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第9話 みんなでお風呂

 朝食をとった後、蒼は本当に紅と一緒に風呂に入った。

 ヒノキの浴槽は床を掘り込んで作ってある。

 洗い場もヒノキの板が敷き詰められていて、香りだけでも癒される。

 浴槽も洗い場も、全体的に広くて、清潔感が漂っていた。


(やっぱり理研の共同浴場とは違うよな。基本、シャワールームだったし)


 理研ではシャワーや風呂は、清潔を保つ意味合いしかなかった。

 実験の前後や売られる前に入念に洗われる程度で、普段は毎日入る習慣もなかった。


「風呂って気持ちいいんだなぁって、ここに来て初めて知ったよ、俺」


 先に湯船に浸かっていた芯がしみじみ話す。


「そうだよね。理研じゃ三日に一回くらいしか入らなかったし。僕もお風呂、好きになれそう」


 紅が蒼の頭をもしゃもしゃ洗って、湯桶でざばっとお湯をかけた。


「ニコもお風呂好きぃ。紅様と入るのが好きぃ」


 湯船の中でニコが紅に向かいニコニコしている。


「俺も、ニコや皆と風呂に入るのが好きだよ」


 今度は蒼の体を洗いながら、紅がニコに笑いかけた。


「あの、自分で洗えますから、大丈夫ですよ」


 おずおずと申し出るも、紅に首を振られてしまった。


「本当は最初に俺が洗ってあげてるんだけど、蒼は初回を逃したからね」


 確かに最初に風呂に入った時は自分で洗った。


「皆、洗ってもらったの?」


 湯船に浸かる芯とニコを振り返る。

 二人が普通に頷いた。


「ニコも洗ってもらったよ。紅様、今でも洗ってくれるよ」

「みんなで一緒に風呂に入る機会も多いぜ、今みたいに」


 確かに今は朝で、全員で風呂に入るタイミングでもないのだが、何故か芯とニコも一緒に入っている。


「お風呂って気持ちいいから、一日に何回入ってもいいよね。朝風呂って更に気持ちいいから、好きなんだ」


 それはきっと紅の趣味なんだろうが。

 付き合っているニコと芯は気を遣っているのだろうか。


「紅様が入る時はニコも入る!」

「ニコは長湯すると湯あたりするから、無理したらダメだよ」

「は~い」


 顔を火照らせて、ニコが良いお返事をしている。


「ニコも理研から買っ……、来たんですか? 僕はあまり覚えがないのですが」


 関わりがなかった被験体は多いし、覚えている方が少ない。

 歳が大きく離れれば、関わりもそれだけ薄くなる。

 だが、ニコくらいの歳なら、同じ施設にいたはずだ。

 芯に見覚えがあったように、少しくらいは覚えがあっても不思議ではないのだが。


「ニコは別の取引先から買ったんだ。理研と全くの無関係って訳でもないんだけどね。ニコは色と双子でね。大体、一月くらい前にここに来たんだ」


 一月前なら、そろそろ溶けるんだろう。

 色と双子なら一緒に来たのだろうし、術の浸潤が同じくらいに見える。


(理研以外にも取引先があるんだな。無関係じゃないなら、同じ現世の取引先なのかな)


