17/
もう四日。
まだ四日と言えるのかもしれないが、伊那さんと連絡が取れていない。
金曜の夜に休日遊びに行きませんか、とメッセージを送ったけど返事がないのだ。いつもなら一分以内にはメッセージではなく通話がかかってくるはずなのに。
そして土曜日も日曜日も過ぎた平日の月曜日。
いつもの時間、いつもの車両で伊那さんを待っていたが、そこにも彼女は姿を現さなかった。
体調でも悪いのだろうか。しかし、それならそれで連絡のひとつでも入れてくれるのが伊那さんだ。その辺りはキッチリしている女性である。
スマホが壊れたというのも考えられるけど、それなら朝に出会えるはずだ。ここ一ヶ月ほどのルーティンなのだから。
そして、今日の火曜日。
今朝も伊那さんとは会えず、夜にメッセージを送っても通話もなければ返信もない。
明日、直接また伊那さんのマンションに訪ねてみるか……。彼氏彼女の関係なのだから、これだけ連絡が取れなかったら心配して当然だろう。
天羽には悪いけど、ランニングはまた来週に延ばしてもらおう。その旨をメッセーシで送っておいた。
晩御飯を食べて自室に戻る。丁度、スマホが鳴ったので天羽からの返事だと思って画面を見ると、
『先月、お話した公園まで来てください』
差出人は『鴻伊那』。それだけの短文であった。
時間が指定されていないが俺は急いで自室を飛び出した。
ドタドタと大きな音を立てて玄関を出ようとしている俺を心配し、母さんが俺を呼び止める。
「ひーちゃん、どうしたの?」
「ちょっと公園まで行ってくる!」
Tシャツにスウェットパンツと言う部屋着のままだけど着替えている時間も惜しい。靴だけは走りやすいようにランニングシューズを履いて家を飛び出した。
♢
息切れしながら夜の公園にたどり着く。街灯の明かりはあるけど薄暗い。
とりあえず辺りを探しながらベンチ付近まで歩く。
すると、公園の外。見覚えのある黒塗りの高級車が停まっていた。
後部席のドアが開き、一人の女性が俯き加減で俺の方へ歩み寄って来る。
「伊那さん……」
ハッキリと顔は見えないけど、憔悴し切ったという様子だ。
いつも束ねている髪は乱れたまま。服装もいつものお洒落なものではなく、とりあえずその辺にあったものを着たかのような。
「ごめんね、禍津君……。連絡も返さなかったのに、急に呼び出して……」
「そんなことは全然構いませんよ! 何が、あったんですか……?」
俺の問いかけに、伊那さんは顔を上げた。
大人びた美人な彼女の顔は、死人のようにやつれてしまい血の気がなかった。
「私を……、殺してください……」
「えっ……?」
何度も彼女の口から聞いた言葉。
しかし、二週間ぶりだろうか。
その二週間が長いか短いかは人によると思うけど、俺は長いと思う。
それだけ、楽しそうにする彼女と濃密な時間を過ごしてきたのだ。
それが、なんで今更また、という気持ちである。
「もう……、不死者である私を救えるのは、不死殺しである禍津君しかいないの……。お願い……、お願いよ……」
全身から力が抜けたように伊那さんは膝から崩れ落ち、それでもなお俺に懇願する。
〝殺してくれ〟と。
彼女の身に何か起こったのは明白だ。とりあえず、そこのベンチに座ってもらうために立ち上がらせようと伊那さんに近づこうとしたが――、
「動かないでください」
鋭く冷淡な声が俺の足を止める。
運転席から降りた雨乃さんがこちらに歩いて向かってくる。初めて駅で出会った時と同じくカジュアルな私服だが、その視線は完全に俺への敵意が込められていた。
「雨乃……! 来ないでって言ったでしょ!」
「申し訳ありません、お嬢様。集音マイクで会話を聞かせて頂きました」
そう伊那さんに謝罪する雨乃さんだが、彼は俺から目を逸らさずヘビのように睨みを利かせている。だが、俺はカエルではない。雨乃さんに訊ねる。
「もしかして、俺が伊那さんのマンションに行った時の会話を聞いていましたか?」
