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第15話

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 伊那さんとお付き合いをすることになってから十日が過ぎた。

 だからと言って、特に生活に変化があったわけではない。

 朝の通学時間を共に過ごし、少しだけ駅構内の端で話をする。

 話の内容もあまり変わりない。互いの学校のことや、今放送されているアニメについてなどの話が主である。

 しかし、距離感は違っていた。物理的にではなく、心の。

 これが恋人同士の会話なのかわからないが、俺も伊那さんも心から楽しんでいた。彼女の抱えていた不安も、目の前にいる彼氏が不死殺しなのだから何も心配していないのだろう。目の届くと思っていた距離とは言え、遠くにあった安全装置が手元に来たようなものだ。その安心感を与えられるのは俺だけ、と少し自信を持っている。

 それでも、やはり別れ際は不安そうな顔をされる。学校で正気を失わないか、という心配からもたらされるものだ。

 俺は大丈夫と言い、これまで何度も繰り返してきた、正気を失う確率の低さをひたすら説く。彼女が安心できるならいくらでも同じ話をするつもりだ。煩わしさなんてこれっぽっちもない。

 そんな日々を過ごしていたのだが、今日は少し違った。

 いつもは「わざわざ待たなくても大丈夫」と伊那さんが言うので帰りの時間は別々だったけど、今日は俺の母さんに挨拶したいからと言う理由で駅で待っていて欲しいと頼まれた。

 もちろん、最初はそれとなく断った。どこにお出ししても恥ずかしくない母親であっても、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 しかし、伊那さんの熱意に負け、いつも俺が帰る時間より一時間半ほど遅れて地元の駅に着いた。


「はあ、どんどん緊張してきた。本当に手土産はいらなかったの?」

「まあ、互いに高校生ですし、そこまで気を遣わなくても良いと思いますよ」


 そんなことを話しながら改札を抜ける。駅構内から出るために階段を降りようとしたところで、背後から声をかけられる。


「禍津君、お疲れ様」


 心臓が飛び跳ねた。後ろを振り返ると、ショートカットの似合う女子中学生が何とも言えぬ表情で立っていた。


「よ、よお、天羽。こんな時間まで待っていてくれたのか……?」

「もちろん、禍津君のためならいつまでもお待ちしております」


 そういえば今日は水曜日だった。いつも天羽が俺を待っていてくれる曜日だ。

 しかし、いつもの時間に帰って来ない俺を諦めて帰ってくれても良かったのにと申し訳なく思う。

 それにしてもだ。

 なんでそんな殊勝な言葉遣いなんだ。今更、天羽に言葉遣いについてあれこれ言うのもおかしいのかもしれないが、時と場合がある。

 今、俺の隣には彼女である伊那さんがいるのに。

 ――もしかして、俺が一人じゃないから気を遣っているのだろうか。

 それなら、「お前は間違っている!」と、すぐこの場で教えてやりたい。

 現に、伊那さんから鋭い視線が俺に刺さりまくっているのだから。


「禍津君、この可愛い女の子は、だーれ?」


〝今日の〟天羽の言葉遣いによって誤解が複雑なまでにこんがらがってしまっている。伊那さんの声はいつもの綺麗な声質のままだけど、完全なる怒りが言葉の一単語ずつに込められていた。


