるように見えた?」
「それがわっかんないから聞いてんだろ」
望んでいたような端的な答えじゃないことで、イラつきを隠せない様子でさらに力を込め。
パァンッ、と弾けた胸のボタンがなんの偶然か、そのまま俺の口に入りこむ。
「——ッゴっ、ゴォぇっ」
おそらく人生で2度とない、女子高校生の胸のボタンを口に入れる機会。
けれど、喉ちんこに当たった衝撃で嘔吐反射してしまって吐き出してしまう。
っあ、あ……アアァァァァア゛!!!
くそ、くそ、ぐっそっ!!
流石に地面へ落ちたボタンをもう一度、なんてのはプライドが許さない。
「これは至極簡単な答えよ。
魅了に掛かった人は魔力切れを起こさない限り、掛かったまま。唯一、例外があるとすれば」
で、でも……記念に持って帰るぐらいならセーフか?
自然を装い、靴紐を踏んで解かせる。
「それは本来掛からないぐらい魅了耐性があるのに、好意の補正で掛かった場合」
「は? あんた、何言ってんの」
「——そう、理解したかしら」
ノリノリでやけに饒舌な内に、俺は結び直す建前でしゃがみ込み。
唾液で土を纏ったボタンを手に取る。
「その子、自分の男性器が危ないって時に。
恐怖でも、憎悪でもなく、貴方たちに好意を持っていたのよ」
ごめん、ごめんよ。
せっかく飛び込んでくれたのに俺の意思が弱いばかりに、こんな姿にしてしまって。
俺は強くなるよ、2度と吐き出さないぐらい強く。
聖なる誓いを邪魔しないよう、神が配慮してくれているのか。
自分の鼓動が聞こえてくるぐらいに、辺りは静かになっている。
ん……静か? 静かなのはちょっと不味くないか。
「貴方…………何をそんな泣いているの?」
ボタンを胸に抱きしめ、聞こえてきた声に頬を撫でると濡れていた。
どうやら、知らず知らずに涙を流していたみたいだ。
「騙されると思ってんの、そんな余裕だなんてさ、ある訳ないでしょ」
胸のボタンが口に入った機会を失った反動で、なんてキモいこと言えないよな。
涙の言い訳を考えていると、なぜだか急に苛めっ子が発狂し、その瞳が再び光始める。
「貴方が何かしたにきまっているのよッ!!」
状況から察するに、魅了が切れたことが許せなかったんだろうか。
淫魔だと知らさればかりの頃って、妙に自信があるんだよな。
確かに魅了は1回掛かったら、上位互換がかけるない限り、切れることはない。
しかし、それだって科学の進歩のおかげで、道具さえあれば抜け出せてしまうってのに。
「全くチカチカチカチカっ」
吐息が掛かるぐらい、近づいてきた苛めっ子の顔に、ゴツくて硬い拳がめり込み。
瞳孔が開くのが合図だったように、仰け反り、砂埃を立てながら吹き飛ぶ。
全て、ここまで想像通り。
「ちょっ、やめなさ——」
「おいっ、てめぇら……俺の女に何してんだ?」
世界一黒い塗料でも塗ったような、綺麗な漆黒で骨太な鋭い羽が煙を靡かせ。
ドクンっドクンっと燃料を運ぶ音が聞こえそうなほど、血管が張り出た拳が見える。
ただ違ったことと言えば、殴ったのは俺ではなく。
擬態をうんこの踏ん張りに例え、校門から入ってきていた下品な男だということ。