「はい、あんな大声を出されたら否応なしにも。お嬢様の口からご自身が〝不死者〟であると仰ったので、鴻家の人間としてはそれを看過することはできません」
「じゃあ、もしかして……」
伊那さんの家族に話してしまったのか、と続けようとしたところで彼は俺の言葉を遮る。
「いいえ、ですから私は聞かなかったフリをしました。あの部屋にはいなかったとお二人に思って頂くために、お茶を買いに行っていた、と嘘を吐きました」
俺たちがリビングに戻った時、丁度玄関の扉が閉まった音がした。あれは雨乃さんがタイミングを合わせ、いかにも今戻ってきたかのように演出していた、ということだ。
「しかし、まさか禍津様が不死殺しだったとは。鴻家の力を使い、生まれた病院から学校の成績などなど、全て洗いざらい調べ上げたつもりでしたが、まさかそこにたどり着けなかったとは」
禍津家の秘匿である不死殺し。それを雨乃さんが掴めなかったのも仕方がない。それは母さんが最も厳重に隠蔽しているものなのだから。
「そして、こうして実際にお話をして否定されないところを見るに、やはり不死殺しで間違いはないようですね」
「俺は……」
先ほど伊那さんが俺を不死殺しと呼び、雨乃さんはそれを聞いていたと言った。もう下手に隠し通せるはずもない。
「確かに、不死殺しです」
「……左様ですか」
次の瞬間。
側頭部を狙った雨乃さんのハイキックが俺を襲う。向けられていた敵意から油断はしていなかったので、俺はなんとかそれを腕で受け止めた。
「ほう、さすが不死殺しですね。禍津様には大変申し訳ありませんが、お嬢様を守るために〝死んで頂きます〟」
その言葉を言われた時にはもう胸ぐらを掴まれていた。体格的に圧倒的に劣っている俺は抵抗することもできず、そのまま背負い投げをされて地面に叩きつけられた。
「がはっ!」
受け身を取る暇もないほどの鋭い投げに、俺は全身を強く打った。公園の土の上でまだ良かったものの、アスファルトなどの上ならこれだけで死んでいてもおかしくない。
「雨乃! 何をしているの! 止めなさい!」
伊那さんが声を荒げて制止させようとするも、雨乃さんはメガネを指で直して答える。
「何度も申し訳ありません、お嬢様。私は、お嬢様を守ることが第一なのです。不死殺しに殺して欲しいなどと……、私は認めません!」
彼らしくない感情的に吐き出された声とともに、仰向けで倒れている俺の顔に向かって足で踏みつけるフットスタンプを繰り出してきた。全身の痛みで動けない俺にそれをかわすことは叶わない。
それが俺の顔に当たる直前、
「――ぐっ!」
雨乃さんがよろけて後ろに下がった。
その直前に、地面を駆ける足音を聞いた気もする。
柔らかな手が俺の頬に触れ、地面に叩きつけられた痛みで霞んでいた視界がハッキリとしてくる。
「大丈夫⁉ ひーちゃん⁉」
「……母さん?」
俺の目の前には、心配する母さんの顔があった。家に居るはずなのに何でこんなところに、と疑問が湧いてくる。
そんなことを訊く前に、黒いジャージを着た母さんは立ち上がって勇ましく言う。
「そこでじっとしていて、私が〝倒す〟から」
「いや、それは……」
誤解なんだ、と言いたいけど痛みでハッキリと声が出せない。そのせいで母さんと雨乃さんは対峙してしまう。
「禍津真宵様ですね。お噂はかねがね。それと、頂戴したクッキーは美味しゅうございました」
「あら、どこからの噂なのかしら。まあ、私のことは特に秘密にしていないから良いのだけど。それとお口にお合いしたようで何よりです、雨乃勝家さん」
ほんの少し驚いたが、母さんならそれぐらい知っていて当然か。
伊那さんについて調べるに当たり、お目付け役の執事の名前や顔を知ることぐらい。
雨乃さんは雨乃さんで、俺のことを調べたとさっき言っていたので、その過程で母さんのことも知ったのだろう。
そんな大人の挨拶を交わしたのも束の間、今度は互いの拳を交わし始めた。