「この子は、天羽廻って言う俺の中学の後輩です。ほ、ほら俺って普段からランニングしているって話したじゃないですか? それに週一回だけ付き合ってもらってまして……」

「ほう、付き合ってもらっている」

「は、はい……!」


 恐い。人生で一番の恐怖を味わっているのかもしれない。

 そうして、伊那さんは内心で震えあがっている俺から天羽へと向かい合う。


「こんにちは、私は鴻伊那って言います。高校三年生よ。一週間ほど前から禍津君と〝彼女〟としてお付き合いさせてもらっているの」

「彼女……、ですか……」


 いたいけな女子中学生に圧をかけるように伊那さんが言った言葉を、天羽は理解しようとしているのか頭を捻っている様子だ。

 そんな女子同士の会話に、俺は棒立ちで見守ることしかできなかった。


「それは失礼致しました。お二人の時間を邪魔してしまい……。禍津さ――、禍津君に今日の予定だけ確認したく……」


 そこは禍津様で良いよ! 確かに天羽とは親しい間柄だけど、初対面する伊那さんがひたすら誤解してしまう。


「悪い、天羽。今日はランニングする予定はないから、また来週……、よろしくな」


 下心はないという意味も込めて天羽のフォローをした。それに対し彼女はいつもよりおとなしい笑顔を見せる。


「わかりました。では〝また来週〟もお待ちしてます」


 何故そこを強調するんだ! 別に問題はないんだけど、伊那さんに対抗するかのような物言いに、俺の心臓はドキドキから心停止に移行しようとしていた。


「では、私はこれで。禍津君に彼女ができてとても嬉しいです。中学の頃はよく一人で居る方だったので。鴻さんは素敵な女性のようですし安心しました」


 そこで何故俺の黒歴史を披露する! まあ、高校でも友達と上手く行ってないのは伊那さんも知るところだけど。


「ごめんね、天羽ちゃん。今日は申し訳ないけど、また来週から禍津君のランニングに付き合ってあげて」

「よ、良いのですか? 確かにそのつもりではありますが……」

「うん? もちろんよ。もし、禍津君に無理やり付き合わされているなら、これを機会に辞めても良いし」

「そ、そんなことはありません! 私が勝手に弟子になりたいと後をついているだけなので!」

「弟子?」

「あー、この子は俺のあのことを知っていて……」

「んー? もしかして、〝あれ〟?」

「たぶんそれで合ってます」


 不死殺しのことで彼女が弟子になりたいと言っていることを、伊那さんは理解してくれた。「ふーん」とやや納得のいかない表情を見せてから、天羽に笑いかける。


「良かったら、天羽ちゃんも私のことは『伊那さん』って呼んで。また会うかもしれないから、仲良くしましょ」

「……わかりました! では、私のことも『メグちゃん』と呼んでくだされば……」

「うん、わかったわ。よろしくね、メグちゃん」

「こちらこそよろしくお願いします、伊那さん」


 握手こそ交わさないけど分かり合ってくれたらしい。確かに俺としても二人とは長い付き合いをしたいので、お互いにも仲良くしてもらった方が助かる。


「そ、それでは私はこれで。じゃあ、禍津君。〝また来週〟も待っているから」


 だから何故そこを強調する!

 しかしまあ、


「わかった。今日の埋め合わせにランニング以外にも俺の使えそうな知識をいくつか教えてやるよ」

「――はい! では、失礼します!」


 運動部らしいはつらつとした声で挨拶すると、天羽は先に階段を降りて駅構内から出て行った。

 それを見送った伊那さんが俺に言う。


「あんな可愛い後輩がいたのね。話してくれていたら私も今日は来なかったのに」

「いや……、失念してました……。あいつも良い奴なので、すみませんがこれからもし、緊急な用事以外がなければ水曜日は……」

「わかっているわよ。とても素直で良い子なのは伝わって来たわ。ちょっとお互いにムキになっちゃったけど」


 伊那さんが天羽に圧をかけていたのは感じたが、天羽は口調以外はいつも通りだった気がするけども。まあ、女子同士で話して感じたことなのだから、きっと何かあるのだろう。


「それじゃあ、あまり遅くなっても申し訳ないし、禍津君のご自宅に向かいましょ」

「そうですね。まあまあ歩きますけど、話しながら歩いていたらすぐだと思います」

「うん。行こっか」


 そう言うと伊那さんが手を差し出して来た。一瞬だけハテナマークが浮かんだが、すぐに意図を察してその手を取る。そうして、やや急で長い階段を降りて帰路に就いた。


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