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さて、学校も終わり地元の駅に帰って来た。
伊那さんが明日からどう接してくれるのか心配になりながら改札を抜けると、
「禍津! お疲れ!」
そんな未来のことなんてどうでも良くなるほど快活な女の子の声が響き渡った。もちろん周りの視線が集まる。俺は先々週のように、その声の主を駅構内の端まで連れて行く。
「天羽……、お前はかしこいな。様付けも止めて、労いの言葉も軽くなった」
「えへへ、お褒めに預かり至極光栄であります」
俺のため息交じりの声なんて一切気にせず、ショートカットの似合う女子中学生は照れ臭そうに鼻をかいた。
今日は水曜日。天羽の所属する剣道部が休みということで、わざわざ改札口の所で俺を待ち構えてくれている日だ。
「しかしな、あんなに大声で挨拶されるとみんながこっちを向いて恥ずかしいだろ?」
「そうでありますか? メグちゃんは全然気になりませんが」
「お前も年頃の女の子なんだから気にした方が良いと思うぞ……」
小首を傾げられた。俺の日本語が通じなかったらしい。
ただでさえ見た目も可愛いのだから、師匠(仮)としては目立って変な男に目を付けられないかと懸念してしまう。……ストーカの気がある俺が言うのも何だけど。
それは隅に置いておき、来週以降は普通の声量で挨拶して欲しいと頼んだ。そんな当然なことを不思議そうな顔をしながら、聞き分けの良い彼女は了承してくれた。
駅の階段を降りて外に出る。タクシーなどが止まっているロータリーの横を通り、天羽が先週は家の用事で顔を出せず申し訳なかったなど、全く気にするようなことじゃない話をしていると、
「あっ、メグちゃん先輩。お疲れ様です」
私服の中学生らしき二人組の女の子が天羽を見つけて挨拶をしてきた。もちろん普通の声量である。
「お疲れ様、二人してお出かけ?」
「はい、メグちゃん先輩のおかげで休みが増えたので買い物に行くところです」
「そうなんだ。でも明日も学校も部活もあるんだからあまり遅くならないようにね。あっ、そうだ。明日は追い込み練習をしっかりするから覚悟しておくよーに」
「えー! メグちゃん先輩の鬼ー!」
「先週思ったけど、休み明けの体力あるうちに頑張らなくちゃね。またグルチャでも送っておくから」
「絶対ブーイングの荒らしですよー」
「私だってやりたくないわよ。でも、成長したいでしょ? そういうわけだから、今のうちに束の間の休暇を堪能してらっしゃいな」
「はーい。こちらもデート中のところお邪魔してすみませんでしたー」
「なっ⁉ デートじゃないから! た、たまたまそこで一緒になって……」
「えー、だってメグちゃん先輩、制服のままで駅まで来る用事なんてあるんですか? そちらの方を迎えに来ていたんじゃないんですかー?」
「う、うるさい! 私がたまたまだって言っているからたまたまなの! ほら、さっさと買い物でも何でも行ってきなさい!」
「きゃー、すみませんー! では、失礼します。明日は手加減してくださいね?」
「今の怒りをとことんぶつけさせてもらうわ」
「うわー……、あんたが変なこと言うからメグちゃん先輩が本気になっちゃったじゃない」
「うー、でも恋人と一緒にいたらちょっかい出したくなるでしょー」
「こ、恋人じゃないって言ってるでしょ! 早く行って!」
「はーい」「はーい」
そうして、天羽の部活の後輩らしき女の子たちは駅構内に登るエスカレーターの方へ行った。俺はキャッキャッと女子学生特有の楽しげな会話を置物のように聞いていたが、色々と疑問に思う。
「も、申し訳ありません禍津様……。お見苦しい場面にお立ち合わせさせてしまい……。メグちゃんとしたことが油断しておりました……」
「いや、それは別に良いんだけど」
確かに恋人がどうのと話の種にはされたが、特に気にしていないのは本当だ。むしろ、俺と一緒にいるところを見られてしまい、天羽が恥ずかしい思いをしてしまったぐらいだからこちらが申し訳ない。
しかし、それよりも気になったことを訊ねる。
「天羽、お前って普通に女子中学生らしい口調で話せたんだな。一人称も〝メグちゃん〟じゃなくて〝私〟になっていたし」
「――――‼」
後輩に〝メグちゃん先輩〟と呼ばせていたのは天羽が強要させていることだろうけど、いつも俺と話す時の癖のある独特な口調でない彼女を見れて、とても新鮮な気分であった。
「そ、それ、それは特に使い分けているわけじゃない、と、ありますか……! や、やはり禍津様の弟子としてちゃんと敬意を示そうと……! ふ、普段も決してあのような砕けた物言いをしているわけでなく、禍津様の弟子としてふさわしい振る舞いをしているであります! あ、あの子たちが特別……、あっ、いえ、後輩の子たちはもちろん平等に……、はわわわ……!」