隙あらば相手の腕や服を掴んで組み伏せてやろうと、互いに素早いジャブのような応酬をする。しかし、それは無理と判断した二人は完全に打撃勝負に切り替えた。
キックボクシングのような多彩な技に加え、肘打ちも容赦なく繰り出していく。それらの攻撃を互いに受け止めたり、時にはアクロバティックな動きでかわしたりと、観客が居たらものすごく盛り上がっていたことだろう。世界中に生中継して良いレベルだ。
しかし、これは誤解から生じた喧嘩だ。どちらにも怪我をして欲しくない。
「禍津君、大丈夫……?」
伊那さんが俺を支え起こしてくれた。自分もボロボロなのにみっともなくやられてしまった彼氏を気遣ってくれる優しい彼女。
「大丈夫、です……。なんとか声も出せそうです。二人で、あの保護者たちを止めましょう」
「うん、そうだね」
まさか初めての共同作業がこんな形になるとは。伊那さんもそれが可笑しかったのかにこりと笑う。やつれてしまっているけど、いつもの雰囲気がほんのりと戻っている気がした。
そして、俺たちは大きく息を吸い込んで――、吐き出す。
「母さん! そんな暴力的なところを見せられると俺が不良になるよ!」
「雨乃! 今すぐ大人しくしないと私が本気で泣くわよ!」
あれだけ激しかった二人の動きがピタリと止まる。互いに頭を狙った蹴りを繰り出してそれが当たる直前で。
そして、足を降ろした二人は向かい合い、またにこやかに大人の会話を始める。
「雨乃さん、よろしければ一度、私たちのお家でゆっくりとお話しましょう。大したおもてなしはできませんが、先日もクッキーを焼きまして。その残りで申し訳ないですがそちらで良ければ」
「ご招待頂き光栄です。また真宵様のお作りになられたクッキーを口にしたいと思っておりました。是非ともお受け致します」
「あら、ありがとうございます。それに、久々に半分程度の力で運動ができたので、そのお礼も兼ねさせてください」
「はい、お疲れのところ申し訳ありません。私も三割程度の力を出せて良い運動になりました」
「おほほ、それは良かったです。でも、私、本当は二割程度なのでお気になさらず」
「そうでしたか、私も一割程度でしたので――」
「ストップストップ!」
端から聞いていたら恐ろしい会話になっていたので俺は慌てて二人の間に止めに入った。少し離れた所から見ている伊那さん視点では、長身の二人に割って入る子供のように見えたかもしれない。雨乃さんまでとは言わないけど、早く母さんより背が高くなりたいものだ。
♢
「大変、申し訳ございませんでした」
文字通りの大の大人である雨乃さんが床に額を当て謝罪する。築十五年ほどのこの家で初めて土下座をした人物として記録されるだろう。
「あ、雨乃さん! そこまでしなくても。俺が怪我をしたわけじゃないですし」
「そういうわけにはいきません。お嬢様を守ってくださっていた禍津様に危害を加えたのは事実です」
「本当にそうよ。禍津君、こいつの頭踏んづけてやって」
「いや、そんな無茶な……」
母さんに乱れていた髪を梳いてもらい、いつもの伊那さんらしさが戻ったのは喜ばしいことだが、そんな要望にはとてもじゃないけど応えられない。
「真宵様に対しても、お嬢様だけにでなく、私のような者に対してまで気遣って頂いたにも関わらず、あのような無礼を働いてしまい申し訳ありませんでした」
「いいえ、私のことはお気になさらず。ただ、ひーちゃんに痛い思いをさせたことだけは許せません。ひーちゃん、雨乃さんに水をぶっかける用のバケツならすぐに用意するわ。あとで私が掃除するから遠慮しないで」
「いや、遠慮するしないじゃなくて、雨乃さんにそんなことしないって……」
土下座を続ける長身の執事。以前として怒りが収まらない女子高生と主婦。それを宥める被害者本人である男子高生。
なんだこの図。
「と、とりあえず、頭を上げてください。俺はこの通り元気でもう痛みもありませんし、雨乃さんは雨乃さんで伊那さんを守るためにやったことだって言うのは十分わかってますので」