 そこまで考えて、思考を止めた。

 紅が何処とどんなふうに取引をしているかなど、知っても意味がない。


「また増えるんですか?」


 芯が質問を投げた。


「んー……、しばらくは、無いかな」


 湯桶の湯を蒼の体に掛け流しながら、紅が答えた。


「……そうですか」


 静かに答えた芯を、ちらりと窺う。

 芯が考えるような難しい顔で押し黙っていた。


「蒼、湯船に浸かっていいよ」


 肩を叩いて促されて、蒼は湯に浸かった。

 たっぷりの湯が気持ち良い。足を延ばせる浴槽なんて、初めてで感動した。


「さて、ニコはそろそろ上がろうか」

「は~い」


 紅がニコを抱き上げて湯から引き上げた。


「芯、上がったら俺の部屋においで。ゆっくり遊ぼう」

「はい……」


 芯の返事を確かめて、紅がニコを連れて出て行った。

 湯船の奥で芯の背中を眺めていた蒼は、思い切って声をかけた。


「芯、あのさ……」

「基本は三人なんだよ、紅様の餌。三人目を喰う前に、追加が買われるんだ」


 その話は納得できた。

 色が溶けそうだったから、蒼が買われたんだろう。


「ニコはそろそろ溶ける。本当ならもう一人、買われるはずなんだ」


 芯が蒼を振り返った。


「やっぱり、霊元がある被験体って特別なんだな。蒼は普通の個体三人分の価値らしぜ。蒼一人で、紅様は腹いっぱいになれるんだ」


 そんな話は初めて聞いた。

 初日に紅が「高い買い物」とは言っていたが、具体的な値段なんか知らない。


「毎晩、同じ布団に寝かせて喰いたいくらい、価値があるんだ」

「それは、たまたまだよ。僕が霊力の放出するのが初めてで、寝るっていうか気を失っただけというか」


 毎晩一緒に寝る約束はさっきしたが、昨日までは只の偶然だ。

 霊力を放出して寝続けていたから、紅も蒼を動かせなかっただけだろうと思う。


「ニコが溶けても増やさないのは、蒼の霊力があれば足りるからだろ。俺も必要なくなる。紅様に愛してもらえなくなる!」

「芯、何言って……」


 立ち上がった拍子に芯の頭の上の手拭が落ちた。

 芯の頭に、耳が生えていた。


「芯……、耳……」

「蒼が来てから紅様は蒼にばかり構う。俺だって紅様が好きなのに。霊力がない只の人間は、もういらないんだ!」


 思わず立ち上がって、芯の腕を掴んだ。


「違うよ、芯。さっきだって、風呂から上がったら部屋に来いって、芯を呼んでただろ。ていうか、そうじゃなくて、えっと、えっと」


 たったの二日前まで逃げる企てをしていた芯に何があったのか、不安になった。

 耳が生えているから、紅の妖術が浸透してきているのだろう。

 芯が来てから十日以上は経っているはずだから、不思議はないのかもしれない。 

 だが、あまりの変わりように驚いてしまった。


「芯は、紅様を愛してる、の? 喰われたいって、思ってるの?」

「何、言ってんだ? 当然だろ。俺は紅様の餌なんだから。愛してほしいし、早く一つに溶けてぇよ」


 芯の腕を掴む蒼の手が震えた。


(きっとこれでいい。喰われる現実に疑問とか持たないで、愛されて、気持ちよく喰われたら、きっと幸せなんだ。僕も、そう思ってた。でも、だけど)


 保輔の話を楽しそうに語っていた芯の気持ちは、どこに行ってしまったんだろう。

 諦めたくないと話していたあの気持ちは、消えてなくなってしまったんだろうか。

 あれはきっと芯の大事な想いで信念だったはずだ。


「芯は、それで、いいの? 大事なコト、忘れてないの? 芯は、それで、幸せって思えるの?」


 声が震えた。

 怪訝な顔をした芯が蒼の顔を覗き込む。


「蒼? 顔色悪ぃけど、大丈夫か? 怒鳴って悪かったよ。俺もニコも紅様に構ってほしいんだよ。だからお前が羨ましいっていうかさ。嫉妬したんだ」


 蒼は首を振った。

 芯の腕を強く掴む。


「芯は、保輔を、忘れちゃったの?」


 芯の腕が、ぴくんと小さく跳ねた気がした。


「誰だよ、それ。俺らにとって大事なのは、紅様だけだろ。俺らは紅様と一つになるために、生きてんだぞ」


 信じられない言葉が返ってきて、蒼は顔を上げられなかった。

 芯の腕を掴む蒼の手から力が抜ける。


「俺、そろそろ行くわ。紅様、待たせたくねぇし。よくわかんねぇけど、蒼はちゃんと温まってから出て来いよ」


 慰めるように肩を叩いて、芯が風呂を出て行った。

 蒼は、力なく湯の中に蹲った。


「紅様の妖術って、あんなに、あんなに……」


 人を変えてしまうのだと思った。

 あれ程、嬉しそうに語っていた友人まで忘れてしまう。

 頭の中が紅の存在だけで埋め尽くされる。


 どうしようもなく怖くなった。


(喰われるなら、その方が楽だ。でも芯は、僕みたいに喰われたいと思ってたわけじゃない。やりたいこともあって、会いたい人もいるんだ)


 幸せに生きたいと語っていた時の芯の笑顔を思い出す。


(このまま喰われて良いわけない。絶対に、良いわけないんだ)


 何故か、涙が湯船に落ちた。

 今、自分が感じている感情が、恐怖なのか怒りなのか悲しみなのか、蒼にもわからなかった。

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