「わ、わかった、ごめんだから落ち着け!」
顔を真っ赤にしてあたふたと身体全体を使って言い訳している天羽に周りの視線が集まっている。ここまで過剰に反応されてしまうとは思っていなかったので、俺はすぐさま謝った。
とりあえずその場を離れようと、天羽を帰り道へと誘う。まだ取り乱しているけど素直について来てくれる彼女をとりあえず車道と反対側を歩かせる。歩道から外れて車に轢かれでもしたら大変どころの騒ぎじゃない。
急な坂道を登る。
その間、天羽も落ち着いたようだが、やや伏し目がちだ。俺の余計な一言をかなり気にしているらしい。
そして、登り切った所にある分かれ道。
「じゃあ、いつものコンビニ前でな。あまり早く着きすぎるなよ」
「承知したであります……」
まさに意気消沈という様子である。
本当に心配なので、ランニング前にもちゃんと気にかけてやった方が良さそうだ。
♢
と、思っていたのだが、夜のコンビニの駐車場。郊外の――田舎ではない――コンビニなので広々としているのだが、その端の街灯下で天羽を見つける。
「禍津様! お待ちしておりました! と、言いましてもメグちゃんも二分ほど前に到着したばかりであります!」
「おー、えらいな。これからも今日ぐらいの時間で良いからな」
「承知したであります!」
はつらつとした声で有名スポーツブランドのジャージ姿。どうやらいつもの彼女に戻ってくれたらしい。あのまま落ち込んでいたらどうフォローしようと考えていたが、杞憂に終わったようだ。
そうして、お客として来る車の邪魔にならない場所でストレッチを始める。身体の筋を伸ばしながら今日はどれぐらいのペースで走ろうか、などと考えていたのだが、
「あれ、どうした天羽? 頭でも痛いのか?」
「えっ⁉ いえ、特にそういうわけではありません。いつも通り絶好調であります!」
そう言う彼女だが、何故か今日は頻りに頭を触っている気がした。そして、やはり何度も頭を気にしている様子だ。特におでこの横辺りを。
「本当に大丈夫か? 無理に付き合う必要もないんだぞ」
「無理だなんて滅相もない! メグちゃんは絶好調であり禍津様の弟子として――」
「あっ」
心配して天羽に少し近づいたところで俺は気づいてしまった。いつもの天羽と思っていたが、ほんの少しだけ違っていた。
「どうしたんだ、今日はやけにお洒落なヘアピンを付けて。もしかして、それが落ちていないか気にしていたのか?」
「――! そ、そうとも言えるであります! 不肖ながら少し気分転換をしてみようかと……」
「うーん、まあ良いとは思うけど、走るだけなのにそんな良いヘアピンを落としたら凹まないか?」
「ぜ、全然そんなことはありません! メグちゃんが好きで付けているだけでありますし、もう目的は果たしたので!」
「目的?」
「――あっ、な、なんでもありませぬ! そういえば禍津様! 禍津様は走り込みの他にはどんな鍛錬をされているのでありますか? と、とても気になりますなあ!」
急に面舵一杯話題を変えられてしまったが、天羽の様子がいつもと違った原因がわかって良かった。蝶を模した小物が付いたヘアピンも似合っていると思う。
しかし、似合っていると言う前に話題を変えられてしまったので、俺もそちらの話題に乗っかる。
「まあ、母さんが武術に長けているから色々と指導してもらってるかな。実際の相手になってもらったりもするし。俺は年齢制限でまだ免許は取れないけど、母さんが『綱・わな猟免許』とか『第一種銃猟免許』とか持っているからその知識を教えてもらったりもしている」
狩猟シーズンになると俺も見学会などに参加しているから、免許が取れる歳になれば自然と取っている気がする。もう知識も実技も叩き込まれているので、今の時点でも十分合格できる自信はある。
そういえば母さんは『簿記』や『行政書士』とかの資格もあるらしい。あとは『甲種危険物取扱者』と呼ばれる全ての危険物の取扱いや立ち合いができる資格も持っている。あの人の欠点は一体何なんだろうか。
「ほう、それはやはり不死殺しの仕事に役立たせるためでございますか? それならばメグちゃんも学ばなければ……!」
「いや、そんなに使う機会もないと思うし、俺は不死殺しじゃないからよくわからないけどな」
そう素っ惚け、最後に身体を上にもうひと伸びさせる。
「それじゃ、行くか。前はゆっくりだったから今日は俺がある程度ペースを作るよ。無理のないようについて来てくれ」
「承知したであります!」
ヘアピンの蝶の部分が街灯の灯りを反射させる。気分転換に付けたらしいけど、その笑顔も輝いているので可愛らしい元気な天羽に戻ってくれて良かった。
そして俺を先頭に、歩道とガードレールが整備されているルートをまずは歩き始める。