「こんな私めに情けを掛けてくださり、禍津様の寛大なお心に感服致します」
「いや、そんな大層な……」
そんなやり取りを経て。
俺も母さんも服を着替え、リビングの机を挟んで伊那さんと雨乃さんに向かい合う。
後に聞いた話だと、こんな夜中に理由を告げず家を飛び出すぐらいだから、俺が悪い奴らに絡まれているんじゃないかと母さんは心配したらしい。それで、戦闘服であるジャージを着て追いかけて来た、とのこと。確かに母さんが追いかけて来てくれなかったらあのまま雨乃さんにやられていただろう。でも、その辺の奴ら程度なら俺だけでなんとかできるのに。まあ、今回はそんな過保護な母さんの気質のおかげで投げられた程度で済んだのだから強く言えなかった。
それも置いておいて。
伊那さんが何故また俺に殺して欲しいと頼んで来たのかと言う説明を求めた。この場にいる全員が、不死者についても不死殺しについても知り尽くしているので、どう言う内容でも問題ない。
そして、ぽつりぽつりと、彼女は先週の金曜日に駅で起こったと言う出来事を話してくれた。
話終えた時には伊那さんはその時の恐怖を思い出したのか体が震えていた。隣の雨乃さんが優しく背中をさすってあげている。
そんな彼女の姿に、俺の中にあったのはこれ以上ない怒りの感情だ。
〝正義の味方〟と名乗ったその不死者が、近頃ニュースで話題になっている連続殺人事件の犯人である可能性が高い。そいつが伊那さんを標的に、一度ならず二度までも刃物で刺したと言うのだから、俺はその殺人犯に対し憎悪する。さらに、身体的にだけでなく精神的にも伊那さんを追い詰めるという鬼畜さだ。今すぐにでも伊那さんからその殺人犯と言う恐怖から解放してあげたい。
しかし、ニュースではまだ犯人は特定できていないとも言っていた。そりゃ、特定していたらとっくの昔に警察が捕まえている。そんな男からどうやって伊那さんを守ってあげれば良いのか。今のようにずっと自宅に居てもらうのが一番安心なのだろうけど、学校に通わなくなってしまうと『不死者であることを家族にバレたくない』と言う彼女の願いが破綻してしまう。
殺人犯も警察に捕まれば伊那さんが不死者であることを世間に公表するとも言っている。だから、警察よりも早く殺人犯を特定し、その口を封じる必要があるのだが……、
「少しだけお時間を。車から荷物を取って参ります」
雨乃さんがそう言って席を立ってリビングを出て行った。
次に、
「ひーちゃん。そこにある私のノートパソコン取ってもらっていいかしら」
「えっ、うん」
頼まれた通りに専用の鞄に入れられたノートパソコンを取り出し、母さんの前に置いてあげる。
「ありがとう。ひーちゃんは伊那ちゃんと一緒にそっちのソファーでテレビでも観ていて。この時間なら面白いバラエティ番組がやっていたはずよね」
「うん、わかった……」
理由もなく母さんがそんなことを言うわけがない。俺は素直に従って、怯える伊那さんを席から立たせソファーに移動する。
テレビを点けようとしたその時、雨乃さんが大きめの鞄を持って戻って来た。
「真宵様、ネット回線をお借りしてよろしいですか?」
「ええ、もちろん。しかし、他人の家の回線を使われるなんて、セキュリティは大丈夫ですか?」
「私は真宵様を信頼しておりますので。それに、私はその程度のことでハッキングされるほど甘いセキュリティを使っておりません」
「あら、そうでしたか。では遠慮なく使ってください。おほほ」
何かまたあの二人の間でピリピリとした空気を感じる。俺はそれを横目に隣に座る伊那さんの手を握ってあげていた。
そして、雨乃さんが持ってきた鞄を開くと、ノートパソコンが取り出された。そして、母さんのはす向かいの席に座る。
互いにノートパソコンのセッティングを済ませると、カタカタとキーボードが叩かれる音が鳴り始める。それもまた互いに競い合うかのように叩いているので、テレビの音量が負けてしまっている。
そして、十数分後。
「特定したわ」「特定しました」
二人同時に俺と伊那さんに向けて言った。一度、母さんと雨乃さんの間でバチッと視線が交差した気がするけど、見なかったことにしよう。
「では、雨乃さんからどうぞ」
「承知しました」
母さんが促すと、雨乃さんが報告書を読み上げるように言う。
「日埜新輝(ひのしんき)。三十二歳、男性。陸上自衛隊普通科に配属されていた元自衛官。精神疾患の改善が見込まれないため懲戒処分をされた後、職を転々としています。ここ二ヶ月間で起こった殺人事件で未解決、且つ、不死者が関わったと思われるものは八件。その事件の共通事項として、現場には被害者の血液とともに、同一人物である不死者の血液も残されております。他にも、被害者の傷口から使用した凶器のナイフも同一であると確認されております。そして、これも公表されておりませんが、被害者の誰もが不死者を迫害するために積極的な援助などを行っていたようです。犯行の手際の良さから一般人ではないと警察も考えているようで、既にこの日埜という男を捕まえる手はずを整えているとのこと」
おそらく、雨乃さんは警察の資料にハッキングしたのだろう。おそろしいことをする人だ。それが、俺を調べ上げた鴻家の力と言うやつなのだろうか。
「それにひとつ付け加えさせて頂くわね。機関の資料を調べたところ、日埜新輝が不死者であるという事実はなかったわ。おそらく、近年に不死者となった人なんでしょう。理性的で計画的に犯行を重ねていることから、不死者になったのをキッカケに正気のまま殺人事件を起こしている可能性が高いわね」
母さんもそれ以外に突き止めたことは同じらしい。
そして、日埜という男が伊那さんを襲った犯人であるという証拠を雨乃さんは言う。
「鴻家の邸宅近くで、四月の末に大量の血液が道路に付着しているのが見つかっております。その血液は二人のもの。ひとつは連続殺人犯のものと断定。もうひとつは、何者かはわかっておりませんが……、不死者の血液とのこと」
びくっ、と伊那さんの体が震えた。
一般人と不死者の血液は成分が異なるので、機関で詳しく調べればわかることだ。そのもうひとつの血液と言うのが、伊那さんのものなのだろう。
「現在、日埜は大型ワゴンで寝泊まりしているようです。ナンバーも特定しているので、各地の監視カメラからどこに居るのか割り出すことも可能です」
雨乃さんの言葉が本当なら、今すぐにでも警察が捕まえてしまうのでは、と危惧したが、
「ご安心を。これは〝鴻家だからこそ〟成せる行為ですので」
俺の考えを察してくれたのだと思ったが、そのメガネの視線の先には母さんがいた。ものすごく悔しそうにしている母さんの表情が恐い。
しかし、母さんは気持ちを切り替えるように一度息を深く吐き、状況をまとめる。
「つまり、この日埜新輝が伊那さんを襲い、さらに脅して来たのは間違いない。後は、この男に対してどう対処するかだけど……」
母さんは俺の隣に座る伊那さんを見た。不安と怯えが混じった表情を受け、言葉を続ける。
「警察に捕まれば、日埜は伊那さんが不死者であることを世間に公表する。それがどういった手段かはわからないけど、それは鴻家として望ましくないと言うことでよろしいかしら?」
「どのような手段を用いたとしても、余程のことがない限り世間に漏らさずにもみ消すことは可能でしょう。しかし、お嬢様のご家族である旦那様や奥様には知られてしまいます」
不死者を迫害する鴻家に属する執事だが、雨乃さんは主人に背いてでも伊那さんを守るつもりであることが伝わって来た。だから、やはり日埜が警察に捕まるのはまずい。
「ふーちゃんにお願いすると言う手もあるけど……、ダメね。街中で日埜が暴れでもしてくれない限り、国家指定不死殺しである彼は動けないから……」
『ふーちゃん』と言うのは炭櫃さんのことだ。炭櫃吹雪だからふーちゃん。本人は俺にひーちゃんと呼ぶくせに、母さんからふーちゃんと呼ばれると照れ臭そうにしていた。
しかし、確かに炭櫃さんはまだ動けないだろう。日埜はまだ被疑者であり逮捕状も出ていない状態なのだから。緊急逮捕もされないことから、証拠もまだ不十分だと予測される。
と、なると――、いや、これは最初から決まっていたことだ。
「俺が、その日埜と言う不死者を殺すよ」
「ひーちゃん……」
それしか方法はない。母さんと雨乃さんという最強の二人を以てしても不死者を殺すことはできない。
だから〝不死殺し〟である俺がやるしかないのだ。
それに、俺は伊那さんに告白した際に〝守る〟と誓った。彼女をここまで追い詰めた相手を排除しなければ、その誓いは嘘と言うことになる。
「そうね、その方法しかないわね。じゃあ、日埜をどこか人気のない所に呼び出して、私と雨乃さんで取り押さえるから――」
「ごめん母さん……。俺一人に任せて欲しい」
「えっ……?」
思いがけない俺からの言葉に母さんは茫然とする。同時に握っていた伊那さんの手にぎゅっと力が込められた。
「俺は、代理だけど不死殺しなんだ。なのに、まだ誰にもその力を使っていない。俺がこれから一人前の不死殺しになるためにも、一人で頑張りたいんだ」
「…………」
神妙な面持ちのまま母さんは俺を見つめている。俺もしっかりとその視線に応えていた。
そこに、
「なりません」
雨乃さんが鋭く言う。
「万が一、禍津様が日埜に殺されでもすればどうするのですか? ……お嬢様は、全てを失ってしまいます」
それは俺と同じく伊那さんを守るのが使命である雨乃さんが危惧して当然のことだ。
一度、隣に座る伊那さんの方へ顔を向ける。
今にも零れ落ちそうな涙が目尻に溜まっていた。俺はそれを軽く指で拭ってあげた。
そして、また雨乃さんと視線を合わす。
「俺は負けません。仮に、日埜が雨乃さんと同じぐらい強くても……、俺は不死殺しを成し遂げます」
つい先ほどあれほどの力の差を味わせてやった相手が何を言っているんだ、と思われても仕方がないことを、俺はハッキリと口にした。
メガネを指で直し、雨乃さんは母さんの方を向いた。そして、母さんは頷く。
雨乃さんが彼のイメージに似つかわしくないため息を吐く。
「承知致しました。私から残り言えることは、日埜の居場所ぐらいでしょうか。いつ決行するご予定ですか?」
「そうですね……。呼び出す時間も必要なので明後日には日埜を殺します。なので、明日の日埜の居場所を教えてくだされば」
「呼び出す方法は?」
「それも……、考えがあります」
「……承知致しました。どうか、お嬢様をお守りください」
執事らしい綺麗なお辞儀。雨乃さんと母さんに納得してもらえた。後はあいつに……、
「禍津君」
不意に美しい声で名前を呼ばれるとドキリとしてしまう。それがもう何度となく聞いていたとしても。
顔を横に向けると、伊那さんが微笑んでいた。
「私、信じているから。今度は、嘘はなしよ」
「は、はい」
少しからかいながらも、伊那さんは俺を信じていると言ってくれた。
それは『不死殺し』に対してではなく、『禍津聖』に言ってくれた言葉だ。
♢
伊那さんと雨乃さんが帰宅した後のリビング。
母さんと二人っきりになって改めて話をする。
「ひーちゃん、本当に大丈夫……? あたしも手伝うけど……」
「ううん、母さんは十分に手伝ってくれているよ。父さんも、母さんを不死殺しを行う場には連れて行かなかったはずだし」
「それは、そうだけど……」
やはりかなり心配されているらしい。ただでさえ過保護なのに、その息子が連続殺人犯と相対しようと言うのだから、普通の親であっても気が気でなくなるのは仕方ない。
「そういえば、日埜を呼び出す案があるって言ってたけど、どうするの?」
「ああ、それは千代に頼もうと思って。さっき『頼みたいことがあるから、明日できるだけ早く俺の家に来てくれ』ってメッセージも送っておいた」
「ちーちゃんに? あの子と日埜を会わすの?」
「うん。伊那さんの話だと日埜は〝正義の味方〟として不死者を迫害している人たちを殺しているって自分で言っていたらしいから。その『不死者を殺す存在である俺を殺してくれ』って言う依頼を同じ不死者である千代から日埜に依頼してもらおうと思うんだ。そうすれば、乗って来るかなって」
「でも、それじゃあ千代ちゃんも危ないんじゃ……」
「それはどうだろう……。俺は俺であいつなら大丈夫だと思っているけど……」
江戸時代の末期から生きている不死者。見た目は幼女で金遣いが荒いけど、俺の周りにいる信頼できる人たちのうちの一人だ。タダで動いてくれるとは思っていないけど、見返りとして俺ができないことを突きつけてくるような奴ではない。
「それじゃ、俺はお風呂に入ってから寝るよ。明日と明後日は学校を休もうと思うけど……、良いかな?」
「うん、大事なお仕事だもんね。ちゃんとあたしが学校に連絡しておくわ」
「ありがとう」
そうして、俺はお風呂場に向かい、シャワーだけ浴びてすぐに出た。パジャマに着替えて二階へ登り、自室の扉を開こうとしたところで違和感に気づく。
部屋の中からゲームの音がする。
まさかと思いながら扉を勢いよく開いた。
すると、コントローラーをカチャカチャと操作する千代がテーブルの前に座っていた。
「お前、いつから居たんだ?」
「なによその言い草。聖が呼んだんでしょ?」
「いや……、確かに呼んだけど、明日来るものだと……」
俺がそう言うと、千代は部屋にある時計を指差した。
時刻は『0時15分』。
「もう明日でしょ?」
「まあ、そうだけど」
千代にメッセージを送ったのは日付が変わる十分ほど前だったろうか。『できるだけ早く』とは書いて送ったものの、まさかここまで早く来てくれるとは夢にも思っていなかった。それに、常識的に考えて明日と言うのは夜が明けてからな気もするが。
「それで、頼みたいことって?」
「あ、ああ、そうだな」
俺はテレビの画面から目を離さない千代に向かって事の経緯を話す。鴻家のことについても話した。情報が欠けていたせいで失敗してしまっては元も子もない。それに、信頼できる相手だから問題ないはずだ。
「ふーん、わかったわ」
「頼みを聞いてくれるのか⁉」
「ええ。ただし、条件があるけど」
やはりそう来たか。しかし、俺のこづかいから預金まで全て差し出しても良いぐらい千代の協力が不可欠だ。
「い、いくらだ?」
「はあ? なんでそうなるの。お金には困ってないわよ」
そう言われてしまえば確かにそうなのだろうけど。今日もいつもと違う服を着てるが、生地などからどこかのブランド物ということがすぐにわかる。
「私は、聖の覚悟を見せてもらいたいの」
「俺の覚悟……?」
「そう、やることは簡単よ。このガチャで一番高いレアリティのキャラを出してくれるだけで良いから」
どんな無理難題が来るのかと思えば、千代はスマホを取り出してソシャゲのガチャ画面を俺に見せた。
「そんなことで良いのか?」
「そんなことで良いの。わかりやすいでしょ? でも、引くのは一回だけね。それで『1%』の壁を越えればあなたの勝ちよ」
「……なるほど」
想いが強ければそれぐらいの確率の低さでも当てれるだろう、と言うことか。普通に考えれば簡単に当てられる確率じゃないけど、やるしかない。
そうして、俺は千代のスマホに手を伸ばしたのだが――、そのスマホを引っ込められる。
「どうした?」
「その前に聞いておきたいことがあるの」
「なんだ?」
「私のこと好き?」
「ぶっ⁉ い、いきなり何を言ってるんだよ!」
いつもの口調でいつもとは違うことを言われて俺は驚いてしまう。
そのまま怒ろうかと思ったが、千代の顔は真剣そのものであった。俺は自分の気を落ち着かせる。
「その〝好き〟ってどういう意味でだ」
「『like』でも『love』でもどっちでも良いわよ。そこまでは訊かないから、好きかどうか答えて」
「そりゃあ……、まあ……、好きだけど……」
そうでなければ度々勝手に自室に入られてゲームをされているのを見逃すはずがない。俺が幼い頃から一緒に話したり、成長してこの幼女よりも大きくなってからも色々と話をした。この前だって伊那さんについて恋の相談をしたぐらいだ。仮に嫌いだったり普通の好感度であったとしたら、そのような相手にそんな話はしない。
「そう。私も好きよ」
「うぐっ⁉ そんな堂々と言うなよ……」
「あら、『love』の方だと思った?」
「いや、それはわからないけど……」
こいつはこんな深夜に俺をからかっているのだろうか。急に呼び出した礼をされているのかもしれない。
――などと思っていたが、違ったらしい。
「もし、あなたが『1%』に負けた時のデメリットを付けるわ。その時は私を聖の手で殺しなさい」
「はっ?」
人間、意味がわからな過ぎることが起こると口をあんぐりと開けてしまうと言うが、まさに今俺はその状態だ。それほど、千代の言っている意味がわからなかった。
「なんでそんなもの付けるんだよ」
「一世一代の大博打。それぐらい賭けても良いんじゃないかしら。それに、パチンコ玉をひとつだけ使って大当たりを出すより遥かに確率は高いわよ」
「いや、そういう問題じゃなくて……。お前は、死にたいのか?」
「いいえ、死にたくないわ」
不死者が死を望めばそれを叶えてやるのが不死殺しだ。国家指定不死殺したちは大罪人の処刑に力を使っているが、禍津家の仕事は主に前者である。
それに、例え千代が死を望んだとしても、伊那さんと同様俺は全力で止めるだろう。
「じゃあ、そんな条件……」
「呑めないの?」
「当たり前だろ」
「それなら、その連続殺人犯を呼び出すと言う協力はしないわよ」
「それは困る!」
すがる気持ちで千代に声を上げる。そんな俺の顔を見つめながら、見た目とは裏腹に年長者のような優しい笑みを浮かべる。
「聖、あなたは優しい。そんなあなたにこんな酷な選択はさせたくないのが本音だけど……、聖には立派で強い人間になって欲しいの」
いつも自由気ままに振舞っていた彼女の本音。
でも、
「それとお前を殺すことに、どんな関係があるんだよ……」
弱々しい口調になってしまったが、相手の想いを受け取ってすぐにできる反応としては精一杯であった。
「立派と言うのは『不足や欠点がない』。強いって言うのは、まあ色々な意味があるけど、私が言いたいのは『物事に屈しない精神力がある』ということかな」
「…………」
「あなたは禍津家の人間らしく心優しいわ。先祖代々同じような性格と言うのも可笑しな話ね。でもね、みんなその心優しさを保ちながら『不死殺し』として真っ当して来た。それは〝立派で強かった〟からよ。だから、私は聖に〝強さ〟を与えたい」
百年以上の時を禍津家と過ごして来た不死者の言葉だ。説得力の塊である。
千代が俺をそんな風に思っていてくれていただなんて……。
「私からは以上よ。はい、決心したらここのボタンを押しなさい」
今度こそスマホを差し出された。
一回だけガチャを引ける画面。あとは『OK』ボタンを押すだけの状態だ。
伊那さんを助けたい想いはもちろん本物である。
そして、千代を殺したくない想いも……、本物である。
だが、千代はそれを乗り越えろと言った。
俺に〝強さ〟を与えたいと。
「千代、頭を撫でて良いか?」
「なによ、ゲン担ぎ?」
「そんなもんだ」
「……どうぞ」
許可をもらい遠慮なく小さな頭に手を置く。
高いシャンプーやリンスでも使っているのだろう。さらさらの黒髪を何度か優しく撫でさせてもらった。
そして、その手をそのままスマホ画面の上に移動させる。
「南無三!」
「不死殺しが仏に頼るんじゃないわよ……」
呆れたように千代は言うが、頼れるものは何でも頼れの精神だ。
そして、俺の指がスマホの『OK』ボタンに触れた。